2019/01/18

リハビリの実情

 私はパーキンソン病のため、身体が思うように動かない。そこで、リハビリへ通っている。日頃は、そこで歩き方や話し方の指導をうけている。

 

手厚い日本の介護保険

 その施設は、くにもとライフサポートクリニックという神経内科医院の付属の施設で、「アンドモア」という名まえが付いている。「アンドモア」とは、and more「そしてもっと」という意味になる。この施設に通うにきっかけは、ケアーマネージャーのYさんの紹介による。初めてアンドモアに行ったとき、施設の土屋さんが私を迎えに来てくださった。そのとき、土屋さんは初対面の私の肩をかかえるようにして、送迎車へ連れて行ってくださった。私はすでに歩くことが困難になっていたので、送迎車に向かうときには不思議な感覚だった。なぜ歩けるのか不思議な気持ちだった。送迎車のなか土屋さんが自己紹介した。「理学療法士の土屋です」という。そのとき初めて、理学療法士という国家資格があることを知ったのである。理学療法士は、私にとっては神さまみたいな存在だ。歩けない私にとっては救いの神である。今でもまだ、普通に歩けるわけではないが、将来歩ける可能性を信じていられるのは、うれしいことだ。まさに、アンドモアである。何故もっと早くリハビリに行かなかったのかが悔やまれた。

 

 私は現在、要介護2だが、介護保険のlおせわになったとき(当時は要介護1)、私の自宅に7人の方々が集まって打ち合わせ会議をしたことがあった。①ニチイのケアーマネージャーのYさん、②アンドモアからは理学療法士の土屋さん、③ニチイの訪問看護担当のHさんほか2名、④部屋のリホームと介護用品担当のニチイのスタッフ、⑤電動車椅子担当のフランスベットの方が一人出席した。合計5部門7人もの人々が、私一人を支援してくださっているのだということがわかった。Hpdsc_0054_edited1_2ちなみに、この会議のことを担当者会議という。介護保険制度とは、これほど手厚いものだとは知らなかった。

 

うれしい時間を共有

 ところで、アンドモアでの生活は、なかなか充実している。これは、施設のスタッフはもちろんだが、通ってくる人々の人柄による。皆さん高齢ではあるが、知識人であると同時に人格者でもある。

 リハビリでは、まず始めに“おとなの学校”という時間がある。これは、毎回スタッフが講師になって行うレクチャーである。あるとき、聖徳太子について学習したことがあった。太子の有名な言葉に「和を以て貴しとなす」というのがある。そこで、「和」について話題になった。その時、講師の佐藤さんから「和」を作るにはどうしたらよいか? という質問があった。我々“生徒”のその質問に対する答えは、流石に立派なものであった(写真右上)。①話をよく聞く、聞き上手になる。②腹を立てない。③お互いに笑い(笑顔)を絶やさない。④近づこうと努力する。⑤譲り合う心。➅喜ぶことを考える。⑦自分のしてほしいことを、(他人に)してあげる。逆に、自分のしてほしくないことを(他人に)しない。⑧人前で相手をほめる。相手の良いところを見つける。というのが答えだった。私の答えは⑧だったのだが、そのとき、ほかの生徒さんが、その前に相手の良いところを見つける、という提言が付け加えられた。すなわち、私の答えを補ってくださったのだ。このような知的な環境は、めったにないのではないか。

 これは、我々高齢者でなければできない答えだろうが、高齢だからできる答えというものでもない。リハビリにいらしている方々の人格による。こういう方々と一緒に同じ時間を共有できるのはうれしいことだ。

 

楽しいクリスマス会

 昨年1215日は、アンドモアでクリスマス会があった。家内と二人で参加した。会場に到着すると、いつも私の身体の調子を診てくださっている理学療法士の野村さんがサンタクロースの衣装で私を会場へ案内してくださった。

Hppc152511_2Hppc152531_2 クリスマス会は、なかなか充実したプログラムだった。スタッフは、ハンドベルの演奏やフラダンスを披露した(写真上2点)。始めに、たどたどしい“日本語”でガイダンスがあった。それが外国人の日本語に似ているので、日常を知っている参加者から笑いが起きた。お菓子のプレゼントは、すべてスHppc152550タッフの手作りだという。Hppc152547
最後に、全員で「聖しこの夜」を合唱した。久しぶりに楽しいひと時を過ごした。

 

早くから対策を
 最近、くにもとライフサポートクリニックでは、早くから(高齢になって体が動かなくなる前に)身体の調子を整えておきたい人のために、「メディカルフィットネス『にこっと』」を新設した。世の中には、身体の自由がきかない方々がたくさんいらっしゃる。『にこっと』には、筋力アップだけでなく、生活習慣病の予防と、改善、および健康維持、健康増進などを目的にしているという。Hp_edited1私も、通いたかった施設だ。特に認知機能を守ることに力を入れているという。これは素晴らしいことだと思う。このほかにも、神経内科の医院のメリットを生かしたいろいろな内容がある。詳細は、ホームページなどを参考にしてほしい。http://www.mf-nicotto.com

 さて、「アンドモア」にしても、「にこっと」にしても、ネーミングがおもしろい。ほかに「笑いヨガ」というのがある。「おとなの学校」の最後に、みんなで大笑いするのである。笑うことが体に良いということは、以前から知っていた。私の叔母が骨折したときに、担当医が苦笑いでもいいから笑って患者に接してほしいと言われたことがある。それ以来、笑いを心がけてきた。笑うと免疫力が高まるといことだ。これをヨガと結びつけたとろが流石である。何か新しいことをやるときには、それに名まえを付けて、取り組む人たちがそれを共有することが大切だ。

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2018/03/13

“名残り”というモチーフ

第16回 ヌービック・フォト・フレンズ5写真展
『名残りの情景』 は18日15時まで

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会期:2018年3月13日(火)~18(日) 10時~18時 初日は13時~ 最終日は~15時
会場:かなっくホール ギャラリー(A) アクセスは、DMを参照ください

以下に、本写真展のあいさつ文と作品一覧を掲載する。(写真や図表はすべてポップアップします)Hpimg_0002_4 Hpimg_0001_6Hpdmimg_4Hpimg_0001_7

 ヌービックフォトフレンズ5は、昨年、『発端の物語』という写真展を開催した。今回の『名残りの情景』は、テーマとしては正反対だ。物事の最初が発端だとすれば、最後は名残りで終わるのではないか。すなわち物事の最初と最後という意味で正反対といったのだ。
 発端も名残りも、私が提唱している8大モチーフの一つである「時間」に属する。名残りは過去のカ テゴリーに含まれる。また、過去のモチーフの中でももっとも重要なモチーフと言える。名残りは記録の本質でもあるからだ。写真撮影の目的は、名残りをとどめておきたいという願望の実現にあるともいえよう。記念撮影しかりだろう。写真撮影のもっともポピュラーな目的にかかわる。何をどう撮っても名残りになるともいえる。しかし、そうは言っても、被写体の選び方と撮り方には工夫が必要だ。
 『発端』について取り組んだので、次は『名残り』を撮ろうというヌービックの発想は、自然でもあろう。
 私は、今回、参考出品させていただいた。自然界には、常に始まりと終りがあり、それを繰り返している。その繰り返しが、人々の心に響き、自然への憧れや期待、逆に絶望や寂寞などの情感を醸し出している。私の自然観は、『自然は厳しい』ということだ。美しい反面、生きるか死ぬかの厳しさがある。その厳しさに注目している。名残りには、それを感じさせる要素があると思う。私は、春と秋の季節の名残りとして2点を出品した。

 

 『春のさきがけ』は、満開のモクレンの名残だ。早春に咲くモクレンには、春の喜びがあふれている。散らばった落花には、その面影を感じる。『豊穣の余韻』は、折れて落ちたミミガタテンナンショウの果実を撮影したものだ。秋の豊かさを象徴しているのではないか。
 
           ご高覧いただけたら幸いだ。
Hpp4060298『春のさきがけ』

Hppb190337『豊穣の余韻』

 ヌービックでは、毎回、写真集を制作している(写真左)。Hpimg_0005

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2016/11/23

秋は過去に思いをはせるとき 八ヶ岳山麓No.203

円熟期に草創期を考える

 八ヶ岳山麓(標高1400メートル)には、初冬の風景が展開している。八ヶ岳の初冠雪は見たものの、まだ根雪にはなっていない(写真下)。Hp1120pb200013
 年間を通して同じ地域の自然を観察している私にとって、秋は過去を振り返りたくなる季節だ。春に発芽したり芽生えた植物は、夏の強い光を受け止め、生長し花をつけ、秋になると、葉は紅葉し、果実をつける。Hppa220406_2のようすを目の前にすると、どうしても過去の出来事や働きぶりを思い出ださざるを得ない。それは、山小屋のある八ヶ岳山麓でも、居住地の横浜市でも同じだ。観察の対象は、まったく同一の個体のときもあれば、同じ種に絞って観察する場合もある。(写真左 ヤマブドウの変葉)

 いうまでもなく、秋の季節感は紅葉や黄葉などの葉の変化とバラエティー豊富な果実にある。春の芽生えや夏の生活からは想像できない。Hppb050008_3E.ヘッケルの反復説によれば、春から秋にかけての植物の変化(個体発生)は、その固有種の進化の過程(系統発生)を短縮された状態で現れるといわれる。秋の紅葉や果実が、固有種の未来まで暗示してるのだろうか? 植物の神秘を感じる。継続して観察する意義は、そこにある。私は、植物それぞれの円熟を味わいつつ、過去を振り返って思いを“はせる”のである。(写真上右 カエデの落ち葉)

●カエデ(カエデ科) 若葉(5月3日)には原始的な二又分枝の面影がある(写真下左)。同じ個体の黄葉(写真下右Hpp5030504
Hppb020224





●ミミガタテンナンショウ(サトイモ科)
 5月8日に撮影した若芽(写真下左)。5月23日に撮影した花(写真下中)。9月19日に撮影した果実(写真下右)。それぞれ別の個体を撮影Hpp5080123
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●ミミガタテンナンショウ(サトイモ科) 
10月24日に撮影した果実(写真下左)。11月19日に撮影した同じ個体。風雨に打たれて倒れていた(写真下右)Hppa240066
Hppb190339




●ズミ(バラ科)
 今年は当たり年で、森が白く見えるほどの満開になった(5月27日撮影 写真下左)。6月22日の若い果実(写真下右)。どのズミの樹もたわわに実をつけている(写真下段)Hpp5270045
Hpp6220236


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●ウバユリ(ユリ科)
 7月5日のつぼみ。ユリ科に共通の形質が見える(写真下左)。7月2日の花(写真下段左)。10月22日に撮影した果実(写真下右)。果実の中からつまみ出した種。直径10ミリぐらいの薄片。(写真下段右)。Hpp7050351
Hppa220526Hpp7240368


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2016/04/18

第14回 ヌービック・フォト・フレンズ 5写真展

 熊本地震で被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。また、お亡くなりになった方々に、哀悼の意を表します。


写真展 『出会ったシーン』

●会場:かなっくホール ギャラリーA (DM参照)
●日時:2016年4月19日(火)~25日(月) 10:00~18:00 初日13:00~ 最終日~15:00

Hp16dm_0002_edited1_2グループ展のあり方に一石
 ヌービック・フォト・フレンズ 5展は、円熟味を増してきた。
 写真は、何を撮っても出会いであろう。だからといって漫然と撮っていたら、写真展にはならない。そこで、キャリアーや見識が問題になる。14年間続けて写真と向き合い、同僚と付き合い、テーマについて取り組んでいると、写真観だけでなく、人生観までも変わってくるのではないか。あいさつ文にあるように、「何気ない光景でも、ちょっと注意してみると、実に新鮮な出会いであることに気づく」。“ちょっと注意する”ところに、写真観や人生観、撮影の技量が表れるのだ。すると、出会ったシーンを大切にしておきたいという気持ちが湧いてくる。三つのカテゴリー「遭遇の表情」 「対決の構図」 「癒しンの郷愁」に、メンバーの気持ちが込められた写真展である。ご高覧いただけたら幸いだ。Hp16dm_0001

 私が初めてヌービックのメンバーに出会ったのは2回目か3回目の写真展のときだったと思う。そのときの写真展が今のヌービック展になろうとは思いもよらなかった。グループ展のあり方に一石を投じたと思う。まとめ役の辻氏の牽引力とメンバーの真摯な取り組みに敬意を表したい。Hpa02p41900771また、私を立ててくださったメンバーのご好意に感謝している。 (写真右と下  会場風景Hpb03p41900921_3




 いつものように、会期に合わせて写真集を作った。今年は、文庫判からA5判に代わったので、見ごたえがある(写真下 表紙と3見開き) 。ヌービック・フォト・フレンズ 5のますますの発展を祈ります。

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「遭遇の表情」Hpimg_0002_2


「対決の構図」Hpimg_0003_3
「癒しの郷愁」Hpimg_0009_2

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2015/12/08

孫正隆さんとの出会い 八ヶ岳山麓No.189

信仰への途Hp2015128pc080095_2

 1941年12月8日、大日本帝国はハワイの真珠湾を攻撃して、宣戦を布告した。私が生まれた日から3か月余しか経っていなかった。父母は、さぞ不安だったろう。この戦争は多くの悲劇を生んだが、一方で、現在の平和国家の礎にもなった。ここでは、ひとりの人間が、戦争の悲惨さに立ち向かった一例を紹介しよう。

 私たちが第二の故郷として生活している八ヶ岳山麓で、珍しい方に出会った。孫正隆さんである。孫さんは宗教家である。今でも、伝道師として活動されている。歳は私と同世代で、もの心がついたころに戦後という過酷な時期を体験されたので、私とは同士である。孫さんが宗教家になった経緯を綴った著作を引用して、信仰という私にとっての難問に迫ってみたいと思う。なお、「 」でくくった部分は孫正隆さんの著作の引用、または発言である。 (写真右上 12月8日現在の八ヶ岳山麓)

 「筆者に、まだ少年だったころに経験したある事実を、あかしさせてください。
 昭和20年3月10日未明の東京大空襲で、両親と妹を亡くし、4歳で孤児となった筆者は、その前日、家財を整理に戻っていった両親らを見送って田舎に居残っていて助かり、その後母の養父母の許で育ちました。が、やがて自分の将来に不安を抱くようになり、いつしか子ども心に、ひたすら、人間として正しく生きたいことと、正しく生きていく上でいわば必須の精神的な基盤を求めるようになりました。飢え渇いた心で密かに捜し求めつづけ、それなりに成長もしつつあった少年のある日、山歩きをひとり楽しんで帰る途中、道で小さな紙片を拾ったのでした。粗末な印刷物でしたが、もしかして、筆者のかねてよりの祈りにも似た飢え渇きに応えた、明解な言葉が記されているかもしれない、と期待をもって読んだのでした。そこには、『神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである』(ヨハネによる福音書3ノ16)………とありました。Hppb010149この言葉を読み終わった時、筆者はとても深い感動と喜びと驚きのまま棒立ちしていました」。

 ここまでは、孫さんが信仰の世界へいざなわれる契機となった体験談である。私は、孫さんほどの過酷な戦後体験はなかったが、ひもじい思いはした。父に連れられての“買い出し”の経験もある。これは、多くの日本人が経験したことだろう。一方、家族全員を失うというもっとも過酷な境遇が、孫さんの精神に大きな傷跡を刻んだことは間違いないであろう。ところが孫さんはこの不条理に対し、毅然と立ち向かったのである。不安や苦労は、それをだれかにぶつけて解決したいというのが凡人の思考回路だ。通常の人間でも、苦境に立ったとき、その原因や責任を外界に求めるものだろう。孫さんは内界へ向かったのである。 「人間として正しく生きたいことと、正しく生きていく上でいわば必須の精神的な基盤を求めるようになりました」とある。自身を正し高めて苦境を乗り切るということは、なかなかできることではない。しかり、彼いわく、「この渇望そのものが天恵です」という。そして、その時出合った聖書の言葉は、渇ききった喉を潤す一杯の水のようなものだったのであろう。ヨハネによる福音書3ノ16の一節に書かれた『ひとり子』とはイエス・キリストである。孫さんは、聖書を引用して、わかりやすく説明してくださった。「神様がイエスを世に遣わされたのは、世を愛しているからである。『悔い改めて』(マルコによる福音書1ノ15)、『ナザレ人イエス・キリスト』(使徒行伝4ノ10)をわたしの救い主と信じ、かつ『告白』(ローマ人への手紙10ノ9-10)する者はひとりも滅ぶことはない」と。私は、ヨハネによる福音書3ノ16の前後を読んでみた。孫さんの心情が少しは分かったような気がした。

 次に彼は言う。「それは、この言葉(ヨハネによる福音書3ノ16)と照応する、三つの威光を観照できたからです。その時、この言葉と三つの威光とを解する理解力も与えられて、理解できました」。その三つの威光とは、「人類に対する圧倒的な深いあわれみと恵みの愛、たとえようもない清らかで聖潔な気品、心をおののかせ畏(かしこ)ませる威厳」と孫さんは書いている。聖書という書物があることすら知らなかった孫さんが、ヨハネによる福音書3ノ16と三つの威光について理解できたのは、「天恵であり天啓というしかない」という。この時すでに、孫さんの心には、『ひとり子』(イエス・キリスト)を受け入れるスキーマができていたのであろう。そして、なぜ“十字架”なのかも理解するのである。「神は、キリストなるお方を、罪深い人類の救いのために、(十字架にかけられて)身代わりの犠牲の死を遂げさせられたこと、そして、キリストをわたしの救い主として信じ受け入れる者は、罪の赦しを得、かつ罪からの救いを得る、ということでした。筆者はこれを、神のご計画と確信し信じることができました」と書いている。

 が、この時に孫さんがぶつかった障壁は次のようなものだった。「しかしながら、その後すぐに筆者は思いがけない深い悲しみに落ちたのでした…。……中略……わたしの救いのためにキリストは死なれたということは、その救い主なるお方にわたしはお会いできないということではないか…と。このように考えた時、わたしの胸の内に悲しみが俄かにわき起こり、……思わず泣き叫びたい慟哭の思いで胸が張り裂けんばかりになりました」と書いている。私は、孫さんのこの考え方が必然的な成り行きで、ここに孫さんらしさがあると感じた。そこで、孫さんにこのことについて問うと、「少年期の素朴な心情でした。せっかく巡り会った救い主なるお方に会えないということは、堪え難く悲しかった」と答えられた。Hppc040024_2さらに「これにはきっと、深いわけがあるに違いない…と思い直しました」。
 はたせるかな、この障壁は、聖書と出会った青年期になってとり除かれた。「聖書をひとり繙くうちに、救い主は死後三日目に不死に蘇られたこと、そして信じた者らにも不死に蘇る朝があると知った時、ああ、それでこそ神の救いのご計画だと得心し、救われたすべてのものは救い主なるお方と相まみえることができるとわかって、筆者の心はほんとうに晴れたのでした」。この感激を、孫さんは聖書を引用して書いている。「『御顔を仰ぎ見るのである』(ヨハネの黙示録 22の4)、『(神はわたしが)求めまた思うところのいっさいを、はるかに超えてかなえて下さる…かた』(エペソ人への手紙 3ノ20)として、臨まれたのでした」。

 この後、孫さんは過去の体験を振りかえり、『御国』を求めるようになる契機となった戦後の不幸を偲ぶのである。「神は、あの頃の私の不幸を逆手にとられて、……誰しもが、もっと深刻な不幸のただなかにあることに気づかせて下さっただけでなく、そこからの救いである『御国』 を求めるように、諭してくださったのだと思います。戦災で亡くした両親らのことを思えば、幾星霜を経て今なおその人権は無視されたままであり、従って、筆者などは『この世で…無きに等しいもの』(コリント人への第一の手紙 1ノ28)です。しかし、だからこそ、このような稀有な勿体無い経験に与るべく『あえて選ばれた』(コリント人への第一の手紙 1ノ28)のかもしれません」。

 「宇宙飛行士のフランク・カルバート氏が宇宙からの帰還後に全世界に向けて発信されたように、筆者もまた、『あの日感じたことをだれかと共有したい』と思うほどの経験をしたのです。もし、読者のあなたがわたしと同じ経験をしていたら、きっとあなたもだまってはいられなかったことでしょう。筆者はあなたが経験したかもしれない経験をしたのです」。なんと慎ましい考えではないだろうか。「しかしながら、以上の筆者の経験は『御国』を目ざす信仰のいわば“ふりだし”です」と結んでいる。Hppc040077_2

 この一文は、彼の宗教家としての証言が語られているが、孫さんにして経験できたことが簡潔に記されていて、私たちの参考になると思い、12月8日の開戦日に合わせて掲載することにした。また、孫さんとの出会いは、八ヶ岳山麓という神秘的な自然の中での出来事なので、カテゴリーを八ヶ岳山麓とした。

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2015/11/15

落ち葉から夏を偲ぶ…八ケ岳山麓No.187

輪廻転生Hp40pa310489_edited1_2
 私は落ち葉が好きだ。枝にぶら下がっている葉よりも落ち葉のほうが、過去が感じられドラマティックだからだ。八ヶ岳山麓の森へ一年中通っていると、自然の移り変わりに敏感になる。特に、春の芽生えから新緑、深緑、紅葉と移り変わる植物の変遷は、生命の循環や世代交代、輪廻転生を感じる。花期に多くの昆虫を集め、夏の強い日差しを受けて光合成で栄養を蓄える姿を見てくると、紅葉した落ち葉に思いを寄せるのは自然なのではないか。この時期は、魅力的な落ち葉を探すのが楽しみだ。(写真右 カミキリの不透明度40%)

季節感とは
 季節感は、写真では良いモチーフだ。特に、日本人は季節には敏感だ。季節感を撮影するには、一つの画面に二つの季節をフレーミングすることがポイントになる。例えば、春の季節感を撮ろうと思ったら冬や夏を、夏の場合なら春や秋を、秋なら夏や冬を、すなわち主役の季節の前後の季節を脇役として画面の中に取り込むのである。前の季節で過去を偲び、後の季節で未来への期待を表現することができる。一年前や一年後を画面に取り込むことでも効果を発揮する。いずれも「時間のモチーフ」(私が提唱する8大モチーフの一つ)に属するHp100pa310489_edited3_edited1_4 Hp60pa310489_edited2_edited1_2被写体は刻々と変わるので、二つの季節を同時に画面に撮り込むのはやさしくない。(写真上左 不透明度100%、同右 不透明度60%) ワンショットではもちろんのこと、多重露出でも二つの季節を画面にまとめることはやさしくはない。そこで私は、秋の落ち葉にパソコン技術で夏を撮り込んでみた落ち葉に昆虫(ゴマダラカミキリ)を重ね合わせて、秋と夏、二つの季節で一つの画面を構成してみたHp50pa310489_edited4_edited1_5Hp30pa310489_edited1_4葉と昆虫を同じ標準濃度にしてしまうとどちらが主役かわからなくなってしまうので、昆虫の濃度を下げ、葉とオーバーラップさせてみた。同時に、昆虫は夏の記憶であり思い出なので、あいまいではっきりしないほうがいい。 (写真上左 不透明度50%、同右 不透明度30%)

気に入った過去のイメージを実現
 この撮影のモチーフとテクニックは、漆畑銑治氏が過去(1980年代)に発表した作品を模倣したものだ。たしか、コダック・フィルムのコマーシャルで、カメラ雑誌の見開きページを埋めていたと記憶している。非常に新鮮に感じたのは、コンピュータが普及する前だったからかもしれない。そのイメージを私もいつが自身で作ってみたいと思っていた。Hp50pb062255_edited5漆畑氏のコマーシャル写真は完璧なできばえだったが、それに引き替え、私のコンピューター技術の稚拙さをご容赦いただきたい。オーバーラップの効果は、カミキリの透過率で決まる。画像処理ソフトのフォトショップでは、不透明度という用語を使っている。掲載した写真は不透明度40%(透過率60%)で処理したもの。参考までに、不透明度100%(透過率0% 切り抜き合成)、不透明度60%(透過率40%)と50%(透過率50%)、30%(透過率70%)も掲載する。どれがもっとも夏を偲ぶ写真になるだろうか? また、サクラの落ち葉にクワガタのメスを組み合わせたものも作ってみた(写真上右) 。こちらは、クワガタの不透明度50%(透過率50%)のオーバーラップである。

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2015/05/11

昔懐かしい写真展『ふるさとの記憶』 5/12~5/17

第13回 ヌービック・フォト・フレンズ5写真展

会 場:神奈川県民ホール 第2展示室 アクセスはマップ参照(ポップアップ可)
日 時:2015年5月12日(火)~17日(日)10:00~18:00 初日は13:00~ 最終日は~15:00

Hp_dm_2 「ふるさと」といえば、文部省唱歌が有名だ。この歌には、ふるさとが凝縮されている。いろいろな「ふるさと」がある。まず「生まれ育った土地」、次に「精神的なよりどころとしてのふるさと」があり、「かつて住んだり訪れたことのある土地」、また「我が家」をさす場合もある。ヌービック・フォト・フレンズ5は、これらを意識して撮影し展示した。
 ヌービックはテーマにこだわり、毎回、悪戦苦闘してこなしている。今回の『ふるさとの記憶』についても同じだった。しかし当初は、これは取り組みやすいテーマだと思ったようだ。Hp_dmimg_0004ヌービックのメンバー一人ひとりにふるさとがあり、観客(鑑賞者)それぞれにもにもふるさとがあるからだ。情報伝達には、送り手と受け手に共通の素地や土壌があるほど伝わりやすい。ふるさとについていえば、自分のふるさとは他人のふるさとになるだろうと考えられる。あきらかに良いテーマだと思ったようだ。良いテーマとは、労せずして撮影し、展示作品を選べるという一面がある。ところが、そうはいかなかった。
Hpp5141706 ヌービック・フォト・フレンズ5のまとめ役は、前ページで紹介した写真集『弘前散歩』の著者・辻 栄一氏である。作品が集まるほどに、辻さん(以下、さん付けとする)には送り手と受け手のギャップが見えてきたようだ。辻さんの作品の評価眼はいつも厳しいのだ。それを埋めるために、メンバーの苦戦が始まった。差し替えのために撮り直しをしたり、ありネガの探索を重ねた。その結果、見事な作品展になったと思う。Hpp5141686テーマに対する解釈の多面性と正確さはプロフェッショナルといえよう。特にグループ展としては最高のできばえだ。テーマをこなす苦戦はおおいにけっこうだ。この葛藤が作品展をグレードアップすると思う。テーマとはそういうものだ。テーマのない写真展は観客を意識しているとは思えない。辻さんがまとめた会場のあいさつ文を以下に掲載する。 (写真上右 「ふるさとの情景」コーナー、同上左 「昭和の面影」コーナー)

ふるさとの記憶
「ふるさとは遠くにありて思ふもの そして悲しくうたふもの.....」
 明治の文豪 室生犀星が24歳の時、ふるさとに対して愛憎をこめて作った詩である。 誰にでもふるさとはある。生まれ育ったふるさとはいくつになっても心に残っている。楽しいことばかりではなく、辛く苦しいこともあった。遠い昔の記憶であるが、幼いころに遊んだ野山やあのころの風景に出合えばどこか懐かしく、そして安らぎを覚える。それがふるさとなのである。
 今回の写真展は3部で構成されている。
第1部「ふるさとの情景」ではふるさとの原風景を感じたり、子供の頃の様々な体験を思い出すことができます。
第2部「昭和の面影」では人々の暮らし方が大きく変貌する高度成長期以前の、『always三丁目の夕日』のような昭和の風景にタイムスリップしていただけます。
第3部「横浜のふるさと」で幕末の開港によって文明の発祥地となった旧居留地界隈のエキゾチックな街角を探訪しています。
 それぞれのふるさとを愉しんでいただき、しばしの郷愁に浸っていただければ幸いである。 2015年5月12日 ヌービック・フォト・フレンズ5 一同

作品のタイトルは以下のとおり(ポップアップ可)Hpimg_0006_3(写真下右 「横浜のふるさと」コーナー)Hpimg_0006_2
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2014/12/18

横浜・外国人墓地のアドヴェント 横浜No.79

クリスマスの飾りを撮るHppc140045

 12月13日(土)と14日(日)の2日間、外人墓地を見学した。この時期、キリスト教ではアドヴェント(advent 待降節)という期間に含まれる。クリスチャンは、クリスマス(降誕祭)をひかえて4週間の準備期間を過ごす。家庭ではツリーを飾ったり、キリストの降誕劇を模したクリッペという置物を作ったり、お菓子を焼いたりする。また、墓標にはリースやツリー、花などを飾る。私が訪ねたときにも、いくつかの墓標にはクリスマスを迎える雰囲気が漂っていた。そのために、外人墓地は少しにぎやかになる。Hppc135765ちなみに、年内は、20日(土)と21日(日)も公開される。おそらく、墓地はクリスマスの飾りでさらににぎやかになるだろう。なお、私は飾りのある墓標のみを撮影した。

 墓地がにぎやかというのは、日本人にとっては奇異に聞こえるかもしれない。しかし、西洋人のお墓は、明るく華やかだ。世界観や宗教観の違いではないか。墓碑を見ると、ほとんど夫婦がいっしょに埋葬されている。Hp141212それぞれの没年月日だけでなく生年月日も刻まれている場合が多い。故人の業績や略歴などが書き込まれている墓碑もある。関係者以外でも故人を偲ぶことができるだろう。私はドイツへ取材に出かけたときには、機会を見つけて共同墓地を見学することにしている。

 さて、横浜の外人墓地には、近代日本の創成期に活躍して業績を残した多くの方々が眠っている。鉄道をはじめとする公共事業から学校教育、私たちの日常生活にかかわる技術や制度作りに貢献した方々だ。
詳細は、墓地付属の資料館を見学するとよくわかるだろう。公開順路案内図(図右上 ポップアップ可)に従って見学するだけでも興味は尽きない

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 横浜の外人墓地は、通常、縁故者の墓参以外には公開されていない。しかし、3月から12月までの毎週土曜日、日曜日および祭日(雨天を除く)、12:00~16:00には、募金公開と称して一部が一般公開される。募金は200円~300円程度とされていて、墓地の維持管理費に充てられる。墓地と資料館を見学すると、異郷の地で骨を埋めた人々の業績がわかり、もっと寄進したくなるだろう。Hppc140160_2Hppc135841







 私は、外人墓地には大きな思い出がある。タウン誌『浜っ子』に連載を執筆したとき、第1回目が外人墓地についてだった。1984年10月号から毎月、Hppc140072_2モノクロ見開きで『横浜が見る時間』という記事を執筆させていただいた。Hppc135771_5毎月、横浜の風物や行事などを紹介しながら、私の横浜への想いを綴った。Hppc140070_2私の横浜でのライフワークが本格的に始動したのである。編集長の渡辺光次さんのご好意により27回続いた。Hp_3
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2014/11/02

『心の琴線にふれた光景』2014

8回 横浜写心倶楽部 写真展
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会場:横浜市港南区民センター「ひまわりの郷」ギャラリー(港南区民文化センター内 アクセスはDMのマップ参照)
会期:2014116()12() 10:0018:00 初日は14:00~ 最終日は~17:00


 琴線とは琴の糸のことだが、もう一つ慣用的な意味がある。「外界の物事に触れて、さまざまな思いを引き起こす心の動き」という意味だ。いうまでもなく、写心倶楽部のタイトルはHpimg_0002後者にかかわる。「琴線にふれる」とは心の動きを琴の糸にたとえた言い方で、感動の一つのパターンである。琴の糸のように感じやすく、共振、共鳴して心に残ることを意味する。すなわち、琴線とは作者の中(内界)にあるものをさす。一般的にシャッターをきるということは、外界の被写体が内界である作者の琴線を刺激することと言えよう。撮影者の琴線はさまざまだ。今回も、琴線を3つのカテゴリーに分けて展示する。≪本能を呼び覚ます≫ ≪自然への共感・共鳴≫ ≪過去を追想する≫の3つだ。いずれも、人類の過去の進化と学習から得た琴線といってよいだろう。


 私たちはしばしば原始的な風景にあこがれる。水辺に郷愁を感じるのは、私たちの遠い祖先が進化の過程で水辺の生活を体験したことがあるからだ。自然にあこがれるのは、過去に厳しい自然を克服した知恵Hppb060881_2が、私Hppb060866_4たちの身体に“記憶”されているからではないか。過去を大切にする習性は、体験や創造を財産として蓄積してきたおかげだ。代表作を以下に掲載する。なお、私は出展していない。Hppb060856_4

≪本能を呼び覚ます≫ 『祭 礼』 (高千穂神社) 森内秀樹Hp01_dsc_0070a


≪自然への共感・共鳴≫
『亀 裂』(吹割の滝) 
岡田正久Hp14_d31a6029a


≪過去を追想する≫『ゆうなぎ』
(横浜港)  稲葉一郎Hp36_29_img_0047c

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2013/10/09

『生生流転』  15日 15:00まで

パナソニック松愛会 横浜写真クラブ 写真展
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会期:2013年10月9日(水)~15日(火) 10:00~17:00 初日は13:00~ 最終日は~15:00 / 会場:横浜市都筑区総合庁舎1F 区民ホール(横浜市営地下鉄 センター南下車 徒歩6分)

 被写体にはいろいろな性質と状態がある。その一つに「変化」がある。どんな被写体も常に変化している。変化には時の経過をともなうので、私は、この変化を「時間」というカテゴリーに含め、シャッターをきる重要なモチーフの一つにしている。しかし、被写体が変化しているからといって、レンズを向ければ変化が写るわけではない。パナソニック松愛会のメンバーは、被写体の変化をテーマにしてHppa099146Hppa099141シャッターをきった。写真展開催の意図は以下のあいさつ文のとおりだ。

 宇宙や地上の万物が、生まれてからたえず変化していくことを生生流転と言います。自分自身もその一つです。自身の変化に気づいたとき、周囲の外界の変化に対しても、より五感がはたらくようになるものです。
 いろいろな変化があります。目まぐるしい現代の変化、長い歳月を要する自然界の変化、歓迎したい変化、拒みたいもの、美しい変化、みにくいものなど、さまざまです。
 私たちは、自身の周囲で起きている変化を見つけてカメラに収録しました。ご高覧いただけたら幸いです。  
2013年10月9日 パナソニック松愛会 横浜写真クラブ

 以下にメンバーの代表作を掲載する。各写真はポップアップ可。なお、私は出展していない。

下左から 「立志」 高沼 浩/「精気」 唐川良一HpaHpb_dsc_0248

下左から 「大望」 松田高志 / 「変身」 竹中正州Hpc_3Hpb_3




下左から 「芽生え」 亀田博美 / 「無常」 羽場弘明Hpa_2Hpb__5732

下左から 「再起」 荻原 肇/「ゆらぎ」 西野 斉/「溌剌」 庵 一雄Hpc_dc0808111_2Hpb_2Hpa_3

下左から 「お彼岸」 作間貞夫 / 「旅立ち」 中井昭夫Hpcp1140333Hpaimg_0002

左 「浄化再生」 石井正明Hpb_110706

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