2009/07/27

高登谷山登山で考える 八ヶ岳山麓No.80

上野高校山岳部OBの山行会Hpp7267424_2

 私は高校時代、山岳部に所属していた。なぜ山岳部に入ったのか、はっきり覚えていない。中学1年のとき従兄が、奥秩父の甲武信ヶ岳へ連れていってくれたのが山登りの始まりだった。秩父の栃本から約23キロ歩いて甲武信ヶ岳山頂にたどり着いた。当時は登山靴を持っていなかったので、バスケットシューズで歩いた。足の裏が痛くなったのを覚えている。この体験が、山岳部に入る動機に結びついていることはまちがいない。このとき同行した加藤晃君も上野高校山岳部だったので、彼と意気投合したのかもしれない。

 2年生の夏合宿は、北アルプスの裏銀座縦走だった。濁沢から烏帽子岳までブナ立て尾根を登って裏銀座の縦走路へ出た。ブナ立て尾根は標高差1300メートルの急登攀で、日本3大急登の一つである。鍋釜に、テント、シュラフ、食料などを分担して、一人7貫(約26.25キロ)以上の荷物を担いでこの急坂を登った。装備や食料は未発達だったので、非常にかさばって重かった。Hpp7267411 しかし、一人7貫というのは、当時の山岳部としては軽いほうだったと思う。ブナ立て尾根の登攀が初めての山登りの試練だった。その当時は二度と山には来たくないと思うぐらい辛かった。しかし、夕刻縦走路に着いたときの満足感も忘れられない。この体験が、私の一生に大きく影響した。山登りに限らず辛くなってからが本番、勝負どころだという気持ちが植えつけられたのである。その時の仲間3人と高登谷山に登った。

 高登谷山は、山梨県との県境近くにあり、標高1845.9メートルの手ごろな山だ。奥秩父山塊に属する。登山口は標高約1500メートルのなで、高度差約300メートルの行程だ。尾根をほとんど直登するので、道は急勾配(写真上左 登山道下方の視界)。ひと息入れるところがない。しかし、2回休憩して1時間強で頂上に立った。Hpp7267400_3Hpp7267382_2西の方角だけ視界は開けているが、ガスが立ち込めて何も見えない。ときどき、ガスが薄くなると下方にレタス畑が見えるだけだった(写真上右)。期待の八ケ岳を見ないまま下山した。下山時間は約40分だった。久しぶりの登山ではあったが、足腰の調子に不満はなかった。ただバランス感覚の衰えを感じた。学生時代は、下山はほとんど駆け足だった。宙に飛び上がってからどこに着地するか決めていたような気がする。今日は、一歩一歩踏みしめるように降りた。そのとき運動神経の衰えもかみしめた。下山後、好天になった山の全貌を見ながら、ルートを確認した(写真最上 ピーク は鞍部右)。Hpp7267407

 前日は宿舎で、最近の登山ブームについて語り合った。最近は、登山までパックツアーになってしまった。登山のパーティーとは、信頼関係の成り立つメンバーで構成される。リーダーは船長と同じで責任が重い。最後尾を歩きながらルートの決定や天候判断、メンバーの体力と健康状態などに気を配り、安全に責任を持たねばならない。そういうパーティーは一朝一夕にはできないだろう。昔、同じ釜の飯を食った仲間とそんな話をした。卒業してから50年経ってもパーティーが組める友だちがいることは幸せだ(写真左上 左から宇留賀君、加藤君、大地君)。

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2008/10/05

大道芸の旅情と郷土愛 横浜No.24

横浜とドイツが心のふるさとHppa051141

 ドイツへ行くとほとんど毎日、大道芸に出会う。繁華街やマルクトなど人が集まるところに、大道芸はつきものだからだ。ピンからキリまであるが、プロの名にふさわしい芸がたくさある。芸で収入を得るというだけではない。観客を満足させるのがうまい。しかし、芸とは関係なしに、我々外国人の旅情をかきたててくれるのが大道芸だ。 Hpp5278994 特に、音楽演奏は旅行の思い出に深く刻まれる。そのため、即売のCDを記念に買ってくる。

 初めてミュンヘンに行ったとき、ノイハウザー通りで二つの大道芸に出会った。一つはマリンバの演奏だった。幼児が演奏に合わせて駆け回っているのがかわいかった。アウグスティナーで夕食を食べて外へ出ようとすると、なつかしい調べが聞こえてきた。反対側の店の前でクインテットがクラシックの名曲を演奏していた(写真上)。バッハのオーボエとバイオリンのための協奏曲ニ短調(BWV1060)だ。とても大道芸とは思えない演奏だった。今でも、そのとき買ってきたCDを聞きながら、ドイツの旅情を懐かしんでいる。(写真上、下段はノルドリンゲンのマルクトで子どもの関心を引く大道芸)

Hp_2  大道芸は横浜の名物である。野毛地区では春と秋に大道芸祭が行われる。昨日は、野毛で秋の大道芸祭があった。私は、「バルーンおやじ」「カーボーイボブ」「中国雑技芸術団」を楽しんだ。Hppa043844_2 「カーボーイボブ」は、老若男女、子どもまで笑わせる芸とトークはすごい。私も腹を抱えて笑ってしまった(写真上、下)。中国雑技団の曲芸は、息をのむスリルがあった(写真下右)。子どもにはフェイスペイントアート「デコデコ」が人気があった。Hppa043847Hppa043887 ほかに、ウォーキングアクトの「ロウミン」「ガンジスインダスドーダス」「のぢぞう」などが野毛地区内を何げなく巡回している。Hppa043953観光客に溶け込んでいるので、うっかりしていると見逃してしまいそう。大道芸を楽しむのは、浜っこの喜びであり、アイデンティティーを感じるときだ。私は東京生まれだが、横浜とドイツは心のふるさとなのだ。

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2008/07/20

ヘレンベルグのサウンド ドイツNo.68

Hpp6082238_2鐘のコンサートと日曜ミサ

 人間は、生活のための情報を70~80パーセント、視覚(目)から得ていると言われる。一方、人間の脳が発達したのは視覚が鋭敏になったからだという。それ以前に、類人猿が直立二足歩行になったのは視野の確保のためであった。少しでもハイアングルのほうが視野が広がり、草原で餌(我々の祖先が類人猿だったとき)を探したり、外敵から身を守るために有利だった。直立二足歩行により、脳への重力の負担が軽減し、ますます脳は進化したという。視覚は、人類の要である。

Hpp6082208 だからといって、視覚芸術はもっとも感動が大きいかというと疑問だ。日常生活と芸術は違うのだ。写真や絵画と音楽ではどちらが感動できるか、この答えは簡単には出せない。写真家である私の実情をあえて言えば、写真よりは音楽のほうが感動が大きい。しかし、もっとも感動するのは、“嗅覚芸術”や“味覚芸術”かもしれない。さて、旅の思い出はどうだろうか。写真は大きな役割を果たすが、それ以上に印象に残るのはサウンドである。旅行中のサウンドを聴くと、町の情景や体験がまざまざとよみがえる。写真とは別の追体験ができる。これは、サウンドが思い出として新鮮だからかもしれない。(写真左は、シュティフツ教会の敷地内に置かれた鐘)

Hpp6077255_2 今回のドイツ取材には、小型のデジタルレコーダー(オリンパス ヴォイストレックV-30)を持参した。おもな目当ては、ヘレンベルグの鐘のコンサートである。シュティフツ教会(写真上右)では、毎月第1土曜日の夕方、堂内に備えた24台の鐘を使って、コンサートを開催する。実際には、コンサーというよりは聴き比べと言ったほうが正しいと思う。鐘には大きさや形、音色など、いろいろあるのはわかるが、鳴らし方にもいろいろある。

Hpp6077287_2  コンサートの参加者は一度、聖堂内に集まり予備知識を聞く。それから塔に上り、解説と鐘の音色をかわるがわる聴く(写真右上)。当然、ドイツ語の解説なので、ほとんど理解できない。鐘の音だけ録音しながら聴いた。音色や鳴らし方に表情があり、教会の鐘の音がさらに意味深いものになった。今までなんとなく聴いてきたことが悔やまれる。最後に、すべての鐘を鳴らしたときは、鼓膜が破れそうだった。周囲の聴衆も、手で耳を塞いでいた。もちろん、レコーダーも適正録音レベルを超えてしまい、ヘッドフォーンに割れた音色が聴こえる。そこで、教会の外で続きを録音した(写真左)。やはり、教会の鐘は町の中で聴くべきものだとわかった。Hpp6087342

 翌日は、日曜ミサを録音した。福音主義教会の敬虔なミサに触れ、考えさせられた。ドイツ人などキリスト教圏の人々は、毎週、牧師や神父の説教・講話を聞く。 これには、信仰だけでなく人間の基本的な生き方が教訓として語られる。イスラム教も同じだろう。我々日本人はどうだろう。僧侶の講話を聞くのは法事のときぐらいだ。毎週、人間の生き方やモラルについて考えることと、たまに考えるのとでは、大Hpp6087347きな違いがあると思う。日本に日曜ミサのような制度や機会があれば、社会の不正も少しは減るのではないか。なお、聖堂の2階には、ミサの間、子どもを飽きさせないスペースが作られていた(写真下)。Hpp6077142

 ミサが終了してから聖堂の前で人々が親交を深めるのは、横浜の山手カトリック教会と同じだった(写真上)。サウンドを録音することで、撮影とは違った視点で取材ができるような気がした。

ヘレンベルグについては『ペットボトル回収システム ドイツNo.66』参照

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2007/05/15

城壁の思い出…キングサリ ドイツNo.40

Hpp5258655_1 ベランダで咲いたドイツの花

 昨年5月、ドイツ・ノルドリンゲンで城壁に沿って歩いていたとき、黄色い花房をたくさん吊り下げた樹を見つけた。当時は花の名まえがわからなかったが、帰国して調べたところ、キングサリだとわかった。金の鎖のような形をしているので名づけられたのであろう。イングリッシュガーデンの代表的な花木でヨーロッパで親しまれているという。(写真左上は、城壁の内側に沿った道)

 昨夏、甲斐大泉の園芸店でキングサリを見つけた。ドイツ旅行の記念に買って植樹しようを思ったが、18,000円もする(高さ2メートルぐらい)。あきらめていたところ、横浜の園芸店Hpp5158492 Hpp5158502で、高さ80センチぐらいの苗木が1,800円で売られていた。ドイツの気候に近い八ヶ岳山麓で育てようと購入した。自宅のベランダ゙で年を越して、今日(5月15日)開花した。花を見ながら城壁に囲まれたノルドリンゲンの平和な町並みを思い出した。これから、信州へ運んで正式に植える予定だ。信州で、ドイツを思い出す機会が増えることだろう。 (参照 『ノルドリンゲンで暮らす ドイツNO.19』)

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2007/03/14

秘湯とスキー、雪見酒

Hpp3104847_2燕温泉・針村屋でOB会

 私は、大学でスキー部に所属していた。当時は年間30日ぐらいは滑っていただろうか。合宿のほかに大学のスキースクールの指導や山スキーにも出かけた。よく通っていたのが妙高高原だ。妙高温泉の香風館と燕温泉の針村屋が常宿だった。3月10日、11日はスキー部OB会恒例の懇親会が燕温泉であった。会の趣旨は「燕温泉スキーと雪見酒を楽しむ会」である。雪見酒に引かれて、私も参加した。今シーズンは燕温泉スキー場のリフトが休業なので、赤倉スキー場で少し滑ってから燕に上がった。

Hpp3104841_1 燕温泉は、妙高山と神奈山にはさまれた標高1100メートルの谷間にある。秘湯といってもいいだろう。弘法大師の開湯と言われるが、温泉街がかたちづくられたのは明治28年ごろだ。針村屋のパンフレットによると、現在の泉質は「白い湯の花の浮く含土石膏泉(45度C)」と書かれている。リウマチなどに効能があるという。私たちが投宿していたころは、かき玉汁のように湯の花が浮くぬるめの温泉だった。しかし、これに浸かると翌日の朝までぽかぽかしていたのを思い出す。おそらく、湯治場としては秀逸だったろう。現在の泉質は昔とは違うが、環境庁から国民保養温泉地の指定を受けている。

Hpp3114888_1Hpp3114886_1 なぜ燕温泉と名づけられたのか。地名の由来に興味がある。少し調べたがわからない。そこで、いろいろと推理してみた。温泉は標高1100メートルにあるので、イワツバメがたくさん飛翔していたことが考えられる。イワツバメがいたとすれば多くに場所で営巣していたことだろう。私の撮影地、標高1000メートル以上の八ヶ岳山麓でも民家の軒下にたくさんイワツバメの巣ができている。地名の由来にはなるかもしれない。「燕」という字を漢和辞典で調べてみた。燕(ツバメ)は、よく子どもを育てるので安産や縁結びのシンボルであるという。また、「やすんずる(ゆったりと落ち着くさま)」とか、「うちとける」ようすを意味する。「くつろぎ落ち着き、酒食を楽しむ」という意味もある。「燕居」はひまでくつろいでいること、「燕室」は休息のための部屋、「燕息」はくつろいで休むこと、「燕服」はふだん着を意味する。また意外なことに、燕(えん)は宴(えん)と同じ意味である。「宴」に、うたげ、酒盛り、楽しむ、やすんずるなどの意味があることは知っている。「燕」は温泉にふさわしい名まえであることがわかる。燕温泉には、温泉に浸かって、格別にくつろげる環境があったのではないか。それは今も同じだ。

Hpp3104850_1Hpp3104856_1 さて、私はスキーより雪見酒のほうに関心があるので、針村屋に到着すると、さっそく冷酒にツララを入れて飲み始めた(写真上)。ツララは屋根から垂れ下がったもの(写真上)を、先輩が窓越しに取ってくれた。“ツララ酒”には雪国ならではの趣向がある。宴会には、山の幸、海の幸が食卓に乗り切れないほど並んだ。珍味は日本海の深海魚カンカイ(氷Hpp3104865_1 魚)の干物とカタクリの花だ。カンカイは初めて、カタクリは30年ぶりに食べるのでカメラに収めた(写真)。後輩が佐渡島からカニ(写真)を、オーナーの植木明雄さんからは「浦霞」を差し入れしてくださったので、宴会はいっそう盛り上がった。現在の私にとって、スキー部OB会というのは心の支えの一つであり、40年以上にわたって築き上げてきた宝物である。顧問の小林先生はじめ、多くの先輩、後輩のおかげである。

 翌日は、朝から雪だった。会員のほとんどは上級者なので、新雪が滑れると喜んでいる。雪見酒のために来た私は、気が乗らない。しかし、メンバーに付き合って赤倉の中級コースまで上った。新雪に薄日が差す絶好のコンディションになった。これはスキーの醍醐味である。しかし、足がいうことを利かない、というより足が経年変化しているので、すぐ疲れる。写真でいえば、被写体は最高だが、カメラが故障したようなものだ。しかし、独りではいけないコースへ行けたので、不満はなかった。今は、足腰が痛い。

燕温泉・針村屋 http://stay.mapoo.or.jp/0255-82-3121/s-4.html ☎0255-82-3121 JR信越線関山駅からバスで20分

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2007/03/11

アナログ・デジタル愚考

『ハーモニー』の刺激

 エジソンが1877年、蓄音機を発明して以来、SPレコードの時代が長く続いた。1948年にモノラルのLPレコードが発売され、1958年にステレオが実用化された。よほど画期的だったとみえ、名だたる演奏家がステレオで録音し直そうという機運があった。私の好きなブルーノ・ワルターも、70歳を超えていたがコロンビア交響楽団(録音専門の楽団)を指揮して多くの曲を録音した。演奏家にとってもステレオ録音はよほど魅力的だったのだろう。しかし、ワルターの演奏はモノラル時代のほうが油が乗っていて良いと言われる。

 大学生のとき、中学時代の恩師の紹介で家庭教師のアルバイトをした。週2回、1か月のアルバイト料は5,000円だった。稼いだお金で何を買ったかといえば、LPレコードである。けっして安いアルバイト料ではなかったが、LPレコードが2枚しか買えなかった。当時は、ステレオ化された直後で、モノラルが1枚1,500円、ステレオが1枚2,000円~2,500円だった。音楽好きにもステレオLPは魅力的だった。

Hpp2154464_1  大学で1学年先輩の父君がレコード屋を開業されていた。当時は、ミューズ社と言い、お店は神保町にあった。すぐ現在の神田駿河台に移り、『ハーモニー』というお店(写真)になった。輸入レコードが専門で、CDやデジタル時代になった現在でもそれは変わらない。輸入盤は特に音が良いので、コレクターやマニアには垂涎の的だった。私には高嶺の花だったが…。オーナーの上田応輔さん(写真)は、音楽とレコードに関する見識は卓抜で、演奏家とレコードについて多くのことを教えていただいた。クラシック音楽とドイツが好きになるきっかけだった。上田さんにはアルバイトも紹介していただいた。プロ写真家の助手である。写真家にあこがれていたので、うれしかった。それがきっかけになって出版社の写真部へ就職できた。そこまでの私の道のりは平坦ではなかったので、『ハーモニー』の上田さんは恩人である。  

 ところで最近、LPレコードの人気が復活してきたという。 『ハーモニー』はホームページで、『アナログLPの宝庫』とPRしている。写真の世界と同じように、音楽でもアナログとデジタルの比較論がある。アナログLPレコードは、音の周波数をそのままレコードの溝に波形として記録している。ピックアップ(カートリッジ)の性能が良いと30000~40000Hzの高音まで再現できるといわれる。これに対してCDは大体20000Hz以上の高音はカットされている。人間の耳は、よほどの人でも20000Hzが聴こえるか聴こえないかだ。歳をとると可聴周波数は15000~10000Hzぐらいになってしまう。だからCDの周波数特性で十分という理屈は成り立つ。しかし、楽器は基音(楽譜に書かれた音程)のほかに倍音として整数倍の音を発している。これが楽器独自の音色に影響しているという。聴こえないからといっても、鼓膜には何らかの刺激があるのではないか。作曲家もそこまで計算しているに違いない。その効果を無視したくないというのがLPを求める一つの理由だろう。CDは音声を一度デジタル信号に変換しているので、LPレコードよりは生(なま)から遠いと言える。できるだけ生(なま)に近い音楽を聴きたいというのが、アナログレコードにこだわる第2の理由だ。この環境を「レコード芸術」と言ってよいのではないか。もちろん、これにはアンプやスピーカーの特性に影響されるので、ハイクラスのオーディオ再生装置を使っての話である。それに加え、『ハーモニー』では、初版盤や希少盤など骨董的な名盤をたくさん扱っているので、これが目当てのファンもいる。

Hpp2154460_1  人が聴覚や視覚で認知するとき、アナログとデジタルは同じように脳に刺激を与えるものだろうか。専門家の話を聞きたいものだ。アナログからデジタルへの移行は、生物の系統発生のように自然な流れだと思う。個体発生(人間の脳の進化)は系統発生(技術や文化の進化)に準ずるとすれば、私たちは、まずアナログで鍛え学び、そのあとにデジタルの利便性や多様性を利用するのが良いのかもしれない。アナログは、感覚や認知力を鍛えるのに適しているような気がする。これは自身の体験だ。

 さて残念なことに、ハーモニーは3月20日で閉店してしまうという。それ以降は、ネット販売と通信販売だけになる。㈱ハーモニー  〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3-1 (JR御茶ノ水駅から小川町交差点へ向かって徒歩5分、小川町交差点からは徒歩30秒) ☎ 03-3293-0717 http://www.harmony-record.co.jp

【補足】現在、注文は電話 03-3526-4658、FAX 03-3526-4659、Eメール kj3h-ued@asahi-net.or.jp 、またはホームページhttp://www.harmony-record.co.jp から申し込んでください。

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2007/02/18

湯島天神と岩崎邸…少年時代の思い出

Hpp2164476変わる郷里

 湯島天神へ梅を撮影に行った。狭い境内は、梅まつり(2月8日~3月8日)と合格祈願でにぎわっていた。梅は五分咲きぐらいだろうか、撮影にはベストに近いコンディションだった。梅は早春のシンボルである。満開は撮影に適さない。ほころびかけた花やつぼみがフォトジェニックだ。すなわち、季節の移り目が感じられる場面が良い。白梅だけなのが、ややものたりなかった。

 私は、少年時代にこの近くに住んでいた。そして、湯島天神の下にあった銭湯によく通っていた。天神様はなつかしいところである。久しぶりに訪れて女坂を登ろうとしたら、社殿の背後にマンションやホテルの看板が見える。花を撮ろうとすると背景にビルが入る。味気ないようだが、ここではむしろビルを入れたほうがおもしろいと思って積極的に入れてみた。

Hpp2164503  いうまでもなく、天神様は菅原道真を祀った学問の神様だ。境内の数か所に、合格祈願の絵馬が鈴生りになっている。鈴生りという表現は不適切かもしれないが、そのような言葉を使いたいぐらいたくさん吊り下げられている。絵馬を吊っている横棒が折れそうでおもしろい。ここでも、自身の受験時代を思い出してなつかしかった。

Hpp2164515  昼食は近くの鳥料理屋「鳥つね」のランチ、親子丼(写真)を食べた。名店のようで、行列ができていた。昼食後は岩崎邸を見学した。最近、公開されるようになったようだが、昔は城壁のような塀で囲まれ、近づきがたい一角だった。自由に撮影ができるので、好感を持った。文化財はこのように公開すべきだ。岩崎邸の塀に沿った道は、かつて銭湯に通った道である。冬、銭湯Hpp2164566_1 Hpp2164575_1 からの帰り道、ぶら下げていたタオルがそこで棒のように凍ったことがあった。カメラに収めながら(写真)、当時の寒さを思い出した。岩崎邸は華麗な西洋館だ(写真)。50年前、“城壁”の外と内で大きな違いがあったことを知った。

 東京メトロの湯島駅のそば(昔は「天神下」と言った)にスポーツ具店があった。そこで、父から初めて山用品を買ってもらった。今でも大事にしているナイフやコッフェル、ランタンなどだ。家族のキャンプにも重宝して使った。ナイフは父の形見である。その店の場所がコンビニになっていた(写真)。残念であると同時に、時の流れを感じた。郷里を訪ねるのは楽しいもHpp2164532 のだ。単なる懐古趣味だけではなく、頭脳に良い刺激があるという。

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2006/12/03

試胆会の思い出

平林寺のすばらしい紅葉Hppc012278_2

 12月1日、平林寺へ撮影に行った。紅葉が真っ盛りで、多くの観光客やカメラマンでにぎわっていた。銘木が多いのか、鮮やかな紅葉が初冬の低い日ざしを浴びて目を射るようだった(写真右)。平林寺は、臨済宗妙心寺派の名刹である。広大な武蔵野の雑木林の中に山門、本堂、庫裏、禅の修行場があり、松平家の墓所でもある。

Hppc012316 ところで、私には平林寺に思い出がある。私が卒業した都立上野高校の寮が平林寺の隣にあった。生物部に入部して初めての合宿で寮へ行った。夜になって、生物部恒例の試胆会が行われた。延々と並んでいる松平家の墓のいちばん奥に置かれた自分の名札を独りで取ってくるのだ。もちろん外灯など一切ない。完全な暗黒だった。出かける前に先輩から怖い話をたくさん聞かされて、脅かされたような気がする。往復の途中にも、奇声や、物音が聞こえた。先輩のいたずらである。何とか名札を取って帰還したときはほっとした。

Hppc012339 試胆会で自分が歩いたところを思い出そうとして、人のいない墓所の中を歩き回った。当時の記憶をたどってシミュレーションしてみた。しかし、昔とは違っているように感じた。まっすぐ歩いた記憶があるが、墓の中は迷路のようになっている。現在、ここで試胆会 をやったら、あまりいい気持ちはしないだろうなと思っ た。試胆会コースと思しきところを何個所か撮影した(写真上左)。墓所を通り過ぎ、さらに奥へ進んだら、開けた広場に出た(写真上右)。そこも紅葉がみごとだった。たくさんの人々は弁当を食べたりくつろいでいる。一瞬、青春時代のタイムトンネルを抜けて現在に舞い戻った気がした。どうもそこが寮が建っていた場所のような気がしたが…。

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