シジュウカラの子育て 八ヶ岳山麓No.139
標高1400メートルでは新緑がピークを迎えている。広がりはじめた葉は、さまざまなカラーと形、大きさで個性を主張し、若さを謳歌している。それに、順光(反射光)と逆光(透過光)が織りなして眼を射るほどに美しい(写真下2点) 。同時に昆虫たちもうごめきだしたようだ。それを充てにして鳥たちも活動を開始した。私たちが仕掛けた巣箱にもシジュウカラが住み付き、必死に子育てをしている。
巣箱を観察していると、夫婦で入れ替わり立ち替わり餌を運んでいるのがわかる。餌は昆虫の幼虫やハチ類などだ。そのインターバルは2、3分から数分というところか。
巣箱には10分ごとに数匹の生きた餌が運ばれていることになる。広い山野で、よく餌を見つけるものだと感心してしまう。シジュウカラは巣箱へ入る前に近くの止まり木で周囲のようすをうかがう。そのときに撮影したのが写真最上だ。親たちがいなくなったすきに巣箱を開けて撮影したのが写真下右。口を開けて餌をねだる子が5羽、ほかに5羽を確認できるので、10羽はいるようだ。これだけの子どもに餌を運ぶ親のエネルギーは相当なものだろう。
餌を運ぶのも、口を開けて餌を待つのもシジュウカラの本能である。人間の子育てにも本能はあるが、本能以外のものがたくさんある。人間は、脳が進化・発達したぶんだけ知能や情緒が豊かになった。それが理論(理屈)や感情となって本能を支配する。その結果が良く出れば、本能を抑え人間社会の協調性を成り立たせる。一方、逆に悪く出ると、子育てを放棄したり、悪事や不正を働くようになる。やや飛躍するが、文明の発達や新技術の進歩、新製品や新規格の開発に伴って、多かれ少なかれ副作用としての不条理が生ずる。これはしかたないことだろうか。これらは、発達・進化した人間の脳に根元があるとすれば、脳のさらなる解明が必要なのではないか。
シジュウカラの子育てを観察していると、人間が子育てを放棄したり、子どもを虐待することが愚かに見えてくる。また、親として真剣に育てた子どもが、大人になって悪事や不正に手を染めるようになったらなんと悲しいことだろう。シジュウカラにはそれがない。
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