2012/05/21

シジュウカラの子育て 八ヶ岳山麓No.139

5月中旬の森のようすHpp5200100

 標高1400メートルでは新緑がピークを迎えている。広がりはじめた葉は、さまざまなカラーと形、大きさで個性を主張し、若さを謳歌している。それに、順光(反射光)と逆光(透過光)が織りなして眼を射るほどに美しい(写真下2点) 。同時に昆虫たちもうごめきだしたようだ。それを充てにして鳥たちも活動を開始した。私たちが仕掛けた巣箱にもシジュウカラが住み付き、必死に子育てをしている。

 巣箱を観察していると、夫婦で入れ替わり立ち替わり餌を運んでいるのがわかる。餌は昆虫の幼虫やハチ類などだ。そのインターバルは2、3分から数分というところかHpp5190864_2Hpp5190916_2巣箱には10分ごとに数匹の生きた餌が運ばれていることになる。広い山野で、よく餌を見つけるものだと感心してしまう。シジュウカラは巣箱へ入る前に近くの止まり木で周囲のようすをうかがう。そのときに撮影したのが写真最上だ。親たちがいなくなったすきに巣箱を開けて撮影したのが写真下右。口を開けて餌をねだる子が5羽、ほかに5羽を確認できるので、10羽はいるようだ。これだけの子どもに餌を運ぶ親のエネルギーは相当なものだろう。

 餌を運ぶのも、口を開けて餌を待つのもシジュウカラの本能である。人間の子育てにも本能はあるが、本能以外のものがたくさんある。人間は、脳が進化・発達したぶんだけ知能や情緒が豊かになった。Hpp5200102それが理論(理屈)や感情となって本能を支配する。その結果が良く出れば、本能を抑え人間社会の協調性を成り立たせる。一方、逆に悪く出ると、子育てを放棄したり、悪事や不正を働くようになる。やや飛躍するが、文明の発達や新技術の進歩、新製品や新規格の開発に伴って、多かれ少なかれ副作用としての不条理が生ずる。これはしかたないことだろうか。これらは、発達・進化した人間の脳に根元があるとすれば、脳のさらなる解明が必要なのではないか。

 シジュウカラの子育てを観察していると、人間が子育てを放棄したり、子どもを虐待することが愚かに見えてくる。また、親として真剣に育てた子どもが、大人になって悪事や不正に手を染めるようになったらなんと悲しいことだろう。シジュウカラにはそれがない。

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2011/09/07

実科学校 ドイツNo.107

多様な進路コースと価値観…10歳で進路を考えるHpp6071975

 ドイツ語の「Realschule」は「実科学校」と訳す。日本の専門学校に相当する。ヴァッサーブルグには国立の実科学校があった。校舎の壁面にボルダリング(岩登り)用の施設があるのを見て、エキスパートを養成する心意気を感じた。Hpp6071985ボルダリングは、登山家が登攀技術として習得する特殊技能である。習得には命がけの(ザイルで確保はされている)訓練を要する。優れたバランス感覚と筋力、テクニックが求められる。それが、学校の壁面に堂々と設置されているのだから、やる気満々ではないか。たとえ山岳ガイドを目ざさなくても、ボルダリングは心身を鍛えるだろう。

Hpp6072005 ドイツでは、日本の小学校に相当する基礎学校(Grundschule)で4年間学習すると(10歳になっている)、自分の将来の進路を決めるチャンスができる。このとき3つの選択肢があり、自身が進みたいと思っているコースを選ぶ。州による違いと複雑な制度を簡単には解説できないが、3つのコースとは、 大学に進学するための資格を取得するためのギムナジウム(Gymnasium 修業年限7~9年)、 職業教育学校や専門上級学校への入学資格を得る実科学校(Realschule 修業年限4~6年)、 以上の2コース以外の生徒が選択する義務教育で、Hpp6071999職人や工場労働者を目ざす基幹学校(Hauptschule 修業年限4~6年)である。

 の実科学校は、おもに民間企業の事務職や中・下級公務員を目ざすコースだという。ヴァッサーブルグの実科学校には、10歳から15歳ぐらいまでの学生が学んでいるのであろう。さて、選択した3コースそれぞれで資格を得て上級のコースへ進む。しかし、そのときの選択は決定的なものではなく、コース変更のチャンスにも恵まれる。10~11歳のときは、オリエンテーリング段階としてコース変更が可能だ。また例えば、実科学校卒業後、ギグナジウムへ転校することもできる。このあたりの柔軟性はドイツならではであろうか。いずれにしても、子どもは10歳で自身の将来を考え、国や州はそれに応える制度を準備しているということだ。

 地方分権であるドイツでは、教育制度は17州それぞれが権限をもっている。連邦(国)としての共通部分はあるにしても、基本的には州によって決められている。すなわち、州別の多様な教育制度と10歳でのコース選択がドイツの大きな特長だ。Hpp6071990日本の文部科学省が統括する単一な制度とカリキュラムとはだいぶ違う。一見、ギムナジウムはエリートコースに思えるが、他のコースからも最高の職業資格であるマイスターへの道が開かれている。ドイツでは、マイスターは大学教授に匹敵するという。マイスターは技術系の頂点であり、大学教授は教育界や学界の頂点になる。もちろんマイスターになるには厳しいキャリアを経て試験に合格しなければならない。しかし、日本では考えらえない資格制度があり、多様な価値観が根づいているのではないか。なお、ドイツでは原則として義務教育から大学まで学費はかからない。一部の私立以外は国が負担するという。

Hpp6092684 実科学校のSportplatz(校庭)でサッカーに興じる学生たちを遠くからながめた。午前中だったので体育の授業であろう。幸せそうだなと感じたが…。ところで、子ども公園をのぞいたら、子ども用のボルダリング設備があった。子どものころから岩登りを意識しているのだろうか? 子どもたちの置かれた環境と、親たちの育児観をかいま見た。 参考文献:『ドイツハンドブック』(渡辺垂範 編 早稲田大学出版部) 『ドイツ連邦がよ~くわかる本』(大野是 著 秀和システム) 『異文化としてのドイツ』(岩村偉史 著 三修社)

参照: 『ゆとりを生かせない日本 ドイツNo.34』 『ヴァッサーブルグの第一印象 ドイツNo.98』

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2008/09/14

ほのぼのする信濃川上駅 八ケ岳山麓No.62

なぜ、二宮金次郎の像は消えたのかHpp9140040

 911日の朝日新聞朝刊・神奈川版に「石像ブラジルへ」という記事が載っていた。記事の要旨は、「ブラジル移民100周年を記念して二宮金次郎(尊徳)の像をブラジルへ贈ることになった。来年2月にサンパウロ市内の公園に設置される。ブラジルへ移住した人々にとって、二宮金次郎の思想や精神が大きな支えであった。それを忘れないために、サンパウロ市の神奈川県人会が像の寄贈を求めた。松沢知事も了承し、現在、300万円の募金を集めている。」

 

Hpp9140025 私たちが小学生だったころは、どこの小学校にも二宮金次郎の石像が置かれていた。そして、二宮金次郎の歌を歌ったものだ。戦後の厳しい教育・生活環境ゆえに、薪を背負いながら読書する金次郎の像は目と心に焼きついた。金次郎は、私たちのかがみ(鑑)だったのである。ブラジル移民にかぎらず、多くの日本人に影響を与えたことはまちがいないだろう。それが、いつのまにか像は撤去されてしまった。なぜなのか、いつごろだったのか記憶にない。

 

Hpp9140051_2 ところが、小海線の信濃川上駅には二宮金次郎の像が置かれている。20年前、初めて駅を訪れたとき、懐かしさがこみ上げてきた。百科事典(スーパー大辞林)によると、「二宮尊徳は江戸後期の農政家。 通称、金次郎。相模国(現神奈川県)の人。合理的で豊富な農業知識をもって知られ、小田原藩、相馬藩、日光神領などの復興にもあたる。陰徳・勤倹を説く思想とHpp9140059行動は報徳社(二宮尊徳の指導のもと小田原に設立された農民扶助のための相互融資機関)運動などを通じて死後にも影響を与え、明治以降、国定教科書や唱歌にも登場」とある。陰徳・勤倹は、高度成長期の日本にとっては、好ましいことではなかったのかもしれない。また、農業や農政は、基礎教育には直接関係がないという理由で、排除されたのかもしれない。二宮金次郎の像が消えた背景にはこのような時流があったのか?  しかし、川上村は高原野菜の農業立国なので、金次郎の精神は大切なのだろう。Hpp9140013信濃川上駅に像があるのはうなずける。「陰徳」とは、ひそかに行う善行、「勤倹」は勤勉で倹約に努めることを意味する。現在の日本や地球レベルでも十分通用する精神ではないだろうか。特に、日本の財政再建には欠かせないだろう。

 小海線の信濃川上駅(写真上右2点」)は、かつて無人駅のときもあった。現在でも駅員は一人である。JRの駅ではもっとも小規模な駅に属するだろう。私は、この駅で今までにいろいろなドラマを見てきた。出会いや別離、旅情、青春など駅ならではのロマンがあった。私には気に入った場所だ。最近、信濃川上駅に吉永小百合がやってきたという。Hpp9140033JR東日本の「大人の休日」のポスターを撮影したそうだ。素朴で小さな田舎駅の旅情がモチーフになったのだろう。大女優の登場で、駅はややにぎやかになったような気がする。駅舎の窓に、そのポスターが飾られている(写真上)。二宮金次郎は、どんな気持ちで吉永小百合を見つめたのだろうか。

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2008/03/23

子どもの夢をかなえる ドイツNo.61

あとりえ・チビッコ展…「独楽と遊ぶ」Hpdmimg

●2008年3月26日(水)~3月30日(日) 10:00~17:00/●大倉山記念館ギャラリー(会場への道順は下のコピーをクリックしてください)Hpdm

 小学生以下の29名がそれぞれ「静物画」「雨の中の私」「自分の独楽」「小さな自画像」を出展した。ご高覧いただけたら幸いだ。Hpp3250053Hpp3250054

Hpap3250060_5  

 世界で初めて 幼稚園ができたのは、ドイツのブランケンブルグである。1840年、フレデリック・アウグスト・  フレーベルによって設立された。その精神が引き継がれているからだろうか、ドイツでは子どもを大切にしている。町を歩いても、それをひHpburemenp3230525しひしと感じる。ところで、ドイツでは子どもは 社会の共有物だという。子どもが社会的なルールを守っていないと、Hpp3230530_2 親以外の大人から注意されることも、よくあるという(「ドイツ連邦がよ~くわかる本」大野 昰著 秀和システム刊)。

 ドイツの小学校に相当する基礎学校の修業年限は4年だ。そこで一度、進路を決めて上の学校へ進む。10歳で進路を選ぶところが日本と違う。これが良いかどうかはわからないが、子どもの希望をかなえるという点では可能性は高まるだろう。基礎学校の授業は昼で終わる。そのため給食はない。家族と過ごす時間は、あきらかに日本より多い。そのためだろう、ドイツの町では親子連れが目立つ。替わりに授業時間は少ない。基礎学校では、落第もあるという。

Hpp3230522_3 厳しい一方で、子どもの夢をかなえようとする風潮も感じる。初めてドイツへ行ったとき、ブレーメンを訪れた。中央駅の駅舎がメルヘン調なのに驚いた(写真上右)。マルクト広場には、「ブレーメンの音楽隊」のモニュメントが飾られていた(写真上左)。ハーメルンでは、「ハーメルンの笛吹き男」の野外劇が演じられ、多くの観光客を集めていた。舞台が終わると、主役の「笛吹き男」は観光ガイドにもなった(写真右)。いずれも童話の具現化だ。童話を現実のように演じるところがドイツ的なのだ。子どもたちの夢は膨らむだろう。写真下は、ミュンヘン・レジデンツ前の広場で大道芸に見入る親子。Hpp6160039

参照: 『あとりえ・チビッコ』 /バックナンバー「育児」 教育

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2007/10/16

子どもたちに恵まれた環境を ドイツNo.52

Hpp6130082 ランズフートの児童公園

 子どもは国の宝である。次代を担うだけでなく、秘めた可能性は無限で、我々大人にも元気や柔軟性を与えてくれる。子どもから学ぶことはたくさんある。子どもに健全な環境を与えることは国の責務であろう。

 最近、公園の子どもの遊び声が近くの高齢者 にとって騒音になるとして、Hpp6130068  裁判所は公園の施設に異議を唱えた。当局は主因Hpp6130070となっている噴水施設を停止したという。子どもにとってもお年寄りにとっても不幸な事件である。子どもが屋外で自由に遊べないのは問題である。

Hpp6130086Hpp6130073 ドイツでは、景観や騒音、異臭などにはきわめて厳しいという。洗濯物を窓やベランダに干すことはできない。逆に、花を飾って景観を美しくする。騒音や異臭にも敏感で、警察沙汰になることもあるという。「異文化としてのドイツ」(岩村偉史 著 三修社 刊 )によると、ドアの開け閉め、車のエンジン音、パーティーや口論の話し声にまで神経を使わなければならないという。行Hpp6130076商や選挙運動の連呼などはもってのほかだ。私の経験でも、町の中で、いわゆる馬鹿騒ぎを見たことがない。レストランやカフェでも、ひそひそ話しに近いグループ゚がほとんどだ。そのために、教会の鐘の音がひときわ目立つが、それにも規制があるという。

 日本は中央集権国家で、多くの人々が都会を目ざして集まってくる。都会に魅力があるのHpp6130084_2 は言うまでもないが、良いことだけではない。人間はたくさん集まると、ろくでもないことがたくさん起きる。徒党を組んで悪事をたくらみ、不正がはびこり、町は汚れる。毎日のニュースを見聞きするとうんざりする。人口密度が高くなると、市街地の公園は狭くなり、子どもの遊び場が確保しにくい。最近は屋外で遊ぶ子どもが減ったといわれるが、当然だろう。これも、人口集中の一つの弊害だ。前述の公園の事例も人口密度が高いために起きたのであろう。国内でも地方に出かけると、町や田園はきれいでドイツに負けていないと思うのだが。

 6月に訪れたランズフートのニコラ地区にある児童公園(Spielplatz)は広く、周囲は樹木で覆われている。住宅街にある公園だが、たとえ大声を出しても、周囲に影響があるとは思えないほどだ。もちろん子どもたちに危険はないという前提で造られている。子どもたちは、のびのびと遊んでいた。卓球台とゲーム板が屋外に設置されているのがユニークだった。訪れたのは水曜日の午前中だ。

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2007/01/22

「ゆとり」を生かせない日本 ドイツNo.34

勉強すれば好きなことができるHp1127pc122817

 ゆとり教育の見直しが検討されている。授業時間の短縮が基礎学力に影響しているというのが問題点だ。授業の進め方や内容を変えなければ、時間を短縮したぶんだけ物理的に勉強する時間が少なくなり、学力は低下するだろう。それは覚悟のうえでゆとり教育を選択したのではないのか。問題は、ゆとりの時間をどう過ごすかだったはずだ。

 ドイツの学校は、通常、午前中だけの授業だ。ノルドリンゲンやランズベルグでは、昼ごろ学校帰りの子どもや、学校へ迎えに行く親たちのようすをしばしば見た。小学生はもちろんだが、ギムナジウム(中学校)から早く帰る生徒も見かけた(写真)。明らかに日本より授業時間は短い。学力を補うため家庭で家族が面倒を見るという話を聞いたことがある。しかし、最近では、ドイツの子どもの基礎学力が低下してきたという。それでも、午前授業Hp1126pc122816の方針は変わっていない。

 11年間、専門学校の教壇に立った私の体験では、日本は小・中学校や家庭でのしつけがおろそかになっていると強く感じた。「学用品やハンカチなどを忘れない」「宿題や課題を提出する(約束を守る)」「町でゴミを捨てない(他人に迷惑をかけない)」「人と会ったらあいさつをする」など、生活の基本が身についていない学生がけっこういる。ということは、「学校では一生懸命授業を受けなければならない」という学習への動機づけもおろそかになっていると推測される。

Hp1152p5299783 私は、だれでも一生懸命勉強すれば学力に差はついても、落伍者が出るとは思えない。まず、勉強することのおもしろさを知ってもらうことが必要だ。おもしろさがわからなくても、勉強することは「他人に迷惑をかけない」ことと同じように守らなければならないことだと知ってもらうことだろう。また、社会人として生きていくためには、「興味がなくてもやらなければならないことがある」と、学校や家庭は教えねばならない。一方、好きなことだけやりたければ、人並み以上に勉強しなければならない。私は、勉強は幸せにつながると信ずる。勉強する目標を示すことだ。ここで幸せとは、サッカーの選手や芸術家になること、お金持ちになること、タレントになること、何でもよい。夢を実現するには、基礎学力を身につけることが不可欠であり、早道であることを伝えるべきだ。学者になるのでなければ、優等生になる必要はない。国語なら漢字が正確に書ける、数学なら分数や小数の四則ができるぐらいで十分ではないか。なお、法律と予算だけでは、子どもへの学習の動機づけはできないだろう。

Hp1321pc122903  PISA調査といわれる国際学力調査の結果(2001年)では、日本はドイツより基礎学力が高い。ドイツではショックだったようだが、日本は問題にするほどの結果ではないと思う。むしろ、ゆとりの時間に何をするかが問題だ。学校や社会は、放課後の部活や、休日の過ごし方をアドバイスすべきだろう。余暇の使い方が得意な人間はたくさんいる。彼らのノウハウを結集すべきだと思う。ゆとりの時間で得たことも幸せにつながるはずだ。

 国立教育政策研究所総括研究員の坂野慎二氏のレポートによると、ドイツの小学生は基礎学校(日本の小学校)で4年間勉強すると(10歳になる)、3つのコースのどれかを選ぶという。大学進学のためのギムナジウム(中学校と高等学校)、職人や専門労働者などを目ざす基幹学校、中堅技術者などを目ざす実科学校の3つだ。すなわち、10歳で将来どんな勉強や仕事をするか選択し、それに合わせて学校が決まる。好きなことを生かせるチャンスを選べるということだ。ドイツには、多様な価値観と評価体系があることがわかる。日本の子どもたちにとって、この多様性がもう少し必要なのではないか。それを考慮すると、「ゆとり」はその環境作りに役立つだろう。

【写真解説】 上から順に〔1〕ランズベルグのギムナジウム 放課後、帰り支度をしてサッカーを楽しむ生徒たち。(2006年12月12日(火)11時27分) 〔2〕ランズベルグのギムナジウム 帰り支度をして校庭で会話する女生徒。(2006年12月12日(火)11時26分) 〔3〕ノルドリンゲンの小学校 自転車で帰る小学生。背景は小学校。にわか雨が降ってきて、車で迎えに来る親もいた。(2006年5月29日(月)11時52分) 〔4〕ランズベルグの中央広場 帰路のバスを待つ生徒たち。(2006年12月12日(火)13時21分)

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2006/07/08

生まれたときから宗教的環境 ドイツNo.21

Hpp5309800 ドイツの育児・教育

 横浜でもドイツでも、町を撮影していて疲れると教会を訪れる。足を休めることができるだけでなく、暑さや寒さをしのぎ、雨宿りもできる。教会は原則として門戸を開放しているので自由に中に入れる。ミサが催されているときは、聖堂の片隅でようすを見せてもらう。運が良いとオルガン演奏や讃美歌のコーラスを聴くことができる。

 ミュンヘンのビュルガーザール教会(写真上)では昼のミサに巡り合った。遅れてミサに参列する人々は一度ひざまずいてから席についた。そのようすは粛々としている。カトリックのミサの進行はよくわからないが、祈祷や斉唱、宣誓などが続き、あるとき隣同士が握手を交わした。それを見て、キリスト教に縁のない私には目新しく感じた。隣同士は他人同士である。席順は決まっていないので、家族や知人のときもあるが、赤の他人もありえる。キリスト教は隣人を同士とするのだろう。握手をすることは儀礼的なことかもしれないが、心がこもっているように見えた。日本では、スポーツなどのファン同士が握手をするシーンを見るが、日常ではめったに見られない光景ではないか。

Hpp5280027_1 ノルドリンゲンの聖サルバトール教会では日曜ミサを見学した(写真右)。はじめに目についたのは通路に止められた乳母車だ。ミサが行われている間、父親が前後に揺り動かして子どもをあやしていた。最後列の席では、幼児が退屈して泣き出した。両親が一生懸命なだめすかしていた。この教会でも握手の場面を見た。

 ミュンヘンのフラウエン教会(聖母教会)には小学生がたくさん見学に来ていた(写真右下)。 子どもは生まれてからずっと宗教的な環境に取り巻かれているとわかった。厳粛で神聖なミ2p5310029 サの雰囲気を肌で感じ、周囲の人々の真摯な姿勢と信仰に触れる、これらが人格形成に大きな影響を与えることは明らかだろう。ドイツで教会へ行くと、人々が親切で、町がきれいなことがうなずけるのである。

 教育者であった母へ、この一文を捧ぐ。

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