2019/03/17

第17回 ヌービック・フォト・フレンズ 5 写真展

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2019年ヌービック写真展は
3月26日(火)から開催
 

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 今年から、大澤聡氏をコーチに迎えての開催だ。大澤氏は、元日本カメラの別冊編集長だ。毎回、テーマを厳しく追求してきたヌービックにとって、大澤氏は、まさに“傾蓋、旧の如し”といった関係になるのではないか。これからは、“管鮑之交”になって、ますますテーマを追求してほしいものだ。以下に、あいさつ文(下図左)と作品一覧(下図右)を掲載する。ご高覧いただけたら幸いだ。なお、図はポップアップする

 

 さて私は、雪のカテゴリーに2点出品させていただいた。どちらも、2月の川上村の雪景色だ。気温が低いので、雪は軽くさらさらしている。『泡 雪』は形がモチーフの写真だ。枯草のカーブが、積。もった雪で折れそうで折れないところに微妙なバランスを保っている。『春を待つ』は、花芽という春のモチーフに雪という冬のモチーフを重ね、時間のモチーフを構成している。季節感を表現するには、またがる二つ以上の季節要素で画面を構成することが常道だ。

本写真展は毎回、写真集を制作している。今回もA5判、4C、36ページの写真集を作った(写真右参照)。これは、アマチュアのグループ展では大変珍しいことであり、理想的なスタイルだ。

『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用はご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted.

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2018/03/13

“名残り”というモチーフ

第16回 ヌービック・フォト・フレンズ5写真展
『名残りの情景』 は18日15時まで

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会期:2018年3月13日(火)~18(日) 10時~18時 初日は13時~ 最終日は~15時
会場:かなっくホール ギャラリー(A) アクセスは、DMを参照ください

以下に、本写真展のあいさつ文と作品一覧を掲載する。(写真や図表はすべてポップアップします)Hpimg_0002_4 Hpimg_0001_6Hpdmimg_4Hpimg_0001_7

 ヌービックフォトフレンズ5は、昨年、『発端の物語』という写真展を開催した。今回の『名残りの情景』は、テーマとしては正反対だ。物事の最初が発端だとすれば、最後は名残りで終わるのではないか。すなわち物事の最初と最後という意味で正反対といったのだ。
 発端も名残りも、私が提唱している8大モチーフの一つである「時間」に属する。名残りは過去のカ テゴリーに含まれる。また、過去のモチーフの中でももっとも重要なモチーフと言える。名残りは記録の本質でもあるからだ。写真撮影の目的は、名残りをとどめておきたいという願望の実現にあるともいえよう。記念撮影しかりだろう。写真撮影のもっともポピュラーな目的にかかわる。何をどう撮っても名残りになるともいえる。しかし、そうは言っても、被写体の選び方と撮り方には工夫が必要だ。
 『発端』について取り組んだので、次は『名残り』を撮ろうというヌービックの発想は、自然でもあろう。
 私は、今回、参考出品させていただいた。自然界には、常に始まりと終りがあり、それを繰り返している。その繰り返しが、人々の心に響き、自然への憧れや期待、逆に絶望や寂寞などの情感を醸し出している。私の自然観は、『自然は厳しい』ということだ。美しい反面、生きるか死ぬかの厳しさがある。その厳しさに注目している。名残りには、それを感じさせる要素があると思う。私は、春と秋の季節の名残りとして2点を出品した。

 

 『春のさきがけ』は、満開のモクレンの名残だ。早春に咲くモクレンには、春の喜びがあふれている。散らばった落花には、その面影を感じる。『豊穣の余韻』は、折れて落ちたミミガタテンナンショウの果実を撮影したものだ。秋の豊かさを象徴しているのではないか。
 
           ご高覧いただけたら幸いだ。
Hpp4060298『春のさきがけ』

Hppb190337『豊穣の余韻』

 ヌービックでは、毎回、写真集を制作している(写真左)。Hpimg_0005

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2017/09/03

第10回 プローバー’01写真展 『写真を編む』         11日16時まで

Hpdm_img_0002_4会期:2017年9月5日(火)~11日(月) 10:00~18:00(初日13:00~ 最終日は~16:00)
会場:かなっくホール ギャラリーA(DM参照)

 私がコーチを務めていた、写真クラブ・プローバー’01が写真展を開催する。タイトルは、『写真を編む』という今までにはない変わったタイトルだ。あいさつ文にある解説には、「一人当たり3点の写真を縦糸に、撮影にまつわる物語を180字前後の横糸として編み物をつくるように写真をお見せできればという組写真に近い趣向で展示しました」とある。また、DMには、「撮影を縦糸に、物語を横糸に…」というキャチコピーが書かれている。内容ではなく見せ方にかかわるタイトルといえよう。Hp2017dm_img_0001
 組み写真にはちがいないが、編み物や織物として写真を見せようという発想はユニークだ。ところで、私には織物や染色といった、テキスタイルに関連した分野にはほとんど縁がなかった。一方、同じ「編」が付く編集という作業には、多少縁はあったので、編集のつもりでチャレンジしてみた。
 なお、私の後を継いでコーチを担当いただく福田徳郎先生は、朝日新聞の出版写真部のデスクを務めた方だ。いわば、組み写真のエキスパートである。また、多くの撮影現場に立ち会ってきただけでなく、比叡山で修業されたこともあるという。ユニークなキャリアの持ち主で、すばらしい師を得た思いだ。今回の写真展にも、基本的構想を提案いただいた。Hp_pa220414_edited2

 さて、私はメンバーの一員として参加した。最近は、人生の晩期を感じる。そこで『晩年』というタイトルで、秋の自然写真を展示しようと考えた。はたして、テーマに沿っているかどうか不安である。以下に私の出展作品を掲載しよう。 (写真はすべてポップアップ可)

『晩 年』
 「終わり良ければすべて良し」という諺がある。晩年を迎えた私には気がかりな諺だ。Hp_p9120300_edited1秋は四季の晩年といってよいだろう。私は、自身の心境を秋の自然写真に置き換えてみようと試みた。
Hp_pb020508_edited2Hp2017img_0004_2ヤマブドウの葉には、“波瀾万丈”を感じる。ヌメリスギタケは、ひと目“他力本願”に見えるが、分解という大役をこなしている。私は、自然写真を撮っていたおかげで、今も植物の発生に“興味津津”である。

左上に、本写真展の作品一覧を掲載する。

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会場風景Hpp9072307_edited1

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2017/04/11

2017年ヌービック写真展

第15回ヌービック・フォト・フレンズ5 写真展
『発端の物語…始まりのとき』Hpimg_0001

会期:2017年4月11日(火)~16日(日) 10時~18時(初日は13時~ 最終日は~15時)
会場:かなっくホール ギャラリーB(☎045-440-1211)

 私は、今年のヌービック展には、ほとんど関わっていない。しかし、多少相談に乗ったうえに、ヌービックの写真展は注目に値するので、紹介することにした。今年のテーマは、物事の始まりに着目している。写真展のタイトルである発端には、起源や原始などの原点を表す。また手がかりや糸口などの行動のとっかかりになる。Hp_p4092157_2

Hpdmimg_0002_3人間なら通過儀礼(お宮参り、お食い初め、成人式、結婚式など)は、それ以後の人生の始まりを表す。始まりにはいろいろな情緒(期待や不安)がつきものだ。そして、しばしばドラマティクだ。どんな被写体にも始まりはある。『発端』は、写真のテーマやモチーフには絶好ではないだろうか。以下に、あいさつ文と作品一覧を掲載しよう。Hpimg_0005Hp_img_0004_2Hpa_imgHpb_img_0003Hp_img_2Hpa_img_0002Hp_img_0004

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2016/12/02

感動の大原治雄ブラジル展

『ブラジルの光、家族の風景』

 去る11月16日、清里フォトアートミュージアム(K★MoPA)へ、大原治雄展を鑑賞に出かけた。パンフレット(写真右下2点)だけの予備知識で出かけたのだが、素晴らしい写真展だった。どうしても書かずにはいられない衝動にかられ、遅ればせながら執筆した。同展は12月4日(日)までだ。 http://www.kmopa.com/

 Hpp1img大原治雄氏(1909~1999)は、高知県生まれのブラジル移民である。写真家である前に移民としての多くの蓄積があった。写真を始めたのは、24歳で結婚したときからだという。家族の写真を撮ろうとしたきっけは、これから始まる一族の壮大なドラマを予感して記録しようとしたのか、カメラに興味を持ちはじめたのか、写真のテクニックに引かれたのか、私は、これらすべてではなかったかと推測した。大原氏の胸の内を図ることはできないが、彼の移民としての経験が反映したことは間違いあるまい。移民としてブラジル・パラナ州ロンドリーナを開拓するという、無から有を生ずるような過酷な生き方に立ち向かい、それにめどが立ったときに、所帯を持ち、何か一つのことに打ち込んでみたいというのは、自然な心の動きではないだろか。Hpp2img未開の大地を農園にするまでには、並々ならぬ苦労があったようだ。

 大原氏の写真の傾向や作風について感じたことに触れよう。『ブラジルの光、家族の風景』というタイトルがついているが、まず、自身のセルフポートレートが目立つ。これは何を意味するのだろうか。私には、家族の始まりは、自身 大原治雄であるということを伝えたいのではないか。現在、70人を超す大家族となった大原家の元は大原治雄であることはまちがいない。たくさんの子どもや配偶者、孫の写真の中に、ときどき大原自身のポートレートが散りばめられている。これほど多くのセルフポートレートが目だつ写真展は見たことがない。私が最も気に入ったセルフポートレートは、最初の壁面に飾ってあった1点だ。木に寄りかかり、足を投げだして座っている足元にコーヒーポッドが置かれている。大原氏の顔はフレーミングの中にはない。背中と左腕の一部が写っているだけだ。タイトルは、確か『休憩』か『休息』だったと記憶している。私は、このシーンの大原氏に感情移入することができる。顔をみせずに自身の休憩時間を表現しようという、この写真のモチーフに共感する。多様なセルフポートレートと写真展での公表は、私もまねしたいと思った。

 カメラを手にしたときには、過酷な開拓の時期はすでに終わっていたのかもしれないが、彼の作品には、労働の厳しさや不安な気持ちは写っていない。おそらく撮影はしたが、作品展には展示しなかったのであろう。家族の幸せとブラジルの大地を讃えたいという意図のもとに写真展は編集されていると思う。移民という日本国を代表した親善使節の役割を思えば、当然な編集意図だろう。『霜害の後のコーヒー農園』という作品があった。胸高直径2メートル以上もある巨木の切り株の上に二人の男が乗り、周囲を見渡しているスナップような記念写真である。霜害といえば、農業に従事する人にとっては深刻な事態だろう。この状況下で、かつて切り倒したであろう大木の上に立って、お山の大将のようにふるまっているのは、いったいどんな心境なのだろうか。霜害の実情を示す写真は簡単に撮れるはずだ。この写真が、大原治雄氏の写真観を象徴した作品ではないか。前述のセルフポートレートといい、霜害の写真といい、婉曲的に表現しようとしていると思う。

 シルエットと陰影を生かした作品が目立つ。タイトルの『ブラジルの光、家族の風景』のとおり、光のモチーフを多用している。ちなみに、シルエットも陰影も光のモチーフに属する。Hp4img_0004パンフレットの表紙を構成する2点の作品は、シルエットの写真だ。どちらも、背景の空が美しく、人物は大地と一体になってシルエットになっている。解説書の4ページ目『本展のみどころ』(写真左)には、『ブラジルの大地を切り開いたからこそ現れた「空」と「水平線」であり、大原はこのモチーフを繰り返し撮影しています』とある。パンフレット上段の写真の人物は大原氏だという。『苦難の日々を乗り越えた喜びに溢れる姿ですが、大原自身は画面右端に立っていることから、この写真の主役がブラジルの大地と空であることがわかります』。シルエットのテクニックを生かしたセルフポートレートである。

 最後の入出口に近い壁面には、パターン写真が展示されていた。草花や納屋の片隅に見つけた農機具などをパターン化した作品群だ。モノクロ写真なので、当然、ブラジルの光と陰影を生かした作品だ。大原氏のカメラアイの一端を知ることができた。

 大原氏の孫の一人が写真家になっている。サウロ・ハルオ・オオハラ氏が撮影した大原治雄氏のスナップが展示されていた。 ベットに腰かけている晩年の姿だ。ものさびしそうに見えるが、孫に撮影されている幸福感も読み取れた。私も写真家の端くれなので、うらやましく感じた。

 私は、鑑賞し終わったとき、大河ドラマを見たような気がした。そして、写真にもこのようなスケールの大きい表現が可能だということを知った。今までは、写真は映画や音楽にはかなわないと思っていたが、決してそのようなことはないと確信した。Hppb160141_edited2
 なお、サウロ・ハルオ・オオハラ氏が、祖父の故郷・高知県を訪れたときに撮り下ろした『Aurora de Reencontro 再会の夜明け』展も同館で展示されている。参照:田園の誘惑

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2016/09/20

失われた写真の神秘性…組み写真の時代

【神秘性とは】
 陶芸や染織などは、仕上げてからすぐ鑑賞することはできない。作業終了後、陶芸なら焼きあがるまでに、数時間から数日かかる。染織ならば織って染めて乾かしてみなければ出来ばえはわからない。このように作品を作りを終えても、出来ばえを完全に予測できない芸術分野がある。これを芸術の神秘性と言おう。実際に手を下した後は、「運を天に任せる」という部分だ。絵画や音楽などの芸術も似たようなところがある。
 写真ではどうだろうか? 写真にはいろいろな分野がある。芸術写真もひと昔前には神秘性があった。撮って現像してみなければ、真価はわからなかった。しかし、昨今のデジタル化によって、人間には読めないことはほとんどなくなった。撮影後、仕上がりをすぐ確認できるからだ。結果をすぐフィードバックして作品を修正できる。すなわち、失敗がなく、思いどおりに仕上げられる。作者の実力以上のものはできないが、実力は十分発揮できる。被写体や分野にもよるが、一般的に写真は神秘性を失ったといってよいだろう。それに加えて、スマートフォンやコンパクトカメラでの撮影はイージーで、はじめから神秘性を無視した撮り方だ。写真に対する考え方が即物的であり、刹那的である。被写体を使ってメッセージを伝えるだけの写真である。これはこれで一つの写真観であり、写真普及に貢献している。おそらく、フィルムカメラ(銀塩写真)にこだわる人は、写真のもつ神秘性にあこがれているのではないだろうか。

【単写真と組み写真】
 さて、写真界はあいかわらず単写真(1枚の作品)が主流だ。1枚の写真を見て、良し悪しを判断する傾向がある。フォトコンテストは、ほとんどが単写真で募集され、応募される。また、写真展も単写真で、テーマのない写真展がほとんどだ。特に、グループ展はその傾向が強い。神秘性が低くなった写真において、単写真はどれだけ価値があるだろうか。単写真は、被写体とその撮影条件(天候など)への依存度が高く作者の主張や解釈はほとんどない。もちろん、テーマもない。というよりも、単写真ではテーマを表現しにくい。または、できないだろう。(参照 『写真の読み方』名取洋之助著 岩波新書) あえて言えば、撮影テクニックの優劣ぐらいはわかるだろう。しかし、撮影テクニックは、モチーフやテーマに従うということを忘れてはなるまい。
 単写真で構成された写真展(グループ展など)の会場で、観客からしばしば撮影テクニックや被写体情報、または撮影地情報について聞かれる。作品の中身についての質問は少ない。これでいいのだろうか。これでは、写真は作品として認められていないのではないか。作品とは、作者の内面に関わることだ。作者独自の主張や提案、考察などがテーマになる。Hpimgまた、被写体に対する独自の観察や解釈などがテーマになる。すなわち、独自性とオリジナリティーがテーマになる。私の関わる写真展では、常に、テーマを追求してきた。写真展会場では、しばしば作品のタイトルが話題になる。タイトルはテーマへの入り口であり、好ましい話題だと考える。

【タイトルとテーマ】
 以前、本ブログで紹介したヌービック展(写真右 作品展と同時に制作した写真集)は、いつもテーマを前面に掲げ、それに従って総タイトルとカテゴリー(文章の章や節に相当するもの、)を立て、各作品にも総タイトルとカテゴリーに合わせてタイトルを吟味している(写真下2点 あいさつ文と作品一覧 ポップアップ可)。すなわち、グループ展だが、組み写真として展示している。ヌービック展では、入場者にアンケート調査を実施している(写真下左)。作品についての感想や意見を聞いて、今後の参考にしようというわけだ。それによると、タイトルについての感想や意見が多い。Hpimg_0002_3Hpimg_0001えば、「写真はもとより、タイトルが素晴らしいと思いました」「『俺は刺客ぞな』というタイトルが絶妙です」などの肯定派から、「一覧表のタイトルを見たときは、それぞれ皆良いと思いましたが、実際に作品を見て思ったほどではなかった」といったネガティブな感想もあった。どちらにしても、タイトルは作品の入り口であり、テーマへの入り口でもある。このような感想は、作品展にとって好ましことであろう。「この写真展はタイトル(テーマ)と写真がどのようにマッチングしているかを見るのが楽しみです。Hpp7180142_2タイトルに合わせて写真を撮るのは大変だろうと思います。皆さまの作品にはそのタイトルは光ってきたようです」。この感想には“タイトル≒テーマ”という前提が読み取れる。

【撮影のおもしろさ】
 一方、写真の撮影はたいへんおもしろい。テーマなどがなくても十分楽しめるということは認めざるを得ない。しかし、私は写真の味方として、写真はテーマが必要だと主張したい。すべての芸術は、テーマが問題になるからだ。もし、単写真を楽しむなら、できるだけ神秘性のある被写体や撮り方が必要だろう。フィルムを使うのも一つの手だ。
 また写真には、芸術性とは別の記録性や科学性を追求する分野がある。報道写真や自然科学写真などは、実証的であいまいさを排除した写真だ。神秘性はむしろ邪魔になるだろう。そういう意味から、デジタル写真は、報道、自然(動物や植物、環境など)、科学(天体、考古学など)などの分野に適する。  ところで、デジタル写真には問題もある。画像処理により画像の加工、変形、変換、強調などが容易にできる点だ。これは、シャッターを切った後で写真に手を加えるということで、作画上フェアーでないという意見がある。フィルムにこだわる根拠の一つになっている。しかし、画像処理は写真の神秘性とは相反することはあっても、直接関係はない。機会を改めて考えたいと思う。
 私が主張したいのは、芸術分野では 単写真⇒組み写真 という“流れ”である。そして、テーマが必要だということだ。もちろん、テーマを追求する組み写真でも撮影のおもしろさは変わらない。

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2016/07/03

予告!! 写真展『沈黙の森から…春の息吹』 八ヶ岳山麓No.198

第3回 豊田芳州ネット・ギャラリー写真展

♦期日:2016年7月6日(水)~7月12日(火)
ネットギャラリー: 「豊田芳州のTheme」 http://silent-forest.cocolog-nifty.com/

Hp_dmimg_0001_edited1 八ヶ岳山麓の川上村で生活するようになってから30年になろうとしている。1400メートルの高原は、四季の変化が顕著で、それぞれに持ち味がある。しかし、私がもっとも好きな季節は冬である。冬の渓流に発達する氷は、森の宝石といてもよいほどの美しさと厳しさがある。そのようすは第2回 ネットギャラリー写真展で展示した。次に興味がある季節は春である。寒冷地の八ヶ岳山麓においては、春は格別の意味がある。眠っていた植物や動物がいっせいに蠢動し始めるようすを初めて観察したときは感動したものだ。地面からいろいろな植物が顔を出すようすは、自然界の始まりを想像させた。約4億5000万年前、植物が上陸したとき以来、繰り返されてきた現象を垣間見たような気がした。そこで、春編では自然界の原始的な風景を撮影しようと考えた。カテゴリーを次の3つに分けて掲載する予定だ。
   (1)地上へのあこがれ
   (2)揺籃期
   (3)発生のドラマ

 なお、発生とは、多細胞生物の卵が受精し、胚を経て幼生から成体となるまでの過程をいう。すなわち、生物が成長する過程での変化をさす。発生は、しばしばドラマティックだ。
 なお、夏編と秋偏もいずれは、『沈黙の森から』のシリーズで展示する予定だ。

 いつものように、ダイレクトメールを作って郵送したが、つごうで部数が足りなかった。一部の郵送されていない方々へは、お詫びいたします。

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2015/12/31

2015年12月下旬の森のようす 八ヶ岳山麓No.190

フォトレポート『暖かい冬』…沈黙の森から
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 山小屋周辺に住んでいる方々が、「今冬は暖かい」と言っているので、今までのところは、あきらかに暖冬のようだ。滞在中の最低気温は、28日の-11.5度Cだった。それ以外は、0度C~-7度Cぐらいで、一日中氷点下の日は一日もなかった。積雪はまったくなく、おかげで珍しい植物を観察できた。しかし、この時期が絶好の氷の撮影はお預けだ。八ヶ岳の冠雪も少ない。12月下旬の森のようすをレポートする。

●八ケ岳 12月25日の赤岳と阿弥陀岳(左)Hppc250199_2
●ツチグリ この時期には珍しいキノコ。タコの足のような外皮は湿ると開き、乾燥すると閉じるという。食用にもなる(写真最上)

●クレソン 湧水の近くに自生している。サラダに添えて食べた ●アオミドロ 緑藻類に属し、光合成をする原始的な植物。少し清水が流れ込む池に発生していた。この時期には珍しHppc242572いか?Hppc280294_3




                                               

●結 氷 夕刻、氷点下4度Cに冷え込んできたとき、みるみるうちに落ち葉を取り込んで結氷していたHppc270119_2
●カサゴケモドキ 初めて見たコケだ。蘚類に属するHppc260390

●十八夜の月 今年はクリスマスイブ(12月24日)が満月だった。28日の朝は、八ヶ岳赤岳の頂上を滑るように沈んでいったHppc280253

Hppc242586_edited1●ノダケの果実(種) セリ科の多年草植物。つぼみは、総苞に包まれた鞘の中で成長し、複散形花序の暗赤色の花をつける

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2015/09/29

『朝夕の争い』 5日 16時まで

第9回 プローバー’01 写真展

 

会期:2015年9月29日(火)~10月5日(月) 初日は13:00~ 最終日は~16:00
会場:かなっくホール ギャラリーB
(アクセスはDM宛名面のポップアップ参照)

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Hpp9291209_edited1Hpp9291203 今回の写真展はプローバー’01創立15周年記念展である。会場のあいさつ文を以下に掲載する (写真上は会場風景、同下左は作品一覧などを収録したプログラム《A4判 4P》。同下右はプローバー’01のメンバーHppa011262_edited1)Hpp9291213_edited1

「朝夕の争い」
 写真の世界では、朝夕がシャッターチャンスだといわれています。朝夕の被写体は、どちらも低い光で照明され、しばしばドラマティックな表情に恵まれます。はたして、写真に最適な時間帯はどちらでしょうか。
 私たちは、3年前「春秋の争い」という写真展を開催しました。これは、四季の変化が顕著な美しい日本で、春秋の優劣を競おうというものです。古来、万葉集や源氏物語でも取り上げられてきたテーマです。この「春秋」を「朝夕」に置き換えてみました。朝夕の優劣は、写真にたずさわる私たちにとっては大いに関心事です。私たちプローバー’01は、朝と夕の味方になっていろいろな風物を撮影してみました。
 作品をとおして、多くの写真家と朝夕の優劣を話し合えたら幸いです。
 2015年9月29日  プローバー’01一同/コーチ:豊田芳州Hpimg_0002

 

 

カテゴリーについて
 文章や書籍には章や節、段落がつきものだ。たくさんの情報を伝えるとき、それをいくつかに分けて、論述しないと、読者は混乱して内容を把握できない。章や節にはタイトルがあり、段落には見出しがつく。写真集や写真展にも、この区分けは必要だ。私は、この区分けや分類をカテゴリーと言っている。このたびの『朝夕の争い』展には、このカテゴリーを最大限に利用した。
Hpimg 名取洋之助 著「写真の読み方」(岩波新書)には、いかに写真をわかりやすく読ませるかということが書かれている。おもに報道写真やドキュメンタリーについて解説されているが、写真展や写真集にも触れている。要は、画面の大小と並べ方により、伝えたいことを明確にして読者に見せようということだ。私たちプローバー’01展では、プリントサイズは一定(A3)だが、並べ方では大いに工夫した。
 プローバー’01は、全作品を朝夕二つに分け、さらに、それぞれを三つに分類して色分けして区別した
(図表左上 ポップアップ可 。カテゴリーの色は作品のタイトル札にも反映されている。常にカテゴリーを念頭において作品を見ていただこうと意図したからだ。

 

 

 

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私は、朝と夕に1点ずつ出展した。 「朝」はカタクリの写真『目覚め』だ。カタクリは朝、閉じていた花弁を開きはじめ、日が高くなるほどに全開し、午後は花弁がそり返るほど開き、オシベやメシベを大きく露出する。夕方になると閉じはじめ、夜は完全に閉じる。この現象を1週間以上繰り返す。作品は8時33分に撮影した。
 「夕」に出展した写真は、ドイツ・ランズベルグで撮影した『待降節の楽しみ』だ。11月下旬になると、ドイツのどこの街でもクリスマス・マルクト(市)が建ち、クリスマス(降誕祭)に備えてアドヴェント(待降節)を過ごす。私は5日間ほど滞在したが、毎夕4時ごろになると、人々が三々五々マルクトに集まってくるのを観察した。Hppc135673大人たちはグリュウーワインを飲み、子どもたちはスナックを食べながら、クリスマスを待ち望む。作品は、12月13日、17時2分に撮影。

 

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2015/07/22

横浜市民ギャラリーで二つの写真展 横浜No.83

27日(月)16:00まで開催

ブルーベイヨコハマ展』
開催日時は、7月21日(火)~27日(月)10:00~18:00 最終日は16:00まで25dm150721img_0002


 知り合いが出展している写真展二つが同時開催だったので、新しい市民ギャラリーへ出かけた。一つは、以前パナソニック・松愛会のメンバーだった吉久 正氏が出展している『ブルーベイヨコハマ展』だ。同展は、日本写真作家協会(JPA)の横浜支部展に相当する。吉久氏は、一時体調を崩し、松愛会を退会したが、復活され創意に満ちた作品を出品されていた。豊臣秀吉と千利休の確執は有名だが、それをヒントに構想を練り、「9人の千利休」「男の矜持(利休・秀吉)」(3点)、計4点が展示されていた。吉久氏の秀吉観と利休観、また二人の関係を写真で具現しようと試みている。P7210389歴史に登場する大物の人物像と人間関係にポートレートで迫ろうとしたモチーフはユニークであり気宇壮大といってよいのではないか。秀吉も利休も、モデルはいずれも吉久氏の仲間だという。この構想とモチーフはさらに発展するであろう。 (写真左 New横浜市民ギャラリー)

『神報連 公募展』
開催日時は、7月21日(火)~27日(月)10:00~18:00 最終日は16:00まで38dm150721_img_0001

 もう一つは、神奈川報道写真連盟(神報連)と神奈川新聞社が主催する公募展だ。私がコーチを務めるプローバー’01に所属している小池 測氏が、「昇魂」で横浜市会議長賞(ネイチャーの部)に入賞された。タイトルの「昇魂」という言葉は辞書にはないので、小池氏の造語であるが、作品はまさに“昇魂”だった。広角レンズでフラッシュ撮影された雪景色は、不思議な雰囲気を醸し出している。小池氏は、正攻法の自然風景写真が得意で、重厚な作風が特徴だ。一方、プローバーのモットーである“創作料理”でも手腕を発揮している。『昇魂』は後者に属するだろう。Img_0004なお、本展に展示された作品はすべて入選以上だ。小池氏はほかに「冬の支度」が入選していた。大倉山エルムフォトクラブの髙橋勲夫氏は「凍てつく」で自由の部の特選に入賞、ほかにも横浜の知人が何人か入選されていた。

 新しい市民ギャラリーは、関内駅前にあった旧市民ギャラリーに比べてアクセスが良くない。最寄駅のJR桜木町駅からは徒歩10分ぐらい、京急日ノ出町駅からは8分ぐらいかかる。P7210393_2しかも坂道を登らなければならない。そのためか、送迎バスが用意されているようだ。運行の詳細はギャラリーに問い合わせてほしい。 (写真左 送迎バス)

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