2017/04/09

寄せ植えの芸術性

バラクラの日比谷公園展示会
Hpdm

 寄せ植えは、コンテナー・ガーデニング(container gardening)という別名がある。すなわち、入れ物の中に庭を作ろうという発想だ。日本の盆栽に匹敵するだろうか? 両者は、構想や内容に違いはあるだろうが、“縮小芸術”(reduction art)という点では共通性があると思う。自然を尊重して一つの世界を目ざす点も似ているかもしない。家内が夢中になっているので、聞いてみたところ、「自然の植生や景観を大切にして美を追求する」というのだ。草花や樹木(灌木)を利用して、自身の自然観を再現しようということだろうか? おのずと、技法や流儀があるのだろう。蓼科バラクラ イングリッシュ ガーデンは、英国風の寄せ植えや庭造りの普及に寄与している。

 日比谷公園で開催されている寄せ植え展を見てきた。会場の展示は、1点1点を横一列に並べて見せるギャラリーのような構成だ。一堂に会している作品群を見て、今までにはない感動を覚えた。Hpp4072092今まで、私が見てきた展示は、作品1点1点が庭の構成要素のように置かれていた。作品で中庭を作ろうという見せ方だった。これは、寄せ植えの利用目的や日常性を重視した展示といえるのではないか? 寄せ植えの展示方法については、私はよくわからないが、今回の展示は、それぞれの作品が際立って見えるので、個性や自然観、作者のイメージが伝わってきた。Hpp4072099特にマスター(免許皆伝の作者)の作品は、迫力がある。重厚さや力動感、デリケートな反復など、それぞれの作品には、独自性が感じられた。
 DMに「世界的レベルで高く評価される作品展示です」と書かれているが、そのとおりだろう。私は自然写真に取り組んでいるが、寄せ植えと自然観の違いはあっても、創作の思考過程は同じなのではないか? 寄せ植えは、実際に植物を使うのに対して、私の写真は、被写体の画像で構成するという違いだけのような気がする。

『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用はご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted. 

| | コメント (0)

2017/04/04

サクラのつぼみを観察する 横浜No.94

 今春は、サクラのつぼみを観察した。サクラでは、つぼみは冬芽、または越冬芽ともいう。秋には枝にたくさんの冬芽をつける。新年に向けて少しずつ成長し、春に開花する。Hp41p40100472月18日に最初の観察をした。2本の小枝に着目して定点観測的に撮影を開始した。そのうちの一枝についてレポートしよう。(写真上は4月1日の観測木の一部。樹木全体では1部咲きぐらいだった)

Hp170218_p2180036
●2月18日
 全体が、鱗片葉(芽鱗)に覆われっている。鱗片葉は、寒さや害虫から花を守っている

Hp170307b_p3070058
●3月9日
 前回にくらべ、わずかに膨らんでいるが、まだ鱗片葉に包まれている。

Hp170323_p3230540
●3月23日
 一段と大きくなり、成長が早いものは鱗片葉が剥けて、苞が露出している。

Hp170325b_p3250015
●3月25日
 ますます膨らんで大きくなり、ピンクの花弁がみえる。

Hp170401a_p4010016
●4月1日
 花冠が膨らみながら長くな伸び、開花直前。

 さて、鶴見川の土手の公園には、たくさんのソメイヨシノが植えられている。その中の1本に写真のような札がかかっていた。それによると、その木が日本で最初に開花したソメイヨシノだという。

Hp_p3250053_2Hp_p3250051偽のほどは不明だが。東京のサクラの開花宣言は、3月21日で、これが日本でもっとも早い開花日だと報道されていた。ところが、横浜にもっと早く咲いたサクラがあるということになる。私がこの札を見つけて撮影したのが、3月25日だった。そのときは、1~2分咲きぐらいだった。東京や横浜が開花日で全国で一というのは、異常な現象だろう。日本国内にはもっと低緯度の都市がたくさんある。それらの都市よりも大都市で早く咲くということは、都市が温暖化しているということではないか?

Hp44nop4040133Hp_170218_p2180025_24月4日のお花見
 近くの仲間と花見をした。観測木の下には、小学生のグループが集まり、にぎやかに歓声をあげていた(写真下)。観測した小枝が折れてなくなっていたので(写真上左 右部の折れ目)、もう一つの小枝(写真上左)の状態をレポートする。2月18日のつぼみ(写真上右)と4月4日の花(写真上左)を比較してみた。なお、観測木は5~6分咲きだった。Hp_p4040129_edited1

『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用はご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted.

| | コメント (2)

2017/01/11

氷の神秘性 八ヶ岳山麓No.205

〔動と静の葛藤〕
 冬の八ヶ岳山麓で最も魅力的な被写体は氷である。氷は固体と液体(水)の間で千変万化し、二度と同じ形にはならない。冬の渓流では、水の凝固と氷の融解が繰り返し起きている。人がコントロールできないという点では、氷は神秘的な存在だろう。Hpp1017370_2 結氷するには氷点下の寒気と着氷するための核が必要だ。水は氷点下になると、近くにある岩や流木の枝など、時には同じ氷などを“探して”氷になって付着する。結氷のし方にもいろいろある。Hpp1017381しずくが垂れてできる氷柱(つらら)、水流の飛沫が着氷する飛沫氷柱や飛沫着氷、空気中の水蒸気が昇華して直接個体になる霧氷などだ。それに流速や水位、流路、気温、風が影響する。これらが複雑に絡み合って氷は発達する。水温は約8度Cであるうえに流れているので、気温が0度Cではなかなか凍らない(凝固しない)。Hpp1017373_5流れが速いほど凍りにくい。渓流で水温が0度C以下になり、気温が氷点下3~5度Cぐらいなる必要がある。撮影に適した氷が発達するには一日中氷点下の日が3日ぐらい続く必要があるHpp1017412Hpp1017385_3氷も水も水の分子H₂Oで構成されているが、液体の場合は、分子が自由に動けるのに対して、固体は分子が結晶を作って、塊状になる。すなわち、水の「動」に対して、氷の「静」といえる。どちらも、自分の存在を維持しようとしているので、冬の渓流には、動と静の葛藤があるといえるのではないかHpp1017362_edited1_2Hpp1017394_2

                                        

〔氷写真の先駆者・清岡惣一〕

 氷の写真の先駆者として清岡惣一氏(1915~1991年)を挙げたい。清岡氏の写真集『清岡惣一の世界』(1993年 日本カメラ社 刊)には、多くの氷写真が掲載されている。Hpp1021502この写真集には、モノクロの作品が73点掲載されている。その中に、冬に撮影された作品が21点あり、そのうちの15点が氷(雪)の写真である。すべて日光中禅寺湖で撮影されたものだ。清岡氏は、1976年、東京・ペンタックスギャラリーで個展『雪と氷の湖畔・日光中禅寺湖』、1977年、金沢・名鉄丸越デパートで個展『雪と氷の湖畔』を開催している。残念ながら、私はどちらも鑑賞していないが、写真展のタイトルからも、清岡氏の氷に対する想いが伝わってこようというものだ。

 本写真集は、清岡氏が亡くなられてから刊行された。贈呈用の写真集に、清岡静子夫人が書かれた「御挨拶」という一文が別刷りで添えられてあった。奥さまが書かれている要旨は次のようなことだ。「病床にて故人自らが掲載作品の選定に最後の力を注ぎ、その後、多くの有志の方々の温かいご支援とご協力のもとに、完成したものです」「今、この故人の集大成とも呼ぶべき作品集を手にすると、満たされたときの主人の微笑みが思い起こされてなりません」とある。ページ構成を見ると、清岡氏は氷の写真に特別な想いを持っていたと推察できる。Hpp1021522私が言いたいことは、清岡惣一氏が氷の撮影に心血を注いでいたということだ。
 氷の撮影は、決して楽なものではない。氷点下の水辺での撮影は、指先がかじかんで、カメラ操作が思うようにできない。しかも、うっかり足を滑らせて、尻もちをついたり、衣類を濡らすと、衣類はすぐバリバリに凍ってしまう。すなわち命懸けである。清岡氏の撮影の緻密さと忍耐力は、推して知るべしである。私は、中禅寺湖畔でカメラを構える清岡氏の姿を想像した。

 カメラ雑誌の取材で、一度清岡氏にお会いしたことがある。そのとき、清岡氏の撮影姿勢と作風に好感をもった記憶がある。当時は被写体としての氷には注目していなかったのだが、実際に私が八ヶ岳山麓の渓流で氷を前にしたとき、清岡氏の心の奥底にあるものに触れた思いがした。私の氷写真の原点は清岡氏に負うところが大であると思っている。

『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用はご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted.

| | コメント (0)

2016/12/14

2016年12月上旬の高原のようす 八ヶ岳山麓No.204

兵どもが夢の跡Hppc120103

 私たちの山小屋がある川上村は、『野菜王国』を自称している。キャッチコピーには『高冷不毛の寒村からレタス生産量日本一の高原野菜立村へ』(川上村誌 通史編 現代より)と書かれている(写真左)。しかし、野菜王国に上りつめるには並大抵の苦労ではなかったようだ。Hp1253pc050006_edited1

 川上村誌 通史編 現代 近現代概説(写真右) 第三章 第三節「野菜」に10項にわたって、野菜王国への経緯が記されている。第9項の「野菜産業」によると、川上の農業を企業経営として確立しようという意図が感じられる。Hppc120150_2例えば、昭和63年(1988年)に掲げた基本方針には、「ニーズに対応した本物づくり」「ブランドの確立」「先端技術に対応」「農家の経営基盤の強化」「農業者の健康管理と後継者の確保」「魅力ある農村づくり」など優良企業を目ざした方針だ。企業イメージ、社員の福利厚生などに配慮した会社組織に匹敵した取り組みだ。
 同年1月には、村営有線テレビ局を開局、7月からは村民向け野菜市況速報の放送を開始した。平成3年(1991年)村内に設けた観測地点のデータを活用して詳細な天候の予測情報を流し、野菜生産の一助とした。そのほか、機械化やポリマルチの採用、農薬散布の適正化、など栽培技術の向上に努め、平成5年(1993年)には、村内3農協の販売総額は200億円に達し、過去最高を記録したという。

 一般に、農業は加重労働を強いられる。レタスなどの生鮮野菜もご多聞にもれず、たいへんだ。私の観察では、出荷が最もたいへんに見える。Hppc070262_2Hppc070266_2ばしば、早朝3時前に電灯を付けて作業している現場を見たことがある。「朝採り」で消費者へ提供するためだろうか。私たちには深夜の時間帯に仕事をしているのである。Hppc070207出荷作業が一段落して、朝日を浴びながら畑で朝食をとる農家の団らん風景を見ると、何かうれしさが込み上げてくる。夜から早朝にかけて出荷作業に取り組む人々の姿には、どこか共感できる。むかし、編集部で仕事をしていた時を思い出すからだ。徹夜の校了日に朝日のまぶしさに、何とも言えない満足感を感じたものだ。Hp127pc070334どんなに過酷な労働でも、収益が上がればやりがいがあるだろう。

 12月に入って、気温が急に下がった。12月7日の最低気温は、マイナス8.5度C(写真左 最高最低温度計を夕方に撮影)。就寝中は電気毛布を使わないと足が温まらない。昔は電気毛布などは使わなかった。10度C以下の布団に入ってもすぐ眠れたのだが。本格的な冬に入った八ヶ岳山麓の情景を紹介しよう。(写真上は12月5日の八ヶ岳。根雪が付き冬の厳しさが出てきた)

●冬の畑に残された野菜を見ると、まさに「兵どもが夢の跡」である(写真上3点 ハクサイとブロッコリー)

●ボタンズルのドライフラワー。逆光で異常に輝いている(写真下右)Hppc070220

●ヤドリギ。落葉樹の枝に寄生する植物だ。ヨーロッパでは、果実のついた枝をクリスマスの飾りとして使うHppc070275_edited1

●クレソン。冬枯れの中に青々とした葉を見るとホッとする。採取して食卓に供した(写真下)Hppc070295

●山小屋のベランダにやってくる野鳥たち。今年は、水浴び場を用意した。朝、雨戸を開けると、ヒマワリの種をねだりに来る
Hppc010113Hppc010104

『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用はご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted.

| | コメント (0)

2016/10/26

サシガメとつき合う

ユニークな昆虫
Hpa259691_3

 10月25日、中央道・釈迦堂パーキングエリアで、見たことがない昆虫を見つけた。助手席に座っていると、ボンネットの上に奇妙な昆虫が見える。はじめはクモの一種かと思った。車中に常備してあるオリンパス スタイラスXZ-2で撮影を開始した。同機の望遠は105ミリ相当なので、大きくは撮れない。しかし、パソコンで拡大するつもりで撮影した。Pa259702_2

 そのうちにフロントグラスに登ってきた。スーパーマクロモードに切り替えて撮影を続けた。途中から、デジタルテレコンで210ミリ相当に切り替えて撮影した(写真左)。いずれの写真も、フロントグラス越しの撮影だ。

 図鑑で調べたとろ、サシガメの一種であることまではわかった。サシガメは、半翔目異翔亜目サシガメ科に属する。カメムシの仲間だ。口の形が鋭い針のようになっていて、これを小昆虫の体に刺して体液を吸う。人も刺されると痛いらしい。アップで見ると怖い感じがする。口針は折り畳み式で、付け根に複眼の目がある。
Hppa259706...
 車が動き始めて、高速になると、しがみ付いていたフロントグラスから消えていった。この間、約50カット撮影した。

『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用はご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted.

| | コメント (0)

2016/09/24

西方寺のヒガンバナ 横浜No.92

雨の参道で撮影

Hpp9238317_2

Hpp923843_4
Hpp9238459Hpp9238402


 9月23日は、横浜市港北区新羽の西方寺へ出かけた。西方寺は花の寺である。ほぼ1年中、花の撮影ができる。今は、ヒガンバナの撮りごろだ。おりしも雨天だったが、水滴を生かして撮影できてよかった。なお、当地には白と黄色のヒガンバナもある。使用カメラは、オリンパス スタイラスXZ-2。

『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用はご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted.

| | コメント (0)

2016/09/20

失われた写真の神秘性…組み写真の時代

【神秘性とは】
 陶芸や染織などは、仕上げてからすぐ鑑賞することはできない。作業終了後、陶芸なら焼きあがるまでに、数時間から数日かかる。染織ならば織って染めて乾かしてみなければ出来ばえはわからない。このように作品を作りを終えても、出来ばえを完全に予測できない芸術分野がある。これを芸術の神秘性と言おう。実際に手を下した後は、「運を天に任せる」という部分だ。絵画や音楽などの芸術も似たようなところがある。
 写真ではどうだろうか? 写真にはいろいろな分野がある。芸術写真もひと昔前には神秘性があった。撮って現像してみなければ、真価はわからなかった。しかし、昨今のデジタル化によって、人間には読めないことはほとんどなくなった。撮影後、仕上がりをすぐ確認できるからだ。結果をすぐフィードバックして作品を修正できる。すなわち、失敗がなく、思いどおりに仕上げられる。作者の実力以上のものはできないが、実力は十分発揮できる。被写体や分野にもよるが、一般的に写真は神秘性を失ったといってよいだろう。それに加えて、スマートフォンやコンパクトカメラでの撮影はイージーで、はじめから神秘性を無視した撮り方だ。写真に対する考え方が即物的であり、刹那的である。被写体を使ってメッセージを伝えるだけの写真である。これはこれで一つの写真観であり、写真普及に貢献している。おそらく、フィルムカメラ(銀塩写真)にこだわる人は、写真のもつ神秘性にあこがれているのではないだろうか。

【単写真と組み写真】
 さて、写真界はあいかわらず単写真(1枚の作品)が主流だ。1枚の写真を見て、良し悪しを判断する傾向がある。フォトコンテストは、ほとんどが単写真で募集され、応募される。また、写真展も単写真で、テーマのない写真展がほとんどだ。特に、グループ展はその傾向が強い。神秘性が低くなった写真において、単写真はどれだけ価値があるだろうか。単写真は、被写体とその撮影条件(天候など)への依存度が高く作者の主張や解釈はほとんどない。もちろん、テーマもない。というよりも、単写真ではテーマを表現しにくい。または、できないだろう。(参照 『写真の読み方』名取洋之助著 岩波新書) あえて言えば、撮影テクニックの優劣ぐらいはわかるだろう。しかし、撮影テクニックは、モチーフやテーマに従うということを忘れてはなるまい。
 単写真で構成された写真展(グループ展など)の会場で、観客からしばしば撮影テクニックや被写体情報、または撮影地情報について聞かれる。作品の中身についての質問は少ない。これでいいのだろうか。これでは、写真は作品として認められていないのではないか。作品とは、作者の内面に関わることだ。作者独自の主張や提案、考察などがテーマになる。Hpimgまた、被写体に対する独自の観察や解釈などがテーマになる。すなわち、独自性とオリジナリティーがテーマになる。私の関わる写真展では、常に、テーマを追求してきた。写真展会場では、しばしば作品のタイトルが話題になる。タイトルはテーマへの入り口であり、好ましい話題だと考える。

【タイトルとテーマ】
 以前、本ブログで紹介したヌービック展(写真右 作品展と同時に制作した写真集)は、いつもテーマを前面に掲げ、それに従って総タイトルとカテゴリー(文章の章や節に相当するもの、)を立て、各作品にも総タイトルとカテゴリーに合わせてタイトルを吟味している(写真下2点 あいさつ文と作品一覧 ポップアップ可)。すなわち、グループ展だが、組み写真として展示している。ヌービック展では、入場者にアンケート調査を実施している(写真下左)。作品についての感想や意見を聞いて、今後の参考にしようというわけだ。それによると、タイトルについての感想や意見が多い。Hpimg_0002_3Hpimg_0001えば、「写真はもとより、タイトルが素晴らしいと思いました」「『俺は刺客ぞな』というタイトルが絶妙です」などの肯定派から、「一覧表のタイトルを見たときは、それぞれ皆良いと思いましたが、実際に作品を見て思ったほどではなかった」といったネガティブな感想もあった。どちらにしても、タイトルは作品の入り口であり、テーマへの入り口でもある。このような感想は、作品展にとって好ましことであろう。「この写真展はタイトル(テーマ)と写真がどのようにマッチングしているかを見るのが楽しみです。Hpp7180142_2タイトルに合わせて写真を撮るのは大変だろうと思います。皆さまの作品にはそのタイトルは光ってきたようです」。この感想には“タイトル≒テーマ”という前提が読み取れる。

【撮影のおもしろさ】
 一方、写真の撮影はたいへんおもしろい。テーマなどがなくても十分楽しめるということは認めざるを得ない。しかし、私は写真の味方として、写真はテーマが必要だと主張したい。すべての芸術は、テーマが問題になるからだ。もし、単写真を楽しむなら、できるだけ神秘性のある被写体や撮り方が必要だろう。フィルムを使うのも一つの手だ。
 また写真には、芸術性とは別の記録性や科学性を追求する分野がある。報道写真や自然科学写真などは、実証的であいまいさを排除した写真だ。神秘性はむしろ邪魔になるだろう。そういう意味から、デジタル写真は、報道、自然(動物や植物、環境など)、科学(天体、考古学など)などの分野に適する。  ところで、デジタル写真には問題もある。画像処理により画像の加工、変形、変換、強調などが容易にできる点だ。これは、シャッターを切った後で写真に手を加えるということで、作画上フェアーでないという意見がある。フィルムにこだわる根拠の一つになっている。しかし、画像処理は写真の神秘性とは相反することはあっても、直接関係はない。機会を改めて考えたいと思う。
 私が主張したいのは、芸術分野では 単写真⇒組み写真 という“流れ”である。そして、テーマが必要だということだ。もちろん、テーマを追求する組み写真でも撮影のおもしろさは変わらない。

『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用はご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted.

| | コメント (0)

2016/04/26

両生類の生活 八ヶ岳山麓No194

カエルの卵を観察…補訂版
  (水中写真を追加し、オタマジャクシの健在を確認)
Hp_p4080390
 4月4日、散歩道でカエルの卵を見つけた。この時期にはよく見かけるが、例年よりは少し早いのではないか。まだ卵の形は円形だった。翌日には、卵が長楕円形になり、さらに4日後にはオタマジャクシのような形に変わってきた。この先、四肢が生え、尾が消失してカエルになる。しかし、私の観察はつごうで中断し、4月20日に再度池へ行ってみた。オタマジャクシが泳いでいたので、ホッとした。なお、オタマジャクシとは、柄杓(ひしゃく)の形をしているので命名されたという。Hp_p4040052_2 (写真上右 産卵直後の状態。同左 親ガエルと思われる)

 カエルは、脊椎動物門両生網に属する。いわゆる両生類だ。両生類は、地上で生活するようになった最初の脊椎動物である。幼生のオタマジャクシは水中では鰓(えら)呼吸をし、カエルになると肺呼吸に変わり地上の生活に適応する。「個体発生は系統派生を繰り返す」というE.H.ヘッケルの反復説(参照: 『植物の過去を明かしたい 八ヶ岳山麓No.149』)を前提にすると、カエルの祖先はオタマジャクシ(のようなもの)だったことになる。Hp_p4042114すると、水中生活をしていたオタマジャクシ(カエル)は、長い年月をかけて四肢を発達させて、陸上生活に適応できるようになった。これがカエルである。オタマジャクシの観察から、両生類の生活と進化を考えてみた。 (写真右列5点 卵の生長、Hp45plp4050023上から4月4日水中カメラで、4月5日水面より、4月8日水中の卵のようす、4月9日水面より、同日の水中のようす。撮影倍率は一定ではないので大きさは比較できない)

 カエルの卵を撮影したが、水面が卵を包む寒天質で凹凸しているうえに、Hp48p4082352_2明るい空が反射して水中はよく見えない。寒天質は卵を乾燥から守り、卵が流れて散らばらないような働きをしているようだ。そこで、まずPLフィルターを使い水面の表面反射を除去して撮影した。さらに水中のようすを観察するため、オリンパスのコンパクト水中カメラ・μTOUGH-8000で撮影した。
 オタマジャクシがカエルの祖先とHpp4090522同じような生活をしていたとすると、この池の環境は、両生類が水中から陸上生活に移る環境と似た状態と考ええてよいのではないか? Hp49p4092454_edited1そこで、卵のある周囲の状況も撮影した(写真下左列2点)。浅い水底には枯れ葉が堆積している。カエルは肉食だがオタマジャクシは雑食だいう。枯れ葉やプランクトン、水性昆虫などを捕れる環境が必要だ。卵にとっては新鮮な水は欠かせないだろう。水を供給する水源が2か所ある。一つは池の周囲にある湧水、もう一つは別のところから流れ込んでいる細流だ。卵は、流路から外れたところにある。私がいままでに観察した卵は、すべて流路から外れた水溜りに産卵されていた。植物と同様に水中から陸上生活に移るには、岸辺の近くに産卵するのは当然だ。私が今回撮影した卵は池の岸辺に接していた。そこは野生動物が近づく余地があるので、安全とはいえない。近くには、テンやキツネ、アナグマ、タヌキが生息している。Hpp4042258ほかに、カラスや猛禽類も狙っているだろう。そのような厳しい環境を克服して、両生類は子孫を残してきたのだ。親ガエルは、近くで卵を守っているようだった。私が撮影のために近づくと、親ガエルがケロケロと鳴いて遠ざかっていった。 (写真左2点 卵のある池のようす。水中カメラで)

 陸上の生活に適応するためには、ほかにもいくつかの試練が待ち構えている。まず肺呼吸だ。水中では鰓呼吸だったが、陸上では肺呼吸をしなければならない。カエルは皮膚呼吸もする。Hp_p4042240餌を採取したり天敵から逃れるためには、移動の手段として四肢(前足と後ろ足)の発達が欠かせない。特に後ろ足は発達し、太い背骨と結合して陸上移動の主要器官となっている。同時に水かきがあるので、水中の生活にも対応している。陸上では尾はじゃまになるので、退化した。カエルはオタマジャクシの時代に、長い歳月をかけて陸上の生活に適応してきた。

 両生類は、古生代石炭紀(約2億年~3億年前)の化石にその存在を確認できるという。そのころ、爬虫類も登場し、将来の哺乳類へと進化する基礎になった。Hp420p4200354_2その当時の両生類は絶滅し、現存の両生類は、新生代(約6500万年前)から現れたという。現在、有尾類(サンショウウオ、イモリ)、無足類(アシナシイモリ)、無尾類(カエル)の3目、2800種が知られている(写真右 4月20日に撮影したオタマジャクシ。いろいろな天敵がいるので、まだ油断できない)

『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用はご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted. 

| | コメント (0)

2016/04/18

第14回 ヌービック・フォト・フレンズ 5写真展

 熊本地震で被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。また、お亡くなりになった方々に、哀悼の意を表します。


写真展 『出会ったシーン』

●会場:かなっくホール ギャラリーA (DM参照)
●日時:2016年4月19日(火)~25日(月) 10:00~18:00 初日13:00~ 最終日~15:00

Hp16dm_0002_edited1_2グループ展のあり方に一石
 ヌービック・フォト・フレンズ 5展は、円熟味を増してきた。
 写真は、何を撮っても出会いであろう。だからといって漫然と撮っていたら、写真展にはならない。そこで、キャリアーや見識が問題になる。14年間続けて写真と向き合い、同僚と付き合い、テーマについて取り組んでいると、写真観だけでなく、人生観までも変わってくるのではないか。あいさつ文にあるように、「何気ない光景でも、ちょっと注意してみると、実に新鮮な出会いであることに気づく」。“ちょっと注意する”ところに、写真観や人生観、撮影の技量が表れるのだ。すると、出会ったシーンを大切にしておきたいという気持ちが湧いてくる。三つのカテゴリー「遭遇の表情」 「対決の構図」 「癒しンの郷愁」に、メンバーの気持ちが込められた写真展である。ご高覧いただけたら幸いだ。Hp16dm_0001

 私が初めてヌービックのメンバーに出会ったのは2回目か3回目の写真展のときだったと思う。そのときの写真展が今のヌービック展になろうとは思いもよらなかった。グループ展のあり方に一石を投じたと思う。まとめ役の辻氏の牽引力とメンバーの真摯な取り組みに敬意を表したい。Hpa02p41900771また、私を立ててくださったメンバーのご好意に感謝している。 (写真右と下  会場風景Hpb03p41900921_3




 いつものように、会期に合わせて写真集を作った。今年は、文庫判からA5判に代わったので、見ごたえがある(写真下 表紙と3見開き) 。ヌービック・フォト・フレンズ 5のますますの発展を祈ります。

Hpimg_0001

「遭遇の表情」Hpimg_0002_2


「対決の構図」Hpimg_0003_3
「癒しの郷愁」Hpimg_0009_2

| | コメント (0)

2016/02/03

テーブル・トップ・フォト〔Ⅲ〕 ドイツNo.142

「とむワールド」に学ぶ

〔思いどおりの撮影ができる〕

 日本カメラ社の「写真用語事典」には、「テーブル・トップ・フォト」について次のように解説されている。 ≪日本語では「卓上写真」という。卓上でミニチュアセットを作ったり、童話的な場面を作ったりして、Hpp2040550_edited1ライティングに工夫をこらして撮影する写真のことで、抽象的な写真からトリック写真、商業写真などに利用される。被写体やライティングを手軽に移動できるため、実景を写すよりも表現意図やイメージの再現が容易である≫(要旨) なお、今まで本ブログではテーブルフォトと省略した呼び方をしてきたが、正確にはテーブル・トップ・フォトである。撮影には被写体と背景、ライティングが不可欠だが、テーブル・トップ・フォトの最低限の条件は、主役である主要被写体を自身が準備することである。すなわち、主役の位置や向きを自由に調節できる撮影のことだ。 (写真上 とむワールド・カレンダー2016年 中村都夢 作品集
 テーブル・トップ・フォトの創始者は知らないが、もっとも活用しているのは商業写真家といってよいだろう。いわゆる小物撮影という分野だ。被写体が小さいので、テーブル上にセットを組んで撮影でき、大きなスタジオを使わなくても済む。時計や宝石、カメラ、携帯電話、人形、書籍などは、テーブル・トップ・フォトで十分な撮影が可能だ。商業写真(コマーシャル)では、商品(被写体)の持っている性能や質感を正確に再現することが求められるので、ライティングがキーになる。テーブル上の小さなセットでは、その調節が容易にできる。
 もうひとつ、テーブル・トップ・フォトを活用したファンタジーフォトという分野がある。人形などを撮影したメルヘン写真や模型を撮影したジオラマ写真だ。ここで紹介する作品は、「とむワールド」が制作したカレンダーの一部である。Hpimg_0002「とむワールド」の主宰者・中村都夢氏(1923~1996)は、スタッフと共に作った表情豊かな人形を自然風景の中に配し、メルヘン調のストーリーを展開する手法を開発した。人形に小人(こびと)を使った「小人たちの歌がきこえる」(1~6巻 偕成社)は、イタリア・ボローニアで開催される国際児童図書展で、1982年度のエルバ賞グランプリを受賞した。
 とむワールドの作品は、屋内のスタジオ撮影されたものと、屋外の自然環境の中での撮影と両方ある。どちらも、撮影の規模はいわゆるテーブル・トップ・フォトより少し規模は大きいが、被写体や小道具、背景などを思いどおりに組み立て、自由に調節できるという点では、テーブル・トップ・フォトの参考になる。写真撮影の目的をフィクションとノンフィクションに大別すれば、商業写真はノンフィクション、ファンタジーフォトはフィクションになるだろう。 (写真上 水辺の情景。とむワールド・カレンダー2015年7月)

〔カメラワークと演出がフィクションを実現〕
 ここではメルヘンや童話などのフィクションについての撮り方を解説しよう。とむワールドの昨年のカレンダーから学ぼう。
まずカメラポジションとアングルが大切Hp
 アイレベルやローアングル、ローポジションが被写体に優しいカメラポジションである。そして、観賞者をフィクションの世界へ引き込むことができる。ハイアングル(ハイポジション)は、被写体に対して威圧的なカメラポジションであり、観賞者は被写体と仲よくなりにくい。 (写真左 ローポジション・アイレベル撮影。とむワールド・カレンダー2015年2月)
② 自然なライティングは当然
 屋外で撮影すれば、ほぼ自然なライティングになる。屋内のテーブルトップ撮影では、Hp4img_0010_edited11灯ライティングが基本だが、屋外の空からの光に匹敵する光がないので、日陰にあたるシャドー部にレフ板を当てるとよい。 (写真右 スタジオでの撮影。トップライトのシャドー部をレフ板でフォロー。とむワールド・カレンダー2015年4月
③ 迫真に迫る演技
 舞台装置とカメラポジション(アングル)が決まったら、登場する被写体は演技が欠かせない。Hpimg_0006自然で豊かな表情が大切。人形や昆虫などはできるだけ自然な表情や仕草が必要だ。とむワールドの作品は大いに参考になるだろう。 (写真左 小人たちの遊びは迫真に迫る。とむワール・ドカレンダー2015年10月)
④ 季節感や自然現象を生かす
 観賞者は被写体と共通の体験をすることで、フィクションに入っていけものだ。とむワールドの作品はカレンダーなので、季節感はもっとも重要なモチーフになる。Hpimg_0008それぞれの作品では、季節を楽しむ小人たちに共感できるのではないか。また、雨や風、雪などの天候はだれもが体感できる身近な自然現象だ。それを積極的に撮り込むことで、作品はなじみやすいものになるだろう。 (写真右 雪は冬の象徴。とむワールド・カレンダー2015年1月) 参照:ホームページ『とむワールドへようこそ』

〔ドイツの森の原点を撮ってみたい〕
 私は、好きなドイツの森をイメージしてみようと考えた。カエサルの『ガリア戦記』には、今から2000年以上前のローマ時代のゲルマニア(ほぼ現ドイツ)の森のようすが書かれている。Hp_p2180100_4「ヘルキュニアの森は、南北の距離が、軽装の旅行者で10日もかかるほど長い」(『ガリア戦記』《國原吉之助訳 講談社学術文庫》)と書かれている。ヘルキュニアとは、現ドイツの中南部になるという。すなわち、2000年前のドイツはほぼ全土が深い森におおわれていたということだ。カエサルによると、ゲルマニアの森にはほかの土地では見られないさまざまな動物が生息しているという。前頭部の真ん中に1本の角が生えた牛に似た動物で、角の長さは見慣れている牛の角よりも長く真っ直ぐであると書かれている。Hpp9160306いわゆるユニコーンであろうか。ほかに、象よりやや小さい野牛がいる。力が強く速く走り、狂暴であるという。そんな魑魅魍魎とした森をイメージしたかった。そこで、八ヶ岳山麓の森の中へ、ドイツのオーバーアマガウで買ってきた奇獣を持ち込みいろいろとイメージを膨らませてみた。(写真上左 こもれ日を利用した。同右 秋にキノコのそばに置いて撮影。同下 ホワイトバランスを調節して月光下の森をイメージした)
 気に入った人形やアクセサリー、模型などを、自然の中や自身で作ったミニチュアセットの中に置いて、撮影してみようではないか。デジタルカメラの撮影では、結果がすぐわかるので、フィードバックが簡単だ。

Hpp2185299_3撮影結果を見て、被写体、ライティング、カメラアングルなどをその場で調節すれば思いどおりの写真が撮れる。屋外が苦手な方には、室内の撮影を勧めたい。

『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用はご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted. 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧