2009/04/01

ゲンゲンバッハ ドイツNo.81

市民の自信と誇り

Hpp2248823_3

                       

 15年前、シュバルツバルトをレンタカーで走ったとき、ゲンゲンバッハ(Gengenbach 写真右)というちょっと変わった名まえの町を通過した。当時は、一つの通過点というだけで気にしなかった。実際、ドイツ全図で見ると、もっとも小さい文字で表記された(私の分類では第4ランク)町である。Photo_2ドイツ南西部のシュバルツバルト(黒い森)の中にあり、フランスとの国境を流れるライン川からは25キロぐらいの東にある。今冬、撮影地としてゲンゲンバッハを選んだのは、カーニバルで大都市にはない独特の趣向があるとWebで知ったからだ。また、以前に車で通過したという思い出も手伝っている。

 ゲンゲンバッハも御多分にもれず歴史と伝統を誇る町である。紀元100年ごろには人々が住み着き、725年にはベネディクト派の修道院が創設されたとパンフレットに書かれている。その修道院が825年には西ローマ帝国の帝国修道院になり、1360年には神聖ローマ帝国の帝国自由都市の称号を得た(~1803年)。Hpengelgassep2238572_3Hpobertorp2253148_2自由都市とは、地域の領主からの支配を脱して、皇帝直属になったことを意味する。ケルンやハンブルグなども帝国自由都市であった。現在は、近隣のライヒェンバッハ、シュバイバッハ、ベルマースバッハと合併して大きな町になっている。もちろん、旧市街はそのままだ。(写真上左 Engelgasse 写真上右 Obertortrum 

Hpp2222933_2 私はどこの町に滞在しても、教会のミサを見学することにしている。322日(日)に聖マーリエン教会へ出かけた。10時、子どもたちの聖歌隊の入場からミサは始まった。牧師が快活な人で、身振り手振りを交えたにぎやかなミサであった。カーニバル期間の特別なミサなのだろうか。オルガン演奏もすばらしい(写真左)。聖歌隊の退場まで約1時間、一大交響曲のようなミサだった。

 旧市街は、1784年に建てられた新市庁舎(Rathous 写真下左)を中心に、東西に長い楕円形に展開している(上のマップ参照)。市庁舎のバルコニーはマルクト広場に面していて、市民との交流の舞台だ(写真下右)。Hpp2218078_4Hpp2238628_3昔の城壁(市壁)の上に造られたエンゲルガッセ(Engelgasse)は中世の面影を濃く残し、上門塔(Obertortrum)には日時計がある。カーニバルでは、市民は仮面をかぶったり顔に絵の具を塗って変身し、町全体が狂ったように大騒ぎする。Hp2p2217857_5Hpp2228327_3市長など町の幹部も着飾って市民と一体になってカーニバルを盛り上げる。 どこへ行っても怪しい仮面の人々とすれ違うのは異様な世界だ。市民のユーモアと結束を感じざるをえない。(写真上左 仮面をかぶった市民、写真上右 カーニバルのパレード)

Hpp2233018_3 日本にも同じような町と行事はあるかもしれない。しかし、地方分権が浸透しているドイツならではの町のありようは紹介するに値すると思った。ドイツでは、これはゲンゲンバッハに限ったことではない。(写真右 カーニバルの衣装でくつろぐ)

                       

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2009/02/24

町の美しさを探る ドイツNo.78

ドイツ人の美意識Hpp2081225

 ホテルで朝、目が覚めると、しばしばゴミ収集車の音が耳に入ってくる。クレーンでゴミ箱を上げ下げする音だ。キャスターの付いた大きなゴミ箱をクレーン(リフター)で持ち上げひっくり返してゴミを収集車へ詰める。この作業の音は馬鹿にできない大きな音だ。7時台から10時台まで収集車が活躍している(写真下はミュンヘン中央駅前)Hppc183286ドイツの朝の“風物詩”かもしれない。これが公共のゴミ収集システムだ。一方、家庭のゴミもキャスターの付いたゴミ箱に入れて通路に出しておく(写真左下はシュツットガルト市内)収集車が、これを集めて運んでいく。フランスのエギスハイムでも同じだったので、これがヨーロピアン・スタイルなのかもしれない。常にゴミを箱に入れて見せないよう配慮しているのは、ドイツのほうが上だろう。Hpp6046648しかし、東京の六本木でも、同じようなゴミの出し方を見たことがある。日本には「護美箱」という言葉がある。この精神を生かしたいものだ。(写真右上はマインツの公園)

 ドイツの町がきれいなことは、何度も書いてきたが、その要因は二つに分けて考えられる。まず、汚さないことだ。ドイツの町にまったくゴミがないわけではないし、ときどき落書きも見る。しかし、その量は日本とはまったく違う。町をきれいにしようというモラールは、明らかにドイツのほうが上だ。一方、汚れていると掃除するのは、日本も同じだと思う。日本のゴミの収集は遜色ないと思う。Hpp2081216_2

 もう一つは、町を美しく見せようとしていることだ。窓辺に花を飾り、花壇にたくさんの花を植える。建物の外壁の塗装は、常に周囲との調和を考えている(写真右と下はオーバーアガマウ旧市街)Hp2p2081220電線は地中に埋め、工事現場のホロにまで絵を描いて舞台裏を隠す。このマインドが、私をドイツに引きつける。

 町がきれいで美しい大きな要因はドイツ人の美意識が高いからだろうか。美意識とは、美しさを感じる心の働きであり、芸術や自然の美しさを味わうときに働く意識のことだ。Hpp2081230一般的な美意識については、日本人もドイツ人も変わらないと思うのだが、町の美しさは明らかに違う。ドイツ人は、町は美しくあるべきだという気持ちが強いのだろう。これは、美意識が高いと言わざるをえない。写真左上はバンベルクの旧市街。壁面の塗装は調和が保たれている)

Hpp2081227Hpp6130054 ドイツでは、人々は中世以来、町は自分たちで築いてきたという意識が強く、市民一人ひとりが、住んでいる町は自分の町だと思っている。町の生い立ちや構造を見ればわかる。日本では、町は市町村や都道府県が造ったものという意識が強いのではないか。日本でも地方に行くと町はきれいである。そこで生まれ育った人々が住んでいるからだ。都会は、地方から移り住んだ人々がたくさんいる。自分の町と思えないのは当然かもしれない。日本の大都市の汚れが目だつのは、中央集権の“副産物”と言えなくもない。(写真上左はランズフート市内、上右はマインツ旧市街)

                               

 町を大切にしている証しがある。どんな街路にも名まえがついているのは日本も同じだが、名まえが違うのである。例えば、ミュンヘンにはBeethoven str.(ベートーベン通り)とか、Schiller str.(シラー通り)というのがある。Hpp6040869どちらもドイツだけでなく世界的な偉人の名まえだ。有名な都市の名まえもある。例えば、ヘレンベルグにはStuttgarter str.(シュツットガルト通り)がある。地図を見ると、私たちには縁のない名まえもたくさんあるが、通りの名まえには住民の心が込められていると言っていいだろう。その通りを汚すわけにはいかないのではないか。長い時間をかけて築き上げたマインドが人々の脳と体に刻み込まれているにちがいない。(写真上左はシュツットガルト市内のゴミ箱)

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2008/10/13

長崎と横浜の秋祭り 横浜No.25

Hppa080294_3長崎くんち双十節

 長崎は、1859年、函館、横浜と同時に開港された。しかし、江戸時代初期から出島を通して海外と交流があったので、横浜とは比べものにならない歴史がある。横浜をより深く知るためには長崎の事情も知らねばならないと考え、初めて長崎を取材した。西洋館など古い町並みの保存のし方、市民の郷土意識、日常の生活、祭りの位置づけなど、横浜と比較してみたかった。似たところはあるものの、違いのほうが印象に残った。Hppa080301横浜と違って地方の中都市であるうえに、原爆の被災地でもあるので当然であろう。路面電車が市民の足になっているのは好感が持てた。

 ちょうど「長崎くんち」の時期だったので、祭りも撮ってみたいと思った。しかし、ホテルのTVで諏訪神社の中継を見て、とても思いどおりの撮影はできないと判断し、直接のアプローチはあきらめた。というより、地元テレビ局の中継を見ていて十分堪能できた。新地中華街で夕食をとっているとき、にぎやかな人声が聞こえ、狭い路地に賑町の「大漁万宿恵比寿船」が引かれてきた(写真上2点)。朝、TVでみた新大工町の曳檀尻(ひきだんじり)ほどの規模ではないが、中華街の路地をやっと通過できるほどの大きさである。苦労してアーケードをくぐるようすが、かえって絵になった。Hppa080278写真下は、商家や民家の玄関先で踊りを披露し「お花」をいただく「庭先回り」。新地町にて。

 長崎くんちは、370年の歴史があるという。江戸時代初期、出島が造成されたころから始まったことになる。祭りの形態は変遷しているであろうが、当時の文化や人情が潜んでいるのではないか。日本の祭りにはつきものの山車に匹敵する曳檀尻があれば、中国の龍舞と同じ龍踊もあるので、和中折衷の祭りと言える。長崎の旧市街がくんち一色に染まるのは、市民のコミュニティーが確立しているからだろう。くんちとの思わぬ出会いに旅情が高まった。

Hppa105355_3 横浜では10日、双十節が行われた。私は、10月1日の国慶節か、10月10日の双十節のどちらかを見ない気持ちが収まらない。爆竹の音と匂い、小気味良い太鼓と銅鑼のリズム、獅子や竜の機敏な動きなどで、私の五感は全開になる。中華街の祭りは、私の五感の保守点検になるのだ。Hppa105378Hppa105419写真仲間といっしょに双十節のパレードを撮影した。パレードは、獅子舞や龍舞のほか、民俗芸能、住民家族のデモンストレーションや近隣学校や団体の友情出演など、さまざまだ。今回は中国の芸能や衣装にレンズを向けた。Hppa105443

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2008/06/26

町並みとワインが自慢 ドイツNo.65

フランス・アルザスの田舎町Hpp6123741_2

 フランスのコルマールを訪れるのは2回目である。アルザス地方はドイツ領だったときがしばしばあるうえに、シュツットガルトから気軽に往復できるので、ドイツ旅行のオプションにしている。コルマール駅からタクシーで10分ぐらいのところにエギスハイム(Eguisheim)という小さな町(村)がある。アルザス・ワイン街道の一小村だ。

Hpp6092535 日本にあるわずかな情報と、インターネットから得た写真を頼りに、エギスハイムを訪れてみた。ホテルでもらったパンフレットを開いて驚いた。上空から俯瞰した写真には、ぎっしりと詰まった町並みが写っていた。その密度は想像を絶する。ドイツのノルドリンゲンも、城壁に囲まれた町並みが人々の結束を感じさせるものだった。エギスハイムは、規模は小さいが、それ以上に密度が高い。ブドウ畑に囲まれた直径約300メートルの円の中には家や教会などが密集し、道路は迷路のようになっている(写真左)。人々が生活と財産を守ろうとして造った集落であることが一目瞭然だ。どのようなコミュニティーが成り立っていたのか興味深い。町の中には8世紀創建の建物をはじめ、古い建築がたくさんある。いたるところに花が植えられていた。エギスハイムで取材した結果の一部をフォト・レポートする。

エギスハイムの中心にある聖レオ(Saint Leon)の泉(写真上右)。そばには聖レオ教会とエギスハイム城(Eguisheim castle)がある

エギスハイムの航空写真(パンフレットのコピー 写真上左)。教会と広場を中心にして環状に建物が並んでいる

Hpp6102965_2環状の狭い路地に住民の家が集中している。そこに、ブドウ栽培用のトラクターが入ってくる

Hpp6113039_3Hpp6102851_2ワインの醸造所に付属した直売店やレストランがたくさんある

Hpp6097682歴史的な町並みは国の指定を受けているようだ。城壁の出入り口にその表示があった

Hpp6102552村はブドウ畑に囲まれている

Hpp6102619_3ECOLEと書かれていたので小学校だとわかった。しゃれた校舎だ

Hpp6097656英語が通じないので苦労した。赤ワインのオーダーは、ウエイターのかぶっている帽子の色を指さし、スパークリングワインは、泡が出るようすをパントマイムで表現した。それを見て、周囲のお客が感心していた。champagneという言葉が思いつかなかった

Hpp6113064聖ペーター&聖ポール・パリッシュ教会の塔では、コウノトリが子育てしていた

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2008/06/17

横浜・赤レンガ倉庫で「Peace in New York」展 横浜No.23

庄司博彦プロデュース写真展「地球が教室」Hpdm_2

 庄司氏は、カメラを世界平和に役立てようと活動している写真家だ。世界各地へ『写ルンです』を持っていって、子どもたちにそれぞれの『平和』を撮影してもらい、それを写真展として公開してきた。同時に写真教室も開催した。今回もその一環として「ニューヨークの子ども達が撮った平和」と題する写真展を企画した。横浜展は開港150年記念(来年)のプレイヴェントとして開催される。詳細は写真をクリックしてください

会場:横浜・赤レンガ倉庫1号館(入場無料)/会期:6月14日(土)~22日(日)10:00~18:00 14:00・15:00・16:00にギャラリートークがある ホームページワールドチルドレンフォトプロジェクト参照

Hpp6218201_2Hpp6218207_2 1859年7月1日(安政6年6月2日)、横浜は開港した。同時に開港した長崎、函館と、少し遅れて開港した神戸、新潟の5都市が連携して「Port Town Festival 開港5都市 出航前夜祭」を開催中だ。開港に先立って締結された修好通商条約の相手国、アメリカ、オランダ、ロシア、英国、フランスの5か国と、日本の開港5都市がブースを作って、Port Town Festivalを盛り上げている。

Hpp6218193_3 庄司氏プロデュースの写真展「ニューヨークの子ども達が撮った平和」は、アメリカのブースで開催されている。30点の作品は、昨年の9月11日(同時多発テロの日)、テロ現場から400メートル離れたスタイベサント・ハイスクールの生徒たちによって撮影された。庄司氏のギャラリートーク(写真左)によると、1点1点の写真に撮影者の国籍や生活、写真のレベルなどが読みとれるという。ニューヨーク市民にとって平和とは何か、また9月11日がいかに特別な日であるかもわかるという。

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2008/06/08

ラートハウスは町の顔 ドイツNo.63

Hprhp6140006市民が支える“三種の施設”の一つ

 ドイツの町には、必ず教会(Kirche)がある。旧市街をもつ町なら、そのすぐそばに市場が立つ広場(Marktplatz マルクト・プラッツ)があり、そのわきには市庁舎(Rathaus ラートハウス)が建っている。三つそろって機能するので、三種の神器ならぬ“三種の施設”である。言うまでもなく、教会は信仰の象徴であり、マルクト・プラッツは生活の中心、ラートハウスは行政(自治)の場だ。このエリアは中世以来、町の顔であり、コミュニティーと団結の象徴だった。いろいろなラートハウスをフォト・レポートしよう。

ランズフート(写真上) この町の家々はファサードを競っている。市庁舎のファサードも、ひときわ立派だった

Hprhp5300519ハンブルグ ドイツ第2の都市だけに、立派なラートハウスだ。マルクト・プラッツには、市(マルクト)が立っていた

Hprhpc145943_2ランズベルグ 広場を囲むほかの家と同じ規模で建っていた。ラートハウスは市民に支えられていることがわかる

Hprhp5300522_2チュービンゲン ラートハウスは美術品のように見事だ。チュービンゲンには、ヘーゲルやヘッセ、ケプラー、ヘルダーリンなどが住んでいたことがあるので、彼らも訪れたのではないか

Hprhp5278921_2Hprhp5299669_3ノルドリンゲン 教会の塔から俯瞰撮影した。写真の庁舎左奥に「ラートハウス・カフェ」を出店している。私たちは、そこで3回ほど昼食をとった。ラートハウスの館内を見学したら、博物館のような雰囲気だった

ミュンヘン 12月に訪れると、中庭にクリスマス・マルクトが開かれていたHprhpc167948

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2008/05/05

余暇に好きな“仕事”をする ドイツNo.62

ドイツと日本の年間労働時間

Hpp6160115                              

 ドイツの人々や町の雰囲気がゆったりしていることについては、たびたび書いてきた。昼食時や夕刻の過ごし方を見ていると、日本との違いはあきらかだ。ここでもそれについて触れよう。現在、ゴールデンウイークも終わろうとしている。私もサラリーマン時代には、この時期を待ち望んだものだ。現在でも、周囲の人々が休日を過ごす姿を見ているとうれしくなる。まだサラリーマン思考が抜けきれていないからだろうか。労働時間が長いほど休日は楽しみになる。(写真上は、ミュンヘン・カールス広場の夕刻の風景。2007年6月16日(土) 17時25分撮影)

 

Hpp6157638_2 今から18年ぐらい前、私が出版社に勤務していたころ、ドイツと日本の年間労働時間を比較したレポートがあった。どんなメディアだったか記憶はないが、ドイツが約1600時間なのに対し日本は約2000時間と報道されていた。当時、自身の労働時間を計算したら約2400時間だった。この事実を知って、何か“おかしい”と感じた。仕事があり忙しいことはうれしいことだ。嫌いな仕事ではなかったので、恵まれていると思っていた。しかし、一方で自身のライフワークも進めていたので、それにも時間を費やしたかった。(写真上左は、ミュンヘン・ビクトエーリエン・マルクトのカフェ。2007年6月15日(金) 12時58分撮影)

 

Hpp6160307 ドイツのヘルムート・コール首相(当時)は、1993年と1996年の2回来日しているが、どちらかの機会で、日本の労働時間について触れた。その要旨は「労働時間以外の余暇で国や社会に貢献できるはずだ」という発言だった。日本は余暇が少ないだけでなく、余暇の使い方に工夫があってもよいのではないかという趣旨だ。すなわち、会社(拘束された労働時間)だけが“仕事”の場ではないという指摘だ。(写真上右は、ミュンヘン・レジデンツ宮殿前にできた移動遊園地に集まる家族連れ。2007年6月16日(土) 15時38分撮影)

 仕事で7年間ドイツに滞在した友人が次のように話していた。「ドイツの会社では、残業はほとんどない。残業しなければならない労働環境だったら、ドイツ人はすぐ会社を辞めてしまう」というのだ。その結果が、ドイツの労働時間に反映している。Hpisp4295434_2Hpp4295474_3在、 日本の年間労働時間は1784時間、ドイツが 1436時間、ちなみにアメリカが1797時間、韓国が2357時間である(社会実情データ図録 OECD Factbook2008より)。現在でも、日本はドイツより300時間以上年間労働時間が多い。その分だけ余暇は少ない。日本とドイツは国情が違うので、すぐドイツのまねができるわけではないが、労働者と企業、財界、政界が心がければ労働時間を少しは改善できるのではないか。もちろん、労働時間が少なくなった分だけ、余暇に専門知識を生かしたり、Hpp4295423_2好きな“仕事”に従事することで、それをカバーするのである。好きなことや得意なことで国や社会に貢献できれば、それに越したことはない。また、家族やコミュニティーへのふれあいが増え、社会の人間関係もより円滑になるのではないだろうか。

 429日、横浜山手にあるサンモール・インターナショナル・スクールのフードフェアーに行ってきた。休日を老若男女、家族ぐるみで楽しんでいるようすを見て、ドイツとは違った余暇の過ごし方があると感じた(写真上3点)。

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2008/02/23

ボトルキャップが取り持つコミュニティー      横浜No.21

Hpp2180055 加工しやすい大理石?で再利用

 いまや、省エネ、省資源を心がけるのはあたりまえの時代だ。同時に炭酸ガスの排出を少しでも抑える気持ちが大切だ。もちろん省エネ、省資源は炭酸ガスの抑制にも役立つ。レストランで割り箸を使わないところが出てきた。スーパーではレジ袋を有料化したしたところがある。Hpp2180005_2 本を買ったとき、包装袋はもちろん、カバーも辞退するのが常識だ。私は、暖房費を少しでも節約しようと、室内で釣り用の防寒ズボンをはいている。冬の八ヶ岳山麓では、生活に大量の灯油を使うので、このところ控えている。

Hp_4 最近、ペットボトルのキャップを捨てずに集めているところがある。回収して資源にすると同時に、開発途上国の子どもたちにワクチンを届ける運動に協力できる。キャップ400個(1Kg)が10円になり、それを「NPO法人・世界の子どもにワクチンを日本委員会(JCV)に寄付する。1人分のポリオ・ワクチンは約20円なのでキャップ800個で1人分を寄付できることになる(グループMATEの資料)。もっと効率のよい寄付のし方がありそうなものだが、この精神が大切なのだろう。

Hp_5  さて、回収されたキャップはどのように資源化され、ワクチンに替わるのだろうか。行きつけの床屋・斎藤哲也さんに実情をうかがった。斎藤さんは、斎藤理容館を経営するかたわら地元の交通安全協会の総務を担当している。また、「菊名の未来を考える会」のメンバーでもある。「菊名の未来を考える会」は活動の一環として、昨年エコキャップ運動を展開した。キャップ回収箱を菊名神社境内(写真上)をはじめ町内4か所に設置し、平成19111日から1225日までに52,720(総重量131.8kg)回収した。66人分のワクチンを贈ったことになる。これをゴミとして焼却したときに発生するCO₂を415,170g削減した(「菊名の未来を考える会」のレポートより。写真参照)。

Hp_6 エコキャップ運動を進めているグループMATEのパンフレットによると、回収されたキャップはまとめてリサイクルベニヤ板メーカー「(株)東京木工所」などへ売却し、その代金を「NPO法人・世界の子どもにワクチンを日本委員会(JCV)に寄贈する。こうして、私たちが分別したキャップがワクチンへ変わるというわけだ(上左図参照)。

()東京木工所は、キャップなどの廃プラスチックと廃木材を合わせて処理・加工し、「エコプライ」という製品を作る。これは、当初、コンクリート用型枠材として開発されたものだという。エコプライの科学的な特性はよくわからない。私が見て触った感触では、表面は大理石のような模様とつやがある(写真右)。Hpp2180116 一定の硬度と耐水性はありそうだ。石ではないので加工しやすい。この素材を生かした先駆者のひとりが前述の斎藤哲也さんだ。斎藤さんが作ったオリジナル製品が近くの菊名神社にいくつかある。キャップを集める回収箱や、賽銭箱などだ(写真参照)。私に関係がある「ecoスタンド(フォト・スタンド)(写真下参照)は販売されていた。売り上げの一部はグループMATEに寄付される。神社は町のシンボルだ。町をあげてエコロジカルな活動に参加しているといっていいだろう。ほかにも、斎藤さんはエコプライを使った箱や道具の製作を依頼されている。私が取材にうかがったときは、ソニー・マーケティング依頼の「飲み残し回収&キャップ回収ボックス」を製作中だった。本業のほうが心配だが…。斉藤さんが作った製品をいくつか紹介する。

ecoスタンドHpp2183778_2

     床屋のお客用メガネ台Hpp2180068

        

          

         

          

 菊名神社境内のキャップ回収箱Hpp2180043

菊名神社名物『がまんさま』の賽銭箱Hpp2180018_3

     

絵馬を描く机(屋外に置かれている)Hpp2180025_2

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2008/01/28

豊かな水辺 ドイツNo.58

味気ない日本の河川Hpp6137397_6

               四大文明は大河の流域に起こり、発達した。それ以前に、地球上の生命は水の中で誕生し、上陸することで進化を早めた。縄文遺跡のそばには、必ず近くに湧き水や川がある。人間と水は「魚と水」に順ずる関係と言える。水辺には多様な生物が生活している。人間は、水だけでなく食べ物を求めて水辺に住み着いたのだろう。森の中を歩いていて、湧き水や渓流に出会うとほっとする。水音が潤いを与えてくれるのだ。我々の遺伝子には水に対する親近感が組み込まれているにちがいない。

Hpp6140096 これは、町の中でも同じだろう。ドイツの町は水辺が豊かだ。いろいろな町の河畔や湖畔を見てきたが、それぞれが町の顔として人々が集う場になっている。住民にくつろぎの場を提供し、市民の心に潤いを与えている。日本と比較すると、明らかに水辺を大切にしているように感じる。ドイツの町には、小ベニスというエリアがある。バンベルクのレグニッツ河畔には小ベニス地区があり、川沿いに古い家並みがあった。行ったことはないが、ハノーバーの東北東約50キロにあるオルフェンビュッテルにも小ベニスがあるという。近くを流れるオカー川の岸辺にあるのだろうか。フランス・アルザス地方の町、コルマールにもプチット・ヴニーズ(小ベニス)がある。運河を囲んでレストランやホテルが並び、観光船が往来していた。ドイツ人をはじめとする中欧の人々は、イタリアのベニスがあこがれのようだ。

Hpp6137431 日本で私が知っている範囲では、東京の隅田川沿いの岸が比較的整備されているが、そのほかは味気ない景観だ。しばしば河川敷はスポーツ施設に利用されているが、水量が増えると水没してしまう。日本の河川は、常に洪水の危機に直面しているので、やむをえないかもしれない。国や自治体は、洪水を防ぎ、国民の生命と財産を守ることに追われている。水辺の整備には手が回らないのかもしれない。それにしては水害が多い。私にとって身近な横浜駅近くの帷子川や自宅近辺の鶴見川は、護岸があるだけで味気ない。行政は、まず水害を防ぎ、次に水辺に潤いを作ってほしいものだ。

ランズフート はイザール河畔の町だ。河畔にはレストランやカフェがあり、人々の憩いの場になっていた。両岸には遊歩道とサイクリングロードがある。(写真上3点)

Hppb229269_3バンベルク のレグニッツ河畔には小ベニス地区というのがある。昔、漁師がすんでいたというエリアだ。

         

Hppb229275_2オーバーアガマウ の町外れを流れるアマー川は、自然な景観がすばらしい。水際の護岸は石垣で、コンクリートの冷たさがない。両岸に遊歩道が造られていた。横浜の鶴見川がこのように整備されていたらと思う。

Hppb229270ドイツ人はライン河 を「父なるライン」と呼ぶそうだ(高橋義人著「ドイツ人のこころ」岩波新書)。当然、両岸の景色はドイツの顔にふさわしい。左岸にレストランとキャンプ場が整備されていた。

                         比較のために日本の鶴見川 を紹介する。太尾町付近の右岸から見た下流(写真下左)と新羽橋から見た上流(同右)。撮影は昨年の4月。Hpp4065668_2Hpp4065659_2

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2007/08/22

山好きの男がネパールの人々に魅せられる

後藤弘之 写真展 『神々の国』--神のいる暮らし--Hpdm_2

 インターネットはすばらしいメディアである。山友だちである後藤氏のホームページを見て、ヒマラヤの写真がすばらしかったので、個展の開催を勧めた。その気になった本人の興味はヒマラヤより人々だった。山岳写真を期待していたが、ネパールの伝統と人々を被写体にした写真展になった。もちろんヒマラヤの写真も含まれるが、それは人々の精神的支柱としての要素である。この写真展が実現したのはインターネットのおかげである。

 写真展会場はネパールの雰囲気があふれ、音楽でいえばコンサートホールのようだ。後藤氏は管楽器を吹く音楽家でもあるので、当然かもしれない。作品を羅列しただけで編集されていない写真展は、もう時代遅れだ。観客に失礼である。『神々の国』は、作品全体が組写真として構成され、後藤氏のテーマがギャラリーにみなぎっている。写真がほかの表現メディアに対抗するためには、このような条件が必要だ。ギャラリーは表現の場であるはずだ。写真展の作品構成に音楽の流れは役立つのである。おそらく、ヒマラヤの写真展よりずっと充実しているであろう。なお、本写真展にはネパール大使館が協賛している。

憤怒の神 カーラ・バイラブHp0001zhcs_2

神々の住むところ サガルマータHp0105zsagarmatas_2

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

会場代官山フォトギャラリー ☎03-3711-7523 (マップ参照)

期間:8月23日(木)~28日(火)、10:00~18:00  25日(土)、16時からネパール人留学生が出演するイベントがある

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後藤弘之氏のホームページ

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