ゲンゲンバッハ ドイツNo.81
市民の自信と誇り
15年前、シュバルツバルトをレンタカーで走ったとき、ゲンゲンバッハ(Gengenbach 写真右)というちょっと変わった名まえの町を通過した。当時は、一つの通過点というだけで気にしなかった。実際、ドイツ全図で見ると、もっとも小さい文字で表記された(私の分類では第4ランク)町である。
ドイツ南西部のシュバルツバルト(黒い森)の中にあり、フランスとの国境を流れるライン川からは25キロぐらいの東にある。今冬、撮影地としてゲンゲンバッハを選んだのは、カーニバルで大都市にはない独特の趣向があるとWebで知ったからだ。また、以前に車で通過したという思い出も手伝っている。
ゲンゲンバッハも御多分にもれず歴史と伝統を誇る町である。紀元100年ごろには人々が住み着き、725年にはベネディクト派の修道院が創設されたとパンフレットに書かれている。その修道院が825年には西ローマ帝国の帝国修道院になり、1360年には神聖ローマ帝国の帝国自由都市の称号を得た(~1803年)。
自由都市とは、地域の領主からの支配を脱して、皇帝直属になったことを意味する。ケルンやハンブルグなども帝国自由都市であった。現在は、近隣のライヒェンバッハ、シュバイバッハ、ベルマースバッハと合併して大きな町になっている。もちろん、旧市街はそのままだ。(写真上左 Engelgasse 写真上右 Obertortrum )
私はどこの町に滞在しても、教会のミサを見学することにしている。3月22日(日)に聖マーリエン教会へ出かけた。10時、子どもたちの聖歌隊の入場からミサは始まった。牧師が快活な人で、身振り手振りを交えたにぎやかなミサであった。カーニバル期間の特別なミサなのだろうか。オルガン演奏もすばらしい(写真左)。聖歌隊の退場まで約1時間、一大交響曲のようなミサだった。
旧市街は、1784年に建てられた新市庁舎(Rathous 写真下左)を中心に、東西に長い楕円形に展開している(上のマップ参照)。市庁舎のバルコニーはマルクト広場に面していて、市民との交流の舞台だ(写真下右)。
昔の城壁(市壁)の上に造られたエンゲルガッセ(Engelgasse)は中世の面影を濃く残し、上門塔(Obertortrum)には日時計がある。カーニバルでは、市民は仮面をかぶったり顔に絵の具を塗って変身し、町全体が狂ったように大騒ぎする。
市長など町の幹部も着飾って市民と一体になってカーニバルを盛り上げる。 どこへ行っても怪しい仮面の人々とすれ違うのは異様な世界だ。市民のユーモアと結束を感じざるをえない。(写真上左 仮面をかぶった市民、写真上右 カーニバルのパレード)
日本にも同じような町と行事はあるかもしれない。しかし、地方分権が浸透しているドイツならではの町のありようは紹介するに値すると思った。ドイツでは、これはゲンゲンバッハに限ったことではない。(写真右 カーニバルの衣装でくつろぐ)
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長崎くんち
横浜と違って地方の中都市であるうえに、原爆の被災地でもあるので当然であろう。路面電車が市民の足になっているのは好感が持てた。
写真下は、商家や民家の玄関先で踊りを披露し「お花」をいただく「庭先回り」。新地町にて。
横浜では10日、双十節が行われた。私は、10月1日の国慶節か、10月10日の双十節のどちらかを見ない気持ちが収まらない。爆竹の音と匂い、小気味良い太鼓と銅鑼のリズム、獅子や竜の機敏な動きなどで、私の五感は全開になる。中華街の祭りは、私の五感の保守点検になるのだ。
























































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