2016/06/28

辻 栄一 写真展『弘前散歩』 第2弾/第3弾

Hpdmimg_0001 辻氏は、昨年2月、写真集『弘前散歩』を出版した。これについては、私が以前に書いたブログを参照してほしい。横浜在住の辻氏が遠く千キロも離れた青森県弘前市で写真集を出版したのにはいろいろなわけあがる。まず辻氏は旅のエキスパートだ。鉄道写真から始まった旅は、地方の民俗、祭り、人々などにも興味がわき、ますますのめり込んでいった。全国を行脚した辻氏にとって、弘前は選ばれた土地となった。関西出身の辻氏にとっては、横浜は第二の故郷だ。弘前は、第三の故郷といえるのではないか。
 辻氏は自らを「横浜からの旅人」という肩書で、立場を明確にして撮影地の人々と接している。地方の方々は胸襟を開いて応対してくれるのだろう。Hp20166_edited1先の出版で、地元弘前市の出版社の協力を得られたのは、辻氏の旅人としての心意気が地元の方々の気持ちを動かしたのではないか。この出版がきっかけになり、昨年の10月から11月にかけて写真展『弘前散歩』が開催された。それだけではなく、今夏には2か所で写真展が開催される。地元の「広報ひろさき」と日本カメラ社「写真の教室」に紹介された記事を掲載する(いずれもポップアップ可)。ご高覧いただけたら幸いだ。
 なお、辻氏からの速報によると、29日は地元新聞社の取材と、市長の来訪があったという。

●『弘前万華鏡 オンリー・イエスタディー』

会期: 2016年6月29日(水)~7月3日(日) 10:00~18:00〔7月1日(金)は ~19:30/初日は13:00~/最終日は ~15:00〕
会場::弘前市立百万石町展示館 第1展示室

Hpdmimg_0002Hpdcim0321_edited1






                                                  

                                         ●
こども絵本の森 開館3周年記念

『街歩きの魅力 再発見』…弘前人が愛する散歩道

会期:2016年7月4日(月)~7月10日(日) 10:00~18:00〔初日は13:00~/最終日は ~17:00〕
会場:ヒロロ3階「こども絵本の森」特設会場

Hp2016_edited1(左)写真の教室の記事

(下)東奥日報の記事Hpdcim0325

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2016/04/18

第14回 ヌービック・フォト・フレンズ 5写真展

 熊本地震で被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。また、お亡くなりになった方々に、哀悼の意を表します。


写真展 『出会ったシーン』

●会場:かなっくホール ギャラリーA (DM参照)
●日時:2016年4月19日(火)~25日(月) 10:00~18:00 初日13:00~ 最終日~15:00

Hp16dm_0002_edited1_2グループ展のあり方に一石
 ヌービック・フォト・フレンズ 5展は、円熟味を増してきた。
 写真は、何を撮っても出会いであろう。だからといって漫然と撮っていたら、写真展にはならない。そこで、キャリアーや見識が問題になる。14年間続けて写真と向き合い、同僚と付き合い、テーマについて取り組んでいると、写真観だけでなく、人生観までも変わってくるのではないか。あいさつ文にあるように、「何気ない光景でも、ちょっと注意してみると、実に新鮮な出会いであることに気づく」。“ちょっと注意する”ところに、写真観や人生観、撮影の技量が表れるのだ。すると、出会ったシーンを大切にしておきたいという気持ちが湧いてくる。三つのカテゴリー「遭遇の表情」 「対決の構図」 「癒しンの郷愁」に、メンバーの気持ちが込められた写真展である。ご高覧いただけたら幸いだ。Hp16dm_0001

 私が初めてヌービックのメンバーに出会ったのは2回目か3回目の写真展のときだったと思う。そのときの写真展が今のヌービック展になろうとは思いもよらなかった。グループ展のあり方に一石を投じたと思う。まとめ役の辻氏の牽引力とメンバーの真摯な取り組みに敬意を表したい。Hpa02p41900771また、私を立ててくださったメンバーのご好意に感謝している。 (写真右と下  会場風景Hpb03p41900921_3




 いつものように、会期に合わせて写真集を作った。今年は、文庫判からA5判に代わったので、見ごたえがある(写真下 表紙と3見開き) 。ヌービック・フォト・フレンズ 5のますますの発展を祈ります。

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「遭遇の表情」Hpimg_0002_2


「対決の構図」Hpimg_0003_3
「癒しの郷愁」Hpimg_0009_2

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2015/10/24

伝統と新鮮 八ヶ岳山麓No.185 横浜No.84

二つのハロウィンHppa100149
 ハロウィンは、古代ケルト人の収穫祭で、それがアングロ・サクソン系の人々に伝わり、キリスト教の万聖説(11月1日 すべての聖人の記念祝日)になったという。Hppa100145Hppa100103_4万聖説の前日は、ハロウィンとしていろいろな行事がある。古代ケルトの風習にならい、悪霊を追い払うためにカボチャのランプを捧げて行列する。日本では近年、ファッション化され、10月に入るとカボチャ、魔女、コウモリ、猫などがデザイン化されて町Hppa100136_2Hppa100135中のいたるところをにぎわせている。盛秋の季節感があり、まんざらでもない。二つのハロウィンをフォトレポートする。

蓼科バラクラ・イングリシュガーデン
 バラクラ・イングリッシュガーデンは、名まえのとおり英国の庭園をセールスポイントにするビジターセンターだ。しかし、それだけでなく文化やHppa100177生活なども体験できるHppa100105施設になっている。ハロウィンの元を作ったケルト人は、今でこそアイルランドの主要民族だが、かっては英国や西ヨーロッパの全域に住んでいた。バラクラのハロウィンは、本場の催しといってよいだろう。私は、ケルト人の気持ちになって撮影してみた。

東急東横線・菊名駅のコンサート
 横浜市港北区菊名地区では、毎年『ハロウィン・ウイーク』というイベントを企画・実施している。今年は6回目で、10月24日~31日に開催される。えきこんさーと(24日、25日)、Hppa240187_2仮装コンテスト(25日)、ウォークラリーポスターコンテストなどのプログラムの中で、私は、毎回えきこんさーとに出かける。東急東横線の改札口を出た広場がコンサート会場だ。今年も、市立東高校の吹奏楽が駅構内に響きわたった。Hppa240157ポピュラーナンバーを身振り手振りを交えて愉快に演奏していた。40分足らずのコンサートだったが、190カットを撮ってしまった。バラクラの伝統的なハロウィンもいいが、菊名のえきこんさーと(吹奏楽)のようなハロウィンも新鮮で快いものHppa240101_2だ。Hppa240068

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2015/04/22

写好会MARO 第九回写真展 4月27日17:00まで

『風・音・声』        フォトクラブ彩光・耕心館展はここをクリック 

会 期:2015年4月22日(水)~27日(月) 10:00~17:00 初日は13:00~
会 場:海老名市民ギャラリー 第一展示室 アクセスはマップのポップアップ参照
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 グループ展のタイトル『風・音・声』は、MAROメンバーが相談して決めたという。しかし、決まる経緯は、あまりはっきりしていなかった。直感的であり、なんとなく“かっこがいいから”ということだった。テーマやタイトルがこのように決まることを、わたくしは否定しない。外聞優先の決め方だ。テーマはともかくとして、タイトルは独創的でかっこいいことが一つの条件だ。人目を引き注目させることは意味があると思う。タイトルは作品展の顔である。しかし、テーマはそうはいかない。作品展に取り組むメンバーの共通項になるようなコンセプトが必要だ。これは、跡付けでもよい。私は、『風・音・声』に取り組むマニュアルを作った。これは、私がコーチを担当するどのグループ展でもやっていることだ。

 『風・音・声』は、どれも直接、目には見えないものだ。しかし、間接的になら観察できるし撮影も可能だ。風は空気の振動なので、ススキや水面が風に吹かれて揺れるようすを撮影できる。Hp_maro2015dm_2音と声は、発音体を撮れば、やはり間接的に撮ることができる。すなわち楽器や人の表情で音を感じさせることができる。直接見えない『風・音・声』は、被写体として十分撮りがいのある対象ではないだろうか。

 以下に会場のあいさつ文を掲載する。
【写好会MARO 第9回写真展 風 ・ 音 ・ 声】
 よく、「その場の空気を読む」と言いますが、これはいうまでもなく、雰囲気をくみ取るという意味です。私たちの周りにある空気を人間関係にたとえたわけです。
 写好会MAROのテーマである「風・音・声」は、どれも空気と人に関係があります。「風」は、空気の流れほかに、風光、風習、風格など自然や人々のようすを表します。「音」も、音沙汰や音信のように人々の伝達にかかわります。「声」は人の発する音です。「風・音・声」は、私たちの日常生活と大いに関係があります。
 写好会MAROは、この日常性に着目して作品をまとめました。私たちの周囲に流れている空気を読んでいただけたら幸いです。
 本日はご来臨、ありがとうございます。  2015年4月22日 写好会MARO一同/講師 豊田芳州

ご高覧いただけたら幸いだ。

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2015/01/25

フランスの寛容…多民族に開かれた国家

 本稿を執筆するきっかけは、パリのメトロ(地下鉄)路線図を見ているときに始まった。家内がメトロ7号線の終点駅に「La courneuve-8Mai 1945」という駅名を見つけたのだ。フランスの終戦記念日の日付(1945年5月8日)が駅名になっているのである。Hpp6010304_edited1_3好奇心に駆られて行ってみることにした。そのときのレポートを2015年の賀状に書いた。多民族国家・フランスの懐の深さと寛容の精神に感動したからである。今年に入って、パリでテロ事件が発生、イスラム過激派と西欧文明の対立が問題になった。フランス共和国とはどのような国家なのか。 (写真上 La courneuve-8Mai 1945駅地上出口付近。以下の写真はすべて同駅付近で撮影したもの)

ガリアの時代
 現在、フランスの主要民族はラテン人である。しかし、紀元前、フランスがガリアと呼ばれていた古代ローマ時代にはケルト人が住んでいた。ガリアはローマ人にとって魅力的な土地だったようだ。ローマのたびたびの侵略に屈し、紀元前1世紀、ローマの属州になったHpp6010290Hpp6010299_4ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)は敗者のガリアに対して寛大な対応をした。この経過は、ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」に書かれている。その結果、多くのローマ人(ラテン人)はガリアへ移住した。ガリアはじょじょにラテン人の土地になっていった。現在、ケルト人はブルターニュ地方に少し残っているという。 (写真上左 メトロLa courneuve-8Mai 1945駅構内。同右 地上周辺マップ)

ローマの寛容
 古代ローマのカエサルがガリア地方を平定したとき様子が塩野七生 著の「ローマ人の物語」(新潮文庫)に書かれている。それを参考にして、私が書いた『ニュルンベルグの城壁 ドイツNo.109』の一部を引用する。「カエサルのガリア攻めの戦法は、いかに相手の戦意をくじくかにあったようだ。当時、ローマの土木・建築技術は世界最高水準だった。それを駆使して攻城兵器を造りガリア(ほぼ現フランス)の城郭都市を攻めるのである。Hpp6010325_edited1高いやぐら、頑丈な防壁(囲い)、飛び道具や城門を破壊するための仕掛けなど、ローマの技術力の粋を結集して敵を攻めた。それを目の当たりにした敵は防衛を断念して降伏し、門を開かざるをえなくなる。そしてむだな血を流さず、両者にとってメリットが生ずる。敵が降伏するもう一つの理由に、カエサルの「寛容」がある。カエサルは降伏した敵国を虐待するのではなく、ローマ共和国に組み入れて属国とし、それ相当の優遇措置を講ずるのである。徴税はするものの、ほかの外敵からの保護を保証し、食料事情も配慮する。 また、属国の長の子弟をローマへ留学させてローマのシステムを学ばせる。その子弟は、帰国して属国をローマのシステムで管理するようになる。だから、カエサルの人格を知ると降伏したほうが得なのである」。私は、現在のフランスにローマの寛容の精神を感じる。

フランスの原形
 カエサルの平定後、ガリアはラテン人(ローマ人)の支配する土地となった。そして5世紀、ゲルマン民族の一派フランク族によってフランク王国に統一された。Hpp6010342_29世紀、フランク王国は三分割され、その一つの西フランク王国が現フランスの前身となった。フランスの国名はフランク族に由来する。このころにはヴァイキングとして知られるノルマン人も一つの勢力をノルマンディー地方に確立していたという。この歴史からもフランスが多民族国家になっていった経緯が納得できる。

多民族国家
 ラテン人とは、ラテン語系の言語を話す人々で、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、ルーマニアなどの国家を形成している。フランスも主要民族はラテン人だが、国境線が地上にあるうえに、たびかさなる戦争で周囲から他民族が侵入・移住してきた。フランスには、ゲルマン人や中東、北アフリカ系の諸民族などが住んでいる。ウィキペディア(Wikipedia)によると、フランス市民の23%は、少なくとも親か祖父母の一人に移民がいるという。また、20世紀には多くの移民を受け入れたという。まさに、フランスは多民族国家ということになるだろう。Hpp6010301_2パリは特に顕著で、町を歩いているとその現状を納得できる。しかし私が、メトロ7号線の終点「La courneuve-8Mai 1945駅」で観察した情景は、さらにそれを越えていた。駅から地上へ出たとたん、そこにはフランスのマルシェというよりは中東のバザールが展開していた。露店を出す人々も、買いもの客も中東やアフリカ系の人々だ。ラテン系のフランス人は私の目に入らない。その光景を見て、フランスの度量の大きさを感じ、その背景を知りたいと思った。

異質なものとの共存
 寛容だったのはカエサルだけではなかった。「ローマ人の物語」には次のように書かれている。ローマ建国の祖ロムルスが執った政策について、ギリシャのプルタルコスが著作「列伝」(私は世界史でプルタークの「英雄伝」と習った)で評したことが興味深い。「敗者でさえも自分たちに同化させるこのやり方くらい、ローマの強大化に寄与したことはない」。Hpp6010318_edited1ロムルスが建国時に執った戦術と戦後処理につては、「ローマ人の物語」第1巻≪ローマは一日にして成らず≫をご一読いただきたい。「ローマ人の物語」には、全巻をとおしてところどころにローマ人気質が描かれている。ローマ人(ラテン人)には、根幹に寛容の精神が貫かれているように読める。ガリア(フランス)がローマの属国になったことで寛容の精神が培われ、現在の多民族国家につながっていると思う。Hpp6010310_edited1フランスの長い歴史の中で寛容とは言いがたい場面が多々あったが、人々の根底には脈々と寛容が息づいているのではないだろうか。
 現在、世界ではあいかわらず紛争が絶えない。イラク・シリアのイスラム国の脅威、イスラエルとパレスチナ、ウクライナやアフリカ諸国の内紛など、宗教的あるいは民族的な対立などさまざまだ。これらの対立を解決するのにもっとも必要なことは寛容(tolerance)の精神であろう。意地や沽券を捨て、自身とは異質なものを受け入れ共存することはそれほど難しくないと考える。国境が海上にあり、侵略を受けたことがない“多神教”国家の日本人だから言えるのだろうか。

表現の自由
 寛容には油断がつきものだ。油断と裏切りは裏腹である。カエサルが暗殺されたのは、寛容にともなう油断であり、暗殺者の立場に立てば裏切りだ。カエサルは無防備で元老院へ出かけ、寛容に対応した政敵に暗殺された。それは寛容に対する裏切りだった。Hpp6010342カエサルは暗殺計画を察知していたはずだ。あえて、それに備えなかったのが、カエサルのカエサルたる所以だろうか。
 さて、パリのテロ事件の背景には、当然、フランスの寛容があった。テロリストは、それを裏切ったのである。一方、私は、表現の自由や言論の自由、報道の自由にも疑問を感じる。シャルリ・エブド社のイスラム教に関するパロディーについては不詳だが、不快を感じる人(集団)がいたら、そういう表現は控えるべきではないのか。同類のパロディーをキリスト教に当てはめたらどうなるだろうか。シャルリ・エブド社はキリスト教についてのパロディーも扱っているのだろうか? 宗教観に乏しい私の疑問だ。
 なお、フランスの終戦記念日(1945年5月8日)がメトロの駅名になった経緯は未調査だ。ただ、La courneuve-8Mai 1945駅の地上出口付近に、ナチス・ドイツに対するレジスタンス運動の記念碑(写真上右)が立っていた。

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2015/01/01

新春のごあいさつ

初めて除夜の鐘をつく

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 私は、地元の真言宗歓成院でカウントダウンをして新年を迎えた。初めて除夜の鐘をついた。

 昨年は、家内のリクエストでパリへ出かけた。そこで、年賀状でパリの体験をレポートした。以下に、年賀状とその文を掲載する。


あけましておめでとうございます

 昨年6月、パリに11日間滞在しました。メトロを足にして博物館、美術館、教会、公園などを巡りました。メトロ7号線の終着駅にLa courneuve-8Mai 1945という駅があります。Hp2015_2フランスの終戦記念日が駅名になっているのです。興味をそそられ終点まで乗ってみました。地上へ出ると、ナチス・ドイツへのレジスタンス運動の記念碑が目に留まりました。しかしそれよりも驚かされたのは、思いがけない大規模なバザールが展開していたのです。屋台を開いている人々や、買い物をする人々は、ほとんど中東やアフリカ出身のように見えます。パリでこのような情景を目にするとは想像もしませんでした。多民族を受け入れるフランスの懐の深さと寛容の精神を目の当たりにしました。記念碑を撮影して、駅を後にしました。あいかわらず、足の向くまま二人そろってマイペースの旅を続けております。皆さまの新年のご活躍をお祈り申しあげます。  2015年元旦 豊田芳州/恵子

 

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2014/10/06

横浜オクトーバーフェスト2014 横浜No.77

ビールで仲間になる
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 10月5日(日)、台風の前兆で降りしきる雨の中を、赤レンガ倉庫のイベント広場へ向かった。「横浜オクトーバーフェスト2014」の会場に着くと、屋外の会場にはだれもいなかった。この天候なのでイベントは中止しているのではないかと不安になった。しかし、それは私のとりこし苦労だった。300円の入場券を買い、腕にリストバンド(入場証)を巻いて会場に入った。テントの中は、雨の屋外からは想像できない状況が展開している。ビールとソーセージの匂い、人々の熱気と歓声であふれている。Hppa050061客席の中央にはステージがあり、周囲にはドイツビールのブランド別カウンターが軒を連ねている。ほとんどが見覚えのあるブランドだ。Erdinger、Spaten、PAULANER、WARSTEINER、Weihenstephan、Krombacher、Zoller-Hof、ENGEL、その中には「横浜ビール」もある。

 私は、PAULANER(パウラナー)のヴァイス・ドゥンケルの500ミリを注文した。ミュンヘンのビアホールで忘れられない思い出があったからだ(参照:『ビアレストランの人間模様 ドイツNo.26』) Hppa050202_3パウラナーの採点基準では、ヴァイス・ドゥンケルは、5点満点で、Hpimg_0002_3“力強さ4点”、“苦み”4点、“のど越し”3点、“フルーティー”4点、“クリーミー”4点、という採点だ。ほかのビールと比べてもっともバランスのとれた評価である。チラシには「通なあなたにピッタリ」というキャッチコピーが書かれている。500ミリ一杯1,400円だが、グラスのデポジット代が1,000円なので、合計2,400円を払った。

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 ステージの演奏を楽しもうとグラスを持って末席に座った。周りは若者ばかりで、すでに“出来上がっている”。といっても若い人は飲み方が上品だ。Hppa050103音楽には乗るがばか騒ぎはしない。ひと目、私と同じ世代は見つけられなかった。台風接近で控えたのだろうか? ステージは演奏というよりは、観客と一体になって楽しむビールと音楽の讃歌であろう。演奏者はドイツの「ヴォーホー アンド カレンダー バンド」だ。観客に応えるパフォーマンスはさすがだ。曲目は、オールデイーズ(ポピュラー音楽の昔のヒット曲)が中心だ。

盛り上がったのは『トップ・オブ・ザ・ワールド』『スタンド・バイ・ミー』などにまじって『上を向いて歩こう』だ。私の知っているナンバーなので愉快だった。同席の隣人と仲よくなり、談笑とHppa050138
乾杯をするのは、ミュンヘンのヴィクトエーリエン・マルクトのカフェと同じだ(参照:『屋外の食卓にこだわる ドイツNo.126』。演奏に合わせて観客が歌ったり踊ったりするのはハンブルグのフィッシュマルクトで見たマルクトハレのステージと同じだった(参照:『ハンブルグのフィッシュマルクト ドイツNo.134』)。グラスのデポジット代を受け取って会場を後にした。 (写真下2点 いろいろなビールサーバーがある)Hppa050215_2
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 なお、横浜のオクトーバーフェストは、ドイツ・ミュンヘンで秋に開催されるビール祭り・オクトーバーフェストの日本版だ。私は、まだ本場の祭りを体験したことがない。横浜でドイツらしいひとときを楽しめて幸せだった。10月19日(日)まで開催される。

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2014/06/28

衣類の回収ボックス

フランスで見つけたリユースの例
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 パリの滞在中、一日だけ地方へ出かけた。ローマ遺跡があるというサンリス(Senlis)を目ざしてパリ北駅を出発した。途中、列車からバスへ乗り換えるシャンティイ(Chantilly)は、ガイドブックでもページを割いている名所である(写真下左 シャンティイの駅舎)。目的地のサンリスよりは知られた町だ。Hpp6070683_2サンリスについては機会をあらためよう。ここではシャンティイで体験したことについて触れる。パリの北約40キロにあるシャンティイは、フランス競馬のメッカだという(写真右上 バス停に建っている広告塔)。サンリスへ向かうバスの車窓から見えた広大な馬の施設には、ゆとりと風格を感じた。馬具博物館もあるという。

 さて、シャンティイでの乗り継ぎ時間が1時間もある。バス停で時間をもてあましていたところ、すぐ隣りにゴミ箱が3つ置かれているのに気づいた(写真下左)Hpp6070699_22つはガラス製品のリサイクル回収箱、もう一つは衣類のリユース回収箱だった。日本ではめったに見ない衣類の回収箱に引かれて撮影した。Hpp6070702投入口にはみ出した衣類が見える。フランス語の辞書と首っ引きで、書かれていることを翻訳してみた。まず、環境問題を標榜する絵とキャッチコピーが目に入った(写真右)。コピーには「環境と雇用のために日々行動しましょう」とある。そして、この回収箱を利用する規定が次のように書かれていた(写真下左)。「下記の指示に従うように」とあり、箱に入れる規定が書かれている。「提供物はこの中へ。あなたの衣類と布地をきれいで乾いた袋に入れて提供してください。また、あなたの靴も一足をひもでくくって提出してください。革製品もけっこうです」。「汚れた、そして濡れた繊維はお断りします」とある。当局は、シャンティイ地区の町の共同体のようだ。なお、「雇用のため……」という意味が、私にはわからない。私はフランス語にはまったく縁がないので、翻訳がまちがっているのかもしれない。Hpp6070702x_2_2

 最近、衣替えを兼ねて衣類を取捨選択した。捨てようと決めたものの中には、未練が残るだけでなく、十分役立つものがある。それらを有効に活用できたらと考えるのは私だけではあるまい。フランスで見たこの回収箱は地球レベルで有効ではないか。しかし、じゃまなものを捨てるためにこのような回収箱を悪用されることも考えられる。このシステムは人々の良識によって成り立つのであろう。

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2014/05/02

山手の春を楽しむ 横浜No.75

『どんたく』のにぎわい

 恒例のサンモール・インターナショナル・スクールのフードフェアを目ざして山手へ出かけた。フードフェアは、毎年4月29日に開催され、横浜の原点とも言えるイベントである。Hpp4290301_3 1859年の開港後、山手に住みはじめた外国人たちは、異国に滞在する寂しさをまぎらわすために野外イベントを開いた。それを「どんたく」(Zondag 日曜日)と呼び、生活の中の楽しみにしたという。私は、フードフェアは開港当時のどんたくの流れを引くイベントと考えている。そこで毎年、この時期に山手を訪れることにしている。横浜山手の春を寸描しよう。 写真上 山手十番館(レストラン)と外人墓地

〔下左〕フードフェアのゲート 〔下右〕お国自慢のファーストフードで会場はハッピームード。韓国、メキシコ、日本、インド、中国、チリ、ハワイ、アメリカ、フィリピン、アイルランド、レバノン、オーストラリア、ニュージーランドなどが出店していた。毎年、バーベキューの煙が漂うHpp4290199_3 Hpp4290272_3

〔下〕ゲートわきの特設ステージでは、中高生のジャズバンドが演奏Hpp4290228 Hpp4290212

〔下左〕子どもたち手作りのゲームには、アイディアとユーモアがいっぱい 〔下右〕フェイスペインティングは山手らしいHpp4290257 Hpp4290245

〔下左〕外人墓地も華やか 〔下右〕チューリップ・アート・プロムナードという催しが、山手の西洋館(234番館、エリスマン邸、111番館、イギリス館)で開催されていた(5月3日まで)。写真は山手234番館の作品Hpp4290129 Hpp4290197

〔下〕山手99番(外人墓地正門前)が公園になった。「山手の移り変わり」(右)と「山手のブラフ積み」(左 当時の石積みの技法)を紹介したパネルが設置されているHpp4290166 Hpp4290139_2

〔左〕山手99番公園のモニュメントHp99p4290175

参照: 『横浜が見える時間』 横浜No.66

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2013/12/27

ドイツの犬事情 ドイツNo.138

「やったー、お家が決まったワン!!」
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 ドイツを旅していて、犬を見つけたら、シャッターをきることにしている。犬と人の関係が日本とは少し違うと思うからだ。 (写真上 ヴァッサーブルグにて)

 タイリクオオカミが人間の集落周辺でゴミをあさりはじめたのが、Hpp6073463_edited1今から1万5000年から2万年前とされている(「ナショナル・ジオグラフィック」2012年2月号参照)。タイリクオオカミ(犬)と人間の共生の始まりであった。オオカミに餌を与える代わりに猟犬や番犬として活用したのであろう。Hpp6116254もっとも早い家畜の成立だという。家畜化された犬は、ブリーダーたちによって品種改良が繰り返され、現在の多様な犬種へ分化した。 (写真上左 ツェレの市庁舎わきにて。写真上右 ニュルンベルグの中央広場にて。写真下左 ミュンヘンのヴィクトエーリエンマルクトにて。写真下右 ニュルンベルグの中央広場にて)Hpp6044763_3Hpp6116209_5

 私たちは、八ヶ岳山麓にあるペットショップへしばしば足を運ぶ。子犬の売り場で癒してもらうためだ。子犬のしぐさがかわいい。どの犬も、「私を飼ってー」とねだっているように見える。犬にとっては飼い主が決まるか否かは死活問題なのだ。生後2、3か月で飼い主が決まれば順調なのだが、数か月たっても決まらない場合もある。その犬の表情は心なしか寂しそうに見える。その犬の価格はディスカウントされ、相場の数分の一になっている。そういう犬を見ると我が家で飼ってやりたいという衝動に駆られる。Hpp6062886Hpp5021634_edited1だれかが飼ってやらないと処分されてしまうのだろう。あるとき、売約済みの子犬が入ったケージに「やったー、お家が決まったワン!!」と書かれた札が貼り付けてあった。犬の気持ちをよく表していると思った。犬にとって、この世に生まれたからには、人間と共生しなければ生きていけない。これは、1万5000年前に犬(オオカミ)が選んだ宿命だ。 (写真上左 ツェレのマルクトにて。写真上右 リューベックのメインストリートにて)

 ドイツ人の犬の飼い方を見ていると、人との共生の重みを感じるのだ。ヴァッサーブルグやリューベックの路傍にある犬の糞処理対策を見ると、犬に対する思いやりを感じざるをえない。そこで、ドイツの犬を撮影したくなる。 (写真下左 ヴァサーブルグの犬の糞処理スタンド。ポリ袋とゴミ箱がセットになっている。写真下右 リューベックの糞処理用ポリ袋供給スタンド)Hpp6061631_3Hpp5315471_2

 だいぶ前、シリアのパルミラ遺跡で取材中の出来事である。広い遺跡に足を踏み入れ撮影を始めようとしていたら、1頭の犬が猛スピードでこちらへ向かって走って来る。それに気づいた私は、カメラバッグと三脚を抱えて死に物狂いで逃げた。というのは、取材に出かける前にトルコ大使館で、犬に対する注意事項を聞かされていたからだ。「ベドウィン(遊牧民)の放牧地へ入ると牧羊犬に噛みつかれる。牧羊犬には狂犬病をもっているものもいるので十分注意するように」(要旨)というものだった。Hpp6106485Hpp2218009_5これが脳裏にこびりついていたので、必死に逃げたのである。ベドウィンが遺跡のなかで放牧をしていたのだ。私は、ベドウィンのテリトリーへ踏み込んでしまったようだ。犬はあるところで私を追跡することを止めた。そこはテリトリーの境界だったようだ。世界的な遺跡の中で放牧できるとは想像もしていなかった。犬は飼い主に忠実に仕事をしたのである。一方、私は侵入者になってしまった。 (写真上左 ミュンヘン中央駅のプラットホームにて。写真上右 ゲンゲンバッハにて)

参照: 『あこがれの“撮影犬”にめぐり合う ドイツNo.117』 『犬のトイレ ドイツNo.104』

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