2009/11/12

中世の市壁とベルリンの壁 ドイツNo.88

『壁』を造るのが得意Hpp5289383

 ベルリンの壁が崩壊して20周年になる。記念行事が行われ、あらためて東西統一の意義を確認した。日本を含むアジアでは想像もできない快挙だったと思う。

 ドイツは、神聖ローマ帝国の時代からビスマルクのドイツ帝国(初めての統一国家)を経て、現在のドイツ連邦共和国に至るまで、基本的には地方分権(領邦)国家だった。当初は、小王国、公国、選帝侯国、辺境伯領などの諸侯がそれぞれ領土を統治していた。互いに他の領邦を認め合い、戦争になると一致団結して外敵と戦うというかたちで、国土がまとまっていた。現在のドイツは、その領邦を引き継ぐかたちで16の州で構成された地方分権の連邦制国家である。このようにして、長年、地方分権の精神を育んできた。ベルリンの壁が取り除かれ、東西ドイツが統一された根底にも、この精神が流れていると思う。(写真上はノルドリンゲンの市壁、南西部分の外側。塔はFeiltrum)

Hpp5280001 日本でも道州制による地方分権制度の導入が検討されているが、既得権と利権が絡み合った現状と、他者に寛容になりにくい日本人の国民性を考慮すると、おそらく実現は不可能だろう。最近報道されている「事業仕分け作業」は日本にとって画期的な政治だが、事実を知れば知るほど絶望的になる。しかし、私は、ドイツのような地方分権の連邦制国家が理想的だと思っている。自然界の生物多様性と同じように、行政や国民の価値観は多様なほうが健全だと思う。写真上左 レプシンガー門から市壁の外と内を望む)

 中世の領邦はいくつもの町に分かれ、それぞれが安全と財産を守るために市壁(城壁)を造って、コミュニティーを形成してきた。領邦の中がまた地方分権だったのである。かつて、ドイツのほとんどの町は市壁で囲まれていた。しかし現在は、ほとんど取り壊されていると言っていいだろう。私が訪れたノルドリンゲン(Nordlingen)は、ほぼ完全に市壁が残されていた(写真上2点)。ロマンティック街道の隣町ディンケルスビュール(Dinkelsbuhl)やローテンブルグ(Rothenburg)も同じだと聞く。Hpp5258492Hpp5268849ほかにもいくつかの町で完全に近い市壁があるかもしれないが、だいたい市街地整備で撤去され、門とその周辺だけ、あるいは公園のひと隅に記念碑のように残されている場合が多い。写真上左 ノルドリンゲンの市壁上の回廊と内側 写真上右 市壁沿いにある地ビール工場)

 『モノが語るドイツ精神』(浜本隆志 著 新潮選書)によると、ドイツにかぎらず中世の人々には「マクロコスモス(大宇宙)」と「ミクロコスモス(小宇宙)」という対立的な世界観(宇宙観)があったという。少し長くなるが、その部分を引用すると、「マクロコスモスとは非日常的な、人間の力のおよばない世界を意味し、超自然現象、嵐、風、火、死、病気、不幸、災難、戦争もその世界に属する。Hpp5289480Hpp5258353さらに天空、大地、地下、森だけでなくオオカミ男、魔女、盗賊など得体の知れないものが住むところもそうであった。人びとはこのような世界に対し、畏敬と恐怖の念をもちながら暮らしていた。それとは対照的なものとして、ミクロコスモスは日常的な生活世界、中世都市、農村、家庭などの領域を意味する。」人びとは恐ろしいマクロコスモスから身を守るために市壁を造ったのだという。Hpp5289364Hpp5258503中世の人々にとっては、現代とは違い、不可解で対処できないことがはるかに多かったはずだ。残された市壁や城壁の高さと頑丈さを見ると、それがうなずけるのである。ドイツ人はたくさんの『壁』を造り、たくさんの『壁』を壊してきたと言ってよいのではないか。(写真上左 市壁の窓から外を望む 写真上右 弓や銃口を出す穴 写真左上2点 市壁の小さな出入り口。市壁の厚さがわかる。補修した部分から煉瓦の積み方がわかる)

 1961年、東ドイツがベルリンの壁を造った動機は中世の場合と同じではないが、根底に流れているものは似ているような気がする。“仮想マクロコスモス”の遮断という点では共通なのかもしれない。ドイツ人は壁を造るのも壊すのも得意だと言えないか? 参照 『ノルドリンゲンで暮らす ドイツNo.19』

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2009/10/20

湖北敬神

奥浜名湖巡り…千葉大スキー部OB例会Hppa181175

 今年の例会は浜松で開催された。OB会員の重鎮3名が浜松在住なので、みんなで押しかけたのである。鰻をはじめ浜松の美味いものにも触れようというわけだ。10月17日は、浜名湖立体花博(浜松モザイカルチャー世界博2009)を見学した。モザイカルチャーとは、花と緑で造形した彫刻作品のようなものである。国際色と郷土色豊かな作品が91種類も展示されていた。私は「紅雲の雪景富士」(静岡県出展)が印象に残った(写真下)。懇親会は浜名湖ロイヤルホテルで行った。1年ぶりの再開で、私も愉快に酒を酌み交わした。

Hppa181168 翌日は、浜名湖の北にある湖北五山(初山宝林寺、龍潭寺、大本山方広寺、摩訶耶寺、大福寺)のうちの二つを訪れた。今まで、浜松にこのような名刹があるとは思わなかった。しかしよく考えてみると、東京(江戸)よりも古くから開け、人々の営みは濃かったはずなので当然であろう。その印象をまとめてみた。「湖北“敬神”」というよりは「湖北“神いじり”」というほうが正確だろう。

●方広寺・亀背橋 寺域への架け橋。現在は使われていないが、かつてはここで世俗の垢を落としたであろう(写真上左)

●枯山水庭園 方広寺は臨済宗の寺である(写真上右)

Hppa181212●鐘楼の屋根 創建(1371年)当時は、深山の幽玄な気配がみなぎっていたのではないか 

Hppa181230●龍潭寺庭園 733年開山の古刹、庭園は小堀遠州作。水面に仏心を読みとろうとしたが…

Hppa181254●門前の植物 龍潭寺は井伊直弼一族の菩提寺(位牌を祀る)。桜田門外の変を意識して撮影した

Hppa171147●「紅雲の雪景富士」 立体花博の作品(静岡県出展)

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2009/05/04

タラの芽から発想か!!? 八ケ岳山麓No.74

火炎形装飾の縄文土器Hpp5045159

 八ケ岳山麓には、たくさんの縄文中期遺跡がある。井戸尻、尖石、大深山など、いずれも縄文中期(今から約5000年前ごろ)の文化の豊かさと余裕を証明する遺跡だ。井戸尻は縄文農耕論の根拠にもなった。農耕に限らず、生活の安定は土器のデザインに反映した。中期の土器には、機能だけでなく呪いや装飾、遊びの形が感じられる。火炎形装飾土器は、その典型である。神奈川県相模原市の勝坂式や新潟県長岡市の馬高式(写真下 「国民百科事典」〈平凡社〉より)などの土器が名高い。土器の機能だけを考えたら、火炎形装飾は邪魔になるであろう。もっとシンプルなデザインが求められるはずだ。火炎形土器は、信仰の神器や飾り物として作られたのであろう。

Hpp5045217 春の温もりが八ヶ岳山麓にも訪れ、植物がいっせいに芽吹き始めた。私は芽吹きに関心がある。植物の草創期を感じさせるだけでなく、花芽や葉芽に未来を予感させる形とエネルギーを読みとれるからだ。タラの芽をじっくり撮影していたら、どこかで見たことがある形に思えてきた。ファインダー視野(液晶モニター)に火炎形装飾土器が浮かび上がったのである(写真上左)。縄文人は、土器をデザインするとき、芽吹きの形にヒントを得たのではないか。芽吹きは生命の復活であり再生である。先端部分のうごめきは炎のようだ。それにあやかりたいという気持ちは自然ではないか。春が人の心情を鼓舞するのは、縄文時代も現代も変わらないと思う。

Hpp5055252_2 【補足】 翌日、タラの芽はさらに火炎形に似てきたので再撮影した。

【撮影データ】 オリンパスSP-350 AFズーム8.0~24ミリF2.8~4.9(35ミリ判換算38~114ミリ スーパーマクロモード8ミリで撮影) 〔初日〕 Aモード(絞りF7.1 1/50秒) -0.3EV補正 ISO100 WBオート 〔二日目〕 Aモード(絞りF5.6 1/200秒) -0.7EV補正 ISO200 WB晴天

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2009/04/25

もののはじめ二題 横浜No.32

                       「開国博」前の横浜散策Hpp4220230

 4月28日(火)から横浜開港150周年記念テーマイベントとして「開国博Y+150」(ワイ ひゃくごじゅう)が開催される。幕末、江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を締結し、横浜を開港場として選んだ。1859年6月2日、横浜港が開かれた。そのとき以来150年、横浜は海外との窓口として多大な役割を果たしてきた。それを記念して、未来への「出航」をテーマに大博覧会が開催される。

Hpp4220305_5Hpp4220308_6 4月22日は、久しぶりに横浜へ撮影に出かけた。横浜公園のチューリップを撮影してから大桟橋へ行った。ちょうどオセアニック(Oceanic)号が入港していた(写真上)。豪華客船を見るのも久しぶりだ。大桟橋ならでは大らかな気持ちを味わったあと、MM21地区(みなとみらい21)へ回った。途中で「象の鼻パーク」の建設現場をながめた。写真上右は、陸側から見た象の鼻パーク建設現場。写真上左は海側から見た象の鼻の浮世絵)

Hpp4220316 1858年、幕府は横浜村の海岸に2本の突堤を建設し、最初の横浜波止場を完成させた。開港後、「イギリス波止場」(通称 西波止場)と呼ばれるようになり、現在の大桟橋の元になった。1866年、これを延長するために象の鼻のような形に埋め立てた。これがいわゆる「象の鼻」で、港湾施設も整備され、国際港として体裁を整えることになった。「象の鼻」は、横浜港の記念すべき構築物なので、これを公園として整備しようというのが工事の趣旨だ。公園は開港記念日の6月2日にオープンする。

Hpp4220326_2 MM21では、イベントに備えていろいろな施設が建設中だった。「公式記念品ショップ」「開国・開港の街」(写真左)「トゥモローパーク」「はじまりの森」などだ。おそらく、これからは突貫工事になるのではないか。私たちは、足休めに「NEXT YOKOHAMA BAY」(ワールドポーター内)というカフェに入った。メニューに「開国博Y+150」記念のアイスクリームがあるというので、それをオーダーした(写真右)Hpp4220339横浜には、「日本で初めての事や物」がたくさんあるが、国産初のアイスクリームも横浜が発祥の地だ。1869年(明治2年)、町田房造は、馬車道で氷水店を開業し、アイスクリームを初めて売り出した。当時は「あいすくりん」という名称だったという。馬車道にその記念碑がある。22日は、港とアイスクリーム、二つの「横浜もののはじめ」を振り返ることができた。

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2009/02/10

第7回 英国王立写真協会 日本支部写真展「Japanese Style Ⅱ」

Hpdm_0001_3  本写真展は、外国人招待写真家と日本支部会員による日本観である。タイトルは、前回と同様「Japanese Style Ⅱ 日本見たまま・感じたまま」だ。このテーマは、王立写真協会日本支部として取り組む価値があるだけでなく使命感もある。昨年に引き続き再度チャレンジしなければならなかった。3人の外国人写真家が参加され、私たちが目ざす国際的な写真展に少し近づいた。オープニングパーティーも外国人写真家や会員の家族を交え、にぎやかなものになった(写真)。ご高覧いただけたら幸いだ。英国王立写真協会日本支部ホームページ

会場:フォトギャラリーキタムラ(Tel 03-3341-7577) http://www.kitamura.co.jp

会期:2009年2月12日(木)~18日(水) 平日10:30~18:30、土曜11:00~17:00、最終日10:30~15:00

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Hpp2122471     

                                          

                                               

Hpapb216878_2日本の修験道

 私は、天狗を撮影した2点を出品した。1点は、東京の高尾山薬王院飯縄権現堂で撮影したもの(写真左 「修験者 An ascetic」)。高尾山は天狗信仰の霊山であり、修行の場だ。天狗は神通力をもち、除災開運、災厄削除、招福万来、衆生救済を施す力があるという。山伏たちは山にこもって霊気と一体になって修行し、呪力や験力を体得する。その姿は天狗にオーバーラップするという。

Hpdpb270136 もう1点は神奈川県南足柄市の大雄山最乗寺(曹洞宗)で撮影したもの(写真右 「妖怪 An apparition」)。結界門前の天狗は、肩を怒らせて今にも飛び立とうとしている。その雄雄しい姿は日本の精神性の象徴のようだ。修行を成就すると、宙を飛べるようになるのであろう。大雄山の境内には山林が130町歩もあり、巨樹が茂り霊気が漂っていた。

 自然の霊気から悟りを得ようとする天狗信仰や山岳修行は、日本(東洋)らしい修験道ではないか。

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2008/11/13

ヘレンベルグの木組みの家 ドイツNo.75

ドイツ建築のスタンダードHpp6077188

 ドイツでは、ほとんどの町が旧市街を大切に守っている。旧市街とは、教会や広場、市庁舎を核にして発達してきた町の原形をとどめるエリアである。木(骨)組みの家々が中世以来の伝統的な町並みを構成し、ほとんどの町がそれを自慢の種にし、観光資源にもしている。ドイツ人が、なぜこれほどまでに木組みの家を大切に守るのか、真相はまだわからない。(写真右はヘレンベルグのメインストリート、シュツットガルト通り Stuttgarter Str.。 両側にりっぱな木組みの家が並んでいる)

 私も木組みの家が大好きである。ドイツへ行く最大の楽しみは、木組みの家々に囲まれた空間に身を置くことである。なぜ好きになったのか、考えてみた。まず、木造でこれほど大きな家を建てた大工の技術に感動する。当然、マイスターの大工が建てたのだろう。5階、6階、ときには7階もある。次に、その建築空間と町並みは昔とあまり変わっていないと想像できるからだ。200年、300年、500年前の状景が目の前に広がっているのは感動的だ。最後に、ドイツ人がそれを守る精神に共感できる。木組みの家に囲まれると、なにか圧倒されて、ほっとする。

Hpp6082375Hpp6082380 古い木組みの家は今も第一線で利用されている。住宅やオフィス、店舗、ギャラリー、ホテルなどだ。狭い階段は広げられ、エレベータやエアコンが設置され、床は補強されているようだ。しかし、外観は昔のままだ。すなわち、文化財でありながら、現在の町で生かされているのがすばらしい。驚いたことに、現在のドイツの住宅は、新築も含めて伝統的な木組みの家の外観を模している。しかも、調和を乱さない同じデザインだ。列車の車窓からは三角屋根の住宅街がしばしば見える。木組みの家は、ドイツ精神の象徴と言ってよいのではないか。

Hpbp6082416_2Hpp6082415_3 ヘレンベルグ(Herrenberg)には、大きな木組みの家がたくさんあり、それを見学するコースが設けられている。目ぼしい家には、木組み構造の特徴を解説した表示板が設置され、観光客の便宜を図っている。数か所撮影したが、3か所だけ建築と解説をセットで紹介しよう。写真上の建築に対する解説(写真右)には、左端に「木組みの家 小道」とガイドの総タイトル、図の下に「BRONNGASSE1」と住所が書かれている。本文は「17世紀、フランケン人がよく使った南ドイツの木組み構造。……」とある。

ヘレンベルグについての参照: 「城壁を生かす街づくり ドイツNo.72Hpp6082429Hpp6082425_2 「うるおいのあるドイツの町 ドイツNo71」 「ヘレンベルグのサウンド ドイツNo.68」 「ペットボトル回収システム ドイツNo.66」

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2008/07/06

ハイブリッドなストラスブール駅 ドイツNo.67

最先端のシェルに包まれた駅舎Hpp6137845_4

 フランスからドイツへの帰路、ストラスブールでの乗り換えに1時間半ぐらいの待ち時間があった。そこで、駅構内と駅前広場を歩いてみた。構内から外へ出ると、透明なシェル構造に包まれた空間が広がっている(写真下)。4年前に来たときにはなかったスペースだ。駅前広場に雨よけのシェルを造り、駅を拡張したのである(写真上)。Hpp6137821_2覚えていた駅とは別のように見える。伝統的な旧駅舎をそのまま生かし、それに最先端の建築技術を結合させたのである。なんでも建てかえてしまう日本の建築とは違うアイディアに感心した。(左の写真で、左側が旧駅舎、右側が拡張した新駅舎)

 ストラスブールは、EUの欧州議会(国会に相当する)や欧州人権裁判所など、EUの中枢が集まっている都市だ。Hpeup6137840駅前広場には、加盟国の旗が伸びやかにはためき、EUの存在価値を強調するかのようだ。宗教や民族、国家・社会体制、経済・文化格差など多くの矛盾をかかえた国々が、まとまるということは大変なことである。我々の身近な例を想定してみると、絶望的である。これを成し遂げた英知と努力に敬意を表したい。駅舎は、それにふさわしいものだった。Hpp6137819明るいシェルの下で、まず目に映ったのは、親子が自転車の練習をしている風景だった。

【補足】 7月8日付の朝日新聞朝刊に、現在開催中のサミットに関係づけて「長持ちさせ議定書達成?」という記事(写真下)が掲載されていた。Hp要旨は「日本は世界に冠たる新築大国。マンション新築のために使われるコンクリートや鉄、ガラスなどの資材が大量のCO₂を排出する。建て替えより既存の建物を修繕・改修で長寿命化する選択肢がある」。ストラスブールの駅舎増築には大きな意義があるのではないか。

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2008/06/26

町並みとワインが自慢 ドイツNo.65

フランス・アルザスの田舎町Hpp6123741_2

 フランスのコルマールを訪れるのは2回目である。アルザス地方はドイツ領だったときがしばしばあるうえに、シュツットガルトから気軽に往復できるので、ドイツ旅行のオプションにしている。コルマール駅からタクシーで10分ぐらいのところにエギスハイム(Eguisheim)という小さな町(村)がある。アルザス・ワイン街道の一小村だ。

Hpp6092535 日本にあるわずかな情報と、インターネットから得た写真を頼りに、エギスハイムを訪れてみた。ホテルでもらったパンフレットを開いて驚いた。上空から俯瞰した写真には、ぎっしりと詰まった町並みが写っていた。その密度は想像を絶する。ドイツのノルドリンゲンも、城壁に囲まれた町並みが人々の結束を感じさせるものだった。エギスハイムは、規模は小さいが、それ以上に密度が高い。ブドウ畑に囲まれた直径約300メートルの円の中には家や教会などが密集し、道路は迷路のようになっている(写真左)。人々が生活と財産を守ろうとして造った集落であることが一目瞭然だ。どのようなコミュニティーが成り立っていたのか興味深い。町の中には8世紀創建の建物をはじめ、古い建築がたくさんある。いたるところに花が植えられていた。エギスハイムで取材した結果の一部をフォト・レポートする。

エギスハイムの中心にある聖レオ(Saint Leon)の泉(写真上右)。そばには聖レオ教会とエギスハイム城(Eguisheim castle)がある

エギスハイムの航空写真(パンフレットのコピー 写真上左)。教会と広場を中心にして環状に建物が並んでいる

Hpp6102965_2環状の狭い路地に住民の家が集中している。そこに、ブドウ栽培用のトラクターが入ってくる

Hpp6113039_3Hpp6102851_2ワインの醸造所に付属した直売店やレストランがたくさんある

Hpp6097682歴史的な町並みは国の指定を受けているようだ。城壁の出入り口にその表示があった

Hpp6102552村はブドウ畑に囲まれている

Hpp6102619_3ECOLEと書かれていたので小学校だとわかった。しゃれた校舎だ

Hpp6097656英語が通じないので苦労した。赤ワインのオーダーは、ウエイターのかぶっている帽子の色を指さし、スパークリングワインは、泡が出るようすをパントマイムで表現した。それを見て、周囲のお客が感心していた。champagneという言葉が思いつかなかった

Hpp6113064聖ペーター&聖ポール・パリッシュ教会の塔では、コウノトリが子育てしていた

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2008/03/03

町の中のユーモア〔Ⅱ〕 ドイツNo.59

地方が充実しているドイツHpp3030221

 日本のドイツ観光局で入手したドイツ全図では、文字の級数で町の規模が区別されている。4段階表示で、フランクフルトやハンブルグなどの大都市はもっとも大きな級数で書かれているので[]ランク、アウグスブルグやブレーメンなどの中都市が[]、ランズフートやハーメルンなどの小都市は[]、さらに小さな級数で町や村に相当する名まえがランク[]で書かれている(このランクづけは筆者が便宜的にしたもの)。掲載した地図では、[]に属するのがNurnberg(ニュルンベルグ)、[]に属するのがWurzburg(ヴュルツブルグ)、[]ランクに含まれるのがErlangen(エルランゲン)やSchweinhurt(シュバインハート)だ。ここで取り上げるBamberg(バンベルグ 右上のマーク)は[]に属する。

Hpa2p2280125_2 バンベルクは、地図上では小さな町だが、旧市街は世界文化遺産に指定されている。大聖堂の門前町という感じで、聖地の趣がある。今までに訪れたオーバーアガマウやノルドリンゲン、ランズベルグなども[]ランクだ。2004年に滞在したメーアスブルグは地図にも載っていない。ドイツでは、小さな町でも旧市街の町並みと伝統を保存し、それを誇りにしている。地方分権が徹底したドイツならではの状況であろう。そのため、ドイツではどこへ行っても被写体にはこと欠かない。それにひきかえ日本では、地方都市の統合や市町村名の変更を簡単に決めてしまう。先人の業績や、地域の伝統をおろそかにしているのではないか。ふるさとへの愛着がわかないのは当然だ。その結果、強い中央集権国家になってしまったのだ。

Hpbp2280128_2 バンベルグの旧市街におもしろい建築があった。ドイツ人らしいユーモアを感じたので紹介する。上左の写真は、建築の柱にファインダーの垂直を合わせて撮影したもの。坂道はかなり急に見える。乳母車を押す子どもも力が入ってしまったのだろう。しかし実際は、1階の柱だけ傾けて建てられていた。上右の写真が、地球の水平を基準にしてフレーミングしたものだ。坂道の傾斜が正確に写っている。上左の写真と比較してほしい。横浜の「みなとみらい21」地区にも、同じような発想で建てられたビルがある。ピサの斜塔はこのユーモアの原点だろうか。

Hpp3050225_3 バンベルク・新宮殿のバラ園

参照『町の中のユーモア ドイツNo.57』

参照『ゆったりした時の流れ ドイツNo.12』

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2007/11/21

巨人のスリッパ ドイツNo.53

Hppb229256 マグダレーナ庵の上履き

 どこの国にも、われわれ日本人には想像もできないことがたくさんある。それは当然だろう。ドイツにもそれはある。それを紹介するのも本ブログを書く楽しみだ。

 ミュンヘンの中央駅から北西へトラム(路面電車)で10分ぐらいのところにシュロス・ニンフェンブルグがある(写真上)。ミュンヘンの代表的な名所だ。シュロス(schloss)は城と訳したり、宮殿とも訳す。王侯や領主の住まいだ。ニンフェンブルグは、バイエルン地方を治めていたヴィッテルスバッハ家の夏の離宮に使われていたという。マクシミリアン・エマニュエルの誕生を祝して1664年に建設が開始されたとガイドブックに書かれている。広大な敷地は宮殿と庭園、森で構成されているが、その北の一角にHppb229254「マグダレーナ庵」(Magdalenenklause 写真右)がある。 華やかな宮廷生活を過ごしたエマニュエルの隠居所で、礼拝と瞑想にふける場所だった。周囲は森に囲まれ、華麗な宮殿とは対照的で、質素な建物だ。いかにも隠れ家という雰囲気である。

Hppb229250_8 庵の内部は見学できるようになっている。靴を脱いで用意されていたスリッパに 履き替えようとしたら、係官から靴のままスリッパを履けと指示された。確かに大きなスリッパで、素足ではブカブカで歩けない。靴を履きなおしてスリッパを履いた。観光客にはありがたいアイディアだと思った。特に、脱いだり履いたりがめんどうな靴には好都合だろう。けっして歩きやすいとは言えないが、いかにもドイツらしい。はたして、ハイヒールでは歩けるだろうか?

Hppb229253 内部には祭壇が設けられ、怪奇な雰囲気が漂っている。天井や柱にはタイルがはめ込まれ、アントニオ・ガウディの建築を想起させる。エマニュエルの隠遁生活がどのようなものだったかわからないが、ここでは心静かな時間がもてるような気がした。

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