2009/12/22

心なごむアドヴェント ドイツNo.90

ランズベルグのクリスマス…フォト・アルバムHppc146092

 前ページに引き続き、写真でアドヴェントの思い出をつづろう。ミュンヘンの南西、電車で45分ぐらいのところにランズベルグ・アム・レヒ(Randsberg am Lech)という小さな町がある。ロマンティック街道の一小都市でもある。レヒ川のほとりに、ひっそりとたたずむ雰囲気と規模は、住むには理想的な町のように感じる。クリスマス・マルクトも小規模ゆえに心あたたまる情緒がある。夕方4時になると、住民が三々五々教会わきのGeolg-Hellmair広場に集まってくる。老若男女、子どもたちが心を一つにして静かに過ごすアドヴェントはすばらしい。かつて、アドルフ・ヒトラーは、ここにあった刑務所で「我が闘争」を執筆したそうだ。しかし、そのような緊迫感はまったくない。ドイツ特有のゆったりした時間が流れている町である。写真は上は、イルミネーション越しに見る市教区マリア昇天教会の塔

市内のクリスマスの飾りは質素だが、まごころのこもったものだHppc114909Hpvorderer_angerpc135497

Hppc122884花屋に飾ってあるリースと店頭のヤドリギHppc122887

Hppc135606ショーウインドのクリスマスツリー

                                     

                             

                          夕方4時になるとマルクトが開き、人々が市教区マリア昇天教会の広場にやってくる。スタンドテーブルが少しずつ埋まっていくHppc125110

サンタクロースがお年寄りや子どもたちにプレゼントを配るHppc135621

Hppc142957人々の会話はささやくようだ。穏やかなBGMだけが耳に入ってくる

クリスマスの飾りを売る小さな露店Hppc142977

その日のマルクトが終わると、町は静寂に包まれる。壁にぶら下がったサンタクロースが寂しそうHppc125193

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2009/12/09

敬虔と祝賀のクリスマス ドイツNo.89

ミュンヘンのアドヴェント…フォト・メモリーHppc102628

 ドイツでは、クリスマス前の約4週間をアドヴェント(Advent 待降節)と呼び、クリスマスを迎える準備をする。今年は11月29日(日)から始まった。今回もドイツへ行けないので、2年前の写真で思い出をつづりたい。それでも十分楽しめるのがドイツのクリスマスなのだ。(写真上 フラウエン教会で聖歌隊のコーラスが聴けた)

Hppc092510ホテルの部屋に入ると、アドヴェントならではの心温まる歓迎に出合った。おかげで長旅の疲れを忘れた

Hppc167926クリスマス・マルクト(市場)は、市内のいたるところに開かれる。新市庁舎前のマリエン広場にはもっとも大規模なマルクトが立っていたHppc104765_2

ミュンヘンの新市庁舎の中庭に飾られたクリッペ(キリスト降誕の場面をジオラマで表現したもの)は人気があり、多くの人々を集めている(写真下2点)Hppc102595Hppc104783

Hppc102649この時期には、クリッペ・コンテストがあり、入賞作品がノイハウザー通りに飾られていた(写真上右)

Hpkripperlmarktpc167970アドヴェントでは、おとなも子どももクリッペを作るのが恒例だ。ミュンヘンには、クリッペ用品専門のマルクト(Kripperlmarkt)があるHppc163107

Hppc104686_2ノイハウザー通りではサンタクロース(写真右)に、聖ペーター広場ではクリストキント(白い衣装の女の子)(写真下)に出会った。ドイツでは、クリスマスイブにプレゼントを配るのはクリストキントで、サンタクロースは12月6日の聖ニコラウス祭にお菓子を配るのだそうだHppc173211_2

Hppc166416聖ペーター広場には、巨大なクリスマス・クランツ(ローソク)のピラミッド(ローソクの熱で回る風車を模したもの)があった写真上右)

同じく聖ペーター広場に飾られた大型のクリッペとキリスト像? クリスマスの雰囲気がいっぱいだったHppc173229Hppc166409

クリスマスと言えばグリューワインが定番だ。温めた赤ワインに香辛料を加えたものでクリスマスには欠かせない。香辛料にその店独自のノウハウがあるようだ。ドイツ人は、これを飲んで体を温め、アドヴェントを楽しむHppc173253Hppc102561

ヴィクトアーリエン広場のカフェは、ビニールシートで風除けを作って営業している(写真下)中は満席に近かった。花屋にはツリーなどに使う針葉樹の小枝がたくさん並べられている(写真下右)Hppc157882Hppc153082

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2009/11/12

中世の市壁とベルリンの壁 ドイツNo.88

『壁』を造るのが得意Hpp5289383

 ベルリンの壁が崩壊して20周年になる。記念行事が行われ、あらためて東西統一の意義を確認した。日本を含むアジアでは想像もできない快挙だったと思う。

 ドイツは、神聖ローマ帝国の時代からビスマルクのドイツ帝国(初めての統一国家)を経て、現在のドイツ連邦共和国に至るまで、基本的には地方分権(領邦)国家だった。当初は、小王国、公国、選帝侯国、辺境伯領などの諸侯がそれぞれ領土を統治していた。互いに他の領邦を認め合い、戦争になると一致団結して外敵と戦うというかたちで、国土がまとまっていた。現在のドイツは、その領邦を引き継ぐかたちで16の州で構成された地方分権の連邦制国家である。このようにして、長年、地方分権の精神を育んできた。ベルリンの壁が取り除かれ、東西ドイツが統一された根底にも、この精神が流れていると思う。(写真上はノルドリンゲンの市壁、南西部分の外側。塔はFeiltrum)

Hpp5280001 日本でも道州制による地方分権制度の導入が検討されているが、既得権と利権が絡み合った現状と、他者に寛容になりにくい日本人の国民性を考慮すると、おそらく実現は不可能だろう。最近報道されている「事業仕分け作業」は日本にとって画期的な政治だが、事実を知れば知るほど絶望的になる。しかし、私は、ドイツのような地方分権の連邦制国家が理想的だと思っている。自然界の生物多様性と同じように、行政や国民の価値観は多様なほうが健全だと思う。写真上左 レプシンガー門から市壁の外と内を望む)

 中世の領邦はいくつもの町に分かれ、それぞれが安全と財産を守るために市壁(城壁)を造って、コミュニティーを形成してきた。領邦の中がまた地方分権だったのである。かつて、ドイツのほとんどの町は市壁で囲まれていた。しかし現在は、ほとんど取り壊されていると言っていいだろう。私が訪れたノルドリンゲン(Nordlingen)は、ほぼ完全に市壁が残されていた(写真上2点)。ロマンティック街道の隣町ディンケルスビュール(Dinkelsbuhl)やローテンブルグ(Rothenburg)も同じだと聞く。Hpp5258492Hpp5268849ほかにもいくつかの町で完全に近い市壁があるかもしれないが、だいたい市街地整備で撤去され、門とその周辺だけ、あるいは公園のひと隅に記念碑のように残されている場合が多い。写真上左 ノルドリンゲンの市壁上の回廊と内側 写真上右 市壁沿いにある地ビール工場)

 『モノが語るドイツ精神』(浜本隆志 著 新潮選書)によると、ドイツにかぎらず中世の人々には「マクロコスモス(大宇宙)」と「ミクロコスモス(小宇宙)」という対立的な世界観(宇宙観)があったという。少し長くなるが、その部分を引用すると、「マクロコスモスとは非日常的な、人間の力のおよばない世界を意味し、超自然現象、嵐、風、火、死、病気、不幸、災難、戦争もその世界に属する。Hpp5289480Hpp5258353さらに天空、大地、地下、森だけでなくオオカミ男、魔女、盗賊など得体の知れないものが住むところもそうであった。人びとはこのような世界に対し、畏敬と恐怖の念をもちながら暮らしていた。それとは対照的なものとして、ミクロコスモスは日常的な生活世界、中世都市、農村、家庭などの領域を意味する。」人びとは恐ろしいマクロコスモスから身を守るために市壁を造ったのだという。Hpp5289364Hpp5258503中世の人々にとっては、現代とは違い、不可解で対処できないことがはるかに多かったはずだ。残された市壁や城壁の高さと頑丈さを見ると、それがうなずけるのである。ドイツ人はたくさんの『壁』を造り、たくさんの『壁』を壊してきたと言ってよいのではないか。(写真上左 市壁の窓から外を望む 写真上右 弓や銃口を出す穴 写真左上2点 市壁の小さな出入り口。市壁の厚さがわかる。補修した部分から煉瓦の積み方がわかる)

 1961年、東ドイツがベルリンの壁を造った動機は中世の場合と同じではないが、根底に流れているものは似ているような気がする。“仮想マクロコスモス”の遮断という点では共通なのかもしれない。ドイツ人は壁を造るのも壊すのも得意だと言えないか? 参照 『ノルドリンゲンで暮らす ドイツNo.19』

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2009/10/07

フランスの新幹線TGV ドイツNo.87

緊急時に窓ガラスを割るハンマーを装備Hptgvp6097511_2

 ドイツとフランスの新幹線を紹介しよう。まずフランスからだ。とはいっても、フランスの新幹線TGVは、ドイツも走っている。軌道幅Hpp6097507_2(標準軌)はもちろん、運行システムが共通なので、ドイツの線路を走ることができる。フランスのTGVとドイツの新幹線ICE、それに日本の新幹線は、世界の高速鉄道のベスト3だ。Hpp6137894世界各地で技術プラント売り込みのライバルでもある。軌道はすべて同じだが、スピードが違う。TGVは最高時速500キロ以上、ICEとJR新幹線は400キロ以上だ。営業運転ではないが、TGVは群を抜いている。車内の第一印象は、日本の新幹線は“ビジネス特急”なのに対して、ヨーロッパでは“レジャー特急”という感じだ。これは自身の立場からの偏見かもしれない。

 私たちが乗ったのは、シュツットガルト発、フランスのパリ東駅行きだった。フランスのコルマールへ行くためにストラスブールまで乗った。2等の車内を中心にそのときのようすをレポートする。

シュツットガルト中央駅に停車中のTGV。フランスのパリ行きだ(写真上右2点)

TGVのロゴマーク(写真上左)

2等車の室内。私たちのシートナンバーは25、26だった。運行区間によって表示が変わるHpp6097514Hpp6097517

折りたたみのテーブルとカップフォルダー(写真下)Hpp6097524

各種ピクトグラフ。左は「2等」「携帯電話可」「禁煙」の表示。右は「方向指示(この先)」、「パソコン接続コーナー」「トイレ」「赤ちゃんのおむつ交換コーナー」。TGVもICEも車内でパソコンが使える(写真下)Hpp6097523_2

帰路に乗ったのは対面シートだった。窓側にデスクがたたまれていて、手前に倒して使う。デスクの裏面には4か国語で「Game pieces on sale at bar counter](英語)と書かれている(写真下)Hpp6137867Hpp6137877_2

Hpp6137892            

            

緊急時脱出用のハンマーが装備され、4か国語で「Window breaking hammer」(英語)と表示されている。ICEも同じだ。日本の新幹線にはない装備だ。国民性と国情の違いを感じる

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2009/09/15

大いなるドイツ ドイツNo.87

第38回「まちだ写好会」秋の写真展Hpdm

 まちだ写好会のコーチを務めて1年半になる。私は、今回で4度目の写真展参加だ。年に2度の写真展を開催するグループは少ないだろう。それだけ、メンバーの技術向上は目ざましい。写真にかぎらず、物事への取り組みは時間をかけたぶんに比例して向上するのが原則だ。もちろん才能や効率はあるが、一個人にとってはかかわった時間に比例して進歩向上する。これは学問と同じだ。まちだ写好会のますますの発展と、メンバーの写真ライフの充実を祈る。

会場:町田市フォトサロン1階(薬師池公園内)

期日:2009年9月16日(水)~23日(水)  10:00~16:30Hpp9158717Hpp9158715

                   

 私は、ライフワークである「ドイツからの風」から2点出品した。『ドイツの孤高』(写真下左)『ドイツの威光』写真下右)だ。どちらも、ドイツ連邦共和国に対する私の解釈である。Hpp9141253_3Hpp2269581_6

         

新しい展示用ツール 町田市フォトサロンで展示に立ち会った。壁面で作品の高さを決めるのに便利な道具が使われていた。レーザー光線を水平に投影して作品の高さ基準を決めることができる。Hpp9158695従来は、糸を水平に張って高さを決めていたが、その必要がない。糸が展示の邪魔になったり、緩んで精度が低下することがない。今までに数えきれないぐらい展示作業に立ち会ってきたが、革命的な道具だと思った。ただし、レーザー光線の発光部を覗き込むのは危険だ。商品名は、本体に「TAJIMA BLV-TY」と書かれているが、よくわからない。

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2009/07/22

ペットボトルの自動回収機 横浜No.37

Hpp7150026_2デポジット制のテスト?

 開国博は環境イベントである。有料4会場の電力は廃棄物発電(サーマルリサイクル)でまかない、施設や運営は随所で環境に配慮されている。特に、Y150トゥモローパークは顕著だ。会場を囲む緑化壁、分別ゴミ箱のエコステーション、省エネで外気温を下げるドライミストなど、近未来の都市像を想定した施設がある。Hpp7150185_2

 もう一つある。会場内のコンビニエンスストアーの前にペットボトルとカンの自動回収機が設置されている(写真上左)。ドイツ・ヘレンベルグのスーパーにあったもの(写真下左)と類似した機械である。回収できるボトルとカンは、開国博で販売されているコカ・コーラ社製品に限るが、消費者が環境問題に積極的にかかわる機会ができるので、一歩進んでいるのではないか。Hpp7150032

Hpp6066981 ドイツではデポジット制の端末として設置されているが、ここではキャンペーンの一環なので、抽選で賞品(飲料の引換券と割引券)が当たるようになっている。ボトルやカンを回収口(写真右)へ入れると、ボトルに張られたバーコードをOCRが読み取り、処理される。当たり券が出ると、コンビニ店内で特典に交換する。まだテスト段階だが、日本でもそろそろデポジット制が普及するのではないか。ペットボトルなどの回収率と環境意識を高めるのに役立つだろう。Hpp7150049_2

参照: 「ペットボトル回収システム ドイツNo.66」

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2009/06/18

ビルに森を作る ドイツNo.86

ドイツのグリーンカーテンHpp6143794

 地球温暖化対策が緊急課題になってきた。私たちは二酸化炭素の排出量をいかに少なくするかを考えなければならない。近年、グリーンカーテンという言葉がよく使われる。特に今年はマスコミで取り上げられる機会が増えている。建物の壁面に植物によるHpp6143795グリーンカーテンを作り、直射光を遮断し、エアコンの利用効率を高めようという考え方だ。これにより、二酸化炭素の排出を減らすことができる。一方、植物の蒸散作用により、周囲の気温を下げることもできる。日本では、ゴーヤ、アサガオ、ヘチマ、キュウリなどのツル植物がグリーンカーテンとして植えられている。

 植物は人間と同じように体温調節をしなければならない。葉の裏側にある気孔から水蒸気を蒸散し、そのときの気化熱で体温を下げる。葉自身は最大約10度ぐらいまで下がるという。この気化熱は周囲の大気にも影響して気温が下がる。これは森の中が涼しく感じられることと同じ現象だ。

 ドイツ・シュツットガルトの常宿の近く(Stockach str.)に変わったビルがあった。壁面にこんもりと緑の塊が付いている(写真上右)。ツル植物が茂っているようだ。生長しているところは、樹木のように葉が茂っている。あたかもビルに森林ができたようだ。調べてみると、ビルの壁面に垂直に鉄骨が組まれ、それに沿ってツルが伸びるように作られている(写真上左)。広範囲にビルをカバーしているわけではないので、遮光効果よりは、蒸散作用で気温を下げることが目的のようだ。同時に、光合成により炭酸ガスを吸収し酸素を放出するだろう。少しはフィトンチッドが発生するかもしれない。なお、この植物については不詳だ。

 最近は日本でも見かけるが、屋根に土などを敷いて植物が育つ素地を作っている。特別な植物を植えたり種をまくわけではない。一種の荒地を作って、自然の遷移に任せて植物を育てようということだろうか。Hpp5250011_4Hpp6147999_2一般的に、荒地では、まず先駆植物(地衣類、コケ類、藍藻類など)が育ち始め、腐葉土が形成されると、いわゆる雑草類が生えてくる。その後、陽樹(シラカバ、カラマツなど)、陰樹(シイ、モミ、トドマツ、ブナなど)の順に優先種が変わり、最後に森林が形成される。これを極相と言う。温帯の荒地が自然の頂点(極相)である森林になるまでには500年かかるという。屋根に森林を作るわけではないが、植物が育つことでヒートアイランド現象を緩和し、都市に潤いを作ることができる。ドイツで撮影したものは、まだ先駆植物の状態だった。どこまで遷移するのか興味がある。(写真上左はノルドリンゲンの幼稚園の屋根。城壁の遊歩道から見えた。写真上右はシュツットガルトのシトレーン営業所の屋根、ホテルの窓から撮影した)

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2009/06/03

ラードは伝統的な調味料 ドイツNo.85

パンに塗って食べるHpp2222969

                                           

 パンといっしょに出てきたものは、見たことがないものだった(写真右)。白色半透明で小さなカップに入っている。芯のないローソクのように見える。あきらかにバターではない。ウエイトレスに聞いてみると「シュバイネシュマルツ」だという。もちろん、初めて聞く言葉だ。家内が勘でラードではないかという。持っていた電子辞書(和独)で「ラード」を調べると「Schweineschmalz」とある。ウエイトレスに電子辞書の液晶画面を見せると、戸惑いの表情が笑顔に変わった。彼女は意思が伝わったことがうれしかったのか、電子辞書に感動したのか…、私たちもうれしかった。パンに付いて出てきたものはブタの油、すなわちラードであることがわかった。ラードをバターのようにパンに付けて食べるのは初めてだ。Hpp2222972Hpp2253146ずいぶん前に、惣菜屋さんがとんかつを揚げるのにラードを使っていたことを思い出した。現在も同じだろうか。私は脂肪を控えているのでためらったが、食べてみるとおいしい。バターとは違った趣がある。今年の2月、ゲンゲンバッハのレストランで夕食をとったときの出来事だ。(写真上左はレストランPfeffermuhleの窓辺)

 坂井洲二著「年貢を納めていた人々」(法政大学出版局刊 教養選書)には、1899年当時の昼食の献立例が記されている。チュービンゲンに近いロッテンブルグの農家の場合だ。それによると、「月曜日:ラードで味付けした団子またはヌードルにいんげん豆 火曜日:ラードで味付けしたヌードルにかぶ 水曜日:ラードで味付けしたヌードルにえんどう 木曜日:団子にザウエルクラウト。もしあればベーコン 金曜日:ラードでいためた団子にサラダ。あるいはゆでたヌードルにコーヒー 土曜日:シュペッツレに細切りのじゃがいも」とある。この献立から、かつてのドイツではラードが調味料として主要な位置にあったことがわかる。

Hpp2222983Hpp2222978 夕食をとったレストランPfeffermuhle(英語ではPeppermill 日本語に訳すと「胡椒屋」だろうか)は、創業が1476年とホームページに書かれている。現在は、レストラン(写真上右)とホテルを営業している(ガストホフ)。ドイツにはよくある老舗だ。ラードが食卓を飾るのはあたりまえなのかもしれない。「年貢を納めていた人々」は以前読んだのだがラードのことは記憶になかった。最近、別件を調べるために読み返していて気づいた。あらためて、Pfeffermuhleがゲンゲンバッハの老舗であることを知ったのである。

 今は、カーニバルの飾りが施された部屋(写真上2点)でとった夕食が懐かしく思い出される。

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2009/05/31

ドイツを象徴する樹形 ドイツNo.84

1本の街路樹Hpp2253212

              

 ドイツのゲンゲンバッハで変わった樹木を見た(写真右)。根元に人が潜り込めるような洞がある。深山で見つけたら驚かないのだが、駅前通りの並木の1本だったので、異様に感じた。まったくの自然か、人手が加わったのか不明だが、不思議な樹形だ。1本の幹から枝分かれするのはよくあるが、逆に、分かれている幹が一つにまとまることはあまり見ない。根が岩をつかむように枝分かれしているのはときどき見るが…。プラタナスのようにも見えるが、樹種は不詳だ。

 しばしば、樹木には意思があるのではないかと感じるときがある。幹の伸び方、枝や根の張り方、葉の付け方などに目標があるように見える。これは当然で、ほとんどの植物は地上で光を求め、地中で水分や栄養分を求めている。少しでも良い条件を獲得しようと生長すると、意思があるように見えるのだ。しかも、樹木は大きく存在感があるので、人間に喩えたくなる。

 樹木の形は、木の“意思”だけで決まるわけではない。風や雪、ほかの樹木や岩石、人為などの外力でも樹形は左右される。“意思”を内的な条件とすれば、外力は外的な条件だ。両方で形成される点でも人間と同じではないか。ところで、Hp210p5170105_3八ケ岳山麓の身近なところにも変わった木がある。大きく水平に枝分かれ(幹分かれ)してから上に伸びている(写真左)。ありそうな形だが、原因はつかめない。何か外力が加わったとしか思えない。我が家のサンショウの木は根元がクランク形に曲がっている(写真下右)。幼木のとき、雪の重さで折れ曲がり、それが復活したのだ。今年は植樹してから15年ぐらい経ったが、初めて花が咲いた。若芽を筍ご飯やうな丼に飾って香りを楽しんだ。風雪に耐えた香りである。

Hpp5170128 樹木は擬人化しやすい被写体だ。ゲンゲンバッハの奇木にドイツの気風をあてはめてみたくなる。タキトゥスの「ゲルマニア」によれば、紀元1世紀ごろ、ゲルマン民族には20数種の部族があったという。多くのゲルマン諸族は協調して共同体を築き、中世ではいくつかの領邦国家が互いの存在を尊重して国家的な体面を作った。それは、現在の地方分権国家につながっている。さらに、ドイツはEUのリーダーシップを執っている。ドイツ人は異質なものを認め、協調できる底力をのようなものをもっていると思う。この奇木の威容は、いかにもドイツ的ではないか。大地にしっかりと根を張り、自国のみならず欧州までもまとめていく知見を象徴しているように思う。

 さて、樹木は良い被写体だ。意思があるというのは喩えであって、真相ではないが、すくなくとも、被写体としてみるときには、意思があると考えて撮影することが大切であろう。性格や魅力、キャリアが読みとれると思う。ゲンゲンバッハについて参照:『ゲンゲンバッハ ドイツNo.81』『日時計で暮らしてみたい ドイツNo.83』

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2009/04/12

日時計で暮らしてみたい ドイツNo.83

Hpobertorp2253148_2時間と私

 ドイツ・ゲンゲンバッハ(Gengenbach)で二つの日時計を見つけた。一つは上門塔(Obertortrum 写真右)に、もう一つは民家(写真下左)の壁にあった。それらを見て、ドイツ中世の生活を想像しながら時計と生活、時間について考えてみた。

 私が写真の創作活動に集中しはじめたころ、奈良原一高氏の「ヨーロッパ 静止した時間」という作品群に感動した。Hpobertorp2253144それを自身の当面の目標に設定し、「大和路の印象」を撮影した。とても奈良原氏の作品には及ばなかったが、テーマに取り組む充実感は味わった。そのとき、奈良原氏のタイトルが気に入ったのである。「時間」という言葉は、当時の私には、なぜか新鮮だった。そこで、いつか自分の写真展に「時間」を含むタイトルを付けたいと考えていた。20年後、横浜の風物を撮影した写真展に「横浜がみえる時間」というタイトルを付けた。英語が得意の義弟に英文化してもらったら、「Yokohama as it reflected on my mind」となった。英文のほうが私の表現意図をわかりやすく表している。「Time」とか「When」というような時間を表す単語は含まれていないが、時間の概念は十分に伝わると思う。ちなみに、私は、自身のテーマやタイトルを英訳しておくことにしている。

 「時間」は人間の高度な概念である。もちろん、人間以外の動物や植物にも時の流れに従った反応や行動はあるかもしれないが、人間ほど高度ではないはずだ。私は、動植物の時間について書く資格はない。しかし、人は過去を振り返って歴史を記録し、それを活かして未来の計画を立てることが、動植物とは違うと言うことはできる。時計が発明されたのはその証しだろう。

 時計の始まりは日時計だといわれる。紀元前3500年ごろ、エジプトでオベリスクと呼ばれる石柱を建て、午前と午後を区別し、影の長さで季節を知ったという。紀元前2000年ごろのメソポタミア文明では、昼間を6等分した日時計が使われていたという(cf. 原始時計の時代)Hpp2220111_2その後、水時計や火縄時計、線香時計、ローソク時計などが発明され、紀元1000年ごろ機械式時計が発明された。教会の鐘を定期的に鳴らすためのものだという。13世紀にはかなり正確な機械式時計が作られていたようだ。

Hpp2248800 時計の進化は文明の発達と連動している。文明は人間の脳内で起きている出来事の具現化といっていい。人の脳が開発された分だけ、より正確な時計が必要になった。現代文明はそれを象徴している。現在の時計は、秒単位どころか1/100秒単位まで測れる。正確な時間や時刻を測れるのは、高度文明と技術の象徴である。一方、逆に時計に振り回される社会ができてしまったのも事実だ。はたして日常生活に「--秒」は必要だろうか。「--分」は、朝の通勤時に電車に間に合うかどうかがかかっているので必要だ。現状では、「--分」は必要だが、「--時」だけで過ごす仕事や生活があってよいのではないか。それは実現可能だと思っている。

 正確な時計が発明されて人間が本当に幸せになったのだろうか。ゲンゲンバッハの日時計を見て、より正確な時刻を知ることが、どれほど重要なのか考えされられた。藤沢周平の小説は、「刻」の単位でストーリーが進行する(1刻は約2時間、それを4分または3分した)。このテンポは、人情を描写するのにこのうえない条件のように思う。ドイツの町では、教会の鐘が聞こえる。3時間ごとに鳴るのは中世以来の伝統だ。夜は別にして30分ごとに鳴る所があれば、15分おきの所もある。私も、ドイツ中世のような日時計や教会の鐘のリズムで暮らす生活をしたいものだ。

 時計とは別に、時間は人間独自の概念であり、表現には欠かせないものである。音楽や映画は時間芸術である。時の流れのなかには、動きと速さがあり、繰り返しと変化がある。リズムやテンポも感動の要素だ。これらは時間芸術の基本要素である。写真の分野にもそれを導入したい。そこで私は、撮影のモチーフの一つに「時間を撮る」ということを提唱している。

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