2016/01/16

八ヶ岳の現況 八ヶ岳山麓No.192


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例年にくらべ、ほとんど積雪がない(携帯で撮影)

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2015/09/29

『朝夕の争い』 5日 16時まで

第9回 プローバー’01 写真展

 

会期:2015年9月29日(火)~10月5日(月) 初日は13:00~ 最終日は~16:00
会場:かなっくホール ギャラリーB
(アクセスはDM宛名面のポップアップ参照)

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Hpp9291209_edited1Hpp9291203 今回の写真展はプローバー’01創立15周年記念展である。会場のあいさつ文を以下に掲載する (写真上は会場風景、同下左は作品一覧などを収録したプログラム《A4判 4P》。同下右はプローバー’01のメンバーHppa011262_edited1)Hpp9291213_edited1

「朝夕の争い」
 写真の世界では、朝夕がシャッターチャンスだといわれています。朝夕の被写体は、どちらも低い光で照明され、しばしばドラマティックな表情に恵まれます。はたして、写真に最適な時間帯はどちらでしょうか。
 私たちは、3年前「春秋の争い」という写真展を開催しました。これは、四季の変化が顕著な美しい日本で、春秋の優劣を競おうというものです。古来、万葉集や源氏物語でも取り上げられてきたテーマです。この「春秋」を「朝夕」に置き換えてみました。朝夕の優劣は、写真にたずさわる私たちにとっては大いに関心事です。私たちプローバー’01は、朝と夕の味方になっていろいろな風物を撮影してみました。
 作品をとおして、多くの写真家と朝夕の優劣を話し合えたら幸いです。
 2015年9月29日  プローバー’01一同/コーチ:豊田芳州Hpimg_0002

 

 

カテゴリーについて
 文章や書籍には章や節、段落がつきものだ。たくさんの情報を伝えるとき、それをいくつかに分けて、論述しないと、読者は混乱して内容を把握できない。章や節にはタイトルがあり、段落には見出しがつく。写真集や写真展にも、この区分けは必要だ。私は、この区分けや分類をカテゴリーと言っている。このたびの『朝夕の争い』展には、このカテゴリーを最大限に利用した。
Hpimg 名取洋之助 著「写真の読み方」(岩波新書)には、いかに写真をわかりやすく読ませるかということが書かれている。おもに報道写真やドキュメンタリーについて解説されているが、写真展や写真集にも触れている。要は、画面の大小と並べ方により、伝えたいことを明確にして読者に見せようということだ。私たちプローバー’01展では、プリントサイズは一定(A3)だが、並べ方では大いに工夫した。
 プローバー’01は、全作品を朝夕二つに分け、さらに、それぞれを三つに分類して色分けして区別した
(図表左上 ポップアップ可 。カテゴリーの色は作品のタイトル札にも反映されている。常にカテゴリーを念頭において作品を見ていただこうと意図したからだ。

 

 

 

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私は、朝と夕に1点ずつ出展した。 「朝」はカタクリの写真『目覚め』だ。カタクリは朝、閉じていた花弁を開きはじめ、日が高くなるほどに全開し、午後は花弁がそり返るほど開き、オシベやメシベを大きく露出する。夕方になると閉じはじめ、夜は完全に閉じる。この現象を1週間以上繰り返す。作品は8時33分に撮影した。
 「夕」に出展した写真は、ドイツ・ランズベルグで撮影した『待降節の楽しみ』だ。11月下旬になると、ドイツのどこの街でもクリスマス・マルクト(市)が建ち、クリスマス(降誕祭)に備えてアドヴェント(待降節)を過ごす。私は5日間ほど滞在したが、毎夕4時ごろになると、人々が三々五々マルクトに集まってくるのを観察した。Hppc135673大人たちはグリュウーワインを飲み、子どもたちはスナックを食べながら、クリスマスを待ち望む。作品は、12月13日、17時2分に撮影。

 

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2015/05/11

昔懐かしい写真展『ふるさとの記憶』 5/12~5/17

第13回 ヌービック・フォト・フレンズ5写真展

会 場:神奈川県民ホール 第2展示室 アクセスはマップ参照(ポップアップ可)
日 時:2015年5月12日(火)~17日(日)10:00~18:00 初日は13:00~ 最終日は~15:00

Hp_dm_2 「ふるさと」といえば、文部省唱歌が有名だ。この歌には、ふるさとが凝縮されている。いろいろな「ふるさと」がある。まず「生まれ育った土地」、次に「精神的なよりどころとしてのふるさと」があり、「かつて住んだり訪れたことのある土地」、また「我が家」をさす場合もある。ヌービック・フォト・フレンズ5は、これらを意識して撮影し展示した。
 ヌービックはテーマにこだわり、毎回、悪戦苦闘してこなしている。今回の『ふるさとの記憶』についても同じだった。しかし当初は、これは取り組みやすいテーマだと思ったようだ。Hp_dmimg_0004ヌービックのメンバー一人ひとりにふるさとがあり、観客(鑑賞者)それぞれにもにもふるさとがあるからだ。情報伝達には、送り手と受け手に共通の素地や土壌があるほど伝わりやすい。ふるさとについていえば、自分のふるさとは他人のふるさとになるだろうと考えられる。あきらかに良いテーマだと思ったようだ。良いテーマとは、労せずして撮影し、展示作品を選べるという一面がある。ところが、そうはいかなかった。
Hpp5141706 ヌービック・フォト・フレンズ5のまとめ役は、前ページで紹介した写真集『弘前散歩』の著者・辻 栄一氏である。作品が集まるほどに、辻さん(以下、さん付けとする)には送り手と受け手のギャップが見えてきたようだ。辻さんの作品の評価眼はいつも厳しいのだ。それを埋めるために、メンバーの苦戦が始まった。差し替えのために撮り直しをしたり、ありネガの探索を重ねた。その結果、見事な作品展になったと思う。Hpp5141686テーマに対する解釈の多面性と正確さはプロフェッショナルといえよう。特にグループ展としては最高のできばえだ。テーマをこなす苦戦はおおいにけっこうだ。この葛藤が作品展をグレードアップすると思う。テーマとはそういうものだ。テーマのない写真展は観客を意識しているとは思えない。辻さんがまとめた会場のあいさつ文を以下に掲載する。 (写真上右 「ふるさとの情景」コーナー、同上左 「昭和の面影」コーナー)

ふるさとの記憶
「ふるさとは遠くにありて思ふもの そして悲しくうたふもの.....」
 明治の文豪 室生犀星が24歳の時、ふるさとに対して愛憎をこめて作った詩である。 誰にでもふるさとはある。生まれ育ったふるさとはいくつになっても心に残っている。楽しいことばかりではなく、辛く苦しいこともあった。遠い昔の記憶であるが、幼いころに遊んだ野山やあのころの風景に出合えばどこか懐かしく、そして安らぎを覚える。それがふるさとなのである。
 今回の写真展は3部で構成されている。
第1部「ふるさとの情景」ではふるさとの原風景を感じたり、子供の頃の様々な体験を思い出すことができます。
第2部「昭和の面影」では人々の暮らし方が大きく変貌する高度成長期以前の、『always三丁目の夕日』のような昭和の風景にタイムスリップしていただけます。
第3部「横浜のふるさと」で幕末の開港によって文明の発祥地となった旧居留地界隈のエキゾチックな街角を探訪しています。
 それぞれのふるさとを愉しんでいただき、しばしの郷愁に浸っていただければ幸いである。 2015年5月12日 ヌービック・フォト・フレンズ5 一同

作品のタイトルは以下のとおり(ポップアップ可)Hpimg_0006_3(写真下右 「横浜のふるさと」コーナー)Hpimg_0006_2
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2015/05/08

辻 栄一 著 『弘前散歩』

アマチュア写真家の究極の活動
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作品を発表する意義
 写真を撮影したら個展を開催するか、写真集を刊行したい。写真で、もっともおもしろいのは撮影だと思う。それだけでも写真をやる価値はあるだろう。他人をアッと言わせる珍しい被写体や、自身の追及しているテーマにピッタリの被写体を探すのは、写真のだいご味だろう。それを自身の得意技で料理するところに、カメラを持っている喜びを感じるものだ。しかし、そこまででは写真家とは言えない。写真家とは「写真を芸術の表現手段として撮影・制作する人」(広辞苑)のことをさす。表現とは、内面的・主体的なものを外面的・感性的形象へ変換することである。すなわち、自身の内面を作品として公表することだ。もちろん、カメらを持ったからといって、だれもが写真家を目ざす必要はない。前述のとおり、撮影だけでも十分写真はおもしろい。

出版のきっかけ
 辻 栄一氏は、春夏秋冬、弘前へ通いつめて、一冊の写真集「弘前散歩」にまとめた。辻氏は、旅行のエキスパートだ。日本全国を巡り、風物や行事を撮り歩いている。弘前もその一つだ。Hpimg_0003さて、個展を開催したり写真集を刊行するには、ひとつのきっかけが必要だ。期待どおりの気に入った作品が1点撮れたり、撮影中に目の前の被写体に感動し、それを引き立ててみたい、などきっかけはさまざまだ。辻氏は、雪の中で夜の教会を撮影していて(P18~19)、その気になったという。これは被写体に影響されたというよりは、降雪に中、夜の教会と対峙する自身の気持ちに充実感を覚えたのではないだろうか。真剣にテーマに取り組んでいるときにしばしば感じる撮影の喜びだ。

企画意図から出版まで
 さて辻氏は、「弘前散歩」に先立ち、「フォトブック」(インターネットのオンラインで編集、入稿してまとめる自費出版の写真集)で弘前の春夏秋冬を4冊の小冊子にまとめている。これをプレゼンテーションにして、企画を弘前の出版社へ持ちこんだ。預けておいた企画にゴーサインが出たのである。「弘前散歩」は、市販本だ。ISBNコードも取得している。アマチュアの写真家や執筆者にはなかなかできない出版である。辻氏の執念が実ったといってよいだろう。
 「弘前散歩」には、著作者名に“横浜からの旅人”という肩書きが添えられている。Hpcimg03581すなわち、横浜という都会人の見た弘前であり、“よそもの”の目から見た弘前を紹介しようという企画意図がある。現地の出版社「路上社」は、これに賛同したようだ。辻氏の目線(カメラアイ)は、横浜という大都会型の観光地で磨かれているうえに、旅慣れた目線はほかの地方都市との区別化にも役立ったろう。

現地の評価
 地元の陸奥新報の3月25日版に書評「迷宮の街の魅力再発見」が紹介されているので、コピー(上左 ポップアップ可)を掲載しよう。また、本書は、現地の紀伊国屋書店の人気ベスト10の7位にランクされている(東奥日報3月22日)。出版社の取り計らいで、辻氏は市役所を表敬訪問し、葛西・弘前市長へ本書を贈呈した(写真上右)。出版からマスコミの対応など、弘前市民の部外者に対する鷹揚さがうかがわれる。
 私の感想だが、写真集としてはややカタログっぽさが目だつ。建築・施設や名所などの紹介が目につくからだ。しかし、旅行者が弘前の町を逍遥するにはうってつけのガイドだろう。現地で地図を購入して歩きたい。本書を入手したいとき、書店に在庫がなくても取り寄せてくれる。【体裁】A5判、カラー128ページ、1,850円(ISBN978-4-89993-070-9 C0072 \1850E)

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2015/02/04

厳寒の大倉山公園とその経過 横浜No.81

のきざし…フォトアルバム

 1月24日、大倉山公園を訪れた。春の吉兆を探すためだ。まだ、冬景色ではあるが、ちらほら梅が開花していた。写真でそのようすをレポートしよう。なお、現在は、もう少し進んでいるだろう。2月下旬には、大倉山観梅会が予定されている。

やっと見つけた紅梅Hpp1240042
八重旭のつぼみ。一つだけ膨らんでいた 野梅の一枝Hpp1240094_2Hpp1240063_4

ミツマタは、ほぼウメと同時期に咲く 生垣に捕らわれたカエデの葉Hpp1240074Hpp1240032_2


【補足】 2月4日、再度、大倉山公園を訪れた。ウメはだいぶ開花してきた。現在の公園のようすをフォローしよう。

開花した白梅(下左) 紅梅はかなり開いている。一部はもういたみ始めている(下中) 開きかかった白梅。もっともフォトジェニックだ(下右Hpp2040058Hpp2040090Hpp2040041_edited1

緑萼梅のつぼみはまだ固い(下左) ●白梅のつぼみ(下右)Hpp2040123Hpp2040071

大倉山観梅会のポスター

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2015/01/25

フランスの寛容…多民族に開かれた国家

 本稿を執筆するきっかけは、パリのメトロ(地下鉄)路線図を見ているときに始まった。家内がメトロ7号線の終点駅に「La courneuve-8Mai 1945」という駅名を見つけたのだ。フランスの終戦記念日の日付(1945年5月8日)が駅名になっているのである。Hpp6010304_edited1_3好奇心に駆られて行ってみることにした。そのときのレポートを2015年の賀状に書いた。多民族国家・フランスの懐の深さと寛容の精神に感動したからである。今年に入って、パリでテロ事件が発生、イスラム過激派と西欧文明の対立が問題になった。フランス共和国とはどのような国家なのか。 (写真上 La courneuve-8Mai 1945駅地上出口付近。以下の写真はすべて同駅付近で撮影したもの)

ガリアの時代
 現在、フランスの主要民族はラテン人である。しかし、紀元前、フランスがガリアと呼ばれていた古代ローマ時代にはケルト人が住んでいた。ガリアはローマ人にとって魅力的な土地だったようだ。ローマのたびたびの侵略に屈し、紀元前1世紀、ローマの属州になったHpp6010290Hpp6010299_4ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)は敗者のガリアに対して寛大な対応をした。この経過は、ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」に書かれている。その結果、多くのローマ人(ラテン人)はガリアへ移住した。ガリアはじょじょにラテン人の土地になっていった。現在、ケルト人はブルターニュ地方に少し残っているという。 (写真上左 メトロLa courneuve-8Mai 1945駅構内。同右 地上周辺マップ)

ローマの寛容
 古代ローマのカエサルがガリア地方を平定したとき様子が塩野七生 著の「ローマ人の物語」(新潮文庫)に書かれている。それを参考にして、私が書いた『ニュルンベルグの城壁 ドイツNo.109』の一部を引用する。「カエサルのガリア攻めの戦法は、いかに相手の戦意をくじくかにあったようだ。当時、ローマの土木・建築技術は世界最高水準だった。それを駆使して攻城兵器を造りガリア(ほぼ現フランス)の城郭都市を攻めるのである。Hpp6010325_edited1高いやぐら、頑丈な防壁(囲い)、飛び道具や城門を破壊するための仕掛けなど、ローマの技術力の粋を結集して敵を攻めた。それを目の当たりにした敵は防衛を断念して降伏し、門を開かざるをえなくなる。そしてむだな血を流さず、両者にとってメリットが生ずる。敵が降伏するもう一つの理由に、カエサルの「寛容」がある。カエサルは降伏した敵国を虐待するのではなく、ローマ共和国に組み入れて属国とし、それ相当の優遇措置を講ずるのである。徴税はするものの、ほかの外敵からの保護を保証し、食料事情も配慮する。 また、属国の長の子弟をローマへ留学させてローマのシステムを学ばせる。その子弟は、帰国して属国をローマのシステムで管理するようになる。だから、カエサルの人格を知ると降伏したほうが得なのである」。私は、現在のフランスにローマの寛容の精神を感じる。

フランスの原形
 カエサルの平定後、ガリアはラテン人(ローマ人)の支配する土地となった。そして5世紀、ゲルマン民族の一派フランク族によってフランク王国に統一された。Hpp6010342_29世紀、フランク王国は三分割され、その一つの西フランク王国が現フランスの前身となった。フランスの国名はフランク族に由来する。このころにはヴァイキングとして知られるノルマン人も一つの勢力をノルマンディー地方に確立していたという。この歴史からもフランスが多民族国家になっていった経緯が納得できる。

多民族国家
 ラテン人とは、ラテン語系の言語を話す人々で、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、ルーマニアなどの国家を形成している。フランスも主要民族はラテン人だが、国境線が地上にあるうえに、たびかさなる戦争で周囲から他民族が侵入・移住してきた。フランスには、ゲルマン人や中東、北アフリカ系の諸民族などが住んでいる。ウィキペディア(Wikipedia)によると、フランス市民の23%は、少なくとも親か祖父母の一人に移民がいるという。また、20世紀には多くの移民を受け入れたという。まさに、フランスは多民族国家ということになるだろう。Hpp6010301_2パリは特に顕著で、町を歩いているとその現状を納得できる。しかし私が、メトロ7号線の終点「La courneuve-8Mai 1945駅」で観察した情景は、さらにそれを越えていた。駅から地上へ出たとたん、そこにはフランスのマルシェというよりは中東のバザールが展開していた。露店を出す人々も、買いもの客も中東やアフリカ系の人々だ。ラテン系のフランス人は私の目に入らない。その光景を見て、フランスの度量の大きさを感じ、その背景を知りたいと思った。

異質なものとの共存
 寛容だったのはカエサルだけではなかった。「ローマ人の物語」には次のように書かれている。ローマ建国の祖ロムルスが執った政策について、ギリシャのプルタルコスが著作「列伝」(私は世界史でプルタークの「英雄伝」と習った)で評したことが興味深い。「敗者でさえも自分たちに同化させるこのやり方くらい、ローマの強大化に寄与したことはない」。Hpp6010318_edited1ロムルスが建国時に執った戦術と戦後処理につては、「ローマ人の物語」第1巻≪ローマは一日にして成らず≫をご一読いただきたい。「ローマ人の物語」には、全巻をとおしてところどころにローマ人気質が描かれている。ローマ人(ラテン人)には、根幹に寛容の精神が貫かれているように読める。ガリア(フランス)がローマの属国になったことで寛容の精神が培われ、現在の多民族国家につながっていると思う。Hpp6010310_edited1フランスの長い歴史の中で寛容とは言いがたい場面が多々あったが、人々の根底には脈々と寛容が息づいているのではないだろうか。
 現在、世界ではあいかわらず紛争が絶えない。イラク・シリアのイスラム国の脅威、イスラエルとパレスチナ、ウクライナやアフリカ諸国の内紛など、宗教的あるいは民族的な対立などさまざまだ。これらの対立を解決するのにもっとも必要なことは寛容(tolerance)の精神であろう。意地や沽券を捨て、自身とは異質なものを受け入れ共存することはそれほど難しくないと考える。国境が海上にあり、侵略を受けたことがない“多神教”国家の日本人だから言えるのだろうか。

表現の自由
 寛容には油断がつきものだ。油断と裏切りは裏腹である。カエサルが暗殺されたのは、寛容にともなう油断であり、暗殺者の立場に立てば裏切りだ。カエサルは無防備で元老院へ出かけ、寛容に対応した政敵に暗殺された。それは寛容に対する裏切りだった。Hpp6010342カエサルは暗殺計画を察知していたはずだ。あえて、それに備えなかったのが、カエサルのカエサルたる所以だろうか。
 さて、パリのテロ事件の背景には、当然、フランスの寛容があった。テロリストは、それを裏切ったのである。一方、私は、表現の自由や言論の自由、報道の自由にも疑問を感じる。シャルリ・エブド社のイスラム教に関するパロディーについては不詳だが、不快を感じる人(集団)がいたら、そういう表現は控えるべきではないのか。同類のパロディーをキリスト教に当てはめたらどうなるだろうか。シャルリ・エブド社はキリスト教についてのパロディーも扱っているのだろうか? 宗教観に乏しい私の疑問だ。
 なお、フランスの終戦記念日(1945年5月8日)がメトロの駅名になった経緯は未調査だ。ただ、La courneuve-8Mai 1945駅の地上出口付近に、ナチス・ドイツに対するレジスタンス運動の記念碑(写真上右)が立っていた。

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2014/12/04

サンリス・プチ・トリップ

フランスでローマ時代の遺跡を見学

 今夏、パリに滞在したとき、1日だけ近郊のサンリスへ(Senlis)出かけた。パリの北約40キロに位置するサンリスには、ローマ時代の城壁(市壁)が残っていると聞き、興味をそそられた。塩野七生氏の著作「ローマ人の物語」を読んで以来、ローマ文明は現在の西欧社会の基礎になっていると知った。Hpp6070928_2町造り、建築、土木、政治、法制、経済、税制、軍事などの技術や制度には、今もローマの精神が息づいている。私のライフワークである「ドイツからの風」を撮影するにあたっても、ローマ文明を知ることが欠かせないと考えている。 (写真上 ローマ時代の城壁内部。写真下左 街路に露出した城壁の断面、幅4メートルはありそうだ)

Hpp6070804_2 紀元前8世紀ごろローマ人が進出してくる以前は、現在のフランス(ガリア地方)にはケルト人が住んでいた。サンリスは先住民族ケルト人が造った都市だという。フランスを侵略したローマ人はサンリスも自分たちの町にして砦を築いた。サンリスのパンフレットによると、ローマ人は紀元前3世紀ごろには、厚さ4メートル、物見やぐらが28塔もある城壁で町を囲ったという。この城壁の大部分が現在も残っている。この城壁を見学することがサンリス訪問の目的だ。Hpimg_0001

 さて、現ドイツ連邦共和国の主要民族であるゲルマン民族が、北方のスカンディナヴィア半島南部より南下しはじめたのが紀元前10世紀ごろだった。すでにガリア(現フランス)に住んでいたローマ人と接触することになる。「ドイツ史」(木村靖二 著 山川出版社)によると、「紀元前2世紀ごろに、ゲルマン人はローマ人と直接対峙することになった」とある。サンリスの城壁はケルト人だけでなくゲルマン人に対する備えにもなったのであろう。Hpimg_0002「ローマ人の物語」(塩野七生 著)では、ゲルマン人はローマ人にとって終始(AC476年、西ローマ帝国滅亡まで)蛮族あつかいである。しかし、ゲルマン人はローマ人と敵対する一方、進んだローマの文化やシステムを学びまねたと「ドイツの歴史」(マンフレット・マイ著 小杉尅次 訳 ミネルヴァ書房刊)には書かれている。私は、Hpp6070801ドイツの生い立ちを知るために、ゲルマン人が接触したローマ文明を知りたいという願望に駆られた。少しでも当時のローマ文明に触れたいと願っている。 (写真下右 日本語版ガイド。写真下左 観光案内所)

 さて、サンリスへの往復は簡単ではなかった。パリ北駅でチケットがうまく買えないのだ。出札口でやっと買えたチケットを見ると、出発まで待ち時間が1時間以上ある。北駅で2時間も無為に過ごしてしまうことになった。Hpp6070979しかもサンリスへはシャンティイーでバスに乗り換えねばならない。その乗り継ぎの待ち時間がさらに1時間ある。サンリスへ着くのは午後1時になってしまう。パリに帰着する時間を午後5時に設定したので、帰路のバスの出発時刻が午後3時になる。現地には約2時間しか滞在できないことになる。楽しみにしていたサンリス見学はプチ・トリップになってしまった。以前はサンリスへも鉄道の便があったのだが、廃線になってしまったようだ。現在、旧サンリス駅はバスの発着所になっている。そこまでシャンティイーからバスが運行されている。振り返ってみると、鉄道とバスの連絡チケットを慣れないパリの自販機で買うのがたいへんだったのだ。 (写真左 サンリスの中心にあるパルヴィノートルダム聖堂)

 サンリスに着いてから、まず観光案内所(OFFICE DE TOURISME)へ向かった。案内所は、パルヴィノートルダム聖堂の真ん前にあった。ドイツでいえばマルクト広場だ。そこで、小冊子のガイドブックをもらった。日本語版もある。さっそくそれを頼りに町を歩きはじめた。Hpp6071028しかし、なかなか城壁へ近づけない。やっと、入口らしいところを見つけて城壁の中へ入った。そこには、今までの視界とは異なる風景が展開していた。何が違うのか、ひと言ではうまく言えないが、時代というか、風格というか、精神というか、私には紀元前3世紀のローマ時代にかなり近い風景だと感じられた。バスの時間が迫っているので、数カット撮影してその場を後にしたが、なんとも無念であった。 (写真右 旧サンリス駅)

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2014/10/22

2014年千葉大学スキー部OB会in浜松

夕日宴会カラオケシーハイル
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 スキー部OB会が結成されてから50年以上が過ぎた。入部以来、スキー部は半世紀にもわたり私の心の中枢を占める存在だ。メンバーは、もっとも気の許せる友である。顧問だった故小林信二先生の人柄と真摯なメンバーのおかげだ。今年は、二つの訃報があった。先輩の勝村 勇さんと同期の小林紘一さんが他界された。心よりご冥福を祈る。Hppa184731

 浜松でOB会を開催するのは2回目だ。浜松在住のメンバーがいるからだ。10月18日、私は遅れて、会場の舘山寺サゴーロイヤルホテル(写真下右)へ着いた。ちょうど対岸に夕日が沈むところだった(写真左)。舘山寺は夕日の名所のようだ。好天に恵まれ低い対岸の山の端へ沈む太陽を拝むことができた。Hppa194959

 まず記念撮影(写真上右)を済ませてから乾杯の音頭に入った。宴会はカラオケで盛り上がった。例年、私はカラオケを敬遠してきたが、今年は違う。自宅でカラオケセットを買い、いくつかの持ち歌に絞って少々練習してきた。そのときわかったことは、歌謡曲にはいい詩がたくさんあるということだ。私は、本来、標題音楽には関心がないが、シューベルトの「冬の旅」や「美しき水車小屋の娘」などのドイツ・リート(Hppa184859歌曲)には少し興味がある。ドイツの風土や人情が描写されているからだ。日本の歌謡曲もドイツ・リートも、歌詞のモチーフや描写対象に大きな違いがないといっていいのではないか。恋と季節、故郷や町並みなど、人情と自然を歌うのは、どこの国でも、いつの時代でも同じようだ。Hppa184840今まで日本の歌を軽んじていたのが恥ずかしい。

 しかし、いい詩と魅力的なメロディーに出会い、歌おうとしても声が出ないのだ。ふだん発声練習をしたことがないうえに歳のせいもあるだろう。残念であると同時に屈辱を感じる。歌謡曲の魅力と自身の歌唱力について、カラオケをやってわかったことだ。ちなみに、OB会で、私は「北国の春」と「よこはま・たそがれ」を後輩と“デュエット”で歌った。Hppa184886

 宴会は、「シーハイルの歌」(作詞:林征次郎/作曲:鳥取春陽)で締めた(写真上)。歌い終わってから『シーハイル』と3回連呼したのは、合宿で一日の練習が終わったときと同じだ。ゲレンデでは、スキーの片方を立てて『シーハイル……』と連呼したものだ。最近は、乾杯の音頭も『シーハイル』になった。“スキー万歳”といった意味だ。Hppa194901

 翌日は、浜名湖の遊覧船で湖上を観光し、弁天島の太助でうな重のランチを食べて解散した。参照:『湖北敬神』Hppa194971_3

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2014/07/10

昔の巴里を撮りたい

セピア調の写真を楽しむHpp6020715b

 初めてコンパクトカメラだけを持って海外へ出かけた。海外取材は、経費がかかるうえに撮り直しはできない(一般に、どんな写真も同じシーンを撮り直すことはできない)ので、今までは信頼性が高いといわれる一眼レフをもっていった。しかし、コンパクトカメラの画質と信頼性が高まり、安心して取材に使えるようになった。持参したのは、オリンパス スタイラス1と同XZ-2、同XZ-1の3台だ。どれも信頼しているので、1台にトラブルがあっても、ほかの2台を使えるので心配ない。オールインワンのコンパクトカメラは、機材の軽量化ができ、カメラワークもシンプルになり、取材がずいぶん楽になった。 (写真右上 エッフェル塔Hpp6050442b_2

 
 私は、スタイラス1を中心に使った。35ミリ判換算300ミリまでの望遠撮影ができるうえに、マクロ撮影にも強いので、海外でもオールラウンドで使える(スタイラス1についてはいずれ詳述したい)。スタイラス1のモードダイヤルにART(アート)という表示がある。プログラムAEモード(P)や絞り優先AEモード(A)、シャッター優先AEモード(S)と同列にある撮影モードだ。ARTモードをひと言で説明すれば、諧調やカラーを変えて11種類の特殊な効果を作ることができる。Hpp6050457bそのなかの一つに「ジェントルセピア」という効果がある。「ジェントル」(gentle)とは「温和な」「優しい」「穏やかな」といった意味である。「セピア」(sepia)とは、色の種類で、「暗褐色」「黒褐色」をさす。「ジェントルセピア」で、写真を「穏やかな暗褐色」に仕上げることができる。 (写真上左 三輪車、写真上右 街頭のスタンド

 変色した古いモノクロ写真はしばしばセピア色になる。セピア色のプリントには、レトロとかアンティークな雰囲気があり、けっこう好まれている。Hpp6050451bこのユーザー志向に合わせてスタイラス1に採用されているのが「ジェントルセピア」である。 (写真左 パリジェンヌ

 私は、古いパリを撮りたかった。そこで、エッフェル塔とシャンゼリゼ通りで「ジェントルセピア」モードを選んで撮影してみた。パリの町並みはここ100年はほとんど変わっていない。セピアに仕上げれば往年のパリの雰囲気が出るのではないかと考えた。パリは「巴里」に写るのではないか?

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2013/10/31

上越市の酒祭りと朝市

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 10月27日、上越高田の酒祭りへ行ってきた。昼過ぎに会場に到着、さっそく試飲グラスを買った。グラスと天然水のセットで1,000円である。天然水がセットになっているのは、試飲後、水を飲んで口中を真っ新な状態にしておくためだろうか? 口の中に前の酒が少しでも残っていてはほんとうの試飲にはならない。しかし、私は次から次へと飲み続けた。要するに飲めればよかったのだ。いずれもさすが本場の美味い酒だと思ったが、正確な試飲にはならなかった。当日は雨が降ったり止んだり、日が射したりの目まぐるしい天候だったが、酒祭りの参加者には関係ない。私も試飲グラスを片手に酒造各社を巡り回った。グラスに1/3ぐらい注いでくれるのだが、たくさんの酒造を訪れ、いくつかのブランドを飲み重ねていくと、けっこう酔っぱらうものだ。いい気分で会場をあとにした。来年も参加したいものだ。(写真右上は「SAKEまつり」のチラシ。裏面に会場の地図が掲載されている)

●試飲グラス 天然水とセットで1000円Hppa300152_3Hppa279579_2

●雨天と日ざしの入り混じる「SAKEまつり」会場Hppa279580Hppa279624

●SAKEまつりのキャラクター登場。歌瀬 吟と上杉謙信公Hppa279599Hppa279628

                                  
                                
                                  

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●穏やかではないが、ユーモラスなTシャツが販売されていたHp_pa279648_3Hppa279651_2Hp_tpa279655_2

直江津の朝市

Hppa289759 翌日は、直江津の朝市へ買い物に出かけた。「三・八の市」と呼ばれ、毎月3日/8日/13日/18日/23日/28日の午前7時から正午ごろまで開かれる。わたくしたちは10時ごろ現地へ到着した。路上に品物を並べただけの素朴な市である。もちろん屋台もある。扱っている品物は実に多様だ。野菜、果物、海産物、練り製品、穀類、卵、草花、衣類、履物、刃物、陶器類、どら焼き、などなど。生活用品はすべてそろう。ドイツのマルクトを思い出した。私たちは、野菜や渋柿(干し柿用)、米、ネマガリダケの瓶詰、昆布、たらこなどを仕入れた。どの店でも目線を合わせると声をかけられる。身の上話から世間話、ペットの話など、会話が弾む。八百屋で、私たちが家庭菜園をやっているときり出すと、栽培のし方まで教えてくれた。会話は朝市の名物である。(写真上左 朝市の立つ三八通り)

● 八百屋 ●路面にシートを敷いただけの素朴な店がいいHppa289732_2Hppa289738_2

●刃物屋 万能野菜調理器と記念のナイフを買った ●乾物屋 たらこを買ったHppa289750_3
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●宝石屋? 翡翠の原石などを売っていた ●靴下屋Hppa289734Hppa289737

 

●洋品店 ●果物屋 ツルウメモドキのリースを売っていたHppa289744Hppa289741



              

              

             

              

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