2017/04/09

寄せ植えの芸術性

バラクラの日比谷公園展示会
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 寄せ植えは、コンテナー・ガーデニング(container gardening)という別名がある。すなわち、入れ物の中に庭を作ろうという発想だ。日本の盆栽に匹敵するだろうか? 両者は、構想や内容に違いはあるだろうが、“縮小芸術”(reduction art)という点では共通性があると思う。自然を尊重して一つの世界を目ざす点も似ているかもしない。家内が夢中になっているので、聞いてみたところ、「自然の植生や景観を大切にして美を追求する」というのだ。草花や樹木(灌木)を利用して、自身の自然観を再現しようということだろうか? おのずと、技法や流儀があるのだろう。蓼科バラクラ イングリッシュ ガーデンは、英国風の寄せ植えや庭造りの普及に寄与している。

 日比谷公園で開催されている寄せ植え展を見てきた。会場の展示は、1点1点を横一列に並べて見せるギャラリーのような構成だ。一堂に会している作品群を見て、今までにはない感動を覚えた。Hpp4072092今まで、私が見てきた展示は、作品1点1点が庭の構成要素のように置かれていた。作品で中庭を作ろうという見せ方だった。これは、寄せ植えの利用目的や日常性を重視した展示といえるのではないか? 寄せ植えの展示方法については、私はよくわからないが、今回の展示は、それぞれの作品が際立って見えるので、個性や自然観、作者のイメージが伝わってきた。Hpp4072099特にマスター(免許皆伝の作者)の作品は、迫力がある。重厚さや力動感、デリケートな反復など、それぞれの作品には、独自性が感じられた。
 DMに「世界的レベルで高く評価される作品展示です」と書かれているが、そのとおりだろう。私は自然写真に取り組んでいるが、寄せ植えと自然観の違いはあっても、創作の思考過程は同じなのではないか? 寄せ植えは、実際に植物を使うのに対して、私の写真は、被写体の画像で構成するという違いだけのような気がする。

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2015/09/29

『朝夕の争い』 5日 16時まで

第9回 プローバー’01 写真展

 

会期:2015年9月29日(火)~10月5日(月) 初日は13:00~ 最終日は~16:00
会場:かなっくホール ギャラリーB
(アクセスはDM宛名面のポップアップ参照)

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Hpp9291209_edited1Hpp9291203 今回の写真展はプローバー’01創立15周年記念展である。会場のあいさつ文を以下に掲載する (写真上は会場風景、同下左は作品一覧などを収録したプログラム《A4判 4P》。同下右はプローバー’01のメンバーHppa011262_edited1)Hpp9291213_edited1

「朝夕の争い」
 写真の世界では、朝夕がシャッターチャンスだといわれています。朝夕の被写体は、どちらも低い光で照明され、しばしばドラマティックな表情に恵まれます。はたして、写真に最適な時間帯はどちらでしょうか。
 私たちは、3年前「春秋の争い」という写真展を開催しました。これは、四季の変化が顕著な美しい日本で、春秋の優劣を競おうというものです。古来、万葉集や源氏物語でも取り上げられてきたテーマです。この「春秋」を「朝夕」に置き換えてみました。朝夕の優劣は、写真にたずさわる私たちにとっては大いに関心事です。私たちプローバー’01は、朝と夕の味方になっていろいろな風物を撮影してみました。
 作品をとおして、多くの写真家と朝夕の優劣を話し合えたら幸いです。
 2015年9月29日  プローバー’01一同/コーチ:豊田芳州Hpimg_0002

 

 

カテゴリーについて
 文章や書籍には章や節、段落がつきものだ。たくさんの情報を伝えるとき、それをいくつかに分けて、論述しないと、読者は混乱して内容を把握できない。章や節にはタイトルがあり、段落には見出しがつく。写真集や写真展にも、この区分けは必要だ。私は、この区分けや分類をカテゴリーと言っている。このたびの『朝夕の争い』展には、このカテゴリーを最大限に利用した。
Hpimg 名取洋之助 著「写真の読み方」(岩波新書)には、いかに写真をわかりやすく読ませるかということが書かれている。おもに報道写真やドキュメンタリーについて解説されているが、写真展や写真集にも触れている。要は、画面の大小と並べ方により、伝えたいことを明確にして読者に見せようということだ。私たちプローバー’01展では、プリントサイズは一定(A3)だが、並べ方では大いに工夫した。
 プローバー’01は、全作品を朝夕二つに分け、さらに、それぞれを三つに分類して色分けして区別した
(図表左上 ポップアップ可 。カテゴリーの色は作品のタイトル札にも反映されている。常にカテゴリーを念頭において作品を見ていただこうと意図したからだ。

 

 

 

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私は、朝と夕に1点ずつ出展した。 「朝」はカタクリの写真『目覚め』だ。カタクリは朝、閉じていた花弁を開きはじめ、日が高くなるほどに全開し、午後は花弁がそり返るほど開き、オシベやメシベを大きく露出する。夕方になると閉じはじめ、夜は完全に閉じる。この現象を1週間以上繰り返す。作品は8時33分に撮影した。
 「夕」に出展した写真は、ドイツ・ランズベルグで撮影した『待降節の楽しみ』だ。11月下旬になると、ドイツのどこの街でもクリスマス・マルクト(市)が建ち、クリスマス(降誕祭)に備えてアドヴェント(待降節)を過ごす。私は5日間ほど滞在したが、毎夕4時ごろになると、人々が三々五々マルクトに集まってくるのを観察した。Hppc135673大人たちはグリュウーワインを飲み、子どもたちはスナックを食べながら、クリスマスを待ち望む。作品は、12月13日、17時2分に撮影。

 

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2015/09/06

『被写体の特質に迫る』

パナソニック松愛会 横浜写真クラブ写真展
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●会場:横浜市都筑区総合庁舎 1F 区民ホール 横浜市営地下鉄 センター南下車 徒歩6

●期日:98日(火)~913日(日) 10:0016:00

 会場のあいさつ文を以下に記す。

『被写体の特質に迫りたい』
 写真は、人間の目よりシャープ(先鋭)に写るといわれています。高性能なレンズと感光材料(フィルムやCCDなど)のなせる技です。シャープに写らなければ写真とはいえない場合もあります。

 写真は、被写体表面の材質感しか写りません。しかし、シャープに撮ると表面だけでなく内面や特質が見えてくるものです。風景なら歳月や環境、植物なら時の流れや情感、機械なら働きや性能、人間なら人格やキャリアなどを表すことができます。
 パナソニック松愛会 横浜写真クラブは、シャープさと質感にこだわり、被写体の持っている内面や特質に迫ってみました。
ご高覧いただけたら幸いです。 201598日   パナソニック松愛会 横浜写真クラブHpdmimg_0001

以下に会場風景と代表作を3点掲載するHpp9080668_edited1_2Hpp9080719_2

Hp_a3_2『錦 繍』 竹中正州

Hp_dscf9300『力自慢』 作間貞夫

Hp_2『無我夢中』 荻原 肇


エドワード・ウエストンに倣う
 

 写真は、絵画をイージーかつ正確に描くために発明された。カメラオブスキュラが作る像を感光材料で記録するという初期の写真術を見れば、明らかなことだろう。レンズが作る画像は正確な遠近法で構成されているので、これを利用して風景などを撮影した。ネガポジ法(カロタイプ)が発明され、写真は実用的な段階に入ったが、絵画重視の風潮は根強く変わらなかった。いかに、伝統的な絵画に近づけるかが写真家の命題だった。
 エドワード・ウエストン(18861958)という写真家も、青年時代は、絵画調の写真で一流写真家の地位を築いて成功した。スタジオを持ち、ベリートレンズ(ソフトフォーカスレンズ)で人物を柔らかに写して、好評を得たという。しかし、ウエストンはこれに飽きたらなくなった。メキシコ旅行で得た体験から、自身の写真観に疑問を持ったのだ。ちょうどそのころ、絵画は印象派(マネ、モネ、ルノアールなど)やキュービズム(ピカソ、ブラックなど)の新しい画風が興隆しはじめ、お手本とすべき絵画が次々に新しい方向を目ざしているのに、写真が絵画に追従しているのはおかしいと感じたに違いない。写真には、絵画にはできない表現があるはずだと考えるようになった。そこで、ウエストンが注目したのは、写真のもつリアルな再現画像だった。対象をシャープで緻密に再現するレンズと感光材料を生かす表現こそ写真の真髄であると考えた。ウエストンは、被写体の本質を正確に表現するために、クローズアップとパンフォーカスというテクニックに着目した。クローズアップは被写体に近寄ったぶんだけ生々しさが写る。パンフォーカスは視覚を超えた表現力をもつ。ウエストンは、しかも、8×10(六つ切り)の大型カメラで撮影し、密着プリントで観賞するというシャープさを追求した。現在でも、もっともシャープに写真を撮れる機材であり、厳しい観賞条件だ。
 ウエストンの写真論に同調する写真家が集まり「F64」というグループが結成された。この名まえは、大判カメラでもっともシャープに撮れる絞り値F64にちなんで命名された。ちなみに、アンセル・アダムスもこのメンバーだ。ウエストンは、写真のシャープさと質感を重視し、リアリズムを追求した最初の写真家といわれる。(※参考資料:『写真130年史』田中雅夫著 ダヴィット社)
 ウエストンの有名な作品に『ペッパー(No.30)』がある。ピーマンを撮影した作品だが、デフォルメされたピーマンは、奇怪なオブジェのように見える。また、ピーマンと気づかない人もいるのではないか。 (参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Pepper_No._30 

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すなわち、写真は撮り方によって被写体とは別のキャラクターが見えてくる。私もこれにならってピーマンを撮影した。二つのピーマンをいろいろな向きに配列して、関係を作った。ピーマンには、野菜以外のキャラクターがあるように感じたが……。写真上『にらめっこ』 豊田芳州
 

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2014/06/14

パリ・マドレーヌ教会のコンサート

モーツァルト/ヴィヴァルディ/etc.
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 パリへ来て、まず訪れたのはマドレーヌの花市だった。教会のわきに小さな花市がある。しかし、土曜日だったので、ほとんどが閉店していた。滞在するホテルの部屋に花を飾るのが家内のモットーだが、花を買うのはあきらめて教会を見学することにした。マドレーヌ教会は、外観はギリシャ神殿のようだが内部は普通の教会である。Hp2_p5310051礼拝堂はかなり広く、天井も高い立派なカトリック教会だ(写真上右、同左、同下右)

 扉を開けて拝廊に入ると資料を並べたテーブルがあった。そこで目に入ったのはMozart Requiem(モーツァルト レクイエム)のチラシだった。Hpp5310118当日の午後9時からレクイエムのコンサートがある。教会のコンサートでレクイエムを聴くのは憧れだ。2年前にサンタンブロワーズ教会(St.Ambroise)で同じレクイエムを聴いたことを思い出した。しかし、時差ボケのコンディションで夜のコンサートはきついと判断してあきらめた。さらに6月のスケジュール表を見ると、明後日にヴィヴァルディの『四季』とモーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』を含むコンサートがリストアップされていた。家内にもなじめる曲目なので、これを聴くことにした。 参照: 『フランスの過酷で愉快な生活〔前篇〕 ドイツNo.93』

 午後8時からコンサートは始まった。まず、モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』(セレナーデ13番K525)だ。私が、初めて生の演奏で聴いたのはこの曲だった。小学校の講堂で山田一雄の指揮する、この曲を聴いたときを思い出した。なんと澄んだ音色なのだろう、音楽にはこんな低音(チェロの響き)があるのかと、当時、感動したものだ。それ以来、私はクラシック音楽のファンになってしまった。『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』は、モーツァルトのもっともポピュラーな名曲である。優しいメロディーは、だれもが必ず耳にして、口ずさんだことがあるはずだ。Hpimg_0003_2K525といえばモーツアルトの最晩年の作品番号になる。どんな芸術家も晩年は難解な作品を創りたくなりがちだが、モーツアルトは、そうではなかった。この曲のおかげでクラシック音楽のファンになってしまうのは、私だけではあるまい。マドレーヌ教会での演奏は、モーツァルトの優しさと甘さが込められていた。 (写真左は当日のチラシ、同下右はチケット)

 アルビノーニの『アダージョ』、パッフェルベルの『カノン』までは、弦楽四重奏(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ビオラ、チェロ)の演奏だった。4曲目のマスネの『タイスの瞑想曲』からヴァイオリンのソリスト・Frederic Moreau氏が加わった。シューベルトの『アベ・マリア』のあと、ヴィヴァルディの『四季』(作品8)が演奏された。Hpimg_0004『四季』も、クラシック音楽の分野ではもっともポピュラーな名曲だ。作品8は12曲のヴァイオリン協奏曲で構成され『和声と創意の試み』というタイトルが付けられている。そのうちの第1番から第4番までの4曲(春、夏、秋、冬)が『四季』としてたびたび演奏されている。楽器構成は、独奏ヴァイオリンと弦楽四重奏だ。ソリストは指揮を執りながら独奏パートをこなした。『四季』は標題音楽といってよいだろう。4曲それぞれの楽譜には季節感を表す詩(ソネット)が添えられているというから、描写音楽に属する。ただし、『四季』はヴィヴァルディの命名ではないという。後世の人が詩に合わせて付けたようだ。当時の音楽界では標題音楽や描写音楽はまだ関心が低かった。そのような時代にヴィヴァルディがチャレンジしたといってよいのではないか。演奏は、季節感や自然現象をできるだけ強調した表情豊かなものだった。

 ちなみに、ヴィヴァルディの作品3に『調和の霊感』という12曲の合奏協奏曲集がある。私は、『和声と創意の試み』より『調和の霊感』のほうが好きだ。『調和の霊感』にはポリフォニーへのチャレンジを感じるからだ。Hpp6029462_2私は、標題音楽よりも絶対音楽に関心がある。ドイツのJ.S.バッハは、第2番、3番、6番、9番、10番、11番を自身の曲にアレンジしている。きっとバッハは、『調和の霊感』にポリフォニー音楽の“霊感”を得たにちがいない。ヴィヴァルディは、ポリフォニーと標題音楽という将来の二つの分野を予期してトライしたのではないだろうか? (写真右上は演奏者)参照: 『フーガの技法についての考察 ドイツNo.77』

Hpcdp6132636_2 アンコールに応えて、ソリストがパガニーニのバイオリン協奏曲(何番か不詳)で超絶技巧を披露した。終演は9時30分ごろだった。出演者のサイン入りCD(写真左)を記念に買って聖堂をあとにした。夕闇が迫るパリ市街とコンサートの余韻を楽しみながらメトロの階段を降りた。

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2013/08/09

きくな チャレンジフェスティバルVol.1 横浜No.69

8月11日(日) 横浜市港北公会堂

          …コミュニティー充実のあかし…
 「菊名の未来を考える会」(http://kikumikai.jimdo.com)は、地域の活性化を企図して結成された。「笑顔が見えるまちづくり」をテーマに、着実に目標を達成している。Hpc_2今まで、「ハロウィンウィーク」、「七夕大作戦」「Xmasえきこんさーと」など地域に密着したイヴェントを実施してきた。住民も、これらの企画を盛り上げている。今夏、初めて「きくなチャレンジフェスタ」を立ち上げた。これほどの地域活動はめったにないのではないだろうか。菊名地域コミュニティーのいっそうの充実を感じる。企画意図や内容は、ちらしのコピー(ポップアップ可)を参照してほしい。チケット(入場料500円)は、菊名の未来を考える会(☎045-431-9384)、イープラス(e+ http://eplus.jp)へ。Hp1c_3

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2013/01/06

メルヘン調のウエルツェン駅 ドイツNo.128

15分の乗り換え時間に撮影フォトアルバムHpp6083877_2

 ドイツでの列車の旅では、乗り継ぎはあまり歓迎しない。今までに何回か失敗しているからだ。少ない時間に重い荷物を運びながら階段の上り下りはつらい。列車が遅れることもある。あわてて列車をまちがえたこともあった。列車の乗り換えは緊張する。

 昨夏、ツェレからハンブルグへ戻る途中、ウエルツェン(Uelzen)という駅で乗り継いだ。列車を待ちながら駅舎を見ると何か雰囲気が違うのに気づいた。とりあえず向かいのプラットホームと駅舎を撮影した(写真上右)。すHpp6083890ると、前列車から同席してきたドイツ人のトーマス氏が、ウエルツェン駅の由来を説明してくれた。駅舎と構内はフンデルトヴァッサー(Hundertwasser)という芸術家の設計・デザインだという。彼は、Hpp6083885_2私が写真家であるなら撮影したほうがよいとアドヴァイスしてくれた。(写真上左 駅コンコース。写真右 駅コンコース)

 いつものように、乗り継ぎは次の列車に乗車するまで不安だ。乗り継ぎ時間は正味30分あったが、アドヴァイスされたときから列車が出発するまでに約15分しか残っていない。私は家内に荷物を預け、勇気を出してプラットホームの階段を駆け下りた。そのときに撮影したウエルツェン駅構内の写真を紹介する。駅舎にこれほどのアートやファンタジーが取り入れられているのは珍しいのではないか。フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(1928年~2000年)についてはHpp6083900Hpp6083903 Wikipedia を参照してほしい。彼は、日本の建築や施設にも関係しているようだ。(写真上左 エレベーターの出入り口。写真上右 ホームへの階段)

 なお、私はドイツのどこの駅にも関心がある。特に小さな駅が好きだ。途中下車して駅舎や生活、人情などを撮影してみたい。(写真下左 ウエルツェン周辺地図ポップアップ可。写真下右 コンコース内のモニュメント)Hpp1069115_2Hpp6083893

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2012/12/01

大倉山 エルムフォトクラブ写真展

大倉山 秋の芸術祭2012Hpimg_0003

 毎年、秋に開催される芸術祭が今年は12月に延期された。会場の横浜市 大倉山記念館のリニューアルのためだ。地元のエルムフォトクラブ写真展も同時開催だ。会場は記念館3階回廊で、会期は12月4日(火)~9日(日)10:00~17:00 最終日は16:00まで。右のパンフレット参照(ポップアップ可)。

メンバーの代表作を1点掲載する。『念』 高橋勲夫(写真下左)Hpimg_0005_2

   



  




わたくしも1点『蝴 蝶』を出展する。ドイツ・ヴァッサーブルグのショーウインドーを、コンパクトカメラで撮影したものだ。なお、本作品は以前、まちだ写好会展で展示した(写真下右)Hpp6075860_2

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2012/08/27

大道芸人の幸せ ドイツNo.124

繰り返しと積み重ねの旅情Hpp6057278_2

 12年ぶりにツェレを訪れた。ドイツ旅行の機会はそれほど多くはないのに同じ町を訪ねるのは、もったいないような気がしないでもない。周囲の人たちには、奇異に感じるだろう。しかし、私は、ドイツへは観光目的で出かけるのではない。“生活目的”である。少しでもドイツ人のライフスタイルになじみ、自身の糧を得たいのである。そのためには、同じ町へ繰り返し行くことに意義がある。自身の撮影スタイルも同じである。気に入った撮影地に何回も通いながら、テーマを発掘して掘り下げるのが好きなのだ。

 今夏のドイツ旅行でツェレ再訪を加えた理由は、木骨組みの家々がつくる町並みの美しさ(写真上右)をもう一度見たかったのと、ホテルが気に入っていたからだ。しかし、12年前のホテルへ問い合わせたところ、姉妹経営の別のHotel am Hehlentor(写真下2点)を紹介された。Hpp6073771Hpp6062860_3そのホテルがまた良かった。12年前のホテルのすぐそばにあり、立地条件は前回と同じである。Nord wall(北城壁)通りにあり、旧市街の市庁舎やマルクト広場まで徒歩5分の距離にある。朝食やフロントの対応などを含めた雰囲気が良く快適だった。そこを拠点に4日間の取材をした。

 到着早々、旧市街へ繰り出した。視覚から入る町並みの風景が懐かしかったのだが、もう一つ聴覚への刺激があった。アコーデオンの響きが耳の中というより、私の脳の中に畳み込まれていた思い出を呼び覚ましたのである。12年前に撮影した同じでデパート(Muller)の前でアコーデオンを演奏している大道芸人が目に入った。白髪と歳月を差し引くと、ひと目12年前の芸人と同じに見えた。Hp2012p6073626_2Hp2000p8021599_2アコーデオンの音色では判別できないが、演奏曲目は同じだった。「懐かしのメロディー」である。12年前と同じ芸人であってほしいと期待した。そこで、滞在中に一度撮影させていただいた。しかし帰国後、前回(写真右)と今回(写真上右)の写真を比較検討したが、どうも違うようだ。しかし、“同一人”であるという気持ちは、滞在中の私の気持ちを高ぶらせた。もし同一人なら、彼は幸せな人生を送っていると思ったからだ。好きな音楽を一つの町で、長年多くの人々に聴いてもらえる喜びに、私は共感する。ドイツの同じ町を再訪することで得られた喜びだった。なお、現場で当人に確認すればよかったのだが、私には“同一人”という確信があったので聞かなかった。

 ところで、繰り返しという作業や動作は、私たちにとって、大きな意義があると考えている。学習や記憶の固定には繰り返しが必要だ。感動にも繰り返しが欠かせない。音楽は、繰り返して聴くことで感動が高まる。音楽の楽曲形式にソナタ形式というのがあり、主題の「提示部」「展開部」「再現部」「終結部」で構成されるが、そこには「再現部」という繰り返し部分がある。ポリフォニーの楽曲形式であるフーガやバリエーション(変奏曲)は、基本的に繰り返しの音楽である。カノンは、その典型だ。繰り返しは音楽的な感動の中枢だと言えよう。繰り返しには時の流れが伴う。私は、時間がかかわるいろいろな体験も同じだと考える。旅行の目的地を選択するときにも繰り返しはけっしてむだにはならない。Hpp6073727_2一つの町にかぎらず、ドイツに絞っていることにも意義があると思っている。また、ここでは積み重ねという概念も提示したい。訪問先の繰り返しと、滞在による積み重ねが旅情を高め、思い出や懐かしさを作るのである。一方、マンネリという悪い繰り返しもあるので、自省しなければならない。 (写真左上 ツェレのマルクト広場に面した街並み)

 大道芸の位置づけはヨーロッパでは高いようだ。あるTV番組で、脱サラして大道芸に転じた例を紹介していた。大道芸は日本の横浜でも盛んだ。毎週末、MM21地区や山下公園、野毛地区などでの路上をにぎわせている。芸人は、だれもがプロフェショナルである。それは、撮影してみればすぐわかる。いくらでもシャッターチャンスがあるからだ。スポーツでも芸能でもプロの表情や動作は豊かである。

 なお、本ブログは二人の大道芸人が同一人であるという前提で書き始めた。推理や想像につじつまが合うことは愉快であり、ドラマティックであるからだ。しかし、芸人の特定がはっきりしないのであきらめようとしたが、私の心を揺るがせたので掲載することにした。ブログの内容は心の変遷をつづることで十分ではないだろうか。

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2012/08/19

マリエン教会のコンサート ドイツNo.123

トランペットオルガンの協演Hpp6015832

 リューベックの教会ではたくさんのコンサートが開催されている。『Musik in Lubecks Kirchen』という小冊子(写真下左)には、6月初旬から8月末までの3か月間に100に及ぶコンサートがリストアップされている。リューベック旧市街、ならびに近郊にある教会を挙げてみると、St. Marien、St. Jakobi、St. Petri、Heilig Geist、St. Aegidien、Dom、St. Matthai、St. Philippus、Wichem-Kirche、Hpimg_0004_2St. Jurgen-Kapelle、St. Thomas、St. Gertrud am Stadtpark、St. Augustinus、St. Vicelin、St. Johannes Kucknitz、など15を超える。Hpimg_0004_3これらの教会のどこかで、または同時にほぼ毎日コンサートが開かれているのである。いかに音楽的環境が豊かであるかということだろう。しかし、これは音楽鑑賞の環境というよりは宗教的な環境というべきかもしれない。 (写真最上右はマリエン教会。同上右は入場チケット)

 6月1日、私たちもその中の一つに触れることができた。日中の見学で訪れたマリエン教会(St. Marien 写真上右)で、関係者が当日夕刻のコンサートの情報を提供してくれたのだ。Hpp5021655コンサートのタイトルは「After Work Konzert “Trompete und Orgel”」、「仕事の後のコンサート トランペットとオルガンの夕べ」とでも訳してよいのではないか。夕刻19:00を目ざして聖堂を訪れた。入場料は、私たちは一人10ユーロだった。聴衆は少ない。ほとんどは祭壇内陣に作られたソファーのような客席に座っている。信徒や常連客のようだ(写真右上)。私たちは外様なので、遠慮して礼拝席に座った。

Hpp5021660 初めにあいさつと曲の解説があり、第1曲のG.P.テレマンの合奏協奏曲が始まった。トランペットが独奏楽器(1声部)を受け持ち、オルガンが室内楽のオーケストラを担当する。オルガンは鍵盤の両手で2声部、ペダルの両足で2声部を受け持つので、合計4声部になりオーケストラに匹敵する演奏ができる。音にも厚みがあるのでオーケストラに引けをとらない。トランペットの高音とオルガンの重厚な響きが音響効果の良い聖堂内の空気を震わせた。まず、堂々たるサウンドに感激した。第2曲目はJ.S.バッハのチェンバロ協奏曲である。これがオルガンの独奏で演奏された。Hp61img_0005_2前述のように、独奏でも4声部の厚みのある音なので、オーケストラと同じように聴こえる。特にオルガン特有の低音のパートが強調され心地よい。第3曲目はA.ヴィヴァルディの合奏協奏曲集「調和の霊感」(op3)からの1曲だ。「調和の霊感」は、私がもっとも注目しているヴィヴァルディの曲なのでうれしかった。トランペットが主旋律を奏で、オルガンが伴奏するという感じがすばらしかった。 (写真上左 祭壇脇のオルガンのそばで演奏するトランペット。同上右 当日のプログラム)

 第4曲目はG.ベーム作曲のオルガンのための「天にいますわれらの父よ」という曲である。聴いたことがあるように思えたが、作曲者と曲名は帰国後調べた。第5曲目は、G.F.ヘンデルの組曲ニ長調である。これも聴き覚えがあるが曲名は浮かばない。Hpp6015725しかし、ヘンデルらしい荘重な響きを堪能した。帰国後曲名を調べたが不詳である。5楽章の組曲ニ長調は、事典では見つかなかった。第6曲目は、J.パッヘルベルのオルガン曲・シャコンヌ ヘ短調である。シャコンヌといえばバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番(パルティータ)の第5曲が有名だ。変奏曲なので、作曲テクニックを味わうように鑑賞した。なお、パッヘルベルの「カノン」はあまりにも有名だ。終曲は、G.P.テレマンの「英雄的行進曲」だ。プログラムには「Heroische Marsche fur Trompete und Orgel」と書かれている。原曲12連作の中から3曲が抜粋され、トランペットとオルガン用に編曲されたようだ。行進曲の雄々しさとテレマンの作風が一体となって、高らかに唄われた。それには、聖堂の音響効果が貢献していることを付け加えなければならないだろう。演奏者名は、プログラム(写真上右)のポップアップ画面を参照してほしい。

 マリエン教会は、市庁舎とマルクト広場の隣りにあり、リューベックを代表する教会である。パイプオルガンは世界最大級(写真上左)と言われているが、演奏に使われたのは祭壇脇の中型のオルガンだった。Hpimg_0007_2『Musik an St. Marien Programm 2012』 (写真下右)には、マリエン教会で年間に開催されるコンサートがリストアップされている。私たちが鑑賞した「After Work konzert」以外に「Musik im Gottesdienst」「Lubecker Orgelsommer」「Konzerte und Sonderveranstaltungen」「Buxtehude-Tage 2012」などシリーズ化されている。4月から12月までに87のコンサートが催される。なんと豊かな文化的環境だろうか。教会での開催なので、入場料は10ユーロ前後(教会への寄進)である。これを支える主催者と演奏者に敬意を表したい。 参照:『教会のバッハコンサート ドイツNo.106』

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2012/03/31

バロック・サウンド 横浜No.60

大倉山記念館のコンサートHp

 横浜市・大倉山記念館では、ときどきコンサートが開催されている。3月28日には、古楽器による「トリオ・ソナタの夕べ」というコンサートがあった。関心があるだけでなく、出演者に知り合いがいるので聴きに出かけた。主催と演奏者はConcerto Giocoso(横浜古典楽器アンサンブル)である。その中の二人は以前、家内が美術の指導をしたことがある。(写真右は当日のプログラム)

 当日は、トリオ・ソナタという形式の曲に絞って選曲された。トリオ・ソナタは、バロック時代(17~18世紀ごろ)に流行した音楽形式で、3声部からなる器楽曲だ。二つの高声部に通奏低音を加えた3声部だが、通奏低音はチェンバロとビオラダガンバ(チェロの古典型)で演奏するので、合計4人で演奏される場合が多い。楽器の組み合わせはさまざまで、当日の高声部には、バイオリンとリコーダー(ブロックフレーテ、縦笛)の取り合わせだった。トリオ・ソナタは、以後の古典派やロマン派の弦楽四重奏の元になったという。

 演目の作曲家は、フランソワ・クープラン(1668~1733年 フランス)、アルカンジャロ・コレッリ(1653~1713年 イタリア)、ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ(1697~1773年 ドイツ)、ジャック=マルタン・オトテール(1674~1763 フランス)、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル(1685~1759年 ドイツ→イギリス)、アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741年 イタリア)、マルコ・ウッチェリーニ(1603~1680年 イタリア)だ。いずれもバロックに時代に活躍した作曲家である。Hpp3280592それぞれの作曲家の作風に加え、イタリア、フランス、ドイツ、イギリス、それぞれのバロック音楽のスタイルの違いも興味深かった。解説によると、装飾音の付け方が違うのだという。装飾音とは、楽譜に書かれた音に部分的に付加する音で、曲の表情を豊かにするためのもの。私たちがよく聴くトレモロはその一種だ。バロック時代は即興で演奏されたが、後に楽譜に記載されるようになったという。

 ステージからバロック時代の演奏風景を想像した。バロック時代の音楽は、おそらくコンサートというよりサロンの余興であったのではないか。演奏者は互いに装飾音の付け方で、音の会話を楽しんだのではないだろうか? トリオ・ソナタの演奏には指揮者はいない。コンサートマスターに匹敵する第1高声部がリードするのだが、全員の息が合わないと演奏は成り立たない。それは、昔も今も同じだろう。当時は、現代のようなコンサート・ホールでの演奏ではなく、室内楽が主流の時代だ。それも身近な人との社交的な場であったと思われる。私はドイツでたくさんのバロック時代の町並みを見てきたので、その風景に重ねながら聴いた。

 中休みに、調律師がハープシコードの調律をした(写真上左)。ハープシコードはピアノと違って弦楽器なので、音程が狂いやすいのだろう。一音一音ていねいに音程を合わせるのである。Hpp3280598_3 これもバロック時代ならではの風景ではないかと思った。後半のはじめに古楽器の解説があった(写真左)。現在からみれば未完成ながらも、現代楽器の前身としての役割と、クラシック音楽草創期の先人たちの工夫や情熱を感じたのである。出演者は、少なくとも二つ以上の楽器を弾きこなしていた。これも、バロック時代ではあたりまえだったのではないか。

 7曲目は、ヴィヴァルディのトリオ・ソナタニ短調『ラ・フォリア』(作品1の12番 RV63)だ。『ラ・フォリア』は、古来有名なテーマ曲で、多くの作曲家が取り上げた曲だという。ヴィヴァルディはこれをみごとな変奏曲に仕上げた。私は変奏曲が好きである。Hpp3280611J.S.バッハの『ゴールドベルク変奏曲』やブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲』は圧巻だ。ベートーベンもヘンデルやモーツァルトの曲を変奏曲にしている。モーツァルトの『きらきら星変奏曲』はあまりにも有名だ。変奏曲はテーマ曲と変奏の織りなす力学がすばらしい。「原形とデフォルメ」という芸術の根源に触れるものがあると思っている。ヴィヴァルディの『ラ・フォリア』にも変奏曲のだいご味を感じた。アンコールはテレマン(1681~1767年 ドイツ)の曲だった。私はその日、バロックのサウンドから好きなドイツ(ヨーロッパ)の香りを感じることができた。なお、演奏中の撮影は控えた。(写真上右は横浜・大倉山記念館)

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