2014/08/10

佐久の苔寺 八ヶ岳山麓No.164

「貞祥寺」探訪フォトレポート

 山小屋のご近所のTさんから紹介していただいた佐久の貞祥寺(ていしょうじ)へ出かけた。Tさんによると苔が見ものだという。 Hpp8080606_2貞祥寺の開基は近くの前山城主・伴野貞祥、開山は節香徳忠禅師によるという。佐久平を囲む山並みの南西麓に、1521年創建された(写真上 惣門から山門までの参道。同下左 本堂。同下右 由緒書き)。境内へ入ると、山寺ながら独特の雰囲気がある。Hpp8080524_5Hpp8080665_11
見慣れない樹木や草花などがあるからだろう。曹洞宗の寺で、広い座禅道場を兼ねた佛殿(本堂)をはじめ、七堂伽藍を備えている。

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 苔は、山門までの参道の両側に石畳を埋め込むように敷き詰められている。これだけの密度の苔はめったに見られないのではないか。柵などで歩行を制限していないので撮影にはつごうが良い。しかし、石畳の上からでも十分撮影できるので、大切にしなければならないだろう。

 同境内には、島崎藤村の小諸時代の旧宅が保存されている(写真下 由緒書きと旧宅)。佐久市教育委員会のパンフレットによると、藤村は明治32年(1899年)4月から同38年(1905年)4月までの6年間をこの家で過ごした。Hpp8080642_3Hpp8080638_4
新婚生活だったという。この間、「落梅集」、合本「藤村詩集」を刊行、「藁草履」、「老嬢」、中編「水彩画家」などの小説を完成し、さらに写生文「千曲川のスケッチ」、長篇「破戒」などに着手した時期だ。文豪の草創期の環境に触れることができるかもしれない。 (写真はすべてポップアップ可)
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2011/07/29

あこがれの中世の家に泊まる ドイツNo.103

ホテル・エルク・ニュルンベルグHpp6116652_2

 ドイツが中世を大切にしているように、私も中世にあこがれている。ドイツを旅する楽しみのひとつは、中世の体験である。木組みの家に囲まれたマルクト広場でコーヒーやビールを楽しみ、教会の鐘の音を聴き、マルクトで買いものをしていると、ドイツ人の仲間に入れてもらったように気分になり、中世へタイムスリップしたような心地がする。なぜ、ドイツ中世にあこがれるのかと聞かれたら、いろいろな理由はあるが、説明が長くなるので「ウマが合う」と答えておこう。中世のシンボルといえば木組み(木骨組み)の家だろう。むき出しになった木組み構造は町並みに中世の雰囲気を作る。Hpp6149953現在は、壁をモルタルで塗り木組みの構造をおおいかくしている家もたくさんあるが、構造は木組みである場合が多い。ニュルンベルクでは木組みのホテル(ガストホフ)に泊まることができた。(写真左は、ホテルのレストランに飾ってあるエルクのはく製)

 ニュルンベルク中央駅からタクシーに乗り、「ホテル・エルク・ニュルンベルグ」(写真上右)の前で降りたときは、「ヤッター」という心境だった。Hpp6126586 木組みの家が目の前に建っていたからだ。「ホテル・エルク」は、市壁で囲まれた旧市街の中にあり、部屋代が安いということだけで決めた。だから、ホテル・エルクが木組みの家だとわかったときはうれしかった。ホームページには1342年創業とある。ロケーションは絶好だった。徒歩数分でニュルンベルグのシンボル、カイザーブルグ(城郭)や中央市場(マルクト広場)へ行ける。5分ぐらいのところに聖ゼバルドゥス教会や旧市庁舎がある(写真左)。

 ホテル・エルクを外から眺めると、梁がしなったように曲がり、いかにも年代物の家に見える。自然の材木をそのまま使ったからではないか。中世の家の特長である二つのアーチもわかる。木組みの家には、しばしば梁に建造年が彫り込まれているが、ホテル・エルクにはそれが見あたらない。棟続きのほかの家の年代を調べたら16世紀ごろの建造なので、ほぼ同年代の建築と見てまちがいないだろう。Hpp6106509_2Hpp6106193_2二つのアーチのうちの小さいほうは、人の出入り口だったが窓に改造してある。もう一つの大きなアーチは、荷車や馬車、家畜などの出入り口だった。中世では人と家畜が同じ屋根の下で暮らしていたという。私たちは4階の建ての3階に泊まった。部屋の雰囲気は古来の素朴なものだ(写真上左)。しかし、トイレやシャワーは現代のスタイルだ(写真上右)Hpp6126723Hpp6136681_2ワイヤレスのLANも使える。古い建築を文化遺産として残しながら、それに現代の機能をアレンジした人々の精神に敬服した。(写真上左は朝食の一例、同右はビュッフェ)

 私は木組みの構造には興味がある。外観の構造はわかるが、天井や床をどうしているのか知りたかったので撮影させてもらった。ホテル・エルクも今まで見てきたものと同じように、角材をたくさん並べて強度を保つ構造だ。床を撮影していたら、フロントの女性が地下室の入口を開けてくれた(写真下左)。中世の家には地下室があり、ワインやチーズ、塩漬け肉などを貯蔵すると文献に書かれている。それを目の当たりにして、あらためて中世の家に泊まったことを実感した。参考までに宿泊代を紹介する。ツイン1泊朝食付き84ユーロ(約9600円)だ。もちろん2人分の価格だ。(写真下右は柱と梁、天井の構造)Hpp6149964_2Hpp6149956

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2011/07/17

パステルカラーの町並み…ヴァッサーブルグ              ドイツNo.101

個人主義が町を美しくするHpp6072118

 ドイツの町は、それぞれが自慢の看板をもっている。例えば、オーバーアガマウではほとんどの家屋の壁にフレスコ画が描かれ、宗教画とメルヘンが調和して、すばらしい雰囲気だ。ツェレでは、木骨組みの家々が旧市街を埋め、中世にタイムスリップしたようだ。バンベルクは世界文化遺産の旧市街と大聖堂を見学するために多くの観光客と巡礼者を集めている。Hpp6061339ランズフートの家は、立派なファサードを互いに競い合っている。ハーメルンは「笛吹き男」が表看板だ。野外劇で「笛吹き男」をPRし、パン屋のショーケースのなかにも「笛吹き男」や子ども、ネズミなどがパンのモデルになっている。ニュルンベルクやノルドリンゲンは、町を囲む市壁(城壁)が自慢だ。市壁はコミュニティーの象徴なので大切にしている。ハンブルグは豪壮な倉庫群とフィッシュ・マルクト(朝市)ではないだろうか。また、ラートハウス(市庁舎)や教会が顔になっている町も多い。ミュンヘンやハンブルグのラートハウスは壮麗である。

 ヴァッサーブルグ・アム・インは旧市街の家々をパステル調カラーに彩色している。Hpp6072024_2一般に、ドイツの町の美しさは、電線・電柱がないことと、家屋の壁の塗装が調和していることによるのだが、ヴァッサーブルグは特別だ。私は町を撮影し始めてすぐに気づいた。案の定、翌日、i (information 観光案内所)を訪れてみたら、1枚のポスターが貼ってあり、それを物語っていた(写真左上 15ユーロで販売されている)。町の紹介文には、「訪問者は、Hpp6071818おとぎ話(fairy tale world)の中に入ったように感じるだろう」と書かれている。あきらかに町全体で、このカラー壁をアッピールしている。このカラーが自慢なのだ。

 自身のことだけ考えて家を設計し壁を塗るのが日本の建築や町のデザインではないか。ヴァッサーブルグの町並みは、日本では考えられないデザインだ。日本以上に個人主義を重んじるドイツで、なぜこのようなことができるのだろうか。実は、個人主義とは良心と自由による思想や行為を重んじる一方で、義務と責任を伴う。Hpp6061372私たちは、個人主義に伴う義務と責任を忘れがちだ。町の統一されたカラーは義務と責任の表れではないだろうか。すなわち、個人主義がゆえにヴァッサーブルグのパステルカラーは生まれたのだ。ドイツ人は、自分たちが住んでいる町を少しでも美しく見せたいと願っている。そのために、隣りの壁の色を見て、我が家の壁はそれに違和感のないカラーを選んで塗る。

 ヴァッサーブルグの町を撮影しながらもう一つ気づいたことがある。人々の衣装もカラフルで町に調和しているのだ。町の美しさは、個人主義によるだけでなく、Hpp6072187市民のカラーセンスも貢献していると思った。 (写真はすべてヴァッサーブルグの町並み)

参照:『ヴァッサーブルグの第一印象 ドイツNo.98』

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