2016/12/02

感動の大原治雄ブラジル展

『ブラジルの光、家族の風景』

 去る11月16日、清里フォトアートミュージアム(K★MoPA)へ、大原治雄展を鑑賞に出かけた。パンフレット(写真右下2点)だけの予備知識で出かけたのだが、素晴らしい写真展だった。どうしても書かずにはいられない衝動にかられ、遅ればせながら執筆した。同展は12月4日(日)までだ。 http://www.kmopa.com/

 Hpp1img大原治雄氏(1909~1999)は、高知県生まれのブラジル移民である。写真家である前に移民としての多くの蓄積があった。写真を始めたのは、24歳で結婚したときからだという。家族の写真を撮ろうとしたきっけは、これから始まる一族の壮大なドラマを予感して記録しようとしたのか、カメラに興味を持ちはじめたのか、写真のテクニックに引かれたのか、私は、これらすべてではなかったかと推測した。大原氏の胸の内を図ることはできないが、彼の移民としての経験が反映したことは間違いあるまい。移民としてブラジル・パラナ州ロンドリーナを開拓するという、無から有を生ずるような過酷な生き方に立ち向かい、それにめどが立ったときに、所帯を持ち、何か一つのことに打ち込んでみたいというのは、自然な心の動きではないだろか。Hpp2img未開の大地を農園にするまでには、並々ならぬ苦労があったようだ。

 大原氏の写真の傾向や作風について感じたことに触れよう。『ブラジルの光、家族の風景』というタイトルがついているが、まず、自身のセルフポートレートが目立つ。これは何を意味するのだろうか。私には、家族の始まりは、自身 大原治雄であるということを伝えたいのではないか。現在、70人を超す大家族となった大原家の元は大原治雄であることはまちがいない。たくさんの子どもや配偶者、孫の写真の中に、ときどき大原自身のポートレートが散りばめられている。これほど多くのセルフポートレートが目だつ写真展は見たことがない。私が最も気に入ったセルフポートレートは、最初の壁面に飾ってあった1点だ。木に寄りかかり、足を投げだして座っている足元にコーヒーポッドが置かれている。大原氏の顔はフレーミングの中にはない。背中と左腕の一部が写っているだけだ。タイトルは、確か『休憩』か『休息』だったと記憶している。私は、このシーンの大原氏に感情移入することができる。顔をみせずに自身の休憩時間を表現しようという、この写真のモチーフに共感する。多様なセルフポートレートと写真展での公表は、私もまねしたいと思った。

 カメラを手にしたときには、過酷な開拓の時期はすでに終わっていたのかもしれないが、彼の作品には、労働の厳しさや不安な気持ちは写っていない。おそらく撮影はしたが、作品展には展示しなかったのであろう。家族の幸せとブラジルの大地を讃えたいという意図のもとに写真展は編集されていると思う。移民という日本国を代表した親善使節の役割を思えば、当然な編集意図だろう。『霜害の後のコーヒー農園』という作品があった。胸高直径2メートル以上もある巨木の切り株の上に二人の男が乗り、周囲を見渡しているスナップような記念写真である。霜害といえば、農業に従事する人にとっては深刻な事態だろう。この状況下で、かつて切り倒したであろう大木の上に立って、お山の大将のようにふるまっているのは、いったいどんな心境なのだろうか。霜害の実情を示す写真は簡単に撮れるはずだ。この写真が、大原治雄氏の写真観を象徴した作品ではないか。前述のセルフポートレートといい、霜害の写真といい、婉曲的に表現しようとしていると思う。

 シルエットと陰影を生かした作品が目立つ。タイトルの『ブラジルの光、家族の風景』のとおり、光のモチーフを多用している。ちなみに、シルエットも陰影も光のモチーフに属する。Hp4img_0004パンフレットの表紙を構成する2点の作品は、シルエットの写真だ。どちらも、背景の空が美しく、人物は大地と一体になってシルエットになっている。解説書の4ページ目『本展のみどころ』(写真左)には、『ブラジルの大地を切り開いたからこそ現れた「空」と「水平線」であり、大原はこのモチーフを繰り返し撮影しています』とある。パンフレット上段の写真の人物は大原氏だという。『苦難の日々を乗り越えた喜びに溢れる姿ですが、大原自身は画面右端に立っていることから、この写真の主役がブラジルの大地と空であることがわかります』。シルエットのテクニックを生かしたセルフポートレートである。

 最後の入出口に近い壁面には、パターン写真が展示されていた。草花や納屋の片隅に見つけた農機具などをパターン化した作品群だ。モノクロ写真なので、当然、ブラジルの光と陰影を生かした作品だ。大原氏のカメラアイの一端を知ることができた。

 大原氏の孫の一人が写真家になっている。サウロ・ハルオ・オオハラ氏が撮影した大原治雄氏のスナップが展示されていた。 ベットに腰かけている晩年の姿だ。ものさびしそうに見えるが、孫に撮影されている幸福感も読み取れた。私も写真家の端くれなので、うらやましく感じた。

 私は、鑑賞し終わったとき、大河ドラマを見たような気がした。そして、写真にもこのようなスケールの大きい表現が可能だということを知った。今までは、写真は映画や音楽にはかなわないと思っていたが、決してそのようなことはないと確信した。Hppb160141_edited2
 なお、サウロ・ハルオ・オオハラ氏が、祖父の故郷・高知県を訪れたときに撮り下ろした『Aurora de Reencontro 再会の夜明け』展も同館で展示されている。参照:田園の誘惑

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2013/08/09

きくな チャレンジフェスティバルVol.1 横浜No.69

8月11日(日) 横浜市港北公会堂

          …コミュニティー充実のあかし…
 「菊名の未来を考える会」(http://kikumikai.jimdo.com)は、地域の活性化を企図して結成された。「笑顔が見えるまちづくり」をテーマに、着実に目標を達成している。Hpc_2今まで、「ハロウィンウィーク」、「七夕大作戦」「Xmasえきこんさーと」など地域に密着したイヴェントを実施してきた。住民も、これらの企画を盛り上げている。今夏、初めて「きくなチャレンジフェスタ」を立ち上げた。これほどの地域活動はめったにないのではないだろうか。菊名地域コミュニティーのいっそうの充実を感じる。企画意図や内容は、ちらしのコピー(ポップアップ可)を参照してほしい。チケット(入場料500円)は、菊名の未来を考える会(☎045-431-9384)、イープラス(e+ http://eplus.jp)へ。Hp1c_3

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2012/11/21

千葉大学スキー部OB会2012 in 浅草

豊かな江戸情緒に触れる…フォト・アルバム「浅草余話」Hppb187781

 今年のOB会は、例年のひと月遅れで11月18日、東京・浅草で開催された。浅草観光と江戸下町情緒を体験しようという企画だ。参加者は22名、二手に分かれそれぞれにガイドが付いて浅草寺界隈を見学した。私は、初めてツアーに参加しながらの撮影を体験した。いままで、パックツアーに参加した知人の作品をたくさん見てきたが、ほとんどがものになっていない。彼らの体験談によると、「撮影に集中しようとすると、すぐ置いてきぼりを食ってしまうので落ち着いて撮影できない」というものだ。もちろん、私もそれに納得してきた。実際に自身でチャレンジしてみたのだが、予想どおり難しかった。 (写真右は雷門大提灯)

 当日は日曜日とあって、浅草は観光客でいっぱいだ。思うようにカメラポジションを決められないうえに、しばしばレンズと被写体の間に観光客がHppb187817入ってしまい、シャッターがきれない。デジタルコンパクトカメラ(オリンパスXZ-1)は、多少救いになったかもしれない。少しでもカメラ操作の時間を短縮するために、カメラの設定をいつもとは変更した。ISO感度をオートにして日向と日陰のEV値を調節してカメラブレを軽減、デジタルズームで画角調節のレンジを広げてフレーミングの自由度を高めた。ツアーでの撮影結果をフォト・アルバム「浅草余話」としてまとめてみたが…。

花屋敷(下左) 五重塔(下右)Hppb187899Hppb187892

宝蔵門の仁王阿像(下左) 神輿(下右)Hppb187871_3Hppb187812_2

白浪五人男(下左) 鼠小僧次郎吉(下右)Hppb187857Hppb187842

浮世絵(仲見世にて)(下左) 踊り衣装(仲見世にて)(下右)Hppb187793Hppb187799

 

 







 ガイドの渡邊征夫さん(写真左最上)の解説は的と要を得ていた。豊富な知識からにじみ出た日本史の余談などがおもしろかった。宝蔵門の仁王像の前で、「阿吽(あうん)」を外国人に説明するのに苦労するとこぼしていた。私は「阿吽をどう訳すのですか?」と質問した。「On the same wavelengthかな」と答えてくれた。ちなみに、浅草には外国人に対応できるガイドがいる。スキー部OBのFさんもその一人で、今回の幹事だ。ガイドのおかげで、あらためて浅草と江戸文化の奥の深さを知った。なお、ガイドの依頼は浅草観光文化センター(☎03-3842-5599)へ。

 雷門をスタートし、仲見世、浅草寺境内の各所、江戸下町伝統工芸館まで、正味1時間半の見学だった。12時半からメインイベントの宴会に移った。会場は助六の宿「貞千代」である。Hppb188049_3Hppb187934貞千代は江戸町人料理(池波正太郎の「鬼平犯科帳」に出てくる料理)を食べさせてくれるという料亭旅館だ(写真上2点) 。私は「鬼平犯科帳」を愛読しているので楽しみにしてきた。乾杯と同時に、貞千代の主・望月友彦さん(写真下左)が宿のPRを兼ねてあいさつした。わたくしは彼の質問に答えて著書をいただいた(写真下右)HpHppb187943_2

 次に登場したのは桜川米七さんという芸人である。桜川さんの役は幇間(ほうかん)である。幇間とは辞典(スーパー大辞林)によると「宴席などで遊客の機嫌をとり、滑稽な動作・言葉によって座をにぎやかにすることを職業とする男。たいこもち」と書かれている。すなわち、私たちのOB会を盛り上げていただく役だ。桜川師匠の芸はいわゆる“たいこもち”どころか、最高のエンターテインメントだった(写真下左)。ステージが終わると、Hppb188023_2私たちの席に加わっていただき歓談に花が咲き、記念撮影にも応じてくださった(写真下 中央が桜川師匠)Hppb188041。江戸の下町にはこのような芸と慣習があったのであろう。おかげで2012OB会は、盛況裏に終わった。

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