ドイツより古い英国!? ドイツNo.114
英国王立写真協会 日本支部展 「Feel British 」
「……最初のローマ船がブリタニアの海岸に達した。ウインストン・チャーチルが、大英帝国の歴史はこのときよりはじまる、とした紀元前55年8月26日である」と、塩野七生著「ローマ人の物語」(新潮文庫版第9巻)に書かれている。ブリタニアとは現イギリスのグレートブリテン島のことであり、ローマ船を率いていたのはユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)である。カエサルは、ガリア制圧の一環(拡大)としてブリタニアも制覇しようとして兵を上陸させた。「ローマ人の物語」によると、カエサルは同年の前半にはライン河を渡りゲルマンの地へも進攻している。また、すでに紀元前58年にもライン河を渡っている。ゲルマンの地への進攻のほうが、ブリタニア上陸より早いにもかかわらず、チャーチルはドイツより大英帝国のほうが歴史が古いと自慢の種にしたそうだ。
そこには、古代ローマ研究の学者間の確執とチャーチルのドイツへの対抗意識がはたらいているようだ。また背景には、カエサルのゲルマン侵略はガリア人に対するデモンストレーションのためであったのに対して、ブりタニアのほうは支配(ローマ化)を目ざしていた、ということがある。すなわち、ブリタニアへは本気で攻めていったのである。実際、カエサルはテームズ河(「ロンドンであったかもしれない」と書かれている)を渡って攻め込み、その地の部族を降伏させて帰還する(ローマ人の物語より)。本気で攻めてきたほうがローマ化が早く進み、より長い歴史を刻むので、国の創設は古くなるという論法を、やや奇異に感じるが…。チャーチルの判断の根拠には、西欧文明における「ローマ」の存在の重さもかかわっている。ローマとの接点が文明開化の基準であり、自国のローマ化は誇りなのである。こうして大英帝国の基礎が築かれ、現在の英国(グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国 United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland )につながった。英国王立写真協会に所属しながらドイツびいきである私にとっては複雑な心境である。なお、この記事をドイツのカテゴリーに含めたのは、「ブリタニア人とゲルマン人」「英国とドイツ」の比肩にかかわるからである。
私が英国と聞いて思い出すのは、「ロビンフッド」「アイバンホー」、シェークスピア、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」、「シャーロック・ホームズ」などだ。特にシャーロック・ホームズはお気に入りだ。学生時代にほぼすべてを読んで、探偵にあこがれたこともあった。現在、テレビ番組やDVDなどの映像を見て、夢中に読んでいたころのイメージがスクリーンでよみがえる。ストーリーを楽しむだけでなく、ロンドンやその近郊の町並みにも興味を引かれる。流れる霧、馬の蹄と馬車の車輪の響き、当時の人々の素振りなど、私の英国観に大きく影響している。ただし、残念ながらロンドンの真相は知らないのである。
英国王立写真協会 日本支部は第10回目の写真展を開催する。テーマは、昨年に引き続き「Feel British…イギリスぽいってどんなこと?」である。ご高覧いただけたら幸いだ。なお、私は出展していない。
期日:2012年3月9日(金)~15日(木) 10:00~19:00 (日曜開催 最終日は17:00まで)/会場:フレームマンエキシビジョンサロン銀座(銀座ファイブ2F アクセスは上左のマップ参照)
英国王立写真協会 日本支部の創設者、青木 朗氏が死去されました。心よりご冥福をお祈り申しあげます。
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