2013/06/20

夕刻の家族団らん ドイツNo.136

パリの公園で観察したこと

 ヨーロッパと日本の生活リズムの違いを感じるのは、夕刻の過ごし方だ。特に、夏はその違いをまざまざと感じる。緯度の高さとサマータイムで日没が遅くなり、夕方の屋外での活動時間がかなり延びる。夏至前後の6月では22時ごろまでは十分明るい。というわけで、夕食を屋外でとったり、公園やレストランンへ出かけて、スポーツやピクニック、ゲーム、喫茶などで家族団らんを楽しむ習慣があるようだ。 (写真下 ホテルのベランダから撮影した公園。6月11日、20時20分)Hp1006112020p6117789_2
 6月上旬、パリに滞在したとき、夕食を済ませて部屋へ戻ると、毎日、人々の歓声が窓から入ってきた。ホテルの前の公園で余暇を楽しむ家族の歓声である。窓から観察すると、数人以上のグループがシートを広げて車座になっているのがわかった。グループは親子や隣近所、友人の家族などで構成されていうようだ。メンバーは老若男女さまざまである。毎夕21時過ぎまでにぎやかだった。日本なら騒音として苦情が出るのではないか。パリでは、周囲の住宅から何の苦情もないようだ。すなわち、パリ人にとって夕刻に公園で余暇を過ごすことは日常であり常識なのである。私たちは、パリの名物として好感をもってその歓声を楽しんだ。 (写真下左 公園の家族。6月2日、19時31分)Hp1006021931p6032284_3

 ドイツで体験したことだが、ドイツ人は冬でも夕食後に屋外へ出かける。クリスマス前のアドベント(待降節)では家族ぐるみで夜のクリスマス・マルクトへ出かけるし、カーニバルでも仮装して町へ繰り出し、祭りや喫茶、ゲームなどを楽しむ。ここにも家族の団らんがあった。これは、おそらくドイツに限らないだろう。西欧のライフスタイルであろうか。

 夕食後に家族どうしで過ごす時間は、彼らにとって意義があるはずだ。家族の絆を深めるだけでなく、世代間の格差を埋め、家風を伝え、子どもたちは社会性を磨けるのではないか。Hp1006041934p6045819_5この生活習慣で得られるものは大きいと感じた。日本にはない時間の過ご方である。そんなわけで、私はサマータイムに賛成だ。夕食後に得られる1時間が家族の絆の改善と構築に役立てられるかもしれない。もっとも、日本では残業というハードルがある。せっかくのサマータイムを生かせるかは家長の心がけしだいだろう。 (写真上右 公園で卓球を楽しむ人々。6月4日、19時34分)

 なお、ドイツもフランスと同じ生活習慣なので、ドイツのカテゴリーに加えた。

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2012/05/21

シジュウカラの子育て 八ヶ岳山麓No.139

5月中旬の森のようすHpp5200100

 標高1400メートルでは新緑がピークを迎えている。広がりはじめた葉は、さまざまなカラーと形、大きさで個性を主張し、若さを謳歌している。それに、順光(反射光)と逆光(透過光)が織りなして眼を射るほどに美しい(写真下2点) 。同時に昆虫たちもうごめきだしたようだ。それを充てにして鳥たちも活動を開始した。私たちが仕掛けた巣箱にもシジュウカラが住み付き、必死に子育てをしている。

 巣箱を観察していると、夫婦で入れ替わり立ち替わり餌を運んでいるのがわかる。餌は昆虫の幼虫やハチ類などだ。そのインターバルは2、3分から数分というところかHpp5190864_2Hpp5190916_2巣箱には10分ごとに数匹の生きた餌が運ばれていることになる。広い山野で、よく餌を見つけるものだと感心してしまう。シジュウカラは巣箱へ入る前に近くの止まり木で周囲のようすをうかがう。そのときに撮影したのが写真最上だ。親たちがいなくなったすきに巣箱を開けて撮影したのが写真下右。口を開けて餌をねだる子が5羽、ほかに5羽を確認できるので、10羽はいるようだ。これだけの子どもに餌を運ぶ親のエネルギーは相当なものだろう。

 餌を運ぶのも、口を開けて餌を待つのもシジュウカラの本能である。人間の子育てにも本能はあるが、本能以外のものがたくさんある。人間は、脳が進化・発達したぶんだけ知能や情緒が豊かになった。Hpp5200102それが理論(理屈)や感情となって本能を支配する。その結果が良く出れば、本能を抑え人間社会の協調性を成り立たせる。一方、逆に悪く出ると、子育てを放棄したり、悪事や不正を働くようになる。やや飛躍するが、文明の発達や新技術の進歩、新製品や新規格の開発に伴って、多かれ少なかれ副作用としての不条理が生ずる。これはしかたないことだろうか。これらは、発達・進化した人間の脳に根元があるとすれば、脳のさらなる解明が必要なのではないか。

 シジュウカラの子育てを観察していると、人間が子育てを放棄したり、子どもを虐待することが愚かに見えてくる。また、親として真剣に育てた子どもが、大人になって悪事や不正に手を染めるようになったらなんと悲しいことだろう。シジュウカラにはそれがない。

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2011/09/07

実科学校 ドイツNo.107

多様な進路コースと価値観…10歳で進路を考えるHpp6071975

 ドイツ語の「Realschule」は「実科学校」と訳す。日本の専門学校に相当する。ヴァッサーブルグには国立の実科学校があった。校舎の壁面にボルダリング(岩登り)用の施設があるのを見て、エキスパートを養成する心意気を感じた。Hpp6071985ボルダリングは、登山家が登攀技術として習得する特殊技能である。習得には命がけの(ザイルで確保はされている)訓練を要する。優れたバランス感覚と筋力、テクニックが求められる。それが、学校の壁面に堂々と設置されているのだから、やる気満々ではないか。たとえ山岳ガイドを目ざさなくても、ボルダリングは心身を鍛えるだろう。

Hpp6072005 ドイツでは、日本の小学校に相当する基礎学校(Grundschule)で4年間学習すると(10歳になっている)、自分の将来の進路を決めるチャンスができる。このとき3つの選択肢があり、自身が進みたいと思っているコースを選ぶ。州による違いと複雑な制度を簡単には解説できないが、3つのコースとは、 大学に進学するための資格を取得するためのギムナジウム(Gymnasium 修業年限7~9年)、 職業教育学校や専門上級学校への入学資格を得る実科学校(Realschule 修業年限4~6年)、 以上の2コース以外の生徒が選択する義務教育で、Hpp6071999職人や工場労働者を目ざす基幹学校(Hauptschule 修業年限4~6年)である。

 の実科学校は、おもに民間企業の事務職や中・下級公務員を目ざすコースだという。ヴァッサーブルグの実科学校には、10歳から15歳ぐらいまでの学生が学んでいるのであろう。さて、選択した3コースそれぞれで資格を得て上級のコースへ進む。しかし、そのときの選択は決定的なものではなく、コース変更のチャンスにも恵まれる。10~11歳のときは、オリエンテーリング段階としてコース変更が可能だ。また例えば、実科学校卒業後、ギグナジウムへ転校することもできる。このあたりの柔軟性はドイツならではであろうか。いずれにしても、子どもは10歳で自身の将来を考え、国や州はそれに応える制度を準備しているということだ。

 地方分権であるドイツでは、教育制度は17州それぞれが権限をもっている。連邦(国)としての共通部分はあるにしても、基本的には州によって決められている。すなわち、州別の多様な教育制度と10歳でのコース選択がドイツの大きな特長だ。Hpp6071990日本の文部科学省が統括する単一な制度とカリキュラムとはだいぶ違う。一見、ギムナジウムはエリートコースに思えるが、他のコースからも最高の職業資格であるマイスターへの道が開かれている。ドイツでは、マイスターは大学教授に匹敵するという。マイスターは技術系の頂点であり、大学教授は教育界や学界の頂点になる。もちろんマイスターになるには厳しいキャリアを経て試験に合格しなければならない。しかし、日本では考えらえない資格制度があり、多様な価値観が根づいているのではないか。なお、ドイツでは原則として義務教育から大学まで学費はかからない。一部の私立以外は国が負担するという。

Hpp6092684 実科学校のSportplatz(校庭)でサッカーに興じる学生たちを遠くからながめた。午前中だったので体育の授業であろう。幸せそうだなと感じたが…。ところで、子ども公園をのぞいたら、子ども用のボルダリング設備があった。子どものころから岩登りを意識しているのだろうか? 子どもたちの置かれた環境と、親たちの育児観をかいま見た。 参考文献:『ドイツハンドブック』(渡辺垂範 編 早稲田大学出版部) 『ドイツ連邦がよ~くわかる本』(大野是 著 秀和システム) 『異文化としてのドイツ』(岩村偉史 著 三修社)

参照: 『ゆとりを生かせない日本 ドイツNo.34』 『ヴァッサーブルグの第一印象 ドイツNo.98』

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2011/07/23

フラウエン教会の洗礼ミサ ドイツNo.102

カトリックとポピュラー音楽Hpp6133433_2

 ニュルンベルグでは、二つのミサに参列(見学)した。一つはプロテスタントの聖ゼバルドゥス教会の日曜ミサ、もう一つはカトリックのフラウエン教会の子ども・洗礼ミサだ。フラウエン教会(聖母教会)(写真右)では、想像もできない体験をした。

 10時40分ごろフラウエン教会の内部を見学するために聖堂に入った。すると、バンドの演奏するポピュラー音楽が耳に入ってきた。一瞬、耳を疑った。Hpp6136695教会の聖堂内でポピュラー・ミュージックを聴くとは想像もしなかったからだ。祭壇に向かって右の袖(写真左)、パイプオルガンの前で5人の若者が演奏している。ヴォーカルのほかにギター、キーボード、打楽器などの五重奏だ(写真下右)私は、何かのリハーサルではないかと思った。教会の聖堂内は、音響効果が抜群に良いのでレコーディングにもしばしば使われる。Hpp6136710_2リハーサルにはもってこいの環境だ。

 まもなく、正装した子どもたちが、祭壇や参列席に立てたローソクへ点火しはじめた。その日は月曜日なので、日曜ミサはないはずだ。ようすがおかしい。場違いのところへ来てしまったのかと不安になった。状況を調べようと周囲を見回すと、1枚のポスターが目に入った(写真下左)Hpp6136720_2Hp_3私のドイツ語力では正確に訳せないのだが、要旨は「本日10時から、子ども(3~10歳)のためのミサがあります。教会で、小さな兄弟姉妹たちといっしょに礼拝したいものです」という意味だろうか。これから、子どものためのミサが行われるようだ。乳児を抱いた両親が2組、前列に見えるので洗礼式も行うようだ。参列者は、ほとんど大人で、全員に讃美歌のコピーが配られた(写真上右)。信徒ではない私たちは、聖堂から出るべきか、とどまるべきか迷ったが、見学することにした。

 11時ごろからミサは始まった。まず、先ほどからリハーサルしていたバンドの演奏から始まった。ミサといえば、バッハのカンタータやミサ曲などの宗教曲や讃美歌から始まるのではないかと思っていたHpp6136721ので度肝を抜かれた。約1時間のミサであったが、最前列や祭壇でどのようなことが執り行われているのか、後席ではわからない。神父の説教、洗礼名の授与、乳児の鳴き声、両親の誓いの言葉などが聞こえる。私たちは周りの信徒たちのようすをうかがい真似するだけだった。配られたコピーの歌詞を歌ったり、起立したりひざまずいたり、とりあえずミサの雰囲気を乱さないよう努めた。ミサも終りに近くなったころ、赤い足型の紙が全員に配られた(写真下右) 。洗礼を受ける子どもと両親へメッセージを書くらしい。参列者が祭壇へメッセージを届けクライマックスを迎える。我が家では家内が代表して書き提出した。カトリックのミサでは、終盤に近づくと隣人同士で握手するときがある。Hp_2私たちも握手を求められたので、それに応じた。最後は全員で合唱、バンドの熱演でお開きとなった。途中、正午の鐘の音が聞こえたので、1時間10分ぐらいのミサだった。

 私は、ドイツ滞在中はできるだけミサを見学することにしている。少しでもドイツになじみ、人々と触れ合う機会ができればと考えている。ドイツはかつての神聖ローマ帝国であり、マルチン・ルターにより宗教改革が行われプロテスタントが初めて認められた国である。Hpp6112923Hpp6116283カトリックもプロテスタントも、ドイツは源流と言える存在だ。そのためキリスト教は深く日常生活に浸透している。フラウエン教会のミサでは、いつもと違う多くの体験ができた。洗礼とは、一人の子どもが多くの人々に見守られ、祝福され、未来を託されるということのようだ。子どもは大きな期待を担うことになると感じた。日本ではお宮参り(初参り)という慣習が洗礼に匹敵するだろうか。宮参りは個人的なものなのに対し、洗礼は社会的なものである。子どもの社会的位置づけは、日本とドイツではだいぶ違うように思う。それにしても、ポップ・ミュージックのミサには驚いた。カトリックのミサは新たな段階に入ったのかもしれない。(写真上左 フラウエン教会のからくり時計、正午に動き出す。写真上右は教会前のマルクト)

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2008/03/23

子どもの夢をかなえる ドイツNo.61

あとりえ・チビッコ展…「独楽と遊ぶ」Hpdmimg

●2008年3月26日(水)~3月30日(日) 10:00~17:00/●大倉山記念館ギャラリー(会場への道順は下のコピーをクリックしてください)Hpdm

 小学生以下の29名がそれぞれ「静物画」「雨の中の私」「自分の独楽」「小さな自画像」を出展した。ご高覧いただけたら幸いだ。Hpp3250053Hpp3250054

Hpap3250060_5  

 世界で初めて 幼稚園ができたのは、ドイツのブランケンブルグである。1840年、フレデリック・アウグスト・  フレーベルによって設立された。その精神が引き継がれているからだろうか、ドイツでは子どもを大切にしている。町を歩いても、それをひHpburemenp3230525しひしと感じる。ところで、ドイツでは子どもは 社会の共有物だという。子どもが社会的なルールを守っていないと、Hpp3230530_2 親以外の大人から注意されることも、よくあるという(「ドイツ連邦がよ~くわかる本」大野 昰著 秀和システム刊)。

 ドイツの小学校に相当する基礎学校の修業年限は4年だ。そこで一度、進路を決めて上の学校へ進む。10歳で進路を選ぶところが日本と違う。これが良いかどうかはわからないが、子どもの希望をかなえるという点では可能性は高まるだろう。基礎学校の授業は昼で終わる。そのため給食はない。家族と過ごす時間は、あきらかに日本より多い。そのためだろう、ドイツの町では親子連れが目立つ。替わりに授業時間は少ない。基礎学校では、落第もあるという。

Hpp3230522_3 厳しい一方で、子どもの夢をかなえようとする風潮も感じる。初めてドイツへ行ったとき、ブレーメンを訪れた。中央駅の駅舎がメルヘン調なのに驚いた(写真上右)。マルクト広場には、「ブレーメンの音楽隊」のモニュメントが飾られていた(写真上左)。ハーメルンでは、「ハーメルンの笛吹き男」の野外劇が演じられ、多くの観光客を集めていた。舞台が終わると、主役の「笛吹き男」は観光ガイドにもなった(写真右)。いずれも童話の具現化だ。童話を現実のように演じるところがドイツ的なのだ。子どもたちの夢は膨らむだろう。写真下は、ミュンヘン・レジデンツ前の広場で大道芸に見入る親子。Hpp6160039

参照: 『あとりえ・チビッコ』 /バックナンバー「育児」 教育

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2007/10/16

子どもたちに恵まれた環境を ドイツNo.52

Hpp6130082 ランズフートの児童公園

 子どもは国の宝である。次代を担うだけでなく、秘めた可能性は無限で、我々大人にも元気や柔軟性を与えてくれる。子どもから学ぶことはたくさんある。子どもに健全な環境を与えることは国の責務であろう。

 最近、公園の子どもの遊び声が近くの高齢者 にとって騒音になるとして、Hpp6130068  裁判所は公園の施設に異議を唱えた。当局は主因Hpp6130070となっている噴水施設を停止したという。子どもにとってもお年寄りにとっても不幸な事件である。子どもが屋外で自由に遊べないのは問題である。

Hpp6130086Hpp6130073 ドイツでは、景観や騒音、異臭などにはきわめて厳しいという。洗濯物を窓やベランダに干すことはできない。逆に、花を飾って景観を美しくする。騒音や異臭にも敏感で、警察沙汰になることもあるという。「異文化としてのドイツ」(岩村偉史 著 三修社 刊 )によると、ドアの開け閉め、車のエンジン音、パーティーや口論の話し声にまで神経を使わなければならないという。行Hpp6130076商や選挙運動の連呼などはもってのほかだ。私の経験でも、町の中で、いわゆる馬鹿騒ぎを見たことがない。レストランやカフェでも、ひそひそ話しに近いグループ゚がほとんどだ。そのために、教会の鐘の音がひときわ目立つが、それにも規制があるという。

 日本は中央集権国家で、多くの人々が都会を目ざして集まってくる。都会に魅力があるのHpp6130084_2 は言うまでもないが、良いことだけではない。人間はたくさん集まると、ろくでもないことがたくさん起きる。徒党を組んで悪事をたくらみ、不正がはびこり、町は汚れる。毎日のニュースを見聞きするとうんざりする。人口密度が高くなると、市街地の公園は狭くなり、子どもの遊び場が確保しにくい。最近は屋外で遊ぶ子どもが減ったといわれるが、当然だろう。これも、人口集中の一つの弊害だ。前述の公園の事例も人口密度が高いために起きたのであろう。国内でも地方に出かけると、町や田園はきれいでドイツに負けていないと思うのだが。

 6月に訪れたランズフートのニコラ地区にある児童公園(Spielplatz)は広く、周囲は樹木で覆われている。住宅街にある公園だが、たとえ大声を出しても、周囲に影響があるとは思えないほどだ。もちろん子どもたちに危険はないという前提で造られている。子どもたちは、のびのびと遊んでいた。卓球台とゲーム板が屋外に設置されているのがユニークだった。訪れたのは水曜日の午前中だ。

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2007/09/19

親子の仲をとりもつ自転車 ドイツNo.51

Hpp6110317ドイツの自転車事情

Hpp6110054_2 ドイツは自転車先進国だ。自転車専用レーンが町のいたるところに設けられ、駐輪場も整備されている。専用レーンや駐輪施設を利用する人も巧みだ。大きな交差点などで、専用レーンが途切れたりしていても、自転車は多くの車両が行き交うなかを鮮やかに通過していく(写真下 ミュンヘン市内)。Hpp6150010_2 自転車と車両のドライバーの間に暗 黙の了解が成り立っているのだ。

 ドイツではリヤカー式の乳母車がポピュラーだ(写真上左右)。しかもリヤカーにはナンバーがついているものまである。リヤカー乳母車は社会的地位が確立していると言える。自転車のリヤカーは交通ルールが整備されていないと、安全ではない。自転車先進国ゆえにできることだろう。写真右は、ミュンヘンのシラー通りとHpp6167834_2 シュヴァントハラー通りの交差点付近(歩道上)で父親がリヤカーを点検しているようすをスナップしたものだ。日本では見られない、ドイツならではの風景だ。ほかのヨーロッパ諸国でも同じなのだろうか。

Hpbp6090133 ドイツでは、自転車で買いものやレジャーに出かける親子連れをよく見る。あきらかに日本よりは目だつ。子どもたちは乳幼児期から親といっしょに公道を走り、交通ルールやモラールを身に付けていけるのではないか。同時に親子の絆や連帯感が培われるであろう。自転車は 単なる移動の手段だけではないと感じた。日本で、親子間のトラブルがひんぱんに報道されているのHpp6076683_2 気になる。ドイツは、親子関係の先進国になっているかもしれない。

参照『自転車でどこへでも行ける ドイツNo.11』

参照『自転車専用道路の造り方 ドイツNo.39』

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2006/07/08

生まれたときから宗教的環境 ドイツNo.21

Hpp5309800 ドイツの育児・教育

 横浜でもドイツでも、町を撮影していて疲れると教会を訪れる。足を休めることができるだけでなく、暑さや寒さをしのぎ、雨宿りもできる。教会は原則として門戸を開放しているので自由に中に入れる。ミサが催されているときは、聖堂の片隅でようすを見せてもらう。運が良いとオルガン演奏や讃美歌のコーラスを聴くことができる。

 ミュンヘンのビュルガーザール教会(写真上)では昼のミサに巡り合った。遅れてミサに参列する人々は一度ひざまずいてから席についた。そのようすは粛々としている。カトリックのミサの進行はよくわからないが、祈祷や斉唱、宣誓などが続き、あるとき隣同士が握手を交わした。それを見て、キリスト教に縁のない私には目新しく感じた。隣同士は他人同士である。席順は決まっていないので、家族や知人のときもあるが、赤の他人もありえる。キリスト教は隣人を同士とするのだろう。握手をすることは儀礼的なことかもしれないが、心がこもっているように見えた。日本では、スポーツなどのファン同士が握手をするシーンを見るが、日常ではめったに見られない光景ではないか。

Hpp5280027_1 ノルドリンゲンの聖サルバトール教会では日曜ミサを見学した(写真右)。はじめに目についたのは通路に止められた乳母車だ。ミサが行われている間、父親が前後に揺り動かして子どもをあやしていた。最後列の席では、幼児が退屈して泣き出した。両親が一生懸命なだめすかしていた。この教会でも握手の場面を見た。

 ミュンヘンのフラウエン教会(聖母教会)には小学生がたくさん見学に来ていた(写真右下)。 子どもは生まれてからずっと宗教的な環境に取り巻かれているとわかった。厳粛で神聖なミ2p5310029 サの雰囲気を肌で感じ、周囲の人々の真摯な姿勢と信仰に触れる、これらが人格形成に大きな影響を与えることは明らかだろう。ドイツで教会へ行くと、人々が親切で、町がきれいなことがうなずけるのである。

 教育者であった母へ、この一文を捧ぐ。

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2006/01/15

子どもへの想い ドイツNo.7

hpp1114795少子化問題への対応

 ドイツでも少子化が問題になっているという。出生率はヨーロッパでは低いほうに属する。厚生労働省のデータでは、日本が1.29(2004年)なのに対し、ドイツは1.35(2001年)だ。もちろん、この数値だけで両国の問題の深刻さを論じることはできない。日本では最近、対応策を検討しているようだが、ドイツでは1980年代からいろいろな対策を実施し、出生率は上がりつつあるという。出産前後の無給休暇(解雇されない期間)、育児休暇、育児手当などは、日本よりは充実しているようだ。社会保険では育児や介護は労働と認められ、育児期間中は働いていなくても保険加入者の平均賃金の100%分の労働をしたことになり、年金受け取り額に反映する。育児手当は父親や外国人でも受け取れるという(『異文化としてのドイツ』 岩村偉史著 三修社刊)。

 ドイツを旅していると、しばしば、社会や大人たちの子どもに対する思いやりを感じる。上の写真はマインツの夏祭り(Mainzer Johannisnacht)の風景である。マインツは、7、8世紀ローマ帝国がドイツへキリスト教を布教するきっかけとなった重要な拠点であった。背景に見えるのが大聖堂で、由緒のある国宝級の教会である。その前の広場に祭りの期間中、子どもたちのために移動遊園地が開園する。日本で言えば法隆寺の前に遊園地ができたようなものだろうか。子どもたちの嬉々とした笑顔と、子どもの期待に応える親たちの満たされた表情が忘れられない。この移動遊園地は、子どもを大切にする気持ちの現われのように感じた。 hppb303477

  左の写真は、アウグスブルグのアンナ通りで見つけた子ども用の自転車展示だ。風船は子どもを祝福すると同時に親心もくすぐる。売主と買主の心が通じ合っているように思った。下左の写真は、マインツのローマン・ゲルマン博物館の中庭だ。ここは、東京なら上野の国立博物館に匹敵する考古・歴史博物館である。親たちが見学している間、子どもたちが遊べる場所が確保されている。訪れたのが平日のせいか、見学者の子どもはいなかった。下右の写真(撮影/豊田恵子)は、マインツの町でのスナップである。父親は大いに幸せそう、母親はちょっとたいへんそうに見えたが…。町を歩いていると、ドイツの父親は育児や家事にたずさわる時間は日本より多いと思う。このようなシーンを見ると少子化現象は解せない。

hppb303474 hpp6180172

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