2015/07/27

川上村2015夏 八ヶ岳山麓No.181

宇宙飛行士・油井亀美也氏パタゴニアの出店

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 7月23日、朝6時の“目覚ましラジオ”が、油井亀美也さんの宇宙への旅立ちを報じた。すぐ後で打ち上げの成功がフォローされた。打ち上げは6時2分だった。そのころ川上村文化センターでは、村を挙げて川上村出身の宇宙飛行士・油井亀美也さんの挑戦を応援していた。Hpp7230204_2私は応援会には立ち会わなかったので、NHKのTVニュースと、村の広報ポスターからレポートする。 (写真上 川上村役場 写真右 応援のぼり)

 応援会は、23日、早朝5時から6時半まで川上村文化センターで開催された。Hpp7230449ソユーズ宇宙船の打ち上げが生中継されたようだ。NHK BSニュースでそのようすが映し出された。Hp_p7230443_2ロケットが打ち上げられ成功すると、中学生らしい学生がインタビューに応じていた。油井さんはすでに国際宇宙ステーションで仕事をしている。おもな仕事は、「生命の起源となる物質が、宇宙空間に漂っていないか調べる実験」だという。生命の起源については、諸説あるが決め手はないらしい。Wikipediaによると、生命起源説は三つに大別される。一つは超自然現象、すなわち神話の世界だ。二つ目は地球上の化学進化である。地球上の無機物が、ある化学的な条件下で生命(有機物)へ変化したという説だ。三つ目は地球外に起源があるという説だ。Hptv_p7230454油井さんは、三番目の説の可能性を探るために実験をするのであろう。生命起源物質が見つかるか、その可能性が確かめられれば、大発見になる。しかし、それがそのまま気球外生命起源説の証明にはならないし、ほかの2説の否定にもならないだろう。生命起源について最先端の実験・研究が川上村出身者の手になるということは誇らしいことだ。油井さんの実験の成功を祈りたい。 (写真下 村の幹線道路に掲げられた看板)

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 7月6日、アウトドア・ブランドのパタゴニア(patagonia)が川上村に出店した。場所は、川上村唯一のスーパー・ナナーズ川上店の敷地内だ。高原野菜で高収入を得ているとはいえ、人口5,000人足らずの山村に出店するというのは画期的なことだろう。Hpp7230169_3Hpp7230188_3もちろん、登山客やキャンパー、アングラーがたくさん訪れる村ではあるが…。さっそく店舗へ出かけた。まず、ハンガーにつるされたカラフルなウエアが目に入った。8坪の店内には、ロッククライミング用のザイルやハーケン、カラビナ、シューズ、ザックなどの登攀用具を中心に品ぞろえしているようだ。ニューモデルだけでなく、旧モデルのアウトレット製品もある。一方、カタログを見るとウエア中心のページ展開だが、随所にロッククライミングのシーンがはめ込まれている。販売のターゲットはあきらか川上村内の岩場を目ざすクライマーということだろう。
 私は、15年以上前から、カメラバック兼多目的バックとしてパタゴニアの製品を愛用してきた。ウエストポーチとショルダバッグの兼用に作られた小型のものだが、私はショルダーバックとして使ってきた。デジタルカメラの高性能小型化で、サイズも十分だし使い勝手が良く、なかなか手放せない。というわけで、パタゴニア製品には良いイメージがある。Hpimg_0002_2私は、岩登りには縁はないが、レインギアーや防寒ウエア、ザックやバッグには関心がある。Hp2img_0001ちょうど小型のザックを探していたので、リンクド・パック16Lを購入した。ロッククライミング用にデザインされているが、細身・薄型が気に入った。 (写真上2点 パタゴニア・カタログの見開き例)

 パタゴニアは、アメリカ合衆国カリフォルニアに本社を持つアウトドアー用品の製造販売会社だ。日本に進出したのが1988年だという。現在、全国に21店舗を持つ。川上店の正式な名称は、「パタゴニア クライミング長野・川上」だ。1年間の期間限定でオープンした。最後に、開店のコンセプトをパタゴニアの言葉で記す。 「……。日本有数のロッククライミングの聖地である小川山や瑞牆山から程近いロケーションに直営店をオープンすることで、クライマーを中心とするお客様との繋がりを大切に、お客様同士の素晴らしいフィールド体験を共有していただき、またクライミングや自然環境についての情報を発信する存在となることを目指します」

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2015/05/20

あこがれのウルトラマラソン 八ケ岳山麓No.177

コースで撮影しながら興奮
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 八ヶ岳山麓・野辺山高原で毎年春に開催されるウルトラマラソンを応援に行った。今年は5月17日(日)に開催された。なぜウルトラなのか? まず距離が長い。マラソンの標準距離に近い「42キロ」のほかに「75キロ」と「100キロ」の3種目がある。しかも山岳コースだ。Hpimg_0001_3スタート地点の野辺山高原の標高が1355メートルである。加えてコースの高低差が大きいのだ。「75キロ」と「100キロ」のコースでは、最高地点が横岳の中腹1908メートル、最低地点は小海線小海駅付近の880メートルと、標高差が1000メートル以上ある。マラソンというより軽登山という標高差だ(下左図参照 ポップアップ可)。酸素が希薄なうえに、標高差が大きいから、選手には相当なアルバイトが要求される。NHKのTV番組、「グレートトラバース…日本百名山一筆書き」並みのきついコースではないか。Hpimg_0004_3

 もちろん、私にはリアリティーはないが、あこがれではある。そこで、知り合いが参加するというので、応援に出かけた。彼らは10キロのショートマラソンにエントリーした。ショートマラソンには、「2キロ」「5キロ」「10キロ」と三つの種目がある。これはウルトラマラソンのカテゴリーには入らないが、標高が高いので、われわれにはセミ・ウルトラマラソンといえるだろう。 (下右図参照 ポップアップ可)

 「10キロ」のコースで、八ヶ岳を背景に選手を撮影しようとカメラポジションを決めて選手を待った。まず、ファーストランナーが通過した。2位にだいぶ差をつけているが苦しそうだ。Hpimg_0003記録を狙っているのだろう。参加者は、老若男女さまざまだ。自己最高記録を目ざす人、高齢にもかかわらずチャレンジする人、カップルで楽しむ人、子連れのファミリーランナーなど、その目的もさまざまなようだ。だれもが目標を決めてチャレンジしているのはまちがいない。選手の力走に感動して、つい声を出して応援してしまった。Hp_yp5171931_2少ない声援のせいか、私たちに応えてくれる人がいてうれしかった。マラソンを見ながら、いろいろな人生模様を感じた。私は来年、「2キロ」から始めようと思う。唐突に聞こえるかもしれないが、私は、中学時代、陸上部に所属して中距離を走ったことがある。とりあえず2キロの完走を目ざしたい。

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2014/10/22

2014年千葉大学スキー部OB会in浜松

夕日宴会カラオケシーハイル
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 スキー部OB会が結成されてから50年以上が過ぎた。入部以来、スキー部は半世紀にもわたり私の心の中枢を占める存在だ。メンバーは、もっとも気の許せる友である。顧問だった故小林信二先生の人柄と真摯なメンバーのおかげだ。今年は、二つの訃報があった。先輩の勝村 勇さんと同期の小林紘一さんが他界された。心よりご冥福を祈る。Hppa184731

 浜松でOB会を開催するのは2回目だ。浜松在住のメンバーがいるからだ。10月18日、私は遅れて、会場の舘山寺サゴーロイヤルホテル(写真下右)へ着いた。ちょうど対岸に夕日が沈むところだった(写真左)。舘山寺は夕日の名所のようだ。好天に恵まれ低い対岸の山の端へ沈む太陽を拝むことができた。Hppa194959

 まず記念撮影(写真上右)を済ませてから乾杯の音頭に入った。宴会はカラオケで盛り上がった。例年、私はカラオケを敬遠してきたが、今年は違う。自宅でカラオケセットを買い、いくつかの持ち歌に絞って少々練習してきた。そのときわかったことは、歌謡曲にはいい詩がたくさんあるということだ。私は、本来、標題音楽には関心がないが、シューベルトの「冬の旅」や「美しき水車小屋の娘」などのドイツ・リート(Hppa184859歌曲)には少し興味がある。ドイツの風土や人情が描写されているからだ。日本の歌謡曲もドイツ・リートも、歌詞のモチーフや描写対象に大きな違いがないといっていいのではないか。恋と季節、故郷や町並みなど、人情と自然を歌うのは、どこの国でも、いつの時代でも同じようだ。Hppa184840今まで日本の歌を軽んじていたのが恥ずかしい。

 しかし、いい詩と魅力的なメロディーに出会い、歌おうとしても声が出ないのだ。ふだん発声練習をしたことがないうえに歳のせいもあるだろう。残念であると同時に屈辱を感じる。歌謡曲の魅力と自身の歌唱力について、カラオケをやってわかったことだ。ちなみに、OB会で、私は「北国の春」と「よこはま・たそがれ」を後輩と“デュエット”で歌った。Hppa184886

 宴会は、「シーハイルの歌」(作詞:林征次郎/作曲:鳥取春陽)で締めた(写真上)。歌い終わってから『シーハイル』と3回連呼したのは、合宿で一日の練習が終わったときと同じだ。ゲレンデでは、スキーの片方を立てて『シーハイル……』と連呼したものだ。最近は、乾杯の音頭も『シーハイル』になった。“スキー万歳”といった意味だ。Hppa194901

 翌日は、浜名湖の遊覧船で湖上を観光し、弁天島の太助でうな重のランチを食べて解散した。参照:『湖北敬神』Hppa194971_3

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2013/09/10

「黄金の足」

第46回 まちだ写好会 秋の写真展

Hp_dm_2 秋の写真展のDMを制作するにあたり、文句なしにこの写真を選んだ。インパクトがあるというほどではないが、風景や花、スナップ写真に比べて、DMに大切なアイキャッチャーになると考えたからだ。写真展の要項は右のDMのポップアップを参照ください。

 どんな写真も人が写っていることでモチーフがわかりやすくなる。撮影者だけでなく鑑賞者も人であるからだ。それにより、鑑賞者は感情移入して同じ人間として身に覚えのある疑似体験ができる。人物写真でもっとも注目を引くのは顔であり、その表情や人間関係から写真はわかりやすくなる。本DM写真の被写体は、新生児(あかちゃん)の足とそれをつかむ大人の手で構成されている。顔ではなく足と手であるが、十分、人を感じさせる。まず、新生児から人の成長を感じてもらえるのではないか。また一方、鑑賞者は自身の過去を連想するだろう。この作品は、われわれの過去と未来を想像させる要素がある。また、大人の手は親心を刺激するのではないか。

Hp_dm_3 作品タイトルは未来を強調するのに役立つ。「黄金の足」とは、子どもの有望な将来を示唆している。世界的なアスリートを想像してもおかしくない。サッカーのキックや、陸上競技の脚力、競泳のドルフィンキックを連想させるのではないか。

 さらに、この写真は質感描写が良い。ストロボ撮影ではあるが、そのぶんシャープなので、足の質感がよく出ている。質感描写は、私の主張する8大モチーフの一つで、しばしば表現意図を強調する。Hpp9127496_2Hpp9127494_2質感が「黄金の足」を支えているのだ。さて、未来や過去という時間のモチーフと、質感のモチーフを兼ね備えたこの作品を、私は評価したい。なによりも、人間共通の土壌に立った被写体選びがすばらしいと思った。

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2012/04/19

生命の循環 八ヶ岳山麓No.137

4月15日の森のようすジャッキー・ロビンソン・デーHpp4120647_3

 八ヶ岳山麓はだいぶ暖かくなってきたが、それでも、横浜の真冬並みだ。4月15日の最低気温は-2度C、日中は10度C前後である。春は生命循環が顕現するときだ。散歩しながら春のきざしを見つけた。 (写真上は、4月12日の八ヶ岳。中央道より)

✿湧水が流れ込む水溜りにカエルの卵が産みつけられていた。卵白のような粘液の中に黒い胚が見える。まもなくオタマジャクシになるだろう(写真下2点)Hpp4150749_4Hpp4150791_3








✿越冬したオサムシが目覚め、“恋”にも目覚めたのようだ。オサムシは翅が退化して飛べないだけでなく、交尾は学術的に特異だという。貴重で珍しいシーン(写真下右)にめぐり合ったのかもしれない。虫好きの家内が見つけてくれた。手塚治虫氏のオサムは、オサムシからとったものだと家内が教えてくれた。ファーブルもオサムシに触れている。Hpp4150760_2

✿朝、ベランダの雨戸を開けると、シジュウカラのさえずりが聞こえた。もう餌のヒマワリの種を催促に来たのではない。仕掛けた巣箱のふたを開けると、掃除したはずの巣箱にミズゴケが敷き詰められていた(写真下左)。ミズゴケはまだ青く湿っている。乾いたころに産卵を迎えるのであろう。午後、2羽のシジュウカラが巣の近くで浮き浮きとさえずっていた。Hpp4160012_3

✿4月15日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」であると、NHK・BSのメジャーリーグ(MLB)放送で報じていた。視聴したのは16日だったが、前日のイチローが出場するマリナーズ対アスレティックス戦を放映中の解説である。「ジャッキー・ロビンソン・デー」とは、1947年4月15日、黒人として初めてメジャーリーグに出場したジャッキー・ロビンソンを讃える記念日であるという。4月15日は、メジャーリーグの選手全員が永久欠番「42」の背番号を付けたユニホームを着てプレーする。確かにTV画面に登場する選手は全員42番の背番号をつけている。ユーモアとほほえましいさ感じると同時に、アメリカの人種差別とその撤廃の歴史を実感した。なんとすばらしい記念日ではないか。いつも思うのだが、プレーの前に必ず国歌を斉唱をする国風にも敬意を表したい。なお1947年、ジャッキー・ロビンソンは新人王に輝いた。というわけで、MLB番組を視聴した4月16日は爽快な気分になれた。

 さて、日本でこれに匹敵する記念日はあるだろうか、思い当たらない。そこで、国技の相撲で考えてみた。69連勝の名横綱として名高い双葉山を讃え「双葉山デー」はどうだろうか。この日は、全関取がかつて双葉山が締めていた回しと同じ色の回しで相撲を取るのである。人種の違いについてこだわるなら、最初の外国人横綱、曙を讃え「曙デー」はどうだろうか。しかし、曙は現在プロレスラーなので、該当しないかもしれない。

 日本には文化勲章や褒章などがある。しかし、一般庶民には縁が薄い。国民全員が一丸となって業績を讃える記念日があってよいと思うのだが。国歌斉唱ですったもんだする国風では無理だろうか?

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2011/04/23

横浜もののはじめ・テニス 横浜No.56

横浜山手公園Hpp4131940

 日本で初めて横浜でプレーされ、楽しまれたスポーツはたくさんある。ボートレース、ヨット、競馬、水泳競技、射撃、スケート、野球などだ。フットボール(サッカー)やクリケットなども居留民によって持ち込まれたらしい。テニスもその一つである。Hpp4131934_31876年(明治9年)6月17日号の「ジャパン・ウイークリー・メール」に、山手公園で初めてローンテニスを楽しんだという記事が載っているという(「横浜山手公園物語」(有隣新書))。Hpp4131978同書によると、男性社会であった居留地で、少数の女性たちが退屈と郷愁をまぎらわす手段の一つとして始めたとある。 このあたりの事情は、「横浜山手公園物語」(横浜山手・テニス発祥記念館 編 鳴海正泰 著 有隣新書)に詳述されている。 (写真上右は、120周年記念碑に添付された開園当時(1871年)の山手公園風景)

Hp_2 イギリスでローンテニスが初めて行われたのは1874年だという。その2年後に日本でもテニスがプレーされた。Hpp4131901_2ウインブルドンの第1回大会の前年である。交通・通信手段が船便と人手による時代に、横浜山手(Bluff ブラフ)の生活は世界の最先端とそれほどずれていなかったことになる。

 4月13日、アメリカから帰国したN氏を含む大学同窓の仲間と山手公園でテニスを楽しんだ。Hpp4131951Hpp4131964満開の桜と好天に恵まれ、メンバーはテニスを満喫したようだ。ふだん鍛えていない私は、ラケットのスイートスポットに当てるのと、球についていくのがやっとだった。しかし、テニス発祥の地で、当時の雰囲気をイメージしながら撮影できたのが良かった。 (写真下は、帰路にのぞいた山手カトリック教会。1862年、居留地(現山下町)に横浜天主堂(最初のカトリック教会)として創建、1906年、現山手44番へ移転した)Hpp4132002 参照:ビール醸造ことはじめ 横浜No.38

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2010/06/16

フランスの過酷で愉快な生活 〔前編〕 ドイツNo.93

世界の“共通語”Hpp6022107

 パリで9日ほど生活した。初めての訪問であるうえに、言葉が通じない。過酷な生活だった。駅名や観光地の読み方(発音)がわからない。もちろんドイツだって思いどおりのコミュニケーションができるわけではないが、大学でドイツ語を第2外国語として習ったので、発音はだいたいできる。文字は読めるのである。しかし、フランス語はチンプンカンプンだ。場所や食べ物について辞書に書いてあるカタカナで話しかけると、すぐ、「Do you speak English」と聞かれる。Hpp6022062_2そこで「Yes」と堂々と言えないところがまたつらい。常に「A little」を付けざるを得ない。英語は中1から大2まで8年間学んだが、この始末だ。日本の語学教育はなんだったのだろう。それはそれとして、フランス語の発音は難しい。仏和辞典にはHp_2カタカナが振ってあるが、何の役にも立たない。相手は首をかしげるだけだ。そして、「Do you speak English」と聞かれる。たいへん疲れる滞在だった。

 ドイツ語とフランス語は、 なぜこんなに違うのだろうか。両国民の源は、紀元前数百年ごろ民族大移動で北方から南下してきた西ゲルマン民族の一派フランク族である。フランク族は紀元500年ごろ諸部族を統一してフランク王国を建国した。メロヴィング朝、カロリング朝を経て、紀元870年、王国は3分割され、現在のフランス、ドイツ、イタリアの原形が成立した。メロビング朝の祖クローヴィスはキリスト教に改宗して統一に成功したという。ゲルマン人は50以上の諸族からなっていたが、独自の文字をもたなかったという。 それぞれの国が言語と文字を決める余地があったのであろう。Hp6042736_2しかし、すでにキリスト教が普及しつつあった隣り合わせの両国で、まったく違うフランス語とドイツ語が生まれたとは信じがたい。例えば、鉄道の駅はドイツ語でbahnhof、フランス語でgareである。パンはドイツ語でbrot、フランス語でpain、街路はドイツ語でstrasse、フランス語ではrueである。言語学的には根拠があるのかもしれないが、私には不思議に思える。

 言語は変わっても、共通項はある。まず子どもたちだ。子どもがかわいいのはどこの国も同じだ。私の家内は、子どもの相手をするのが得意だ。地下鉄の車内で前に座った7歳の子どもと会話をしながら画用紙に名まえと絵を書いてもらった(写真上左2点)プロヴァン(Provins)では十数人の子どもを相手に「日本」について説明し、折り紙を指導した。子どもとの付き合いは世界共通である。次は音楽だ。サンタンブロワーズ(St.Ambroise)教会ではモーツアルトの「鎮魂ミサ曲ニ短調」(K626 『レクイエム』)を聴いた(写真右上)。大聖堂で聴くミサ曲は本物だろう。フランス人とモーツアルトを共感できたのである。Hpp6032262Hpp6032247もうひとつ、スポーツがある。ちょうど全仏オープンが開催されていた。市庁舎前の広場では特設モニターを使って、実況を中継していた(写真上2点)。そばではスマッシュ・コーナーがあり、センサーで打球の強さを競うゲームをやっていた(実際には、スマッシュではなくサーブだった)。スポーツのルールと感動も世界共通だ。言葉が通じなくてもコミュニケーションできるものはたくさんある。

 本ブログには「フランス」のカテゴリーを設けていない。しかし、フランスとドイツは因縁浅からぬ関係があるので、ドイツのカテゴリーに含めた。

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2010/02/25

スキー今昔 八ヶ岳山麓No.95

心がけで足腰を鍛えられるHpp2211613_2

 ここ数年、スキーをはくとき不安感が脳裏をよぎる。運動不足のうえに、筋力や骨が弱っているのではないかという不安を感じるからだ。いろいろな事故を目の当たりにしている。加えて、スキーと関係はないが、かつて母や叔母も骨折した。それも影響している。今年初めてゲレンデに立ったが、気持ちは同じだ。Hpp2211627最初の滑走は慎重に行った。徐々に勘を取り戻し、3本目の滑走では本来の調子になった。

 ところが、今シーズンは昨シーズンより足の疲れが少ない。短いリフトではあるが、ノンストップで滑れる。昨シーズンは途中でひと息いれないと滑れなかった。日ごろ、スキーに備えてできるだけ階段を上ることにしている。また、エスカレーターでは右側を歩いて上っている。歩かなければならないときは、良いチャンスに巡り合ったと喜んでいる。それが効いてきたのだろうか。あきらかに太腿の疲れは少ない。心がけさえあれば、現状維持だけでなく向上も可能だということを知った。

Hpp2211652 若い時から、リフトに乗りながら動物の足跡を探すのが楽しみだった。2月21日もウサギとキツネの足跡をたくさん見た。野生動物はどんな気持ち雪原や森の中を歩いているのか。もちろん食べ物を探すためだろうが、どこに食べ物はあるのだろうか。食物連鎖の頂点に近いキツネにはウサギやネズミが食べられるが、ウサギには何があるのだろうか。雪の下から草を探すのだろうか。ウサギの糞は、よくノイバラのそばに落ちている。ノイバラの実を食べているのだろうか。このようなことを想像するのがスキーの楽しみの一つだ。ところで、最近キツネの足跡が減ったような気がする。Hpp2211672_2Hpp2211663

           

           

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 スキー場はここ数年大きく変わった。たまにしか滑らないから目だつのだろうか。私がよく行く「シャトレーゼ・スキーリゾート八ヶ岳」には3店のレストランはもちろん、貸しスキーとスノーボード、靴から衣装まですべてそろっている。靴のサイズを確認するコーナーも付属している(写真上左)。女性専用のトイレも用意されている。子どもたちにも恵まれた施設がある。専用のゲレンデがあり(写真上左)、屋内にもチャイルド・プレールームがある。Hpp2211639レッスンも受けられる。ぬいぐるみの虎が子どもの人気者だった(写真左)。このような設備とサービスは、昔は考えられないことだった。どこのスキー場も同じなのだろうか。休日とあって大盛況だった。オリンピックの開催期間も影響しているのではないか。

 「シャトレーゼ・スキーリゾート八ヶ岳」は、経営がシャトレーゼという菓子食品の製造・販売会社なので、売店が充実している。私も、ケーキとピザ、ワインを買って帰った。私にとっては、ケーキが買えるスキー場は価値がある。

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2007/03/14

秘湯とスキー、雪見酒

Hpp3104847_2燕温泉・針村屋でOB会

 私は、大学でスキー部に所属していた。当時は年間30日ぐらいは滑っていただろうか。合宿のほかに大学のスキースクールの指導や山スキーにも出かけた。よく通っていたのが妙高高原だ。妙高温泉の香風館と燕温泉の針村屋が常宿だった。3月10日、11日はスキー部OB会恒例の懇親会が燕温泉であった。会の趣旨は「燕温泉スキーと雪見酒を楽しむ会」である。雪見酒に引かれて、私も参加した。今シーズンは燕温泉スキー場のリフトが休業なので、赤倉スキー場で少し滑ってから燕に上がった。

Hpp3104841_1 燕温泉は、妙高山と神奈山にはさまれた標高1100メートルの谷間にある。秘湯といってもいいだろう。弘法大師の開湯と言われるが、温泉街がかたちづくられたのは明治28年ごろだ。針村屋のパンフレットによると、現在の泉質は「白い湯の花の浮く含土石膏泉(45度C)」と書かれている。リウマチなどに効能があるという。私たちが投宿していたころは、かき玉汁のように湯の花が浮くぬるめの温泉だった。しかし、これに浸かると翌日の朝までぽかぽかしていたのを思い出す。おそらく、湯治場としては秀逸だったろう。現在の泉質は昔とは違うが、環境庁から国民保養温泉地の指定を受けている。

Hpp3114888_1Hpp3114886_1 なぜ燕温泉と名づけられたのか。地名の由来に興味がある。少し調べたがわからない。そこで、いろいろと推理してみた。温泉は標高1100メートルにあるので、イワツバメがたくさん飛翔していたことが考えられる。イワツバメがいたとすれば多くの場所で営巣していたことだろう。私の撮影地、標高1000メートル以上の八ヶ岳山麓でも民家の軒下にたくさんイワツバメの巣ができている。地名の由来にはなるかもしれない。「燕」という字を漢和辞典で調べてみた。燕(ツバメ)は、よく子どもを育てるので安産や縁結びのシンボルであるという。また、「やすんずる(ゆったりと落ち着くさま)」とか、「うちとける」ようすを意味する。「くつろぎ落ち着き、酒食を楽しむ」という意味もある。「燕居」はひまでくつろいでいること、「燕室」は休息のための部屋、「燕息」はくつろいで休むこと、「燕服」はふだん着を意味する。また意外なことに、燕(えん)は宴(えん)と同じ意味である。「宴」に、うたげ、酒盛り、楽しむ、やすんずるなどの意味があることは知っている。「燕」は温泉にふさわしい名まえであることがわかる。燕温泉には、温泉に浸かって、格別にくつろげる環境があったのではないか。それは今も同じだ。

Hpp3104850_1Hpp3104856_1 さて、私はスキーより雪見酒のほうに関心があるので、針村屋に到着すると、さっそく冷酒にツララを入れて飲み始めた(写真上)。ツララは屋根から垂れ下がったもの(写真上)を、先輩が窓越しに取ってくれた。“ツララ酒”には雪国ならではの趣向がある。宴会には、山の幸、海の幸が食卓に乗り切れないほど並んだ。珍味は日本海の深海魚カンカイ(氷Hpp3104865_1 魚)の干物とカタクリの花だ。カンカイは初めて、カタクリは30年ぶりに食べるのでカメラに収めた(写真)。後輩が佐渡島からカニ(写真)を、オーナーの植木明雄さんからは「浦霞」を差し入れしてくださったので、宴会はいっそう盛り上がった。現在の私にとって、スキー部OB会というのは心の支えの一つであり、40年以上にわたって築き上げてきた宝物である。顧問の小林先生はじめ、多くの先輩、後輩のおかげである。

 翌日は、朝から雪だった。会員のほとんどは上級者なので、新雪が滑れると喜んでいる。雪見酒のために来た私は、気が乗らない。しかし、メンバーに付き合って赤倉の中級コースまで上った。新雪に薄日が差す絶好のコンディションになった。これはスキーの醍醐味である。しかし、足がいうことを利かない、というより足が経年変化しているので、すぐ疲れる。写真でいえば、被写体は最高だが、カメラが故障したようなものだ。しかし、独りではいけないコースへ行けたので、不満はなかった。今は、足腰が痛い。

燕温泉・針村屋 http://stay.mapoo.or.jp/0255-82-3121/s-4.html ☎0255-82-3121 JR信越線関山駅からバスで20分

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