2015/01/25

フランスの寛容…多民族に開かれた国家

 本稿を執筆するきっかけは、パリのメトロ(地下鉄)路線図を見ているときに始まった。家内がメトロ7号線の終点駅に「La courneuve-8Mai 1945」という駅名を見つけたのだ。フランスの終戦記念日の日付(1945年5月8日)が駅名になっているのである。Hpp6010304_edited1_3好奇心に駆られて行ってみることにした。そのときのレポートを2015年の賀状に書いた。多民族国家・フランスの懐の深さと寛容の精神に感動したからである。今年に入って、パリでテロ事件が発生、イスラム過激派と西欧文明の対立が問題になった。フランス共和国とはどのような国家なのか。 (写真上 La courneuve-8Mai 1945駅地上出口付近。以下の写真はすべて同駅付近で撮影したもの)

ガリアの時代
 現在、フランスの主要民族はラテン人である。しかし、紀元前、フランスがガリアと呼ばれていた古代ローマ時代にはケルト人が住んでいた。ガリアはローマ人にとって魅力的な土地だったようだ。ローマのたびたびの侵略に屈し、紀元前1世紀、ローマの属州になったHpp6010290Hpp6010299_4ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)は敗者のガリアに対して寛大な対応をした。この経過は、ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」に書かれている。その結果、多くのローマ人(ラテン人)はガリアへ移住した。ガリアはじょじょにラテン人の土地になっていった。現在、ケルト人はブルターニュ地方に少し残っているという。 (写真上左 メトロLa courneuve-8Mai 1945駅構内。同右 地上周辺マップ)

ローマの寛容
 古代ローマのカエサルがガリア地方を平定したとき様子が塩野七生 著の「ローマ人の物語」(新潮文庫)に書かれている。それを参考にして、私が書いた『ニュルンベルグの城壁 ドイツNo.109』の一部を引用する。「カエサルのガリア攻めの戦法は、いかに相手の戦意をくじくかにあったようだ。当時、ローマの土木・建築技術は世界最高水準だった。それを駆使して攻城兵器を造りガリア(ほぼ現フランス)の城郭都市を攻めるのである。Hpp6010325_edited1高いやぐら、頑丈な防壁(囲い)、飛び道具や城門を破壊するための仕掛けなど、ローマの技術力の粋を結集して敵を攻めた。それを目の当たりにした敵は防衛を断念して降伏し、門を開かざるをえなくなる。そしてむだな血を流さず、両者にとってメリットが生ずる。敵が降伏するもう一つの理由に、カエサルの「寛容」がある。カエサルは降伏した敵国を虐待するのではなく、ローマ共和国に組み入れて属国とし、それ相当の優遇措置を講ずるのである。徴税はするものの、ほかの外敵からの保護を保証し、食料事情も配慮する。 また、属国の長の子弟をローマへ留学させてローマのシステムを学ばせる。その子弟は、帰国して属国をローマのシステムで管理するようになる。だから、カエサルの人格を知ると降伏したほうが得なのである」。私は、現在のフランスにローマの寛容の精神を感じる。

フランスの原形
 カエサルの平定後、ガリアはラテン人(ローマ人)の支配する土地となった。そして5世紀、ゲルマン民族の一派フランク族によってフランク王国に統一された。Hpp6010342_29世紀、フランク王国は三分割され、その一つの西フランク王国が現フランスの前身となった。フランスの国名はフランク族に由来する。このころにはヴァイキングとして知られるノルマン人も一つの勢力をノルマンディー地方に確立していたという。この歴史からもフランスが多民族国家になっていった経緯が納得できる。

多民族国家
 ラテン人とは、ラテン語系の言語を話す人々で、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、ルーマニアなどの国家を形成している。フランスも主要民族はラテン人だが、国境線が地上にあるうえに、たびかさなる戦争で周囲から他民族が侵入・移住してきた。フランスには、ゲルマン人や中東、北アフリカ系の諸民族などが住んでいる。ウィキペディア(Wikipedia)によると、フランス市民の23%は、少なくとも親か祖父母の一人に移民がいるという。また、20世紀には多くの移民を受け入れたという。まさに、フランスは多民族国家ということになるだろう。Hpp6010301_2パリは特に顕著で、町を歩いているとその現状を納得できる。しかし私が、メトロ7号線の終点「La courneuve-8Mai 1945駅」で観察した情景は、さらにそれを越えていた。駅から地上へ出たとたん、そこにはフランスのマルシェというよりは中東のバザールが展開していた。露店を出す人々も、買いもの客も中東やアフリカ系の人々だ。ラテン系のフランス人は私の目に入らない。その光景を見て、フランスの度量の大きさを感じ、その背景を知りたいと思った。

異質なものとの共存
 寛容だったのはカエサルだけではなかった。「ローマ人の物語」には次のように書かれている。ローマ建国の祖ロムルスが執った政策について、ギリシャのプルタルコスが著作「列伝」(私は世界史でプルタークの「英雄伝」と習った)で評したことが興味深い。「敗者でさえも自分たちに同化させるこのやり方くらい、ローマの強大化に寄与したことはない」。Hpp6010318_edited1ロムルスが建国時に執った戦術と戦後処理につては、「ローマ人の物語」第1巻≪ローマは一日にして成らず≫をご一読いただきたい。「ローマ人の物語」には、全巻をとおしてところどころにローマ人気質が描かれている。ローマ人(ラテン人)には、根幹に寛容の精神が貫かれているように読める。ガリア(フランス)がローマの属国になったことで寛容の精神が培われ、現在の多民族国家につながっていると思う。Hpp6010310_edited1フランスの長い歴史の中で寛容とは言いがたい場面が多々あったが、人々の根底には脈々と寛容が息づいているのではないだろうか。
 現在、世界ではあいかわらず紛争が絶えない。イラク・シリアのイスラム国の脅威、イスラエルとパレスチナ、ウクライナやアフリカ諸国の内紛など、宗教的あるいは民族的な対立などさまざまだ。これらの対立を解決するのにもっとも必要なことは寛容(tolerance)の精神であろう。意地や沽券を捨て、自身とは異質なものを受け入れ共存することはそれほど難しくないと考える。国境が海上にあり、侵略を受けたことがない“多神教”国家の日本人だから言えるのだろうか。

表現の自由
 寛容には油断がつきものだ。油断と裏切りは裏腹である。カエサルが暗殺されたのは、寛容にともなう油断であり、暗殺者の立場に立てば裏切りだ。カエサルは無防備で元老院へ出かけ、寛容に対応した政敵に暗殺された。それは寛容に対する裏切りだった。Hpp6010342カエサルは暗殺計画を察知していたはずだ。あえて、それに備えなかったのが、カエサルのカエサルたる所以だろうか。
 さて、パリのテロ事件の背景には、当然、フランスの寛容があった。テロリストは、それを裏切ったのである。一方、私は、表現の自由や言論の自由、報道の自由にも疑問を感じる。シャルリ・エブド社のイスラム教に関するパロディーについては不詳だが、不快を感じる人(集団)がいたら、そういう表現は控えるべきではないのか。同類のパロディーをキリスト教に当てはめたらどうなるだろうか。シャルリ・エブド社はキリスト教についてのパロディーも扱っているのだろうか? 宗教観に乏しい私の疑問だ。
 なお、フランスの終戦記念日(1945年5月8日)がメトロの駅名になった経緯は未調査だ。ただ、La courneuve-8Mai 1945駅の地上出口付近に、ナチス・ドイツに対するレジスタンス運動の記念碑(写真上右)が立っていた。

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2015/01/01

新春のごあいさつ

初めて除夜の鐘をつく

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 私は、地元の真言宗歓成院でカウントダウンをして新年を迎えた。初めて除夜の鐘をついた。

 昨年は、家内のリクエストでパリへ出かけた。そこで、年賀状でパリの体験をレポートした。以下に、年賀状とその文を掲載する。


あけましておめでとうございます

 昨年6月、パリに11日間滞在しました。メトロを足にして博物館、美術館、教会、公園などを巡りました。メトロ7号線の終着駅にLa courneuve-8Mai 1945という駅があります。Hp2015_2フランスの終戦記念日が駅名になっているのです。興味をそそられ終点まで乗ってみました。地上へ出ると、ナチス・ドイツへのレジスタンス運動の記念碑が目に留まりました。しかしそれよりも驚かされたのは、思いがけない大規模なバザールが展開していたのです。屋台を開いている人々や、買い物をする人々は、ほとんど中東やアフリカ出身のように見えます。パリでこのような情景を目にするとは想像もしませんでした。多民族を受け入れるフランスの懐の深さと寛容の精神を目の当たりにしました。記念碑を撮影して、駅を後にしました。あいかわらず、足の向くまま二人そろってマイペースの旅を続けております。皆さまの新年のご活躍をお祈り申しあげます。  2015年元旦 豊田芳州/恵子

 

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2014/12/04

サンリス・プチ・トリップ

フランスでローマ時代の遺跡を見学

 今夏、パリに滞在したとき、1日だけ近郊のサンリスへ(Senlis)出かけた。パリの北約40キロに位置するサンリスには、ローマ時代の城壁(市壁)が残っていると聞き、興味をそそられた。塩野七生氏の著作「ローマ人の物語」を読んで以来、ローマ文明は現在の西欧社会の基礎になっていると知った。Hpp6070928_2町造り、建築、土木、政治、法制、経済、税制、軍事などの技術や制度には、今もローマの精神が息づいている。私のライフワークである「ドイツからの風」を撮影するにあたっても、ローマ文明を知ることが欠かせないと考えている。 (写真上 ローマ時代の城壁内部。写真下左 街路に露出した城壁の断面、幅4メートルはありそうだ)

Hpp6070804_2 紀元前8世紀ごろローマ人が進出してくる以前は、現在のフランス(ガリア地方)にはケルト人が住んでいた。サンリスは先住民族ケルト人が造った都市だという。フランスを侵略したローマ人はサンリスも自分たちの町にして砦を築いた。サンリスのパンフレットによると、ローマ人は紀元前3世紀ごろには、厚さ4メートル、物見やぐらが28塔もある城壁で町を囲ったという。この城壁の大部分が現在も残っている。この城壁を見学することがサンリス訪問の目的だ。Hpimg_0001

 さて、現ドイツ連邦共和国の主要民族であるゲルマン民族が、北方のスカンディナヴィア半島南部より南下しはじめたのが紀元前10世紀ごろだった。すでにガリア(現フランス)に住んでいたローマ人と接触することになる。「ドイツ史」(木村靖二 著 山川出版社)によると、「紀元前2世紀ごろに、ゲルマン人はローマ人と直接対峙することになった」とある。サンリスの城壁はケルト人だけでなくゲルマン人に対する備えにもなったのであろう。Hpimg_0002「ローマ人の物語」(塩野七生 著)では、ゲルマン人はローマ人にとって終始(AC476年、西ローマ帝国滅亡まで)蛮族あつかいである。しかし、ゲルマン人はローマ人と敵対する一方、進んだローマの文化やシステムを学びまねたと「ドイツの歴史」(マンフレット・マイ著 小杉尅次 訳 ミネルヴァ書房刊)には書かれている。私は、Hpp6070801ドイツの生い立ちを知るために、ゲルマン人が接触したローマ文明を知りたいという願望に駆られた。少しでも当時のローマ文明に触れたいと願っている。 (写真下右 日本語版ガイド。写真下左 観光案内所)

 さて、サンリスへの往復は簡単ではなかった。パリ北駅でチケットがうまく買えないのだ。出札口でやっと買えたチケットを見ると、出発まで待ち時間が1時間以上ある。北駅で2時間も無為に過ごしてしまうことになった。Hpp6070979しかもサンリスへはシャンティイーでバスに乗り換えねばならない。その乗り継ぎの待ち時間がさらに1時間ある。サンリスへ着くのは午後1時になってしまう。パリに帰着する時間を午後5時に設定したので、帰路のバスの出発時刻が午後3時になる。現地には約2時間しか滞在できないことになる。楽しみにしていたサンリス見学はプチ・トリップになってしまった。以前はサンリスへも鉄道の便があったのだが、廃線になってしまったようだ。現在、旧サンリス駅はバスの発着所になっている。そこまでシャンティイーからバスが運行されている。振り返ってみると、鉄道とバスの連絡チケットを慣れないパリの自販機で買うのがたいへんだったのだ。 (写真左 サンリスの中心にあるパルヴィノートルダム聖堂)

 サンリスに着いてから、まず観光案内所(OFFICE DE TOURISME)へ向かった。案内所は、パルヴィノートルダム聖堂の真ん前にあった。ドイツでいえばマルクト広場だ。そこで、小冊子のガイドブックをもらった。日本語版もある。さっそくそれを頼りに町を歩きはじめた。Hpp6071028しかし、なかなか城壁へ近づけない。やっと、入口らしいところを見つけて城壁の中へ入った。そこには、今までの視界とは異なる風景が展開していた。何が違うのか、ひと言ではうまく言えないが、時代というか、風格というか、精神というか、私には紀元前3世紀のローマ時代にかなり近い風景だと感じられた。バスの時間が迫っているので、数カット撮影してその場を後にしたが、なんとも無念であった。 (写真右 旧サンリス駅)

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2014/11/19

いろいろな“気”を撮った写真展 26日15時まで

第9回シャトロー会写真展 『気』
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会期:
2014年11月20日(木)~26日(水) 平日10:00~18:00 土曜日11:00~17:00 日曜日(23日)は休館 祭日(24日)10:00~18:00 最終日(26日)~15:00
会場:フォトギャラリー キタムラ新宿(アクセスはDMのホップアップをご参照ください)

 “気”にはたくさんの字義がある。辞書には詳しく解説されているが、要点をまとめると、次のような心理的な字義がある。「性格」(Ex. が小さい)、「意欲」(Ex. やるがある)、「関心」(Ex. 彼にがある)、「情緒」(Ex. が変わる)、「意識」(Ex. が付く)、「配慮」(Ex. が散る)、Hpimg_0004「気力」(Ex. がゆるむ)、「味わいや香り」(Ex. が抜けたビール)、「精」(生命の源泉の意)、「雰囲」、などだ。これらにかかわる心の変化と状態を表す。“気”を含む熟語や、ことわざ、慣用句はたくさんあり、シャトロー会は、それらをタイトルにできるような写真を撮ることを心がけた。以下に会場のあいさつ文を掲載する。

【会場のあいさつ文】 「気」とは生気(いき)る力ともいわれ、主として人間についての心の動きを表すのに用いられます。Hppb195062同時に、自然のエネルギーと交流しながら生命の活動が充たされていきます。「気」の力を上手に使うには、心の持ち方を明るく積極的にすることが大切です。
 「気」は実体の無いものであり、何らかの「もの」としてとらえられるものではなく、感覚によって感じ取られるのです。私たちは「気の力」を静止画像としてとらえ撮影しようと試みました。Hppb195058その結果を、以下4つのカテゴリーに分けて展示します。

  1 活力のあかし
 2 意気込む気持ち
 3 怪しい気配
 4 ふだんの気運

 ご高覧いただければ幸いです。 2014年11月20日  シャトロー会一同/コーチ・豊田芳州

 私は、「怪しい気配」のカテゴリーに2点出展した。一つは、私がライフワークで取り組んでいる八ヶ岳山麓で撮影したトリカブトの写真だ(写真右 『毒 気』)。Hp_19p9208949_3秋の夕まずめに渓流へ釣りに入ると、しばしば、目の前にトリカブトは現れる。薄暗い渓流でトリカブトの前に立つと、周囲に毒気が漂っているように感じる。なにしろ根に猛毒のアルカロイドを含むうえに形が不気味である。近づくだけで毒気にあたりそうだ。しかし、私のライフワークである『沈黙の森から』のレポートには適した被写体なのである。Hp_22p6089742
 もう一点は、パリのパサージュで見つけた蝋人形の写真だ(写真左 『妖 気』)。蝋人形館のカーテンのすき間から外のようすをうかがう女性に背筋が寒くなった。

参照:シャトロー会 Happy Picture』

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2014/08/30

『光を讃える』

第7回 霧が丘写友会写真展
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 霧が丘写友会は、私の提唱する8大モチーフを順にこなしている。今までに「自然の表情」「タイムトリップ…時を撮る」「写真は発見・発明だ!!」といったテーマで写真展に取り組んできた。今回は「光を讃える」である。

会期:2014年9月4日(木)~8日(月) 10:00~16:00 4日は13:00~ 会場:横浜市都筑区総合庁舎1階 区民ホール

 今から40億年前、太陽から降り注ぐ光のおかげで地球上に生命が誕生した。光は生命の原点であり、人類の原点でもある。50万年前、人類は初めて火を発明し、同時に光を作ることができた。それ以来、人類は光なしには生活できなくなった。Hp2014現在の豊かな生活も火と光に支えられている。

 一方、写真は光がもっているエネルギーで写る。すなわち、写真は光の産物なのだ。あらためてテーマにする必要はないという意見があるかもしれない。しかし、無造作に撮影された写真からは光が感じられない。私が、「光」を8大モチーフの一つに加えたのは、多くの傑作を分析すると光にかかわる作品が目立つからだ。Hpp9040207被写体を照明する光や、被写体が放つ光に注目してシャッターをきると、いろいろな光の効果が被写体を演出していることがわかる。

 地球上の生物はすべて光のおかげで発生し、進化し、生育している。人間も同じだ。私たちが光に敏感なのは、地球上の生物だからだ。そこで、霧が丘写友会は、光を撮ろうと決めて取り組んできた。Hp_2014p6070784以下の四つのカテゴリーに分けて展示する。『光が作る表情』『光の働き』『原点としての光』『光が作る幻想』。偉大で、ロマンティックで、役だつ光の写真をご覧いただけたら幸いだ。

 私は、ステンドグラスの写真『信心の窓』を出展した。フランス・サンリスの教会で撮影したもの。ステンドグラスの光は聖堂内に敬虔な雰囲気を作り、信者の気持ちを安らげるだろう。
 サンリスはパリの北約40キロに位置する町で、ローマ時代の城壁が残っている。写真は、町の中心にあるパルヴィノートルダム聖堂のステンドグラス。

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2014/07/10

昔の巴里を撮りたい

セピア調の写真を楽しむHpp6020715b

 初めてコンパクトカメラだけを持って海外へ出かけた。海外取材は、経費がかかるうえに撮り直しはできない(一般に、どんな写真も同じシーンを撮り直すことはできない)ので、今までは信頼性が高いといわれる一眼レフをもっていった。しかし、コンパクトカメラの画質と信頼性が高まり、安心して取材に使えるようになった。持参したのは、オリンパス スタイラス1と同XZ-2、同XZ-1の3台だ。どれも信頼しているので、1台にトラブルがあっても、ほかの2台を使えるので心配ない。オールインワンのコンパクトカメラは、機材の軽量化ができ、カメラワークもシンプルになり、取材がずいぶん楽になった。 (写真右上 エッフェル塔Hpp6050442b_2

 
 私は、スタイラス1を中心に使った。35ミリ判換算300ミリまでの望遠撮影ができるうえに、マクロ撮影にも強いので、海外でもオールラウンドで使える(スタイラス1についてはいずれ詳述したい)。スタイラス1のモードダイヤルにART(アート)という表示がある。プログラムAEモード(P)や絞り優先AEモード(A)、シャッター優先AEモード(S)と同列にある撮影モードだ。ARTモードをひと言で説明すれば、諧調やカラーを変えて11種類の特殊な効果を作ることができる。Hpp6050457bそのなかの一つに「ジェントルセピア」という効果がある。「ジェントル」(gentle)とは「温和な」「優しい」「穏やかな」といった意味である。「セピア」(sepia)とは、色の種類で、「暗褐色」「黒褐色」をさす。「ジェントルセピア」で、写真を「穏やかな暗褐色」に仕上げることができる。 (写真上左 三輪車、写真上右 街頭のスタンド

 変色した古いモノクロ写真はしばしばセピア色になる。セピア色のプリントには、レトロとかアンティークな雰囲気があり、けっこう好まれている。Hpp6050451bこのユーザー志向に合わせてスタイラス1に採用されているのが「ジェントルセピア」である。 (写真左 パリジェンヌ

 私は、古いパリを撮りたかった。そこで、エッフェル塔とシャンゼリゼ通りで「ジェントルセピア」モードを選んで撮影してみた。パリの町並みはここ100年はほとんど変わっていない。セピアに仕上げれば往年のパリの雰囲気が出るのではないかと考えた。パリは「巴里」に写るのではないか?

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2014/06/28

衣類の回収ボックス

フランスで見つけたリユースの例
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 パリの滞在中、一日だけ地方へ出かけた。ローマ遺跡があるというサンリス(Senlis)を目ざしてパリ北駅を出発した。途中、列車からバスへ乗り換えるシャンティイ(Chantilly)は、ガイドブックでもページを割いている名所である(写真下左 シャンティイの駅舎)。目的地のサンリスよりは知られた町だ。Hpp6070683_2サンリスについては機会をあらためよう。ここではシャンティイで体験したことについて触れる。パリの北約40キロにあるシャンティイは、フランス競馬のメッカだという(写真右上 バス停に建っている広告塔)。サンリスへ向かうバスの車窓から見えた広大な馬の施設には、ゆとりと風格を感じた。馬具博物館もあるという。

 さて、シャンティイでの乗り継ぎ時間が1時間もある。バス停で時間をもてあましていたところ、すぐ隣りにゴミ箱が3つ置かれているのに気づいた(写真下左)Hpp6070699_22つはガラス製品のリサイクル回収箱、もう一つは衣類のリユース回収箱だった。日本ではめったに見ない衣類の回収箱に引かれて撮影した。Hpp6070702投入口にはみ出した衣類が見える。フランス語の辞書と首っ引きで、書かれていることを翻訳してみた。まず、環境問題を標榜する絵とキャッチコピーが目に入った(写真右)。コピーには「環境と雇用のために日々行動しましょう」とある。そして、この回収箱を利用する規定が次のように書かれていた(写真下左)。「下記の指示に従うように」とあり、箱に入れる規定が書かれている。「提供物はこの中へ。あなたの衣類と布地をきれいで乾いた袋に入れて提供してください。また、あなたの靴も一足をひもでくくって提出してください。革製品もけっこうです」。「汚れた、そして濡れた繊維はお断りします」とある。当局は、シャンティイ地区の町の共同体のようだ。なお、「雇用のため……」という意味が、私にはわからない。私はフランス語にはまったく縁がないので、翻訳がまちがっているのかもしれない。Hpp6070702x_2_2

 最近、衣替えを兼ねて衣類を取捨選択した。捨てようと決めたものの中には、未練が残るだけでなく、十分役立つものがある。それらを有効に活用できたらと考えるのは私だけではあるまい。フランスで見たこの回収箱は地球レベルで有効ではないか。しかし、じゃまなものを捨てるためにこのような回収箱を悪用されることも考えられる。このシステムは人々の良識によって成り立つのであろう。

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2014/06/14

パリ・マドレーヌ教会のコンサート

モーツァルト/ヴィヴァルディ/etc.
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 パリへ来て、まず訪れたのはマドレーヌの花市だった。教会のわきに小さな花市がある。しかし、土曜日だったので、ほとんどが閉店していた。滞在するホテルの部屋に花を飾るのが家内のモットーだが、花を買うのはあきらめて教会を見学することにした。マドレーヌ教会は、外観はギリシャ神殿のようだが内部は普通の教会である。Hp2_p5310051礼拝堂はかなり広く、天井も高い立派なカトリック教会だ(写真上右、同左、同下右)

 扉を開けて拝廊に入ると資料を並べたテーブルがあった。そこで目に入ったのはMozart Requiem(モーツァルト レクイエム)のチラシだった。Hpp5310118当日の午後9時からレクイエムのコンサートがある。教会のコンサートでレクイエムを聴くのは憧れだ。2年前にサンタンブロワーズ教会(St.Ambroise)で同じレクイエムを聴いたことを思い出した。しかし、時差ボケのコンディションで夜のコンサートはきついと判断してあきらめた。さらに6月のスケジュール表を見ると、明後日にヴィヴァルディの『四季』とモーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』を含むコンサートがリストアップされていた。家内にもなじめる曲目なので、これを聴くことにした。 参照: 『フランスの過酷で愉快な生活〔前篇〕 ドイツNo.93』

 午後8時からコンサートは始まった。まず、モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』(セレナーデ13番K525)だ。私が、初めて生の演奏で聴いたのはこの曲だった。小学校の講堂で山田一雄の指揮する、この曲を聴いたときを思い出した。なんと澄んだ音色なのだろう、音楽にはこんな低音(チェロの響き)があるのかと、当時、感動したものだ。それ以来、私はクラシック音楽のファンになってしまった。『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』は、モーツァルトのもっともポピュラーな名曲である。優しいメロディーは、だれもが必ず耳にして、口ずさんだことがあるはずだ。Hpimg_0003_2K525といえばモーツアルトの最晩年の作品番号になる。どんな芸術家も晩年は難解な作品を創りたくなりがちだが、モーツアルトは、そうではなかった。この曲のおかげでクラシック音楽のファンになってしまうのは、私だけではあるまい。マドレーヌ教会での演奏は、モーツァルトの優しさと甘さが込められていた。 (写真左は当日のチラシ、同下右はチケット)

 アルビノーニの『アダージョ』、パッフェルベルの『カノン』までは、弦楽四重奏(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ビオラ、チェロ)の演奏だった。4曲目のマスネの『タイスの瞑想曲』からヴァイオリンのソリスト・Frederic Moreau氏が加わった。シューベルトの『アベ・マリア』のあと、ヴィヴァルディの『四季』(作品8)が演奏された。Hpimg_0004『四季』も、クラシック音楽の分野ではもっともポピュラーな名曲だ。作品8は12曲のヴァイオリン協奏曲で構成され『和声と創意の試み』というタイトルが付けられている。そのうちの第1番から第4番までの4曲(春、夏、秋、冬)が『四季』としてたびたび演奏されている。楽器構成は、独奏ヴァイオリンと弦楽四重奏だ。ソリストは指揮を執りながら独奏パートをこなした。『四季』は標題音楽といってよいだろう。4曲それぞれの楽譜には季節感を表す詩(ソネット)が添えられているというから、描写音楽に属する。ただし、『四季』はヴィヴァルディの命名ではないという。後世の人が詩に合わせて付けたようだ。当時の音楽界では標題音楽や描写音楽はまだ関心が低かった。そのような時代にヴィヴァルディがチャレンジしたといってよいのではないか。演奏は、季節感や自然現象をできるだけ強調した表情豊かなものだった。

 ちなみに、ヴィヴァルディの作品3に『調和の霊感』という12曲の合奏協奏曲集がある。私は、『和声と創意の試み』より『調和の霊感』のほうが好きだ。『調和の霊感』にはポリフォニーへのチャレンジを感じるからだ。Hpp6029462_2私は、標題音楽よりも絶対音楽に関心がある。ドイツのJ.S.バッハは、第2番、3番、6番、9番、10番、11番を自身の曲にアレンジしている。きっとバッハは、『調和の霊感』にポリフォニー音楽の“霊感”を得たにちがいない。ヴィヴァルディは、ポリフォニーと標題音楽という将来の二つの分野を予期してトライしたのではないだろうか? (写真右上は演奏者)参照: 『フーガの技法についての考察 ドイツNo.77』

Hpcdp6132636_2 アンコールに応えて、ソリストがパガニーニのバイオリン協奏曲(何番か不詳)で超絶技巧を披露した。終演は9時30分ごろだった。出演者のサイン入りCD(写真左)を記念に買って聖堂をあとにした。夕闇が迫るパリ市街とコンサートの余韻を楽しみながらメトロの階段を降りた。

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2013/06/20

夕刻の家族団らん ドイツNo.136

パリの公園で観察したこと

 ヨーロッパと日本の生活リズムの違いを感じるのは、夕刻の過ごし方だ。特に、夏はその違いをまざまざと感じる。緯度の高さとサマータイムで日没が遅くなり、夕方の屋外での活動時間がかなり延びる。夏至前後の6月では22時ごろまでは十分明るい。というわけで、夕食を屋外でとったり、公園やレストランンへ出かけて、スポーツやピクニック、ゲーム、喫茶などで家族団らんを楽しむ習慣があるようだ。 (写真下 ホテルのベランダから撮影した公園。6月11日、20時20分)Hp1006112020p6117789_2
 6月上旬、パリに滞在したとき、夕食を済ませて部屋へ戻ると、毎日、人々の歓声が窓から入ってきた。ホテルの前の公園で余暇を楽しむ家族の歓声である。窓から観察すると、数人以上のグループがシートを広げて車座になっているのがわかった。グループは親子や隣近所、友人の家族などで構成されていうようだ。メンバーは老若男女さまざまである。毎夕21時過ぎまでにぎやかだった。日本なら騒音として苦情が出るのではないか。パリでは、周囲の住宅から何の苦情もないようだ。すなわち、パリ人にとって夕刻に公園で余暇を過ごすことは日常であり常識なのである。私たちは、パリの名物として好感をもってその歓声を楽しんだ。 (写真下左 公園の家族。6月2日、19時31分)Hp1006021931p6032284_3

 ドイツで体験したことだが、ドイツ人は冬でも夕食後に屋外へ出かける。クリスマス前のアドベント(待降節)では家族ぐるみで夜のクリスマス・マルクトへ出かけるし、カーニバルでも仮装して町へ繰り出し、祭りや喫茶、ゲームなどを楽しむ。ここにも家族の団らんがあった。これは、おそらくドイツに限らないだろう。西欧のライフスタイルであろうか。

 夕食後に家族どうしで過ごす時間は、彼らにとって意義があるはずだ。家族の絆を深めるだけでなく、世代間の格差を埋め、家風を伝え、子どもたちは社会性を磨けるのではないか。Hp1006041934p6045819_5この生活習慣で得られるものは大きいと感じた。日本にはない時間の過ご方である。そんなわけで、私はサマータイムに賛成だ。夕食後に得られる1時間が家族の絆の改善と構築に役立てられるかもしれない。もっとも、日本では残業というハードルがある。せっかくのサマータイムを生かせるかは家長の心がけしだいだろう。 (写真上右 公園で卓球を楽しむ人々。6月4日、19時34分)

 なお、ドイツもフランスと同じ生活習慣なので、ドイツのカテゴリーに加えた。

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2011/01/04

パリの花市場と中世の砦 ドイツNo.94

      あけましておめでとうございます

 昨年、初めてフランスを訪れたので、そのミニ・レポートで本ブログの新春のごあいさつに代えます。

Hpp6022079 ドイツとフランスは、しばしば敵対してきた。30年戦争、ナポレオンの侵略、普仏戦争、第1次/第2次世界大戦など、争いは断続してきた。音楽や絵画も対照的と言ってよいだろう。どちらもゲルマン民族の後裔が築いた隣国どうしなのになぜなのか。ドイツを深く知るにはアンチテーゼとしてフランスを知ることはむだではないと考えた。家内の希望にも後押しされて、昨夏フランスを訪れた。

Hpp6022089  多民族国際都市・パリは、人類が目ざした理想的な都市の一つではないか。市民は異質な価値観や生活習慣を互いに認め合い、共存していると感じた。すなわち、自由度が高いのである。私は町の雰囲気を肌で感じ、圧倒されるだけだった。多くの人々がパリを目ざす気持ちが少しわかったような気がする。パリは、ドイツには類のない町であろう。

 セーヌ河の中州・シテ島にある花市場へ2度出かけた。「花の都・パリ」のエッセンスを見極めようと思った。そのようすは2カットの写真上のとおりだ。香りを伝えられないのが残念だ。Hpp6076907

 世界文化遺産の町・プロヴァンは、中世に繁栄した町である。堅固な城壁に囲まれ、さらにセザール塔は難攻不落の砦だ。そのセザール塔(写真左)の前で、家内は遠足に来ていた小学生たちと交流した、折り紙を教え、「アヴィニョンの橋の上で」をいっしょに歌った。Hpp6066377_2私は、中世の野外劇に興味があった。中世の人びとの生活や風習、騎士の役割など、迫真の演技に興奮した。Hpfrance216おそらくドイツ中世とそれほど違いはないのではないか。

 はたして、アンチテーゼかどうかは疑問だが、フランスではドイツとは異質なマインドを感じた。その成果を踏まえて、このページをドイツのカテゴリーに加えた。参照: 「Metroにはパリの旅情がある」 「パリの乗り合い観光バス」 「フランスパン」 「フランスで中世を体験」

 皆さまの新年のご活躍を心よりお祈り申しあげます。 

                        2011年元旦 豊田芳州

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