2017/01/11

氷の神秘性 八ヶ岳山麓No.205

〔動と静の葛藤〕
 冬の八ヶ岳山麓で最も魅力的な被写体は氷である。氷は固体と液体(水)の間で千変万化し、二度と同じ形にはならない。冬の渓流では、水の凝固と氷の融解が繰り返し起きている。人がコントロールできないという点では、氷は神秘的な存在だろう。Hpp1017370_2 結氷するには氷点下の寒気と着氷するための核が必要だ。水は氷点下になると、近くにある岩や流木の枝など、時には同じ氷などを“探して”氷になって付着する。結氷のし方にもいろいろある。Hpp1017381しずくが垂れてできる氷柱(つらら)、水流の飛沫が着氷する飛沫氷柱や飛沫着氷、空気中の水蒸気が昇華して直接個体になる霧氷などだ。それに流速や水位、流路、気温、風が影響する。これらが複雑に絡み合って氷は発達する。水温は約8度Cであるうえに流れているので、気温が0度Cではなかなか凍らない(凝固しない)。Hpp1017373_5流れが速いほど凍りにくい。渓流で水温が0度C以下になり、気温が氷点下3~5度Cぐらいなる必要がある。撮影に適した氷が発達するには一日中氷点下の日が3日ぐらい続く必要があるHpp1017412Hpp1017385_3氷も水も水の分子H₂Oで構成されているが、液体の場合は、分子が自由に動けるのに対して、固体は分子が結晶を作って、塊状になる。すなわち、水の「動」に対して、氷の「静」といえる。どちらも、自分の存在を維持しようとしているので、冬の渓流には、動と静の葛藤があるといえるのではないかHpp1017362_edited1_2Hpp1017394_2

                                        

〔氷写真の先駆者・清岡惣一〕

 氷の写真の先駆者として清岡惣一氏(1915~1991年)を挙げたい。清岡氏の写真集『清岡惣一の世界』(1993年 日本カメラ社 刊)には、多くの氷写真が掲載されている。Hpp1021502この写真集には、モノクロの作品が73点掲載されている。その中に、冬に撮影された作品が21点あり、そのうちの15点が氷(雪)の写真である。すべて日光中禅寺湖で撮影されたものだ。清岡氏は、1976年、東京・ペンタックスギャラリーで個展『雪と氷の湖畔・日光中禅寺湖』、1977年、金沢・名鉄丸越デパートで個展『雪と氷の湖畔』を開催している。残念ながら、私はどちらも鑑賞していないが、写真展のタイトルからも、清岡氏の氷に対する想いが伝わってこようというものだ。

 本写真集は、清岡氏が亡くなられてから刊行された。贈呈用の写真集に、清岡静子夫人が書かれた「御挨拶」という一文が別刷りで添えられてあった。奥さまが書かれている要旨は次のようなことだ。「病床にて故人自らが掲載作品の選定に最後の力を注ぎ、その後、多くの有志の方々の温かいご支援とご協力のもとに、完成したものです」「今、この故人の集大成とも呼ぶべき作品集を手にすると、満たされたときの主人の微笑みが思い起こされてなりません」とある。ページ構成を見ると、清岡氏は氷の写真に特別な想いを持っていたと推察できる。Hpp1021522私が言いたいことは、清岡惣一氏が氷の撮影に心血を注いでいたということだ。
 氷の撮影は、決して楽なものではない。氷点下の水辺での撮影は、指先がかじかんで、カメラ操作が思うようにできない。しかも、うっかり足を滑らせて、尻もちをついたり、衣類を濡らすと、衣類はすぐバリバリに凍ってしまう。すなわち命懸けである。清岡氏の撮影の緻密さと忍耐力は、推して知るべしである。私は、中禅寺湖畔でカメラを構える清岡氏の姿を想像した。

 カメラ雑誌の取材で、一度清岡氏にお会いしたことがある。そのとき、清岡氏の撮影姿勢と作風に好感をもった記憶がある。当時は被写体としての氷には注目していなかったのだが、実際に私が八ヶ岳山麓の渓流で氷を前にしたとき、清岡氏の心の奥底にあるものに触れた思いがした。私の氷写真の原点は清岡氏に負うところが大であると思っている。

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2016/04/26

両生類の生活 八ヶ岳山麓No194

カエルの卵を観察…補訂版
  (水中写真を追加し、オタマジャクシの健在を確認)
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 4月4日、散歩道でカエルの卵を見つけた。この時期にはよく見かけるが、例年よりは少し早いのではないか。まだ卵の形は円形だった。翌日には、卵が長楕円形になり、さらに4日後にはオタマジャクシのような形に変わってきた。この先、四肢が生え、尾が消失してカエルになる。しかし、私の観察はつごうで中断し、4月20日に再度池へ行ってみた。オタマジャクシが泳いでいたので、ホッとした。なお、オタマジャクシとは、柄杓(ひしゃく)の形をしているので命名されたという。Hp_p4040052_2 (写真上右 産卵直後の状態。同左 親ガエルと思われる)

 カエルは、脊椎動物門両生網に属する。いわゆる両生類だ。両生類は、地上で生活するようになった最初の脊椎動物である。幼生のオタマジャクシは水中では鰓(えら)呼吸をし、カエルになると肺呼吸に変わり地上の生活に適応する。「個体発生は系統派生を繰り返す」というE.H.ヘッケルの反復説(参照: 『植物の過去を明かしたい 八ヶ岳山麓No.149』)を前提にすると、カエルの祖先はオタマジャクシ(のようなもの)だったことになる。Hp_p4042114すると、水中生活をしていたオタマジャクシ(カエル)は、長い年月をかけて四肢を発達させて、陸上生活に適応できるようになった。これがカエルである。オタマジャクシの観察から、両生類の生活と進化を考えてみた。 (写真右列5点 卵の生長、Hp45plp4050023上から4月4日水中カメラで、4月5日水面より、4月8日水中の卵のようす、4月9日水面より、同日の水中のようす。撮影倍率は一定ではないので大きさは比較できない)

 カエルの卵を撮影したが、水面が卵を包む寒天質で凹凸しているうえに、Hp48p4082352_2明るい空が反射して水中はよく見えない。寒天質は卵を乾燥から守り、卵が流れて散らばらないような働きをしているようだ。そこで、まずPLフィルターを使い水面の表面反射を除去して撮影した。さらに水中のようすを観察するため、オリンパスのコンパクト水中カメラ・μTOUGH-8000で撮影した。
 オタマジャクシがカエルの祖先とHpp4090522同じような生活をしていたとすると、この池の環境は、両生類が水中から陸上生活に移る環境と似た状態と考ええてよいのではないか? Hp49p4092454_edited1そこで、卵のある周囲の状況も撮影した(写真下左列2点)。浅い水底には枯れ葉が堆積している。カエルは肉食だがオタマジャクシは雑食だいう。枯れ葉やプランクトン、水性昆虫などを捕れる環境が必要だ。卵にとっては新鮮な水は欠かせないだろう。水を供給する水源が2か所ある。一つは池の周囲にある湧水、もう一つは別のところから流れ込んでいる細流だ。卵は、流路から外れたところにある。私がいままでに観察した卵は、すべて流路から外れた水溜りに産卵されていた。植物と同様に水中から陸上生活に移るには、岸辺の近くに産卵するのは当然だ。私が今回撮影した卵は池の岸辺に接していた。そこは野生動物が近づく余地があるので、安全とはいえない。近くには、テンやキツネ、アナグマ、タヌキが生息している。Hpp4042258ほかに、カラスや猛禽類も狙っているだろう。そのような厳しい環境を克服して、両生類は子孫を残してきたのだ。親ガエルは、近くで卵を守っているようだった。私が撮影のために近づくと、親ガエルがケロケロと鳴いて遠ざかっていった。 (写真左2点 卵のある池のようす。水中カメラで)

 陸上の生活に適応するためには、ほかにもいくつかの試練が待ち構えている。まず肺呼吸だ。水中では鰓呼吸だったが、陸上では肺呼吸をしなければならない。カエルは皮膚呼吸もする。Hp_p4042240餌を採取したり天敵から逃れるためには、移動の手段として四肢(前足と後ろ足)の発達が欠かせない。特に後ろ足は発達し、太い背骨と結合して陸上移動の主要器官となっている。同時に水かきがあるので、水中の生活にも対応している。陸上では尾はじゃまになるので、退化した。カエルはオタマジャクシの時代に、長い歳月をかけて陸上の生活に適応してきた。

 両生類は、古生代石炭紀(約2億年~3億年前)の化石にその存在を確認できるという。そのころ、爬虫類も登場し、将来の哺乳類へと進化する基礎になった。Hp420p4200354_2その当時の両生類は絶滅し、現存の両生類は、新生代(約6500万年前)から現れたという。現在、有尾類(サンショウウオ、イモリ)、無足類(アシナシイモリ)、無尾類(カエル)の3目、2800種が知られている(写真右 4月20日に撮影したオタマジャクシ。いろいろな天敵がいるので、まだ油断できない)

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2015/03/04

写真展『厳寒のざわめき』 予告 八ヶ岳山麓No.172

第2回 豊田芳州ネットギャラリー写真展「沈黙の森から」
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 『ドイツの栄光』展に続いて第2回目のネットギャラリー写真展を開催する。八ケ岳山麓でのライフワーク「沈黙の森から」の氷雪編ともいうべき写真展だ。題して『厳寒のざわめき』である。冬の八ヶ岳山麓(標高1400メートル)の寒気は厳しい。生物はほとんど活動を休止している。雪と氷で閉ざされた森の中で聞こえるのは、渓流のせせらぎと枝をかすめる冷たい風音だけだ。しかし、雪面に残された足跡は、野生動物の命がけの生活が読み取れるし、渓流には宝石のような氷が発達していて、私たちの目を楽しませる。八ケ岳山麓の森から、冬のざわめきをレポートする予定だ。 ネット・ギャラリーのメリット・デメリットについて、第1回展の予告記事 (リンク)を参考にしてほしい。

 

◆期 日:2015年3月25日(水)~31日(火)
ネットギャラリー:
『豊田芳州のTheme』 http://silent-forest.cocolog-nifty.com/

 

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2014/07/30

海中の硬派と軟派

新江ノ島水族館の両雄

 シャトロー会の撮影会で新江ノ島水族館へ出かけた。同館は10年前にリニューアルし、展示やイベントが充実していてたいへんおもしろい。平日だったが、館内には親子連れの歓声と喚声があがっていた。Hpp7180132_2私は2時間半ほど見学したが、撮影しながらなので全体の半分も見ることができなかった。そのなかで、夢中に撮影したのがタカアシアガニとクラゲだ。この水族館の硬派と軟派を人間社会になぞらえてアナロジーを探ってみた。

 タカアシアガニは、甲殻類で世界最大の節足動物だと事典には紹介されている。左右の脚を伸ばす3メートルにもなるという。体型と顔貌から硬派といってはばかるところはない。 (写真上 タカアシガニのアップ)
 人間社会の硬派とは、「強硬な主義主張をもち激しい行動に出ようとする一派」をさす。要するに強硬派だ。一方、「女性との交際やおしゃれなどを軟弱なこととHpp7180147して意識的に避け、腕力や男らしさを誇示する者」も硬派である。いかつい風貌をもっているタカアシガ二は硬派に当てはまるのではないか。ところで、「新聞で、政治面や経済面を担当する記者をマスコミ界では硬派」というらしい。また、「経済相場で、買いに出るグループを硬派」というそうだ。別名「強気筋」という。新聞記者はともかくとして、タカアシガニは強気に見える。 (写真上左 タカアシアガニの群れ)
 私自身は硬派と自認しているつもりだったが、広辞苑には、「青少年などで、好んで腕力を振るう不良仲間」も硬派という、と書かれているので“硬派宣言”はやめた。

 クラゲは 無脊椎動物の一門で、腔腸動物であり刺胞動物でもある。クラゲを軟派と称するのに異存がある人はいないだろう。浮遊する姿はいかにも軟派であろう。“骨のないもの”のたとえにされるぐらいだ。 (写真下右 クラゲのアップ)Hpp7180418
 人間社会の軟派は、硬派の反対そのままである。事典の解説をそのまま記すと、「強硬な意見や主義をもたない一派で、詩や小説を読みふけったり異性との交際や流行の派手な服装を好む若い人々」とある。文芸上のエロチシズムは別として、現代では詩や小説を好む人々を軟派に含めることには問題があろう。「遊び目的で異性に交際を求めることを軟派する」という。軟派学生はその典型だろうか。「新聞で、社会面や文化面などを担当する記者は新聞界では軟派記者」と言われるらしい。政治・経済を担当する記者が硬派で、社会面や文化面を担当する記者が軟派だというのは、どういうわけか? Hpp7180320_3硬派と軟派の基準には、きっと明治・大正・戦前の世相を反映したものではないだろうか。軟派には「相場で見込みがないと判断して売りに出るグループ」をさすときがあるという。これを「弱気筋」というぐらいだから、度胸がないともいえるし、慎重派とも言えるが…。しかし、クラゲに慎重さは感じられない。クラゲには有刺動物としての毒針があり、危険である。人間の軟派にも毒があるというのは、納得できなくもない。 (写真上左 クラゲの群遊)

 なお、新江ノ島水族館のクラゲファンタジーホールは、同館の目玉展示のひとつだ。他に先がけて研究してきた成果を「海月の宇宙」(クラゲのそら)というショーで公開している(写真下) 。水槽のクラゲと映像がコラボレートされた表現はユニークだった。Hpp7180332
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2013/10/09

『生生流転』  15日 15:00まで

パナソニック松愛会 横浜写真クラブ 写真展
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会期:2013年10月9日(水)~15日(火) 10:00~17:00 初日は13:00~ 最終日は~15:00 / 会場:横浜市都筑区総合庁舎1F 区民ホール(横浜市営地下鉄 センター南下車 徒歩6分)

 被写体にはいろいろな性質と状態がある。その一つに「変化」がある。どんな被写体も常に変化している。変化には時の経過をともなうので、私は、この変化を「時間」というカテゴリーに含め、シャッターをきる重要なモチーフの一つにしている。しかし、被写体が変化しているからといって、レンズを向ければ変化が写るわけではない。パナソニック松愛会のメンバーは、被写体の変化をテーマにしてHppa099146Hppa099141シャッターをきった。写真展開催の意図は以下のあいさつ文のとおりだ。

 宇宙や地上の万物が、生まれてからたえず変化していくことを生生流転と言います。自分自身もその一つです。自身の変化に気づいたとき、周囲の外界の変化に対しても、より五感がはたらくようになるものです。
 いろいろな変化があります。目まぐるしい現代の変化、長い歳月を要する自然界の変化、歓迎したい変化、拒みたいもの、美しい変化、みにくいものなど、さまざまです。
 私たちは、自身の周囲で起きている変化を見つけてカメラに収録しました。ご高覧いただけたら幸いです。  
2013年10月9日 パナソニック松愛会 横浜写真クラブ

 以下にメンバーの代表作を掲載する。各写真はポップアップ可。なお、私は出展していない。

下左から 「立志」 高沼 浩/「精気」 唐川良一HpaHpb_dsc_0248

下左から 「大望」 松田高志 / 「変身」 竹中正州Hpc_3Hpb_3




下左から 「芽生え」 亀田博美 / 「無常」 羽場弘明Hpa_2Hpb__5732

下左から 「再起」 荻原 肇/「ゆらぎ」 西野 斉/「溌剌」 庵 一雄Hpc_dc0808111_2Hpb_2Hpa_3

下左から 「お彼岸」 作間貞夫 / 「旅立ち」 中井昭夫Hpcp1140333Hpaimg_0002

左 「浄化再生」 石井正明Hpb_110706

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2012/10/17

なつかしいタイムトラベル

小江戸・栃木…フォトレポートHp_pa065696

 小京都とか小江戸をキャッチフレーズにする町がある。西のほうでは「小京都」(しょうきょうと)、東では「小江戸」(こえど)と言われる場合が多い。どちらも町の宣伝文句になっている。京都や江戸の町並みと情緒に人気があるのだろう。どれぐらい京都らしいのか、江戸らしいのか、期待して訪れると納得できる場合もあれば、がっかりする場合もある。それは、訪問者の期待度によって変わるだろう。一方で、京都や江戸について、私たちはどんなイメージを持っているのだろうか。かなり漠然としているうえに、個人差も大きい。それが期待の差 になって表れるのである。いずれにしても、私たちは古い町並みのタイムトラベルが好きなのではないか。

 10月6日、ヌービック・フォト・フレンズ 5の撮影会で栃木市へ出かけた。栃木市は、「小江戸」のほかに「蔵の街」も売り物にしている。蔵の街もいろいろなところで町の肩書になっている。Hp_2なぜ、我々は蔵造りの建築にロマンを感じるのだろうか。蔵には「蔵が建つ」というたとえがあるように富と成功の象徴であるからか? 頑丈な人を寄せ付けない構造に家屋の夢を感じるのか? 小江戸・栃木は、けっこう楽しめた。栃木の人々が親切で外交的だからだ。その象徴が「お蔵のお人形さん巡り」というイベントだ。市内56か所の店舗などで、それぞれが自慢のひな人形を展示公開し、訪問客に親切に応対してくれた。撮影で、私は、「人情」と「歳月」を意識した。すなわち、「なつかしさ」をモチーフにした。

 私は、栃木の町造りをドイツと比較してみた。江戸時代の栃木の規模はドイツの小都市と同じぐらいだろう。おそらく、生活圏は歩行可能範囲で、コミュニティーにはちょうどよい大きさだったのではないか。ドイツほどはっきりしていないが、旧市街と新市街があり、水運がある。ドイツの町を歩くつもりで栃木を散策した。

写真上 栃木は水運のある町だった。市内を流れる巴波川は栃木と江戸を結ぶ水運に利用されていたという(写真上右マップ参照 ポップアップ可 。ドイツでもほとんどの町に水運がある。今夏、訪れたハンブルグやリューベック、ツェレにも川や運河があった。

写真下2点 左●リューベック 周囲を川と運河で囲まれた町 右●ツェレ 現在は観光とレジャー用の運河だが、かつては輸送に使われていたと思われるHp_p6026554Hp_p6073368_2

写真下3点 ●万年筆病院 万年筆が筆記具の主役だった時代があった。入学祝いのプレゼントに万年筆をもらったことがある 瀬戸物屋 私は昔、こう呼んだものだ のれんのある交番。昔は実在したのだろうかHp_pa065761_2Hp_pa066008Hp_pa066006






写真下3点 左●エキゾチックなカフェ 中●タイムトンネル カーブミラーが入口だ 右●旧市役所庁舎の扉 建築は現市庁舎の別館として使われているHp_pa065663Hp_pa065826Hp_pa065800

写真下2点 左●お稲荷さん 駐車場の片隅にひっそりたたずむが、正一位の稲荷神社。 右●古道具屋の釜Hp_pa065844_2Hp_pa065755













写真下2点●栃木病院 大正2年建造の西洋館Hp_pa065866_2Hp_pa065977

写真下2点 左●蔵の内部 蔵を展示場にした家具屋の中で 右●ひな人形 「お蔵のお人形さん巡り」というイベントが11月4日まで開催されている。市内56か所の店舗などで、それぞれが自慢の人形を展示公開しているHp_pa065682Hp_pa065934

写真下 ●オクトーバーフェスト 栃木駅前にテントを張りドイツビール祭りを開催。本場の「ヴァイツェン」を楽しんだHp_pa065972

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2012/05/05

「魑魅魍魎」 沈黙の森から 八ヶ岳山麓No.138

自然林探検…コンパクトカメラシリーズ40Hpp5011404

 5月1日は、撮影のため自然林へ入った。自然林は、植林や伐採、下草刈りなどの手入れをした人工林と区別される。しかし、原生林とはかぎらない。そこは水源地であるうえに、岩が敷き詰められていて伏流となり、足元に心地よい水流の響きが聞こえる。落ち葉が岩のすき間を埋めているので、うっかりするとすき間に足を取られることがある。油断できない。岩畳のため、樹木はあまり成長しないようだ。しかし、わずかなスペースに巨木の痕跡がある。胸高直径1メートル以上はあったろうと推測できる大木の根元が残っている。それが森の主のように踏ん張っている。写真上 『巨 星』

Hpp5011301 植物の芽生えの時期なので、いたるところにバイケイソウの芽や若葉が観察できる。バイケイソウは森の中では春一番の草本なのだ。過去の栄光を背負っている古木に対して、未来の有望株でもある。湧水、岩、石畳、コケ、古木、落ち葉、若葉などが一体となり、あたりは「魑魅魍魎」(ちみもうりょう)の世界を展開している。「魑魅」とは、「山林の精気から生じ、人を迷わすというばけもの」のことであり、「魍魎」とは「山、水、木、石などの精気から生じて人をばかすという怪物」である。「精気」とは「生命の源泉である元気」「万物を生成する天地の気」と辞書にはある。「魑魅魍魎」とは、「人をだまし惑わす、自然が放つ気配」と言ってよいのではないか。これは、私のテーマである『沈黙の森から』レポートしたいことの一つである。写真上左 『化 身』 

 掲載した写真はすべてオリンパスXZ-1で撮影した。魑魅魍魎の世界を逍遥し、融合するのにXZ-1はぴったりだった。

『魑 魅』(写真下左) 『地衣幽霊』 (写真下右)Hpp5011170_3Hpp5011507

 

 

 

 

 




『樹 魂』
(写真下左) 『魍 魎』(写真下右)Hpp5011333_3Hpp5011196_5

『大洞吹き』(写真下左) 『うわばみ』(写真下右)Hpp5011374_2Hpp5011435_2Hpp5011203


 

 

 

 

 

                                             

『苔坊主』Hpp5011203_4Hpp5011381_5(写真下左) 『山 姥』(写真下右)




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『烏天狗』(写真下左) 『頑 固』 (写真下右)Hpp5011585Hpp5011322

Hpp5011539『青道心』(写真左)

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2012/04/05

2012初イワナ 八ヶ岳山麓No.136

半年ぶりに味わう醍醐味Hp20p4029822

 今年のイワナの初釣りは4月2日だった。当日の最低気温は-8度C、日中は晴れて5度Cぐらいまで上がった。水量は平水かやや多めでコンディションはまあまあだろう。いつもの入溪点から川に降りた。通常は、シーズン初めの第1投はだいたい当たりがあるのに今年はない。そこから上流200メートルぐらいはまったく当たりがなかった。Hpbp4029837イワナが断食同盟を結んでいるのではないかと疑いたくなる。そんな不信感があるうえに、シーズン始めであることを忘れてしまい、初めての当たりは、早合わせでバラしてしまった。その30メートル先、実績のあるポイントでも当たりはない。そこで、淵の中央にある岩の向こう側をすれすれに流した(写真下右)。弱い当たりで小型がやっと針がかりした(写真下左)。魚体はサビが残っていて冷たい。やはり川は冬なのである。今冬の日本列島の気候パターンがこの川にも表れているのだろうか。以後は、ポイントを厳選して釣ることにした。

Hpp4029807 70メートル上流の大渕で、落ち込みの下へ期待しないで餌を送り込んだ(写真上左) 。この時期、水流の激しい落ち込みに魚はいるわけがない。しかし、強い当たりが竿を引き絞った。竿を立てたいが樹の枝がじゃまをして立てられない。魚は左右の岩陰に逃げ込もうと必死だ。竿をたたんで手前下流へ引き込んで抜き上げた。Hpp4029820 20センチのイワナだった(写真最上)。この川では大物に数えているサイズだ。サビもなくすばらしい魚体だ。やっと本来の感触と視覚を味わうことができた。帰路、森の中を歩いていると、Hpp4029844細流が凍って氷の塊になって残っていた(写真左)。標高1400メートルの春はまだ遠い。

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2012/03/16

旭が丘写真クラブ展 第22回「 レンズの詩」

会場:清瀬市郷土博物館2Fギャラリー(アクセスはDM参照 ポップアップ可)/会期:2012年3月20日(火)~4月1日(日) 10:00~18:00(初日は13:00~)

HpdmHpdm_2 旭が丘写真クラブは、一昨年の11~12月、清瀬市の委嘱を受け「柳瀬川回廊」という写真展を開催した。これは、同クラブの活動を象徴している。私のブログ「理想的なアマチュアの写真活動」を参照いただきたい。今回の作品点に、私は出展していないが、会期中のギャラリー・トーク(講評会)を担当するHpp3240546_2Hpp3240541

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2012/02/24

森の中の葛藤 八ヶ岳山麓No.135

自然界の厳しさ…人類の過去にもあったことHpp2134930_3

 冬の森は閑散としている。そのため、“住人”のようすがよく見える。生活だけでなく育ちや素性までもわかるのだ。一般に自然環境はたいへん厳しい。冬は特にそうだ。ほとんどの動植物は生きるか死ぬかの瀬戸際で生活している。彼らは厳しい環境に耐えながら、ほかの種や仲間と闘っている。ときには、その勝敗までわかる。私の自然写真のテーマは「沈黙の森から…From the Silent Forest」だが、自然界の厳しさを伝えるのが主旨である。厳冬の森で見つけた自然界の厳しさと葛藤を紹介しよう。

Hpp2137800_2寒気と闘う知恵(写真左) 多くの植物は、氷点下の気温では生活できない。コートを着たり移動できない植物は、種子になったり、葉を落として冬を越す場合が多い。シダなど一部の植物は、冬になるとロゼット状に葉を伏せて寒さに耐えながら越冬する。大気の低温と風から身を守るためだ。そのようすは、人間の挙措のようにも見える。ロゼット状のシダを見ると、必死にふるまう人間のようだ。

Hpp2137866種間競争(写真右) 倒木を見つけた。ひと目、強風か雪の重さで倒れたのかと思った。近寄ってみると、つる植物に引き倒されたのだわかった。Hpp2248476_4胸高直径20センチぐらいの高木のそばに直径数センチのツル性樹木がかぶさっている。おそらく、高木はツル植物が成長するにつれて幹を締め付けられ、何かのきっかけで耐えられなくなったのだろう。今までにもツル植物に締め付けられている大木を何例も観察してきた。森林内ではよくあることだ(写真左参照)。ちなみに葛藤とは、葛(クズ)や藤(フジ)などのツル植物がもつれ合う意からきた言葉だ。

地中での攻防(写真下左) 山道ふさぐように倒れている樹木があった。道路にはみ出した部分は伐採されていたが、根もとから3メートルぐらいはそのままだった。近づいて観察すると、根が数個の岩を抱えている。Hpp2137936_3一般に、樹木の根は自身を支えるために土中へ深く伸び、水を吸収するために水平に広がる。この二方向に根を張って樹木は生きていける。伸びようとする根の周りに岩があると地中深く伸びにくい。それは、幹を支えきれず倒木の要因になる。目の前の樹木も深く根を張れずに倒れたのである。根は地中で岩と闘っているのである。人類もかつてはこのような葛藤を繰り返してきたことを忘れてはなるまい。耐寒や障害の克服(環境への適応)、種間・種内競争(対立と紛争)は、現在も続いていると言えないか。

霜柱のパワー(写真最上右) 地中の水分が毛細管現象で地表にしみ出して凍結するのが霜柱だ。そのとき、地表を覆う土や落葉、落枝などを押し上げる。そのパワーは強大で、大きな岩や倒木まで動かす。鉄道の線路や家の土台までも押し上げる力がある。先日、巨大な霜柱を発見した。高さ30センチ以上、15階建ての高層だ。一日でこれだけ高くなったわけではない。観察によると、霜柱は1日平均2~3センチ高くなり、15日以上続いたようだ。これだけの霜柱を観察したのは初めてだった。霜柱の上には倒木の根が乗っていた。この霜柱で持ち上がったのか、継続して観察していないので不詳だ。しかし、線路を動かすほどのパワーを霜柱はもっている。倒木を浮き上がらせても不思議ではない。いずれにしても厳寒期の森には、凍結の膨張力と重力との大きな対決がある。

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