2016/09/24

西方寺のヒガンバナ 横浜No.92

雨の参道で撮影

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 9月23日は、横浜市港北区新羽の西方寺へ出かけた。西方寺は花の寺である。ほぼ1年中、花の撮影ができる。今は、ヒガンバナの撮りごろだ。おりしも雨天だったが、水滴を生かして撮影できてよかった。なお、当地には白と黄色のヒガンバナもある。使用カメラは、オリンパス スタイラスXZ-2。

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2016/09/20

失われた写真の神秘性…組み写真の時代

【神秘性とは】
 陶芸や染織などは、仕上げてからすぐ鑑賞することはできない。作業終了後、陶芸なら焼きあがるまでに、数時間から数日かかる。染織ならば織って染めて乾かしてみなければ出来ばえはわからない。このように作品を作りを終えても、出来ばえを完全に予測できない芸術分野がある。これを芸術の神秘性と言おう。実際に手を下した後は、「運を天に任せる」という部分だ。絵画や音楽などの芸術も似たようなところがある。
 写真ではどうだろうか? 写真にはいろいろな分野がある。芸術写真もひと昔前には神秘性があった。撮って現像してみなければ、真価はわからなかった。しかし、昨今のデジタル化によって、人間には読めないことはほとんどなくなった。撮影後、仕上がりをすぐ確認できるからだ。結果をすぐフィードバックして作品を修正できる。すなわち、失敗がなく、思いどおりに仕上げられる。作者の実力以上のものはできないが、実力は十分発揮できる。被写体や分野にもよるが、一般的に写真は神秘性を失ったといってよいだろう。それに加えて、スマートフォンやコンパクトカメラでの撮影はイージーで、はじめから神秘性を無視した撮り方だ。写真に対する考え方が即物的であり、刹那的である。被写体を使ってメッセージを伝えるだけの写真である。これはこれで一つの写真観であり、写真普及に貢献している。おそらく、フィルムカメラ(銀塩写真)にこだわる人は、写真のもつ神秘性にあこがれているのではないだろうか。

【単写真と組み写真】
 さて、写真界はあいかわらず単写真(1枚の作品)が主流だ。1枚の写真を見て、良し悪しを判断する傾向がある。フォトコンテストは、ほとんどが単写真で募集され、応募される。また、写真展も単写真で、テーマのない写真展がほとんどだ。特に、グループ展はその傾向が強い。神秘性が低くなった写真において、単写真はどれだけ価値があるだろうか。単写真は、被写体とその撮影条件(天候など)への依存度が高く作者の主張や解釈はほとんどない。もちろん、テーマもない。というよりも、単写真ではテーマを表現しにくい。または、できないだろう。(参照 『写真の読み方』名取洋之助著 岩波新書) あえて言えば、撮影テクニックの優劣ぐらいはわかるだろう。しかし、撮影テクニックは、モチーフやテーマに従うということを忘れてはなるまい。
 単写真で構成された写真展(グループ展など)の会場で、観客からしばしば撮影テクニックや被写体情報、または撮影地情報について聞かれる。作品の中身についての質問は少ない。これでいいのだろうか。これでは、写真は作品として認められていないのではないか。作品とは、作者の内面に関わることだ。作者独自の主張や提案、考察などがテーマになる。Hpimgまた、被写体に対する独自の観察や解釈などがテーマになる。すなわち、独自性とオリジナリティーがテーマになる。私の関わる写真展では、常に、テーマを追求してきた。写真展会場では、しばしば作品のタイトルが話題になる。タイトルはテーマへの入り口であり、好ましい話題だと考える。

【タイトルとテーマ】
 以前、本ブログで紹介したヌービック展(写真右 作品展と同時に制作した写真集)は、いつもテーマを前面に掲げ、それに従って総タイトルとカテゴリー(文章の章や節に相当するもの、)を立て、各作品にも総タイトルとカテゴリーに合わせてタイトルを吟味している(写真下2点 あいさつ文と作品一覧 ポップアップ可)。すなわち、グループ展だが、組み写真として展示している。ヌービック展では、入場者にアンケート調査を実施している(写真下左)。作品についての感想や意見を聞いて、今後の参考にしようというわけだ。それによると、タイトルについての感想や意見が多い。Hpimg_0002_3Hpimg_0001えば、「写真はもとより、タイトルが素晴らしいと思いました」「『俺は刺客ぞな』というタイトルが絶妙です」などの肯定派から、「一覧表のタイトルを見たときは、それぞれ皆良いと思いましたが、実際に作品を見て思ったほどではなかった」といったネガティブな感想もあった。どちらにしても、タイトルは作品の入り口であり、テーマへの入り口でもある。このような感想は、作品展にとって好ましことであろう。「この写真展はタイトル(テーマ)と写真がどのようにマッチングしているかを見るのが楽しみです。Hpp7180142_2タイトルに合わせて写真を撮るのは大変だろうと思います。皆さまの作品にはそのタイトルは光ってきたようです」。この感想には“タイトル≒テーマ”という前提が読み取れる。

【撮影のおもしろさ】
 一方、写真の撮影はたいへんおもしろい。テーマなどがなくても十分楽しめるということは認めざるを得ない。しかし、私は写真の味方として、写真はテーマが必要だと主張したい。すべての芸術は、テーマが問題になるからだ。もし、単写真を楽しむなら、できるだけ神秘性のある被写体や撮り方が必要だろう。フィルムを使うのも一つの手だ。
 また写真には、芸術性とは別の記録性や科学性を追求する分野がある。報道写真や自然科学写真などは、実証的であいまいさを排除した写真だ。神秘性はむしろ邪魔になるだろう。そういう意味から、デジタル写真は、報道、自然(動物や植物、環境など)、科学(天体、考古学など)などの分野に適する。  ところで、デジタル写真には問題もある。画像処理により画像の加工、変形、変換、強調などが容易にできる点だ。これは、シャッターを切った後で写真に手を加えるということで、作画上フェアーでないという意見がある。フィルムにこだわる根拠の一つになっている。しかし、画像処理は写真の神秘性とは相反することはあっても、直接関係はない。機会を改めて考えたいと思う。
 私が主張したいのは、芸術分野では 単写真⇒組み写真 という“流れ”である。そして、テーマが必要だということだ。もちろん、テーマを追求する組み写真でも撮影のおもしろさは変わらない。

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2016/02/03

テーブル・トップ・フォト〔Ⅲ〕 ドイツNo.142

「とむワールド」に学ぶ

〔思いどおりの撮影ができる〕

 日本カメラ社の「写真用語事典」には、「テーブル・トップ・フォト」について次のように解説されている。 ≪日本語では「卓上写真」という。卓上でミニチュアセットを作ったり、童話的な場面を作ったりして、Hpp2040550_edited1ライティングに工夫をこらして撮影する写真のことで、抽象的な写真からトリック写真、商業写真などに利用される。被写体やライティングを手軽に移動できるため、実景を写すよりも表現意図やイメージの再現が容易である≫(要旨) なお、今まで本ブログではテーブルフォトと省略した呼び方をしてきたが、正確にはテーブル・トップ・フォトである。撮影には被写体と背景、ライティングが不可欠だが、テーブル・トップ・フォトの最低限の条件は、主役である主要被写体を自身が準備することである。すなわち、主役の位置や向きを自由に調節できる撮影のことだ。 (写真上 とむワールド・カレンダー2016年 中村都夢 作品集
 テーブル・トップ・フォトの創始者は知らないが、もっとも活用しているのは商業写真家といってよいだろう。いわゆる小物撮影という分野だ。被写体が小さいので、テーブル上にセットを組んで撮影でき、大きなスタジオを使わなくても済む。時計や宝石、カメラ、携帯電話、人形、書籍などは、テーブル・トップ・フォトで十分な撮影が可能だ。商業写真(コマーシャル)では、商品(被写体)の持っている性能や質感を正確に再現することが求められるので、ライティングがキーになる。テーブル上の小さなセットでは、その調節が容易にできる。
 もうひとつ、テーブル・トップ・フォトを活用したファンタジーフォトという分野がある。人形などを撮影したメルヘン写真や模型を撮影したジオラマ写真だ。ここで紹介する作品は、「とむワールド」が制作したカレンダーの一部である。Hpimg_0002「とむワールド」の主宰者・中村都夢氏(1923~1996)は、スタッフと共に作った表情豊かな人形を自然風景の中に配し、メルヘン調のストーリーを展開する手法を開発した。人形に小人(こびと)を使った「小人たちの歌がきこえる」(1~6巻 偕成社)は、イタリア・ボローニアで開催される国際児童図書展で、1982年度のエルバ賞グランプリを受賞した。
 とむワールドの作品は、屋内のスタジオ撮影されたものと、屋外の自然環境の中での撮影と両方ある。どちらも、撮影の規模はいわゆるテーブル・トップ・フォトより少し規模は大きいが、被写体や小道具、背景などを思いどおりに組み立て、自由に調節できるという点では、テーブル・トップ・フォトの参考になる。写真撮影の目的をフィクションとノンフィクションに大別すれば、商業写真はノンフィクション、ファンタジーフォトはフィクションになるだろう。 (写真上 水辺の情景。とむワールド・カレンダー2015年7月)

〔カメラワークと演出がフィクションを実現〕
 ここではメルヘンや童話などのフィクションについての撮り方を解説しよう。とむワールドの昨年のカレンダーから学ぼう。
まずカメラポジションとアングルが大切Hp
 アイレベルやローアングル、ローポジションが被写体に優しいカメラポジションである。そして、観賞者をフィクションの世界へ引き込むことができる。ハイアングル(ハイポジション)は、被写体に対して威圧的なカメラポジションであり、観賞者は被写体と仲よくなりにくい。 (写真左 ローポジション・アイレベル撮影。とむワールド・カレンダー2015年2月)
② 自然なライティングは当然
 屋外で撮影すれば、ほぼ自然なライティングになる。屋内のテーブルトップ撮影では、Hp4img_0010_edited11灯ライティングが基本だが、屋外の空からの光に匹敵する光がないので、日陰にあたるシャドー部にレフ板を当てるとよい。 (写真右 スタジオでの撮影。トップライトのシャドー部をレフ板でフォロー。とむワールド・カレンダー2015年4月
③ 迫真に迫る演技
 舞台装置とカメラポジション(アングル)が決まったら、登場する被写体は演技が欠かせない。Hpimg_0006自然で豊かな表情が大切。人形や昆虫などはできるだけ自然な表情や仕草が必要だ。とむワールドの作品は大いに参考になるだろう。 (写真左 小人たちの遊びは迫真に迫る。とむワール・ドカレンダー2015年10月)
④ 季節感や自然現象を生かす
 観賞者は被写体と共通の体験をすることで、フィクションに入っていけものだ。とむワールドの作品はカレンダーなので、季節感はもっとも重要なモチーフになる。Hpimg_0008それぞれの作品では、季節を楽しむ小人たちに共感できるのではないか。また、雨や風、雪などの天候はだれもが体感できる身近な自然現象だ。それを積極的に撮り込むことで、作品はなじみやすいものになるだろう。 (写真右 雪は冬の象徴。とむワールド・カレンダー2015年1月) 参照:ホームページ『とむワールドへようこそ』

〔ドイツの森の原点を撮ってみたい〕
 私は、好きなドイツの森をイメージしてみようと考えた。カエサルの『ガリア戦記』には、今から2000年以上前のローマ時代のゲルマニア(ほぼ現ドイツ)の森のようすが書かれている。Hp_p2180100_4「ヘルキュニアの森は、南北の距離が、軽装の旅行者で10日もかかるほど長い」(『ガリア戦記』《國原吉之助訳 講談社学術文庫》)と書かれている。ヘルキュニアとは、現ドイツの中南部になるという。すなわち、2000年前のドイツはほぼ全土が深い森におおわれていたということだ。カエサルによると、ゲルマニアの森にはほかの土地では見られないさまざまな動物が生息しているという。前頭部の真ん中に1本の角が生えた牛に似た動物で、角の長さは見慣れている牛の角よりも長く真っ直ぐであると書かれている。Hpp9160306いわゆるユニコーンであろうか。ほかに、象よりやや小さい野牛がいる。力が強く速く走り、狂暴であるという。そんな魑魅魍魎とした森をイメージしたかった。そこで、八ヶ岳山麓の森の中へ、ドイツのオーバーアマガウで買ってきた奇獣を持ち込みいろいろとイメージを膨らませてみた。(写真上左 こもれ日を利用した。同右 秋にキノコのそばに置いて撮影。同下 ホワイトバランスを調節して月光下の森をイメージした)
 気に入った人形やアクセサリー、模型などを、自然の中や自身で作ったミニチュアセットの中に置いて、撮影してみようではないか。デジタルカメラの撮影では、結果がすぐわかるので、フィードバックが簡単だ。

Hpp2185299_3撮影結果を見て、被写体、ライティング、カメラアングルなどをその場で調節すれば思いどおりの写真が撮れる。屋外が苦手な方には、室内の撮影を勧めたい。

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2015/11/18

『色は何を語る』 11月25日 15:00まで

第10回 シャトロー会 写真展

会期:2015年11月19日(木)~11月25日(水) 平日10:00~18:00 土曜11:00~17:00 日曜休館 祭日(23日)10:00~18:00 最終日10:00~15:00
会場:フォトギャラリー キタムラ(DMのポップアップ参照)Hp_dmimg_0001_2_edited1
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 以下に会場のあいさつ文を掲載する。

『色は何を語る』
 写真がモノクロからカラーに替わって数十年が経ちました。しかし、撮影で私たちはどれだけ色を意識しているでしょうか。どんな被写体にも色があり、無意識に写ってしまうので、色がもっている本来の情報を見落としているのではないでしょうか。色は本来、いろいろな情感や状況を表します。暖色/寒色、保護色/威嚇色、純色/中間色などの区分けがあり、あいまいな中間色には、アースカラー、パステルカラー、迷彩色などの名まえを付けて、他と区別しています。一方、顔色、声色、才色、反省の色など、人の表情の変化を色にたとえます。
 カラー写真は、あきらかにモノクロ写真にはない情報をもち、それを伝達しています。そこで、シャトロー会は、色がモチーフ(主役や脇役)になる写真を撮影し、 『人が色に託したこと』『自然からのメッセージ』の二つに分けて展示してみました。私たちが選んだ色をご高覧いただけたら幸いです。
       2015年11月19日   シャトロー会一同

目の進化と色知覚
 私たちは、外界から得られる情報の80パーセントを目(視覚)から得ているといわれる。残りの20パーセントが耳(聴覚)や鼻(嗅覚)や口(味覚)、肌(触覚)を使って得ている。目から入ってくる情報には、明るさ、形、動き、奥行き、色などがあり、いずれも人類が生活するために必要な情報である。生活とは、生きるため、子孫繁栄のためと言い換えてもよいだろう。
 さかのぼって目の進化をたどってみると、まず明るさに対応した。明るさで外界の変化を知った。Hpimg_33201x次ぎに線や形、動きを知覚し、餌なのか天敵なのかを区別できるようになった。奥行きは餌や危険物への距離を知るのに役立つ。原始的な生物や下等動物の目はこのように進化してきたと考えられる。
 人類(霊長類)は、森の中で木の実を探して食べる採集生活になった。そのために、木の実は食べられるか否か、美味しいかまずいか、などを判定できるような目が必要になった。そのために、青、緑、赤の3色に感度をもった目(3錐体型)へと進化した。この3色で、可視光のすべての色を知覚・判別できる。狩猟生活になって、色にたいする知覚はそれほど高度なものを要求しなくなったようだ。むしろ動きに対する感度が求められた。
 しかし、人類文明が高度に発達して、また高度な色の知覚が必要になる。人の表情を読むのに色の知覚が重要になる。上気したり恥ずかしがると顔は赤くなる。また、恐怖を感じたり寒気を感じると顔は青白くなる。高度な人間関係は顔色をうかがうことで成り立つ。野菜や魚が新鮮か腐っているかの判定にも3錐体型色知覚が不可欠だ。いうまでもなく、絵画や写真などの視覚芸術は色による表現は欠かせない。採集生活を支えるための色知覚が、文化としての色知覚へと変わった。現代の人類は、高度な色知覚で情報や情緒を伝達しているのである。

 私は、『人が色に託したこと』のカテゴリーへ2点出品した。 『レインボー (写真下左)はパリの市庁舎前の広場で出会ったシャボン玉の大道芸だ。Hp12p6010446_2シャボン玉は薄膜でできているので、膜の表と裏で反射した白色光が干渉して色光になる。いろいろな色が見えるのは、膜の厚さが変化するからだ。レンズのマルチコーティングと同じ原理である。シャボン玉の魅力は自在に変わる形と色ではないか。 『ミルキーウェイ』 (写真下右)は、横浜MM21のイルミネーションを二重露出したもの。Hp16b_pc080043カメラアングルを調節し、ボケ像を重ねて奥行き感を出した。イルミネーションは、色で人々の気持ちをとらえる典型ではないか。

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2015/11/15

落ち葉から夏を偲ぶ…八ケ岳山麓No.187

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 私は落ち葉が好きだ。枝にぶら下がっている葉よりも落ち葉のほうが、過去が感じられドラマティックだからだ。八ヶ岳山麓の森へ一年中通っていると、自然の移り変わりに敏感になる。特に、春の芽生えから新緑、深緑、紅葉と移り変わる植物の変遷は、生命の循環や世代交代、輪廻転生を感じる。花期に多くの昆虫を集め、夏の強い日差しを受けて光合成で栄養を蓄える姿を見てくると、紅葉した落ち葉に思いを寄せるのは自然なのではないか。この時期は、魅力的な落ち葉を探すのが楽しみだ。(写真右 カミキリの不透明度40%)

季節感とは
 季節感は、写真では良いモチーフだ。特に、日本人は季節には敏感だ。季節感を撮影するには、一つの画面に二つの季節をフレーミングすることがポイントになる。例えば、春の季節感を撮ろうと思ったら冬や夏を、夏の場合なら春や秋を、秋なら夏や冬を、すなわち主役の季節の前後の季節を脇役として画面の中に取り込むのである。前の季節で過去を偲び、後の季節で未来への期待を表現することができる。一年前や一年後を画面に取り込むことでも効果を発揮する。いずれも「時間のモチーフ」(私が提唱する8大モチーフの一つ)に属するHp100pa310489_edited3_edited1_4 Hp60pa310489_edited2_edited1_2被写体は刻々と変わるので、二つの季節を同時に画面に撮り込むのはやさしくない。(写真上左 不透明度100%、同右 不透明度60%) ワンショットではもちろんのこと、多重露出でも二つの季節を画面にまとめることはやさしくはない。そこで私は、秋の落ち葉にパソコン技術で夏を撮り込んでみた落ち葉に昆虫(ゴマダラカミキリ)を重ね合わせて、秋と夏、二つの季節で一つの画面を構成してみたHp50pa310489_edited4_edited1_5Hp30pa310489_edited1_4葉と昆虫を同じ標準濃度にしてしまうとどちらが主役かわからなくなってしまうので、昆虫の濃度を下げ、葉とオーバーラップさせてみた。同時に、昆虫は夏の記憶であり思い出なので、あいまいではっきりしないほうがいい。 (写真上左 不透明度50%、同右 不透明度30%)

気に入った過去のイメージを実現
 この撮影のモチーフとテクニックは、漆畑銑治氏が過去(1980年代)に発表した作品を模倣したものだ。たしか、コダック・フィルムのコマーシャルで、カメラ雑誌の見開きページを埋めていたと記憶している。非常に新鮮に感じたのは、コンピュータが普及する前だったからかもしれない。そのイメージを私もいつが自身で作ってみたいと思っていた。Hp50pb062255_edited5漆畑氏のコマーシャル写真は完璧なできばえだったが、それに引き替え、私のコンピューター技術の稚拙さをご容赦いただきたい。オーバーラップの効果は、カミキリの透過率で決まる。画像処理ソフトのフォトショップでは、不透明度という用語を使っている。掲載した写真は不透明度40%(透過率60%)で処理したもの。参考までに、不透明度100%(透過率0% 切り抜き合成)、不透明度60%(透過率40%)と50%(透過率50%)、30%(透過率70%)も掲載する。どれがもっとも夏を偲ぶ写真になるだろうか? また、サクラの落ち葉にクワガタのメスを組み合わせたものも作ってみた(写真上右) 。こちらは、クワガタの不透明度50%(透過率50%)のオーバーラップである。

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2015/09/29

『朝夕の争い』 5日 16時まで

第9回 プローバー’01 写真展

会期:2015年9月29日(火)~10月5日(月) 初日は13:00~ 最終日は~16:00
会場:かなっくホール ギャラリーB
(アクセスはDM宛名面のポップアップ参照)

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Hpp9291209_edited1Hpp9291203 今回の写真展はプローバー’01創立15周年記念展である。会場のあいさつ文を以下に掲載する (写真上は会場風景、同下左は作品一覧などを収録したプログラム《A4判 4P》。同下右はプローバー’01のメンバーHppa011262_edited1)Hpp9291213_edited1

「朝夕の争い」
 写真の世界では、朝夕がシャッターチャンスだといわれています。朝夕の被写体は、どちらも低い光で照明され、しばしばドラマティックな表情に恵まれます。はたして、写真に最適な時間帯はどちらでしょうか。
 私たちは、3年前「春秋の争い」という写真展を開催しました。これは、四季の変化が顕著な美しい日本で、春秋の優劣を競おうというものです。古来、万葉集や源氏物語でも取り上げられてきたテーマです。この「春秋」を「朝夕」に置き換えてみました。朝夕の優劣は、写真にたずさわる私たちにとっては大いに関心事です。私たちプローバー’01は、朝と夕の味方になっていろいろな風物を撮影してみました。
 作品をとおして、多くの写真家と朝夕の優劣を話し合えたら幸いです。
 2015年9月29日  プローバー’01一同/コーチ:豊田芳州Hpimg_0002

カテゴリーについて
 文章や書籍には章や節、段落がつきものだ。たくさんの情報を伝えるとき、それをいくつかに分けて、論述しないと、読者は混乱して内容を把握できない。章や節にはタイトルがあり、段落には見出しがつく。写真集や写真展にも、この区分けは必要だ。私は、この区分けや分類をカテゴリーと言っている。このたびの『朝夕の争い』展には、このカテゴリーを最大限に利用した。
Hpimg 名取洋之助 著「写真の読み方」(岩波新書)には、いかに写真をわかりやすく読ませるかということが書かれている。おもに報道写真やドキュメンタリーについて解説されているが、写真展や写真集にも触れている。要は、画面の大小と並べ方により、伝えたいことを明確にして読者に見せようということだ。私たちプローバー’01展では、プリントサイズは一定(A3)だが、並べ方では大いに工夫した。
 プローバー’01は、全作品を朝夕二つに分け、さらに、それぞれを三つに分類して色分けして区別した
(図表左上 ポップアップ可 。カテゴリーの色は作品のタイトル札にも反映されている。常にカテゴリーを念頭において作品を見ていただこうと意図したからだ。

Hpp4278306_2 私は、朝と夕に1点ずつ出展した。 「朝」はカタクリの写真『目覚め』だ。カタクリは朝、閉じていた花弁を開きはじめ、日が高くなるほどに全開し、午後は花弁がそり返るほど開き、オシベやメシベを大きく露出する。夕方になると閉じはじめ、夜は完全に閉じる。この現象を1週間以上繰り返す。作品は8時33分に撮影した。
 「夕」に出展した写真は、ドイツ・ランズベルグで撮影した『待降節の楽しみ』だ。11月下旬になると、ドイツのどこの街でもクリスマス・マルクト(市)が建ち、クリスマス(降誕祭)に備えてアドヴェント(待降節)を過ごす。私は5日間ほど滞在したが、毎夕4時ごろになると、人々が三々五々マルクトに集まってくるのを観察した。Hppc135673大人たちはグリュウーワインを飲み、子どもたちはスナックを食べながら、クリスマスを待ち望む。作品は、12月13日、17時2分に撮影。

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2015/09/06

『被写体の特質に迫る』

パナソニック松愛会 横浜写真クラブ写真展
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●会場:横浜市都筑区総合庁舎 1F 区民ホール 横浜市営地下鉄 センター南下車 徒歩6

●期日:98日(火)~913日(日) 10:0016:00

 会場のあいさつ文を以下に記す。

『被写体の特質に迫りたい』
 写真は、人間の目よりシャープ(先鋭)に写るといわれています。高性能なレンズと感光材料(フィルムやCCDなど)のなせる技です。シャープに写らなければ写真とはいえない場合もあります。

 写真は、被写体表面の材質感しか写りません。しかし、シャープに撮ると表面だけでなく内面や特質が見えてくるものです。風景なら歳月や環境、植物なら時の流れや情感、機械なら働きや性能、人間なら人格やキャリアなどを表すことができます。
 パナソニック松愛会 横浜写真クラブは、シャープさと質感にこだわり、被写体の持っている内面や特質に迫ってみました。
ご高覧いただけたら幸いです。 201598日   パナソニック松愛会 横浜写真クラブHpdmimg_0001

以下に会場風景と代表作を3点掲載するHpp9080668_edited1_2Hpp9080719_2

Hp_a3_2『錦 繍』 竹中正州

Hp_dscf9300『力自慢』 作間貞夫

Hp_2『無我夢中』 荻原 肇


エドワード・ウエストンに倣う
 

 写真は、絵画をイージーかつ正確に描くために発明された。カメラオブスキュラが作る像を感光材料で記録するという初期の写真術を見れば、明らかなことだろう。レンズが作る画像は正確な遠近法で構成されているので、これを利用して風景などを撮影した。ネガポジ法(カロタイプ)が発明され、写真は実用的な段階に入ったが、絵画重視の風潮は根強く変わらなかった。いかに、伝統的な絵画に近づけるかが写真家の命題だった。
 エドワード・ウエストン(18861958)という写真家も、青年時代は、絵画調の写真で一流写真家の地位を築いて成功した。スタジオを持ち、ベリートレンズ(ソフトフォーカスレンズ)で人物を柔らかに写して、好評を得たという。しかし、ウエストンはこれに飽きたらなくなった。メキシコ旅行で得た体験から、自身の写真観に疑問を持ったのだ。ちょうどそのころ、絵画は印象派(マネ、モネ、ルノアールなど)やキュービズム(ピカソ、ブラックなど)の新しい画風が興隆しはじめ、お手本とすべき絵画が次々に新しい方向を目ざしているのに、写真が絵画に追従しているのはおかしいと感じたに違いない。写真には、絵画にはできない表現があるはずだと考えるようになった。そこで、ウエストンが注目したのは、写真のもつリアルな再現画像だった。対象をシャープで緻密に再現するレンズと感光材料を生かす表現こそ写真の真髄であると考えた。ウエストンは、被写体の本質を正確に表現するために、クローズアップとパンフォーカスというテクニックに着目した。クローズアップは被写体に近寄ったぶんだけ生々しさが写る。パンフォーカスは視覚を超えた表現力をもつ。ウエストンは、しかも、8×10(六つ切り)の大型カメラで撮影し、密着プリントで観賞するというシャープさを追求した。現在でも、もっともシャープに写真を撮れる機材であり、厳しい観賞条件だ。
 ウエストンの写真論に同調する写真家が集まり「F64」というグループが結成された。この名まえは、大判カメラでもっともシャープに撮れる絞り値F64にちなんで命名された。ちなみに、アンセル・アダムスもこのメンバーだ。ウエストンは、写真のシャープさと質感を重視し、リアリズムを追求した最初の写真家といわれる。(※参考資料:『写真130年史』田中雅夫著 ダヴィット社)
 ウエストンの有名な作品に『ペッパー(No.30)』がある。ピーマンを撮影した作品だが、デフォルメされたピーマンは、奇怪なオブジェのように見える。また、ピーマンと気づかない人もいるのではないか。 (参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Pepper_No._30 

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すなわち、写真は撮り方によって被写体とは別のキャラクターが見えてくる。私もこれにならってピーマンを撮影した。二つのピーマンをいろいろな向きに配列して、関係を作った。ピーマンには、野菜以外のキャラクターがあるように感じたが……。写真上『にらめっこ』 豊田芳州
 

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2014/10/05

第8回 プローバー’01写真展 『五 感』

                         横浜オクトーバーフェスト2014 

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会期:2014年10月7日(火)~13日(月) 10:00~18:00 初日は13:00~ 最終日は~16:00
会場:かなっくホール・ギャラリーA(アクセスはDMの宛名面をご参照ください 
ポップアップ可

 以下に会場のあいさつ文を掲載する
≪写真と「五感」について≫ 写真は視覚芸術です。作品のすべてが視覚を媒体にして成り立っています。一方、人間の日常生活は五感で外界とつながっています。すなわち、5つの入力系(目、耳、鼻、口、肌)をすべて使って生活しています。
 撮影のため被写体を観察するとき、視覚だけを頼りにしていると思うのは錯覚です。残りの四感(聴覚、嗅覚、味覚、触覚)がかなりかかわっています。あるときは被写体を見つけるきっかけになり、また、あるときはモチーフを確固たるものにします。しばしば、聴覚や嗅覚は写真の臨場感を盛り上げます。

 私たちプローバー’01は、五感すべてに着目して撮影しました。視覚以外の四感を感じていただけたら幸いです。 2014年10月7日  プローバー’01一同Hp2014dm_2

写真撮影におけるシズル効果と条件反射
 料理写真の分野に、シズル(sizzle)効果という専門用語がある。日本カメラ社の「写真用語事典」によると、シズルとは、肉や野菜などを煮たり焼いたりする際に出る「ジュージュー」という音の英語版擬声語だという。主に料理や飲みものの写真に使われる用語で、新鮮で、Hppa070673_2おいしそうな写真表現を「シズル効果」が出たという。ジュージューという音以外に、肉や油、煙や湯気などの質感により料理を効果的に見せようという撮影テクニックを意味する。焼肉の写真を撮るとき、ジュージューという音が聞こえてくるように撮ろうというわけだ。

 シズルには、肉が焼ける音(聴覚)以外に、煙や蒸気の匂い(嗅覚)、フライパンの熱気(触覚)などが共存していると推測できる。また、よだれが出てくるようだった味覚も刺激したことになる。Hppa070671_2視覚的な写真に、聴覚や、嗅覚、加えて触覚と味覚を感じさせるように撮影できたら成功だ。それらは、食欲や購買意欲を刺激するからだ。シズルには、人間の過去の体験を呼び覚ます働きがあるといえよう。私は、“パブロフの条件反射”が写真の表現にも重要な役割を演じていると考えている。訓練や経験など後天的につくられた反射(刺激と反応)が写真の観賞にかかわっているのではないか。Hpp6133413生々しいシズルは、以前に体験した五感を呼び覚ますのではないか。ときには、食べるときの家族や仲間との喜びも思い出すだろう。恩師の田村稔先生が、「豊田君、写真は見えるものが写ってあたりまえ、見えないものが撮れて一人前だ」とおっしゃったことを思い出した。写真の画面に記録される情報量は、それほど大きなものではない。写された被写体と状況からイメージが膨らむように撮ることが大切だろう。ちなみに、田村先生は物理学の博士である。

 プローバー’01が『五感』をテーマにして撮影してみたら、聴覚のカテゴリーがもっとも多くなってしまった。当初、展示作品は、五感それぞれを均等に扱いたかった。すなわち展示点数を同じにしたかったのだが、結果は聴覚優位だった。聴覚は撮影のモチーフに重要な意義をもっているということだろうか。

 私は、少ない味覚のカテゴリーを補うために『ドイツのスイーツ』 (写真上左) 『パリのパン屋さん』 (写真下) を出展した。『ドイツのスイーツ』は、ニュルンベルグの菓子店のショーケースを撮ったものだ。Hpp6019387_2自然のシーンをメルヘン調にアレンジしたお菓子は、いかにもドイツらしい着想だと感じた。『パリのパン屋さん』は、パリでランチを買いに入ったパン屋のラックに展示されていた商品に惹かれてシャッターをきったもの。

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2014/09/23

秋の夜空を撮る 八ヶ岳山麓No.167

コンパクトカメラで天体撮影を楽しむ

 八ヶ岳山麓は天体観測のメッカである。野辺山には国立天文台の宇宙電波観測所がある。ほかに、ホテルや民宿などにも私設の天体観測所がたくさんある。八ヶ岳山麓は天空が澄んでいるうえに、天体観測に有害となる町の灯りが少ない。Hpp9204338_2すなわち、空がクリアーに見えるのだ。先日、私もベランダでイージーな天体撮影をしてみた。コンパクトカメラ(オリンパスXZ-2)を、レンズを空に向けてテーブルの上に置き、1分間シャッターを開くだけの撮影だ。1分間とは、オリンパスXZ-2の最長露出時間である。三脚もレリーズも使わなかった。 (写真上は撮影された全画面。写真下はその部分拡大、わずかに天球の動きが観察される)Hpp9204338_4
 まずカメラの設定だ。焦点距離を6ミリ(35ミリ判換算28ミリ)に決め、ピントをマニュアル(MF)で無限遠に調節する。次は露出の調節だ。マニュアル露出モード(M)で絞り値とシャッター速度、ISO感度をいろいろ変えて撮影してみた。その結果、ISO感度800、絞りF2.8、露出時間60秒でほぼ満足できる結果(写真)を得た。

 バルブ(B)で長時間露出すれば、星の移動軌跡を写す星野写真も可能だ。そのときには、ISO感度、絞り値、露出時間(シャッター速度)をいろいろ変えてテスト撮影して適正露出を決める。Hpp9230553天体撮影では、星の明るさと空の明るさが適正にならなければならない。特に、空の明るさが明るすぎず暗すぎず適正になる必要がある。なお、バルブ撮影にはレリーズが必要だ。 (写真右は撮影データを併記した再生画面)

 デジタルカメラでは、撮影結果をその場ですぐフィードバックでき、いくらでも撮り直しができる。ありがたいことだ。それにしても、宇宙にはなんとたくさんの星があるのだろうか。 参照 : 『八ケ岳山麓は宇宙との接点 八ヶ岳山麓No.116』

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2014/09/18

判官びいきでカメラを構える 横浜No.76

西方寺のヒガンバナHpp9180448

 写真は撮影者の被写体に対する位置づけや関係を表すことができる。できるというより、それが表れることが作品の基本条件だろう。Hpp9180534目の前の被写体が好きなのか嫌いなのか、味方なのか敵なのか、どの被写体を立てたいのかなど、を作品に反映させることができる。被写体に批判的な構え方と肯定的な構え方はわかるものだ。まず被写体の選び方から始まり、ポジション、アングル、フレーミング、シャッターチャンス、露出調節などで自身の考え方や立場を画面に具現できる。ここでは詳細については触れないが、撮影テクニックはこのためにあるといってよい。Hpp9180476_2

 私は、基本的には弱者の味方になりたいと願っている。「判官びいき」とでもいおうか、私にかぎらず日本人に共通の精神的な支柱ではないだろうか。ヒガンバナの群落を前にして、Hpp9180457私は、背丈の低い花や、倒れた個体にレンズを向けた。これらの花の味方になり同情したのである。

 現在、横浜市港北区新羽町の西方寺のヒガンバナが撮りごろだ。つぼみもたくさんあり、あと1週間は撮れそうだ。しかし、花が新鮮な今が絶好のシャッターチャンスだろう。Hpp9180484

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