2013/06/03

ドイツ的なブラームスの音楽 ドイツNo.135

ハンブルグ・ブラームス博物館の印象

 ドイツへのフライトは、直行便で約11時間かかる。機内食とビールは楽しみだが、当然、それだけで時間をつぶすわけにはいかない。映画や音楽を計画的に視聴することがポイントになる。Hpp6123115_2私は、往路の機内では撮影の構想を練ることにしているが、そのとき、音楽が重要な役割を果たす。クラシック音楽のメニューを見て、私の趣向に合った曲を選ぶ。 (写真右 ニュルンベルグの城壁)

 2011年、往路便のプログラム(クラシック音楽チャンネル)で私が注目したのは以下のとおりだ。J.S.バッハの「無伴奏バイオリンのためのパルティータ」、モーツァルトの「ピアノ協奏曲No.20」「同No.22」「同No.25」「同No.27」、ベートーベンの「弦楽四重奏曲作品18」「同作品127」、Hpp6075737ブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲」と「ピアノ協奏曲第2番」などだ。いずれもドイツにかかわる名曲である。ドイツの風土と精神を感じとり、撮影のスキーマを作るためにブラームスを選んだ。重厚で深淵、抽象化されたブラームスの音楽は、私の作風に参考になるのだ。 (写真上左 ドイツのメカニズム<ヴァッサーブルグ市博物館蔵>)

 ヨハネス・ブラームス(1833~1897年)は、J.S.バッハ(1685~1750年)、ベートーベン(1770~1827年)と並ぶドイツの“3大B”の一人である。だれがもっともドイツ的かと聞かれたら、私は、ブラームスを最右翼に挙げたい。Hpp60942133人のいずれもが身震いを感じるほどにドイツ的だと思うが、バッハはひと言で評すれば宗教的な敬虔さが持ち味だと思う。ベートーベンはドイツ的というより世界的ではないか。バッハもベートーベンもユニバーサル(universal)なのである。一方、ブラームスは重厚、荘重、地味で渋く沈潜的である。ドイツの自然(シュバルツバルトなど)や町並み、芸術や学問、建築、思想、文学などと重なる部分が多いと思う。また、ドイツ人の心底にあるメランコリーも豊かに表現されている。以上は、概念的でやや誇張した評価であることを断っておく。

 ブラームスとほぼ同時代に活躍したW.R.ワグナー(1813~1883年)も、ドイツ的な音楽家とされている。代表作・楽劇「ニーベルングの指輪4部作」は、ゲルマン民族の精神的遺産を謳いあげた大作である。Hpp6094218Hpp6094219国粋主義者だったヒトラーが心酔するほどの音楽だったことからも、ワグナーはもっともドイツ的な音楽家であることはまちがいない。ワグナーの代表作は、歌劇や楽劇である。すなわちタイトル(標題)があり、歌詞とセリフが伴う標題音楽である。一方ブラームスの代表作は、4つの交響曲や2つのピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲、多くの室内楽などで、タイトルは付いていない。もちろん、例外もある。「ドイツ・レクイエム」「大学祝典序曲」「悲劇的序曲」などの管弦楽曲や歌曲には標題が付いている。Hpp6094289「ハイドンの主題による変奏曲」や「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」は形式名で標題ではない。ブラームスは絶対音楽の分野で活動したと言ってよいだろう。私は、絶対音楽が好みだ。タイトルと歌詞に左右されない音とリズムだけの音楽を志向している。そこで、ブラームスがもっともドイツ的だと言ってしまった。 (写真上左2点 ブラームス博物館。同上右 ブラームス博物館のあるペーター通り)

 2011年の往路の機内では、ブラームスのピアノ協奏曲No.2(op.83)をじっくり聴いて構想を練った。Hpp6094265この曲はブラームス渾身の大作である。通常、協奏曲は3楽章構成であるが、本曲は4楽章構成だ。もしかしたら、4楽章の交響曲を作曲しようとして楽想を練り、途中で協奏曲へ鞍替えしたのではないか? それぐらい勇壮でスケールの大きい曲である。作曲時期は、交響曲No.2とNo.3の間なので、もっとも充実した活動時期に作曲されたことになる。当時、機内でこの曲を聴きながら、取材地であるヴァッサーブルグとニュルンベルグでいかにドイツ風の写真を撮ろうかと考えた。 (写真左 ペーター通りに建つ18世紀の建築)

 昨夏、ハンブルグを訪れたとき、ブラームス博物館(BRAHMS MUSEUM)へ出かけた。ブラームスはハンブルグ生まれの作曲家だ。楽しみにして立ち寄ったのだが、あいにく日曜日で休館だった。Hpp6094210_3隣りのテレマン博物館だけを見学して帰ってきた。ブラームス博物館やテレマン博物館のあるペーター通りには18世紀のハンブルグの町並みが再現されている(写真上左)。建築は立派なファサードをもつ6階建てだ。そこに身を置くと前後からファサードが覆いかぶさってきて圧倒される。その緊張感はブラームスの音楽のように渋く勇壮だった。ペーター通りはブラームスの生誕地ではないし、ブラームスとのかかわりはわからないが、ブラームス博物館を取り巻く環境としてふさわしい雰囲気だと思った。

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2013/03/12

ファサードを競い合う ドイツNo.132

第45回 まちだ写好会 春の写真展

 西洋建築の正面をファサード(フランス語)という。ドイツやフランスなどヨーロッパの建築では、家格や家風を示すためにファサードを飾りたてる。日本では“うだつ”(梲)に相当するだろうか。Hp6130137ファサードを飾ることは、“うだつを上げる”ことに匹敵するかもしれない。ドイツ南部・バイエルン州にランズフート(Landshut)という町がある(参照世界最古の醸造所製ビールを飲む ドイツNo.43ラートハウスは町の顔 ドイツNo.63)。初めて旧市街を訪れたとき、まず、市庁舎のファサードが立派なのに驚いた。次に、1本裏側のメインストリートに並ぶ建築群のファサードには圧倒された。それぞれの建築がファサードを競い合っているのだ。見栄を張っているようにも見えるが、その形には威厳のようなものを感じる。一つの芸術作品のようでもある。ドイツの栄光と誇りと解釈してじっくりと撮影した。その一枚を『張り合い』 (写真上左)と題して、まちだ写好会展・自由作品の部に展示する。写真展の要項は以下のとおり。

●会期:2013年3月13日(水)~3月18日(月) 9:30~16:30 13日は13:00から 18日は15:00まで ●町田市フォトサロン(薬師池公園内 アクセスはDMをご参照ください。ポップアップ可Hpdm_0005

 まちだ写好会は、町田市を代表する写真クラブのひとつである。春秋2回の写真展、月2回の例会、有志による撮影会が月に2~3回開催されている。私の知る範囲では、もっとも活発に活動するクラブと言えよう。春の写真展は、自由作品と課題作品の2部構成だ。自由作品は8つのカテゴリーに分けて展示される。ひとり2点の作品すべて(59点)を、テーブルに並べて分類し、それぞれに次のカテゴリータイトルを付けた。幻視/神秘の身構え/興奮/安らか/幸せの刻/饗宴/移ろい/曲想を練る の8つだ。観客には鑑賞しやすい配慮だと思う。Hpdm_0006第45回展の課題は『路地』である。ひとり1点、計30点が展示される。課題作品のあいさつ文を以下に掲載しよう。


「路地」に素顔を見つける
 路地とは、密集した家屋の間にある狭い道のことです。洋の東西を問わず、路地は、人々の生活の場として息づいています。表通りのよそいきの顔とは違い、人々や生活の素顔があります。私たち「まちだ写好会」は、その素顔に迫ろうとカメラを路地へ持ち込みました。路地は、井戸端会議の場だったり、子どもの遊び場だったり、赤提灯やネオンがまたたいたり、近道だったり、くつろぎの場だったり、いろいろでした。私たちが発見した町の素顔をご鑑賞ください。  2013年3月13日  まちだ写好会 一同


自由作品(写真下左)と課題作品(同下右)の検討会
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会場風景(写真下左)と荒川豊講師の作品講評(同下右)
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2013/02/06

日本とは違う被写体に関心がある ドイツNo.130

写真をたくさん撮れる喜びHpp6052804

 昨夏のドイツ取材では6000カット以上(JPEG 31.7G)の写真を撮った。1日平均500カット弱撮影している勘定だ。フィルムに換算すると1日平均13本(36枚撮り)になる。材料費がカット数に比例するフィルムだったら、こんなにたくさんは撮らなかったろう。コンパクトカメラ・オリンパスXZ-1を主に、一眼レフ、ほか2台のコンパクトカメラ(計4台)を常に首や肩から下げて行動した。たくさんのモチーフがあるうえに、一つのモチーフが湧くと悔いがなくなるまでシャッターをきるので、このような結果になった。こんな贅沢ができるのはデジタルカメラのおかげだ。 写真上右 ●修繕中の木組みの家。ドイツでは古い建築を大切にしている(ツェレ)

『写真は沢山撮らなければならぬ』
 
土門拳著『写真の作法』(ダヴィッド社刊)の中に『写真は沢山撮らなければならぬ』という一文が収められている。私は、写真専門学校の教壇でこの文章を紹介して、プロカメラマンの撮影の心構えを指導した。「なぜそんなに沢山撮るのか」という部分の要旨を私なりにまとめると、①まず、プロカメラマンは失敗できないのでたくさん撮る。②次に、グレードアップするためにたくさん撮る。③最後に、撮影に夢中になり陶酔してたくさん撮る、ということになる。②③について土門券氏(以下敬称略)は、次のように書いている。「ぼくは、うまくいかなくても撮るし、うまくいっていても撮る。一度シャッターを切りはじめたらトコトンまで撮らずにいられなくなる。撮ることによって精神の充足を感じ、生理的な快感を覚えてくる」。この後、アマチュアへ次のようにアドヴァイスしている。「一つのモチーフを何枚も何枚も撮れば、一枚ぐらいましなものができるのは当然である。プロはただその当然を実行しているだけなのである。そしてまた、アマチュア諸君もいい写真を撮りたいとおもうならぼくたちプロに負けないように沢山撮らなければならない」。 写真下左から、●マルクトの犬 ●ガラスの色分別ゴミ箱 ●アスパラの皮むきマシン●マルクトの八百屋、アーティチョークはドイツではポピュラーだ
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恵まれた撮影環境

 私が初めてこの文を読んだとき、共感はしたが実行はできないと思った。まして、ほとんどの学生にとっては不可能だろう。フィルム代にそんなにお金をかけられないからだ。しかし、現在のデジタル時代になってそれが可能になった。現在の写真環境はたいへん恵まれているといえよう。シャッターをきるのが楽しくなれば、当然、気に入った写真が撮れると思う。いうまでもなく、土門拳は写真を撮ることが大好きだったのだ。土門拳がデジタルカメラを持ったら何というだろうか。 写真下左から、●ドイツの花(オダマキの仲間?) ●大道芸 ●バス停と視覚障害者用ブロック ●トルコ人の結婚パーティー Hpp6096040
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たくさん撮ると見えてくるものがある

 よく学生に聞かれたものだ。「先生、ここでは何ミリぐらいがいいですか?」「先生、この被写体にはタテ位置ですか? ヨコ位置ですか?」と、撮りはじめる前に聞いてくる。彼らはフィルムを節約するために失敗したくないのである。私の答えに従えば、無難な写真は撮れるかもしれない。しかし、生き生きしたおもしろい写真は撮れないだろう。撮影というのは、頭脳が撮影モードにならないとイメージやテクニックが見えてこないのである。ファインダーをのぞき、カメラを操作し、シャッターをきることで、いろいろな撮り方が見えてくるものだ。場合によっては、別のモチーフも浮かんでくる。そのときに生まれる撮り方に価値があるのだ。写真は、撮りはじめなければ始まらない。たくさんシャッターをきることは十分意義があると思う。土門拳はこのことを言いたかったのではないか。しかし一方で、土門拳はマルチン・ムンカッチの例を挙げて「一枚、ドンピシャ、それこそが理想だと思った」と書いている。マルチン・ムンカッチについてのエピソードは『写真の作法』を読んでほしい。 写真下左から、●郵便ポスト、ドイツでもめったに見ないクラシックなデザイン ●病院の庭にいるウサギ ●買い物かご。マルクトではレジ袋は使わない ●自転車横断のマナHpp6057150_3Hpp6073281Hpp6062937Hpp6094547

失敗がなくなる!!

 土門拳が活躍したフィルム時代とは違い、現在は撮影直後に再生画像で仕上がりを点検できる。私は、失敗がすぐわかるのでたくさん撮りたくなる。逆に成功したら、おもしろくなってますます撮りたくなる。仕上がりがすぐわかるデジタルカメラは、かえってたくさん撮りたくなるのだ。自身のモチーフやイメージどおりになるまで撮り続けられるからだ。シャッターチャンスのある被写体は別として、デジカメに失敗はないはずである。 写真下左から、●マルクトのカラフルな野菜と果実 ●ドイツにも落書きがある(ツェレの墓地にて)Hpp6116233_5Hpp6073269

ドイツのすべてに興味がある

 私は、「ドイツからの風」と題して、日本とは違ったドイツの風物をレポートしたいと思っている。そのためには、名所旧跡や文化財だけでなく、駅やゴミ箱、郵便ポスト、公共トイレ、落書き、自転車、犬、食品、店頭、結婚式、大道芸、自然など、かぎりなく被写体があり、多様なモチーフが浮かぶ。その結果、たくさんシャッターをきってしまう。しかし、これはドイツ取材の大きな喜びである。

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2013/01/06

メルヘン調のウエルツェン駅 ドイツNo.128

15分の乗り換え時間に撮影フォトアルバムHpp6083877_2

 ドイツでの列車の旅では、乗り継ぎはあまり歓迎しない。今までに何回か失敗しているからだ。少ない時間に重い荷物を運びながら階段の上り下りはつらい。列車が遅れることもある。あわてて列車をまちがえたこともあった。列車の乗り換えは緊張する。

 昨夏、ツェレからハンブルグへ戻る途中、ウエルツェン(Uelzen)という駅で乗り継いだ。列車を待ちながら駅舎を見ると何か雰囲気が違うのに気づいた。とりあえず向かいのプラットホームと駅舎を撮影した(写真上右)。すHpp6083890ると、前列車から同席してきたドイツ人のトーマス氏が、ウエルツェン駅の由来を説明してくれた。駅舎と構内はフンデルトヴァッサー(Hundertwasser)という芸術家の設計・デザインだという。彼は、Hpp6083885_2私が写真家であるなら撮影したほうがよいとアドヴァイスしてくれた。(写真上左 駅コンコース。写真右 駅コンコース)

 いつものように、乗り継ぎは次の列車に乗車するまで不安だ。乗り継ぎ時間は正味30分あったが、アドヴァイスされたときから列車が出発するまでに約15分しか残っていない。私は家内に荷物を預け、勇気を出してプラットホームの階段を駆け下りた。そのときに撮影したウエルツェン駅構内の写真を紹介する。駅舎にこれほどのアートやファンタジーが取り入れられているのは珍しいのではないか。フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(1928年~2000年)についてはHpp6083900Hpp6083903 Wikipedia を参照してほしい。彼は、日本の建築や施設にも関係しているようだ。(写真上左 エレベーターの出入り口。写真上右 ホームへの階段)

 なお、私はドイツのどこの駅にも関心がある。特に小さな駅が好きだ。途中下車して駅舎や生活、人情などを撮影してみたい。(写真下左 ウエルツェン周辺地図ポップアップ可。写真下右 コンコース内のモニュメント)Hpp1069115_2Hpp6083893

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2012/12/10

鎌倉再発見

質感描写は写真の本質

 12月7日、シャトロー会の有志と鎌倉へ撮影に出かけた。メンバーには、いつものように当日の目標(テーマ)を伝えた。何回も撮影にきた鎌倉なので、今までと違った写真を撮るために、「鎌倉再発見」とした。特に、新鮮なカメラポジションを探し、フレーミングを工夫しようとアドヴァイスした。Hp_pc078516好天の撮影日和だったので、光を生かした撮影テクニックを駆使できた。私は、円覚寺と建長寺、それぞれの門に被写体を絞った。1783年に再建された円覚寺山門には無常観で接した。1775年再建の建長寺三門では、現在まで230年余、重い門を支えてきた土台の役割に感情移入して、質感描写に専念した。

 質感とは被写体表面の材質感のことで、質感描写は写真の再現力(記録性)や表現力にとってもっとも重要なテクニックである。どんな分野の写真にとっても質感描写は基本であり、“真を写す”写真にとっては欠かせない条件だ。克明な質感描写は、しばしば、被写体の表面だけでなく内面や本質までも感じさせるといわれる。質感描写だけでも見ごたえのある写真ができるので、私は自身が提唱する8大モチーフの一つに数えている。

 質感描写は、レンズと記録メディア(フィルムやCCD、C-MOSなど)がもつシャープさ性能(十分な画素数〈解像力〉と適正なコントラスト)で支えられている。写真機材の開発の目標は、より高い質感描写のためにあるといっても過言ではない。それに加えて、被写体を照明するライティングが適正であることがポイントだ。7日は好天で、直射光が斜めから建長寺三門の土台を照らし、絶好の“質感描写デー”だった。

『対 話』(写真上 円覚寺山門

『光 陰』 (下左 円覚寺山門) 『流 転』Hppc076387Hppc078493_2 (下右 円覚寺山門)

『苦 節』 (下左 建長寺三門) 『重 圧』 (下右 建長寺三門)Hp_pc078546_2Hp_pc078601

『忍 耐』 (下左 建長寺三門) 『無 残』 (下右 建長寺三門)Hppc078532_3Hp_pc078579_2

『不 滅』 (下 建長寺三門)Hp_pc078556  

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2012/10/17

なつかしいタイムトラベル

小江戸・栃木…フォトレポートHp_pa065696

 小京都とか小江戸をキャッチフレーズにする町がある。西のほうでは「小京都」(しょうきょうと)、東では「小江戸」(こえど)と言われる場合が多い。どちらも町の宣伝文句になっている。京都や江戸の町並みと情緒に人気があるのだろう。どれぐらい京都らしいのか、江戸らしいのか、期待して訪れると納得できる場合もあれば、がっかりする場合もある。それは、訪問者の期待度によって変わるだろう。一方で、京都や江戸について、私たちはどんなイメージを持っているのだろうか。かなり漠然としているうえに、個人差も大きい。それが期待の差 になって表れるのである。いずれにしても、私たちは古い町並みのタイムトラベルが好きなのではないか。

 10月6日、ヌービック・フォト・フレンズ 5の撮影会で栃木市へ出かけた。栃木市は、「小江戸」のほかに「蔵の街」も売り物にしている。蔵の街もいろいろなところで町の肩書になっている。Hp_2なぜ、我々は蔵造りの建築にロマンを感じるのだろうか。蔵には「蔵が建つ」というたとえがあるように富と成功の象徴であるからか? 頑丈な人を寄せ付けない構造に家屋の夢を感じるのか? 小江戸・栃木は、けっこう楽しめた。栃木の人々が親切で外交的だからだ。その象徴が「お蔵のお人形さん巡り」というイベントだ。市内56か所の店舗などで、それぞれが自慢のひな人形を展示公開し、訪問客に親切に応対してくれた。撮影で、私は、「人情」と「歳月」を意識した。すなわち、「なつかしさ」をモチーフにした。

 私は、栃木の町造りをドイツと比較してみた。江戸時代の栃木の規模はドイツの小都市と同じぐらいだろう。おそらく、生活圏は歩行可能範囲で、コミュニティーにはちょうどよい大きさだったのではないか。ドイツほどはっきりしていないが、旧市街と新市街があり、水運がある。ドイツの町を歩くつもりで栃木を散策した。

写真上 栃木は水運のある町だった。市内を流れる巴波川は栃木と江戸を結ぶ水運に利用されていたという(写真上右マップ参照 ポップアップ可 。ドイツでもほとんどの町に水運がある。今夏、訪れたハンブルグやリューベック、ツェレにも川や運河があった。

写真下2点 左●リューベック 周囲を川と運河で囲まれた町 右●ツェレ 現在は観光とレジャー用の運河だが、かつては輸送に使われていたと思われるHp_p6026554Hp_p6073368_2

写真下3点 ●万年筆病院 万年筆が筆記具の主役だった時代があった。入学祝いのプレゼントに万年筆をもらったことがある 瀬戸物屋 私は昔、こう呼んだものだ のれんのある交番。昔は実在したのだろうかHp_pa065761_2Hp_pa066008Hp_pa066006






写真下3点 左●エキゾチックなカフェ 中●タイムトンネル カーブミラーが入口だ 右●旧市役所庁舎の扉 建築は現市庁舎の別館として使われているHp_pa065663Hp_pa065826Hp_pa065800

写真下2点 左●お稲荷さん 駐車場の片隅にひっそりたたずむが、正一位の稲荷神社。 右●古道具屋の釜Hp_pa065844_2Hp_pa065755













写真下2点●栃木病院 大正2年建造の西洋館Hp_pa065866_2Hp_pa065977

写真下2点 左●蔵の内部 蔵を展示場にした家具屋の中で 右●ひな人形 「お蔵のお人形さん巡り」というイベントが11月4日まで開催されている。市内56か所の店舗などで、それぞれが自慢の人形を展示公開しているHp_pa065682Hp_pa065934

写真下 ●オクトーバーフェスト 栃木駅前にテントを張りドイツビール祭りを開催。本場の「ヴァイツェン」を楽しんだHp_pa065972

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2012/07/17

リューベックのホルステン門 ドイツNo.121

ハンザ同盟の守護神Hpp6036704

 13世紀から17世紀にかけて、北ドイツの商業都市が自衛のために結んだ都市連合体がハンザ同盟である。リューベックがハンザ同盟の盟主になったいきさつは、「ドイツ史」(木村靖二 編 山川出版社)を参考にする。同書によると、「……。中世都市の最大の特色は、この自治にある。ドイツでは、司教や領邦君主から自治権を得た都市は、帝国自由都市と呼ばれ、従うのは皇帝の権威だけとされた。とくにリューベック、アウクスブルグ、ニュルンベルグなどの大都市は独自の裁判権、戦争と講和の権利を実行し……」とある。リューベックは中世以来、交易による富を蓄積し自治権を獲得してきたのである。Hpp6015902また同書には、「ケルンの商人がロンドンで1157年ギルドホールをつくることを認められたのが始まりで、これが都市同盟に発展したのがハンザ同盟である。中心となったのはヴィスビイやリューベックである」とある。13世紀のバルト海は、国際的交易でにぎわっていた。ドイツ人商人は毛織物、塩、ワイン、海産物、琥珀、毛皮などを各地へ運んで利益を得たようである。Hpp6015584ドイツ北部のザクセン諸都市は、商人の身の安全と商品を守るために1265年連合をつくり、ヴェストファーレン・ライン諸都市と合体してハンザ同盟を完成させた。そこではリューベックの法律が基準となり、100を超える都市が加盟し、1357年、リューベックにハンザ同盟の本部が置かれたという。ちなみに、ハンザとは、中世ドイツ語でギルド(同業者組合)とか仲間という意味で、もともとは商人仲間の互助会だそうだ。 (写真上左 旧市街のペトリ教会から見たホルステン門)

 ホルステン門が建造されたのは1466~1478年とされる。ハンザ同盟の最盛期とほぼ一致する。ホルステン門はリューベックのシンボルとして有名だが、ハンザ同盟の守護神としての風格を保っていると感じた。リューベックの市庁舎(Rathaus)を訪れてみた。マルクト広場(写真上右)では、ちょうど環境問題のイヴェント(Wissenschaftssommer2012)を開催していた。Hpp6036780それを見て、今でもリューベックにはハンザ同盟の精神がみなぎっているように思った。リューベックがハンザ同盟の本部なら、多くの加盟都市の代表がこのマルクト広場を訪れたにちがいない。ところで、ハンザ同盟は、現在のドイツの地方分権制やEU結成の発想と似ているのではないか。ドイツ人の心底には、互いに他の主張を認めながらも対外的には一致団結しようという精神が流れているのではないだろうか。

Hpp6016101 ホルステン門の内部は博物館になっている。そこに、過去のリューベックの復元模型が展示されていた。驚いたことに、ホルステン門の外側には堅固な砦が築かれていた(写真上右)。現在のホルステン門からは想像もできない備えである。ハンザ同盟で築いた莫大な富を守るためであったのだろう。 (写真左 夕日に染まるホルステン門)

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2012/02/14

大倉山エルムフォトクラブ写真展

                   第6回横浜写心倶楽部写真展紹介

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 ギリシャのアテネに「エルム通り」というエリアがあるそうだ。東急東横線の大倉山駅西側のエルム通りは、そこと姉妹提携して命名されたショッピングストリートだ。大倉山のエルム通りについては、東横線沿線街角散歩(ホームページ)『大倉山エルム通り』に詳しい。その一角に「たくぼカメラ」というフォトショップ&スタジオがあり、「大倉山エルムフォトクラブ」の事務局が置かれている。大倉山エルムフォトクラブのメンバーは、櫻井始氏の指導のもと、かなりの実力をもっている。今回は第17回目で、全紙を中心に約50点が展示される。会場は、やはりギリシャ風建築で有名な大倉山記念館のギャラリーだ。横浜市と神奈川新聞社の後援、港北観光協会の協賛で開催される。

 ギャラリーの近く、大倉山公園は梅の名所だ。今年は開花が遅れている。しかし、梅は咲き始めがシャッターチャンスなので、15日公園を訪れて撮影した(写真下)。18日(土)~19日(日)には「観梅会」が催される。観梅を兼ねて写真展を鑑賞するのはいかがだろうか。

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会場:大倉山記念館ギャラリー/会期:2月14日(火)~20日(月) 10:00~17:00(初日は13:00~)Hp12p2158093_3Hpp2158140

 私も1点出品させていだいた。ドイツ・ミュンヘンで撮影した「ドイツの沽券」という作品だ。ドイツの建築はファサード(建築の前面)を飾り大きく見せ、ときには他と競い合う。私は、多くのファサードを眺めてドイツ人の沽券といったものを感じてきた。「沽券」は「体面」と言い換えてもよい。Hpp6157188_2 ファサードでは一種の自己表現をしていると思う。クラシック音楽が好きな私にとって、この建築のファサードにはバッハやベートーベン、ブラームスなどドイツの3Bだけでなく、ワグナーの世界も感じるのである。いかにも重厚、深長でドイツ的な雰囲気を感じて撮影した。 【撮影データ】 オリンパスXZ-1 ズイコーデジタル6~24ミリF1.8~2.5(13ミリで撮影 35ミリ判換算60ミリ) 絞りF5 オート(1/1250秒) -0.3EV ISO125 WB晴天

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2012/01/24

聖ミヒャエル教会のファサード ドイツNo.112

                テーマについてのアドバイス

工事中のまごころ、几帳面、潔癖

Hpp6147000_2 ドイツのほとんどの町は、旧市街を大切に守っている。旧市街とは、市庁舎と教会、マルクト広場を核として中世以来形成されてきた町の中心部である。第2次世界大戦で被災し破壊された旧市街でも、絵画や図版、写真などを参考にして中世以来の町並みを復活、再現している。そこには、我が町を大切にする執念を感じる。けっして生半可ではない。それだけこだわっているので、工事現場でもすきを見せたくないにちがいない。工事中の建築をおおうホロにもそれが表れている。Hppc104691_3

 昨夏、ミュンヘンの目抜き通り、ノイハウザー通りにある聖ミヒャエル教会が工事中だった。その壁面を覆うホロには、教会のファサードが精巧に描かれていた(写真上左)。そこで、どれだけ本気で描いたのか調べるため、以前撮影した実物のファサードと比較してみた(写真右)。カメラポジションやレンズの画角、天候など2点の撮影条件が違うので、厳密な比較にはならないが、要点はわかるだろう。ホロには、順光トップライト下のファサードが描かれている。

 ドイツでも建築や施設の修繕、補修、リフォームは欠かせない。工事中は景観が変わってしまうのはやむをえないだろう。そのとき、Hppc173187_2観光客など多くの人々へできるだけ本来の姿を伝えたいというドイツ人のまごころを感じる。また、それを支える几帳面と潔癖さを察することもできる。根幹には、Hpp6044555自身の住んでいる町、ひいては国を守りたいという精神が流れているのである。

 聖ミヒャエル教会は、1583~97年にミヒャエル5世によって建立された。そのファサードは、宗教的、歴史的にも注目すべき価値があるという。私は、2006年12月、クリスマスのアドベント時期にミュンヘンを訪れ、聖ミヒャエル教会でミサを見学した。そのときの体験は、今も忘れられない。昨夏は工事中のため聖堂は見学できなかった。しかし、1階(半地下)の礼拝堂は開いていたので、キリスト受難と復活の場面を再現した一連の彫刻を撮影させていただいた。Hpp6044546 (写真上左 聖ミヒャエル教会聖堂内部(2006年12月)。写真左 1階礼拝堂の「復活」を表す模型。写真上右 「復活」を表す彫刻)

参照:「工事現場のホロに描かれた絵 ドイツNo.50」 「町の美しさを探る ドイツNo.78」

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2011/11/23

ヴァッサーブルグの表玄関 ドイツNo.110

ブルック門と日時計

 ヴァッサーブルグ(Wasserburg am Inn)の旧市街は、三方がイン川に囲まれた半島のような形をしているHpp6054942_4(写真下左マップ参照)。旧市街へ入るには二つのルートがある。一つは、半島の付け根にある陸続きの道、もう一つは、イン川にかかるイン橋を渡ってブルック門(写真上)から入る道である。ブルック門(Brucktor)はヴァッサーブルグの顔であり、正門の役割を果たしている。しかし、敵が攻めてきたら門を堅く閉じるか、Hp_3橋を破壊しなければならないだろう。周囲は川なので、いざというとき戦力をブルック門と陸続きの狭い道に集中できるメリットはある。 参照: 『ヴァッサーブルグの第一印象 ドイツNo.98』 (左マップの下部にイン川を渡るイン橋がある)

 ブルック門は1374年、正門としてに造られたと公式記録にある。その後、何回も再建されたようだ。1568年ごろから前面の壁画が描かれたという(写真下右)。ブルック門は一つの館である。壁画には、左右両端に甲冑を身にまとった二人のババリア(バイエルン)風護衛兵が描かれ、中央には花瓶に入ったユリとワシに乗ったジュピターが描かれている。Hpp6054991すなわち護衛兵は門番の役割を果たしている。その上には、普通の時計と日時計が設置されている(写真下左)。門に日時計があるのは、ゲンゲンバッハの上門塔(Obertortrum)と同じだ。日時計と現代の時計の時刻を比較すると、だいぶずれがある。撮影時は、現代の時計が午後3時53分ごろを指しているのに対して、日時計は午後2時50分ごろを指し示していた。約1時間のずれがある。これは、当日が夏至に近い日照だからだろう。おそらく日時計は、春分や秋分に合わせて作られているのでないか。

Hpfp6054988 夏、日照時間が延びるにつれて日時計は絶対時刻(現代時計の時刻)より午前中は進み、午後は遅れる。しかし。このずれは人間の生活リズムに合っているかもしれない。日照時間が長くなったらそれに合わせて日中の仕事時間が長くなるのは自然ではないか。これはサマータイムに相当する。 しかし、現代のサマータイムとは違い、日中の時間は延び夜の時間は短縮する。逆に、冬は日時計は絶対時刻より午前は遅れ、午後は進むので、日中の生活時間は短くなり、夜の時間は長くなる。これはウインタータイムであろう。すなわち、太陽の日照に合わせて仕事をするのである。照明器具がそれほど発達していない時代には合理的ではないか。中世の人々はこのようなリズムで生活していたのだろう。Hpp6055000私は、このようなサマータイムやウインタータイムが現代にもあってもよいと思う。ヨーロッパがサマータイムを導入している背景には日時計の普及があったかもしれない。 参照: 『日時計で暮らしてみたい ドイツNo.83』 (写真上右 ブルック門の歩道、写真下 ホテルの窓から見たイン川とイン橋)Hpp6092431_3

Hpp6065422Hpp6065402 ブルック門下のイン橋の橋桁には、過去のイン川の水位が記録されている(写真左)。三方を川に囲まれていれば洪水の危険がある。かつては水が川からあふれて洪水の危機に直面したはずだ。それを教訓として残すために水位を記録したのだろう。古くは1666年、最近では2005年に達した水位が記録されていた。

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