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2012/11/14

屋外の食卓にこだわる ドイツNo.126

風雨や寒さにめげないHpp6044745

 ドイツの町を歩くと、レストランやカフェが歩道や広場に食卓を並べて営業しているのが目につく。私たち日本人には、通行妨害や交通違反ではないかと思われる状況もある。もちろん、使用許可を得ているのであろう。当局の柔軟性も感じる。一方、レストランやカフェへ入り、屋外が満席だと、Hpp6073514_2店員は申しわけなさそうに「室内なら席はありますよ、どうしますか」と聞かれる。レストランやカフェの食卓は屋外から埋まっていくのである。外の席は人気が高いのだ。(写真上右 ミュンヘンのヴィクトエーリエン・マルクトの午後。写真左 ツェレのゼルナー通りの午後)

 多少の風雨でもこの傾向は変わらない。ニュルンベルグとリューベックで、カップル用の屋根付きロマンスシートを見つけた(写真下2点)。雨や風を避けるために室内に入るのではなく、屋外で過ごす選択肢があるのだ。さらにドイツ人は、氷点下の気温でも屋外を好むときがある。Hpp5315478Hpp6106527厳冬の2月、のシュツットガルト・ケーニッヒ通りのレストランでは、防寒用の毛布を準備してお客を待っていた(写真下左は6月のツェレ。当時は横浜の真冬と同じぐらいの寒さだった)。また、厳冬のゲンゲンバッハの路地では、店先にテントを張って食卓を並べていた(写真下右)。なぜ、ドイツ人は屋外で食事をしたがるのだろうか。

 ゲルマン民族にそのような習慣があるのではないかと、タキトゥス(AD 55年頃~115頃年)の「ゲルマーニア」(AD 98年頃 泉井久之助訳註 岩波文庫)を調べたが、特にそれには触れてはいないようだ。Hpp6073488ただ、「ゲルマーニア」には、食卓のようすが書かれている。「ひとりびとりに別々の座席と、めいめいにその卓(つくえ)がある」とあり、それに対する訳者註釈に「食事の際に据える卓子は、小さい台架の上に板をのせたもの。この板が同時に食物を受ける皿になっていた。したがってゲルマーニアにおいては、卓と皿とを意味する語に、本来、Hpp2200050区別がない」と解説されている。すなわち、食卓は台の上に置いた板で、それが皿を兼ねていたというのだ。板に直接、食べ物を乗せて食べていたことになる。この簡便性が、屋外で食事をとるという趣向につながったのかもしれない。

 紀元前後のゲルマーニア(ほぼ現在のドイツ領)は、昼なお暗い森林(シュバルツバルト)でおおわれていた。原始的な灯火しかない家の中よりは、少しでも明るい屋外を好んで食事をとったのではないか。Hpp6094597Hpp6016062さもなければ、ゲルマン民族の文明化に多大な影響を及ぼしたローマ人たちの習慣が伝わったのかもしれない。(写真上左 屋外の席でサッカーを観戦〈ハンブルグ市内〉。写真上右 風でメニューが吹き飛ばないように石を置く〈リューベック〉)

 なにしろドイツ人は屋外で食事をしたり喫茶を楽しむのが好きである。ドイツ国内を列車で移動すると、車窓から家々の庭先が見える。そこには、しばしば食卓とベンチが置かれている。Hpp6123169屋外の食事は、日常生活に定着していることはまちがいない。そこで、私たちもそれをまねして、八ヶ岳山麓の山小屋ではできるだけベランダで食事や喫茶を楽しむことにしている。写真右 ニュルンベルグ・カイザーブルグ付近のレストラン)

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