大道芸人の幸せ ドイツNo.124
12年ぶりにツェレを訪れた。ドイツ旅行の機会はそれほど多くはないのに同じ町を訪ねるのは、もったいないような気がしないでもない。周囲の人たちには、奇異に感じるだろう。しかし、私は、ドイツへは観光目的で出かけるのではない。“生活目的”である。少しでもドイツ人のライフスタイルになじみ、自身の糧を得たいのである。そのためには、同じ町へ繰り返し行くことに意義がある。自身の撮影スタイルも同じである。気に入った撮影地に何回も通いながら、テーマを発掘して掘り下げるのが好きなのだ。
今夏のドイツ旅行でツェレ再訪を加えた理由は、木骨組みの家々がつくる町並みの美しさ(写真上右)をもう一度見たかったのと、ホテルが気に入っていたからだ。しかし、12年前のホテルへ問い合わせたところ、姉妹経営の別のHotel am Hehlentor(写真下2点)を紹介された。そのホテルがまた良かった。12年前のホテルのすぐそばにあり、立地条件は前回と同じである。Nord wall(北城壁)通りにあり、旧市街の市庁舎やマルクト広場まで徒歩5分の距離にある。朝食やフロントの対応などを含めた雰囲気が良く快適だった。そこを拠点に4日間の取材をした。
到着早々、旧市街へ繰り出した。視覚から入る町並みの風景が懐かしかったのだが、もう一つ聴覚への刺激があった。アコーデオンの響きが耳の中というより、私の脳の中に畳み込まれていた思い出を呼び覚ましたのである。12年前に撮影した同じでデパート(Muller)の前でアコーデオンを演奏している大道芸人が目に入った。白髪と歳月を差し引くと、ひと目12年前の芸人と同じに見えた。アコーデオンの音色では判別できないが、演奏曲目は同じだった。「懐かしのメロディー」である。12年前と同じ芸人であってほしいと期待した。そこで、滞在中に一度撮影させていただいた。しかし帰国後、前回(写真右)と今回(写真上右)の写真を比較検討したが、どうも違うようだ。しかし、“同一人”であるという気持ちは、滞在中の私の気持ちを高ぶらせた。もし同一人なら、彼は幸せな人生を送っていると思ったからだ。好きな音楽を一つの町で、長年多くの人々に聴いてもらえる喜びに、私は共感する。ドイツの同じ町を再訪することで得られた喜びだった。なお、現場で当人に確認すればよかったのだが、私には“同一人”という確信があったので聞かなかった。
ところで、繰り返しという作業や動作は、私たちにとって、大きな意義があると考えている。学習や記憶の固定には繰り返しが必要だ。感動にも繰り返しが欠かせない。音楽は、繰り返して聴くことで感動が高まる。音楽の楽曲形式にソナタ形式というのがあり、主題の「提示部」「展開部」「再現部」「終結部」で構成されるが、そこには「再現部」という繰り返し部分がある。ポリフォニーの楽曲形式であるフーガやバリエーション(変奏曲)は、基本的に繰り返しの音楽である。カノンは、その典型だ。繰り返しは音楽的な感動の中枢だと言えよう。繰り返しには時の流れが伴う。私は、時間がかかわるいろいろな体験も同じだと考える。旅行の目的地を選択するときにも繰り返しはけっしてむだにはならない。一つの町にかぎらず、ドイツに絞っていることにも意義があると思っている。また、ここでは積み重ねという概念も提示したい。訪問先の繰り返しと、滞在による積み重ねが旅情を高め、思い出や懐かしさを作るのである。一方、マンネリという悪い繰り返しもあるので、自省しなければならない。 (写真左上 ツェレのマルクト広場に面した街並み)
大道芸の位置づけはヨーロッパでは高いようだ。あるTV番組で、脱サラして大道芸に転じた例を紹介していた。大道芸は日本の横浜でも盛んだ。毎週末、MM21地区や山下公園、野毛地区などでの路上をにぎわせている。芸人は、だれもがプロフェショナルである。それは、撮影してみればすぐわかる。いくらでもシャッターチャンスがあるからだ。スポーツでも芸能でもプロの表情や動作は豊かである。
なお、本ブログは二人の大道芸人が同一人であるという前提で書き始めた。推理や想像につじつまが合うことは愉快であり、ドラマティックであるからだ。しかし、芸人の特定がはっきりしないのであきらめようとしたが、私の心を揺るがせたので掲載することにした。ブログの内容は心の変遷をつづることで十分ではないだろうか。
『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用はご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted.
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント