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2012/07/17

リューベックのホルステン門 ドイツNo.121

ハンザ同盟の守護神Hpp6036704

 13世紀から17世紀にかけて、北ドイツの商業都市が自衛のために結んだ都市連合体がハンザ同盟である。リューベックがハンザ同盟の盟主になったいきさつは、「ドイツ史」(木村靖二 編 山川出版社)を参考にする。同書によると、「……。中世都市の最大の特色は、この自治にある。ドイツでは、司教や領邦君主から自治権を得た都市は、帝国自由都市と呼ばれ、従うのは皇帝の権威だけとされた。とくにリューベック、アウクスブルグ、ニュルンベルグなどの大都市は独自の裁判権、戦争と講和の権利を実行し……」とある。リューベックは中世以来、交易による富を蓄積し自治権を獲得してきたのである。Hpp6015902また同書には、「ケルンの商人がロンドンで1157年ギルドホールをつくることを認められたのが始まりで、これが都市同盟に発展したのがハンザ同盟である。中心となったのはヴィスビイやリューベックである」とある。13世紀のバルト海は、国際的交易でにぎわっていた。ドイツ人商人は毛織物、塩、ワイン、海産物、琥珀、毛皮などを各地へ運んで利益を得たようである。Hpp6015584ドイツ北部のザクセン諸都市は、商人の身の安全と商品を守るために1265年連合をつくり、ヴェストファーレン・ライン諸都市と合体してハンザ同盟を完成させた。そこではリューベックの法律が基準となり、100を超える都市が加盟し、1357年、リューベックにハンザ同盟の本部が置かれたという。ちなみに、ハンザとは、中世ドイツ語でギルド(同業者組合)とか仲間という意味で、もともとは商人仲間の互助会だそうだ。 (写真上左 旧市街のペトリ教会から見たホルステン門)

 ホルステン門が建造されたのは1466~1478年とされる。ハンザ同盟の最盛期とほぼ一致する。ホルステン門はリューベックのシンボルとして有名だが、ハンザ同盟の守護神としての風格を保っていると感じた。リューベックの市庁舎(Rathaus)を訪れてみた。マルクト広場(写真上右)では、ちょうど環境問題のイヴェント(Wissenschaftssommer2012)を開催していた。Hpp6036780それを見て、今でもリューベックにはハンザ同盟の精神がみなぎっているように思った。リューベックがハンザ同盟の本部なら、多くの加盟都市の代表がこのマルクト広場を訪れたにちがいない。ところで、ハンザ同盟は、現在のドイツの地方分権制やEU結成の発想と似ているのではないか。ドイツ人の心底には、互いに他の主張を認めながらも対外的には一致団結しようという精神が流れているのではないだろうか。

Hpp6016101 ホルステン門の内部は博物館になっている。そこに、過去のリューベックの復元模型が展示されていた。驚いたことに、ホルステン門の外側には堅固な砦が築かれていた(写真上右)。現在のホルステン門からは想像もできない備えである。ハンザ同盟で築いた莫大な富を守るためであったのだろう。 (写真左 夕日に染まるホルステン門)

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