« 大倉山エルムフォトクラブ写真展 横浜No.58 | トップページ | フォトクラブ彩光 写真展 八ヶ岳山麓No.130 »

2011/11/06

ニュルンベルグの城壁 ドイツNo.109

堅固な城壁は平和につながるHpp6133556

 ニュルンベルグ旧市街の北西端に町のシンボルともいえるカイザーブルグがある(写真下 旧市街の中心部から見たカイザーブルグ)。今から1000年前、そこには高さ50メートル、Hpp6123394長さ250メートルの砂岩の岩山が突き出していたという。砂岩のことを古いドイツ語でnuorinという。現在のニュルンベルグは「砂岩の山」という意味で、「Nuorin-berg」と言うようになり、Hpp6113080 Nurnbergになったと解説書に書かれている。実際、カイザーブルグは砂岩の上に建ち、城壁はもともとあった自然の砂岩を切り出したブロックで造られている部分が多い。城壁は堅固である。深さ数メートルから10数メートルにもなる濠が周囲をめぐり、さらにその上に城壁がある。現在、濠の底から城壁の頂点まで30メートル以上あるところもある。攻めようとするHpp6123215敵はあきらめてしまうのではないか。(写真上右 カイーザーブルグと城壁。写真上左 旧市街南部の城壁。写真左 砂岩の上に建てられたカイザーブルグ)

 塩野七生著「ローマ人の物語」の「ユリウス・カエサル」(新潮文庫全40巻の中の8~13巻)をたいへん興味深く読んだ。塩野氏はカエサルの「ガリア戦記」などを参考に本著を執筆したとある。Hpp6113057以下は、この著書の要旨である。ユリウス・カエサルとはジュリアス・シーザーのことである。カエサルのガリア攻めの戦法は、いかに相手の戦意をくじくかにあったようだ。当時、ローマの土木・建築技術は世界最高水準だった。それを駆使して攻城兵器を造りガリア(ほぼ現フランス)の城郭都市を攻めるのである。高いやぐら、頑丈な防壁(囲い)、飛び道具や城門を破壊するための仕掛けなど、ローマの技術力の粋を結集して敵を攻めた。それを目の当たりにした敵は防衛を断念して降伏し、門を開かざるをえなくなる。そしてむだな血を流さず、両者にとってメリットが生ずる。Hpp6133548敵が降伏するもう一つの理由に、カエサルの「寛容」がある。カエサルは降伏した敵国を虐待するのではなく、ローマ共和国に組み入れて属国とし、それ相当の優遇措置を講ずるのである。徴税はするものの、ほかの外敵からの保護を保証し、食料事情も配慮する。 また、属国の長の子弟をローマへ留学させてローマのシステムを学ばせる。その子弟は、帰国して属国をローマのシステムで管理するようになる。だから、カエサルの人格を知ると降伏したほうが得なのである。余談になってしまったが、強い戦力とそれを支える技術は平和に貢献できるということのようだ。写真上右 城壁を構築する砂岩ブロック。写真左 遊歩道になった堀)

 ニュルンベルグの城壁周りを散策した。カイザーブルグのある北西部の城壁は特に堅固である。高く入り組んでいて取り入るすきがないように見えた(写真最上右)。このとき、カエサルのガリア攻めが思い浮かんだ。現在の城壁は、1346年ごろから建造されたといわれるが、城壁を築いたドイツ人たちも、ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」を読んでいたのではないか。Hpp6136872_2同書は、ニュルンベルグの有史以前、1000年も前に刊行されている名著である。それを読まずして戦をするのは、「井の中の蛙大海を知らず」であろう。攻撃と守備の違いはあっても、強い戦力は戦争の抑止力になることを知っていたにちがいない。しかし、さすがに第2次世界大戦時、連合軍の攻撃には対抗できなかった。Hpp61368521945年1月、ニュルンベルグ旧市街の大部分が破壊された。その爪痕が、城壁のところどころに残っている。

 現在、城壁回りの濠は公園や遊歩道、クラインガルテン(家庭菜園・花壇)などに利用されている。NHKのBS番組 世界ふれあい街歩き「ドイツ 街道の街を歩く ニュルンベルグ」でも、城壁の一部が住宅やオフィスに利用されていると紹介されていた。昔も今もニュルンベルクの城壁は、市民の平和に貢献していると言えるのではないか。(写真上右 濠に造られた児童公園。写真上左 濠に作られたクラインガルテン。写真下右 城壁外側の小広場)

Hpp6136884 ところで、私は「ローマ人の物語」の一部(10巻)しか読んでいないが、「ユリウス・カエサル」6巻は、カエサルの全人格がいきいきと描かれていてすばらしい著作であるとわかった。現在の日本にカエサルがいたら、とつくづく思った。Hpまた、ローマという国家が紀元前1世紀、どのようなシステムで動いていたのかがよくわかった。私はカエサルにほれ込む一方、現在の西欧文明、もちろん英米も含まれるが、その礎は「ローマ」にあると理解した。ローマがこれほど大きな存在だったことを、今まで知らなかった。(写真左 ニュルンベルグ旧市街マップ ポップアップ可

参照: 「ノルドリンゲンで暮らす ドイツNo.19」 「城壁を活かす町づくり ドイツNo.72」 「中世の市壁とベルリンの壁 ドイツNo.88」

『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用は、ご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted.

|

« 大倉山エルムフォトクラブ写真展 横浜No.58 | トップページ | フォトクラブ彩光 写真展 八ヶ岳山麓No.130 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 大倉山エルムフォトクラブ写真展 横浜No.58 | トップページ | フォトクラブ彩光 写真展 八ヶ岳山麓No.130 »