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2011/05/23

横浜もののはじめ・鉄道 横浜No.57

桜木町駅の変遷

 過日、JR根岸線(横浜線)の桜木町止まりの電車で途中下車したとき、改札口へ降りる階段の側壁に写真がプリントされているのに気づいた。過去から現在までの桜木町駅舎の写真4点である。桜木町駅は、日本鉄道最初の駅である。私には興味があったので複写させてもらった。Hp1904p4292567写真上 明治37年(1904年)ごろの桜木町駅舎。同年、日露戦争始まる。

 明治5年9月12日(1872年10月14日)、横浜―東京(品川)間に日本最初の鉄道が開業した。当時の横浜駅は現在の桜木町駅の場所にあった。すなわち、桜木町(横浜)駅は日本最初の鉄道駅ということになる。しかし、横浜と東京の間には、神奈川駅、鶴見駅、川崎駅もあった。全線(29キロ)が開通したのが明治5年9月12日ということのようだ。Hp1950p4292565写真上 昭和25年(1950年)ごろの桜木町駅舎。同年、朝鮮戦争始まる。私は、昭和36年(1961年)に横浜在住の同級生の家へ遊びに行った。そのとき、下車したので、見たことがあるはずだ。

 鉄道工事の起点はあくまで横浜である。全線開通前の試運転は横浜―神奈川間で行われ、横浜―品川間の仮営業もあったという。横浜駅での全線開業の式典には明治天皇も行幸されたことからも、横浜(桜木町)駅が日本鉄道駅の発祥地であることがわかる。また、鉄道工事に貢献した外国人技師たちが横浜山手の外人墓地に葬られている。Hp1971p4292562写真上 昭46年(1971年)ごろの桜木町駅舎。同年、日米間沖縄返還協定調印。私は、まだ横浜に住んでいなかったが、この駅舎を覚えている。

 横浜―品川間を平均時速32キロで走り、所要時間は53分だった。1日往復9便の運行、料金は、上等1円12銭、中等75銭、下等37銭5厘であったという。明治時代の大工の日当が50~70銭、大正に入って1円60銭~1円70銭ぐらいである。往復運賃が日当とほぼ同額かそれ以上であるということは、相当の高額と推測できる。現在のように情報化されていない社会の人々にとって、この運賃は非現実的であったろう。一方、先端技術を体験できるファッションとしての価値はあったかもしれない。1904年当時の写真(写真最上)には、正装した人々のいきいきした表情が読みとれる。Hp2009p4292572

写真上 平成21年(2009年)ごろの桜木町駅舎。同年、開国博Y150開催。東横線桜木町駅が廃止されたので、私はみなとみらい線で開国博会場へ出かけた。

Hpp5254289Hpp5254398_2【補足】 昨日、再度桜木町駅を訪れた。駅構内の壁面がスナップ写真で飾られているのに気づいた(写真上)。「自動券売機の導入」「鉄道ファン・ブーム」「JRへの改革」「横浜駅西口でのファッションショー」などの情景写真だ。また、屋外の「鉄道創業の地」記念碑も撮影した。Hpp5254405_4同碑には、「明治5年(1872年)旧暦5月7日、この場所にあった横浜ステイションと品川ステイションの間で開通し、その営業を開始しました」とある。あきらかに文献(上記の記念日)とくいちがっている。これをいかに解釈すべきか、困惑している。由緒のほかに創業時の駅舎(写真上左)当時の時刻・運賃表(写真下右)が銅板に刻まれていた。時刻・運賃表によると、創業当時の運行区間は横浜―品川間で、1日上下合わせて4便だったことがわかる。これも文献と違う。私は、いままで最初の運行は横浜―新橋間と思っていた。これはまちがいだったようだHpp5254393Hpp5254408

参考文献:「横浜もののはじめ考」(横浜開港資料館 刊)、「横浜ことはじめ」(半澤正時 著 かもめ文庫)

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