横浜もののはじめ・テニス 横浜No.56
日本で初めて横浜でプレーされ、楽しまれたスポーツはたくさんある。ボートレース、ヨット、競馬、水泳競技、射撃、スケート、野球などだ。フットボール(サッカー)やクリケットなども居留民によって持ち込まれたらしい。テニスもその一つである。1876年(明治9年)6月17日号の「ジャパン・ウイークリー・メール」に、山手公園で初めてローンテニスを楽しんだという記事が載っているという(「横浜山手公園物語」(有隣新書))。
同書によると、男性社会であった居留地で、少数の女性たちが退屈と郷愁をまぎらわす手段の一つとして始めたとある。 このあたりの事情は、「横浜山手公園物語」(横浜山手・テニス発祥記念館 編 鳴海正泰 著 有隣新書)に詳述されている。 (写真上右は、120周年記念碑に添付された開園当時(1871年)の山手公園風景)
イギリスでローンテニスが初めて行われたのは1874年だという。その2年後に日本でもテニスがプレーされた。
ウインブルドンの第1回大会の前年である。交通・通信手段が船便と人手による時代に、横浜山手(Bluff ブラフ)の生活は世界の最先端とそれほどずれていなかったことになる。
4月13日、アメリカから帰国したN氏を含む大学同窓の仲間と山手公園でテニスを楽しんだ。満開の桜と好天に恵まれ、メンバーはテニスを満喫したようだ。ふだん鍛えていない私は、ラケットのスイートスポットに当てるのと、球についていくのがやっとだった。しかし、テニス発祥の地で、当時の雰囲気をイメージしながら撮影できたのが良かった。 (写真下は、帰路にのぞいた山手カトリック教会。1862年、居留地(現山下町)に横浜天主堂(最初のカトリック教会)として創建、1906年、現山手44番へ移転した)
参照:ビール醸造ことはじめ 横浜No.38
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