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2010/08/22

「思いどおり」と「共感」

             残暑お見舞い申しあげます

フジクロームフォトクラブ神奈川主催の作品講評会P7188652

 8月26日(木)、私が講師を務める作品講評会が下記のとおり開催される。募集人数に余裕があるので紹介しよう。

日時:8月26日(木) 12:45~16:15 受付 12:00/会場:横浜産業貿易センター(マップ参照) 地下 B102号室/参加費:会員3500円 一般4000円/申し込み先:フジクロームフォトクラブ神奈川 ☎045-372-1803 チラシとマップはクリックすると拡大します_0001_2

  

 私は、昔から優れた写真の条件を考えてきた。若いときは、写真家側(送り手)のテーマやモチーフ、テクニックを重視し、鑑賞者(受け手)にはほとんど意識がなかった。写真の質やレベルは送り手だけで決まるものと思っていた。自身の撮影でも、そのために研究しチャレンジしてきた。しかし、カメラ雑誌の編集を経験し、多くの作品を鑑賞・講評しているうちに、それでは一方的であることに気づいた。

Photo 撮影で、もっとも大切なことは思いどおりに撮れたかどうかであろう。「思いどおり」とはどういうことだろうか? 撮影時に「モチーフを十分写真に反映できたか」ということだ。この場合、モチーフとはシャッターをきる動機、理由、きっかけを意味する。しばしば「表現意図」とか「ねらい」とも言われる。写真家は、被写体の前に立ったら、まずしっかりしたモチーフを固め、それに従って撮影テクニックを駆使なければならない。そして、写真に自身のモチーフを悔いなく反映させなければならない。思いどおりとは、そういう意味である。しばしば、モチーフがあいまいで、写真からそれを読み取りにくい場合がある。そんなときは、タイトルを一助にしてモチーフを読み取ろうとする。それでも読み取れない場合は、モチーフがなかったか、撮影テクニックが稚拙だと言わざるをえない。

 モチーフは写真家側の発想である。一方、作品は鑑賞者が存在して成り立つ。いくら撮影者が写真にモチーフを込めても、鑑賞者に伝わらなければ意味がない。すなわち送り手と受け手がモチーフでつながることが作品の基本条件である。次に、鑑賞者がモチーフを納得し「共感」して、はじめて優れた写真になると言えるのではないか。

 作品を講評するに当たって、私は次の段階を踏む。①被写体は撮影に値する状況か(被写体)、②撮影者のモチーフがあるか、また第三者に伝わるか(モチーフ)、③撮影テクニックは的確か(テクニック)、④一般の鑑賞者に共感を得られるか(総合評価)

 私は最近、鑑賞者の立場を重視している。そのとき、できるだけ業界人ではなく、一般的な鑑賞者の気持ちになることを心がけている。専門家や業界人だけの写真にしたくないからだ。そのためには、自身が体験を積むだけでなく、認知心理学や造形生理学なども考慮している。そのほうが写真の位置づけが高まり、よりポピュラーになると思う。

『豊田芳州のTheme』に掲載された写真と文章は、著作権法で保護されています。無断使用は、ご遠慮ください。All pictures and writings on this blog are copyrighted.

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