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2010/06/16

フランスの過酷で愉快な生活 〔前編〕 ドイツNo.93

世界の“共通語”Hpp6022107

 パリで9日ほど生活した。初めての訪問であるうえに、言葉が通じない。過酷な生活だった。駅名や観光地の読み方(発音)がわからない。もちろんドイツだって思いどおりのコミュニケーションができるわけではないが、大学でドイツ語を第2外国語として習ったので、発音はだいたいできる。文字は読めるのである。しかし、フランス語はチンプンカンプンだ。場所や食べ物について辞書に書いてあるカタカナで話しかけると、すぐ、「Do you speak English」と聞かれる。Hpp6022062_2そこで「Yes」と堂々と言えないところがまたつらい。常に「A little」を付けざるを得ない。英語は中1から大2まで8年間学んだが、この始末だ。日本の語学教育はなんだったのだろう。それはそれとして、フランス語の発音は難しい。仏和辞典にはHp_2カタカナが振ってあるが、何の役にも立たない。相手は首をかしげるだけだ。そして、「Do you speak English」と聞かれる。たいへん疲れる滞在だった。

 ドイツ語とフランス語は、 なぜこんなに違うのだろうか。両国民の源は、紀元前数百年ごろ民族大移動で北方から南下してきた西ゲルマン民族の一派フランク族である。フランク族は紀元500年ごろ諸部族を統一してフランク王国を建国した。メロヴィング朝、カロリング朝を経て、紀元870年、王国は3分割され、現在のフランス、ドイツ、イタリアの原形が成立した。メロビング朝の祖クローヴィスはキリスト教に改宗して統一に成功したという。ゲルマン人は50以上の諸族からなっていたが、独自の文字をもたなかったという。 それぞれの国が言語と文字を決める余地があったのであろう。Hp6042736_2しかし、すでにキリスト教が普及しつつあった隣り合わせの両国で、まったく違うフランス語とドイツ語が生まれたとは信じがたい。例えば、鉄道の駅はドイツ語でbahnhof、フランス語でgareである。パンはドイツ語でbrot、フランス語でpain、街路はドイツ語でstrasse、フランス語ではrueである。言語学的には根拠があるのかもしれないが、私には不思議に思える。

 言語は変わっても、共通項はある。まず子どもたちだ。子どもがかわいいのはどこの国も同じだ。私の家内は、子どもの相手をするのが得意だ。地下鉄の車内で前に座った7歳の子どもと会話をしながら画用紙に名まえと絵を書いてもらった(写真上左2点)プロヴァン(Provins)では十数人の子どもを相手に「日本」について説明し、折り紙を指導した。子どもとの付き合いは世界共通である。次は音楽だ。サンタンブロワーズ(St.Ambroise)教会ではモーツアルトの「鎮魂ミサ曲ニ短調」(K626 『レクイエム』)を聴いた(写真右上)。大聖堂で聴くミサ曲は本物だろう。フランス人とモーツアルトを共感できたのである。Hpp6032262Hpp6032247もうひとつ、スポーツがある。ちょうど全仏オープンが開催されていた。市庁舎前の広場では特設モニターを使って、実況を中継していた(写真上2点)。そばではスマッシュ・コーナーがあり、センサーで打球の強さを競うゲームをやっていた(実際には、スマッシュではなくサーブだった)。スポーツのルールと感動も世界共通だ。言葉が通じなくてもコミュニケーションできるものはたくさんある。

 本ブログには「フランス」のカテゴリーを設けていない。しかし、フランスとドイツは因縁浅からぬ関係があるので、ドイツのカテゴリーに含めた。

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