高登谷山登山で考える 八ヶ岳山麓No.80
私は高校時代、山岳部に所属していた。なぜ山岳部に入ったのか、はっきり覚えていない。高校1 年のとき従兄が、奥秩父の甲武信ヶ岳へ連れていってくれたのが山登りの始まりだった。秩父の栃本から約23キロ歩いて甲武信ヶ岳山頂にたどり着いた。当時は登山靴を持っていなかったので、バスケットシューズで歩いた。足の裏が痛くなったのを覚えている。この体験が、山岳部に入る動機に結びついていることはまちがいない。このとき同行した加藤晃君も上野高校山岳部だったので、彼と意気投合したのかもしれない。
2年生の夏合宿は、北アルプスの裏銀座縦走だった。濁沢から烏帽子岳までブナ立て尾根を登って裏銀座の縦走路へ出た。ブナ立て尾根は標高差1300メートルの急登攀で、日本3大急登の一つである。鍋釜に、テント、シュラフ、食料などを分担して、一人7貫(約26.25キロ)以上の荷物を担いでこの急坂を登った。装備や食料は未発達だったので、非常にかさばって重かった。 しかし、一人7貫というのは、当時の山岳部としては軽いほうだったと思う。ブナ立て尾根の登攀が初めての山登りの試練だった。その当時は二度と山には来たくないと思うぐらい辛かった。しかし、夕刻縦走路に着いたときの満足感も忘れられない。この体験が、私の一生に大きく影響した。山登りに限らず辛くなってからが本番、勝負どころだという気持ちが植えつけられたのである。その時の仲間3人と高登谷山に登った。
高登谷山は、山梨県との県境近くにあり、標高1845.9メートルの手ごろな山だ。奥秩父山塊に属する。登山口は標高約1500メートルのなで、高度差約300メートルの行程だ。尾根をほとんど直登するので、道は急勾配(写真上左 登山道下方の視界)。ひと息入れるところがない。しかし、2回休憩して1時間強で頂上に立った。西の方角だけ視界は開けているが、ガスが立ち込めて何も見えない。ときどき、ガスが薄くなると下方にレタス畑が見えるだけだった(写真上右)。期待の八ケ岳を見ないまま下山した。下山時間は約40分だった。久しぶりの登山ではあったが、足腰の調子に不満はなかった。ただバランス感覚の衰えを感じた。学生時代は、下山はほとんど駆け足だった。宙に飛び上がってからどこに着地するか決めていたような気がする。今日は、一歩一歩踏みしめるように降りた。そのとき運動神経の衰えもかみしめた。下山後、好天になった山の全貌を見ながら、ルートを確認した(写真最上 ピーク は鞍部右)。
前日は宿舎で、最近の登山ブームについて語り合った。最近は、登山までパックツアーになってしまった。登山のパーティーとは、信頼関係の成り立つメンバーで構成される。リーダーは船長と同じで責任が重い。最後尾を歩きながらルートの決定や天候判断、メンバーの体力と健康状態などに気を配り、安全に責任を持たねばならない。そういうパーティーは一朝一夕にはできないだろう。昔、同じ釜の飯を食った仲間とそんな話をした。卒業してから50年経ってもパーティーが組める友だちがいることは幸せだ(写真左上 左から宇留賀君、加藤君、大地君)。
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