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2009/01/09

「フーガの技法」についての考察〔Ⅰ〕        ドイツNo.77

ポリフォニーの魅力Hpp1031797_2

 若いときから自身の写真展でBGMに使いたいと思っている曲がある。ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750年)作曲の「フーガの技法」(BWV1080)だ。英語で「The Art of fugue」、ドイツ語では「Die Kunst der Fuge」である。フーガは「遁走曲」などと訳す。何が遁走(走り逃げる意)なのかというと、始めに流れているメロディーが形を変えて、後を追うように流れる形式なので、始めのメロディーにとっては遁走状態になるということだ。一方、ArtKunstは、われわれの感覚では芸術と訳したいが、技法と訳すところに意味深いものがある。技法は、どちらかというと技巧(テクニック)というニュアンスが強い。「フーガの技法」には芸術と技巧の融合という意味が込められていると思う。本来、ArtKunstにはこのような意味があるのであろう。初めて「フーガの技法」を聴いたとき、「何か違う、変だ、今までにない」という異様な雰囲気を感じた。新鮮で衝撃的だった。写真上は、「フーガの技法」(カール・ミュンヒンガー指揮 シュツットガルト室内管弦楽団)のレコードジャケット。曲にふさわしいデザインだ

Hpcdp1031804_2 フーガは対位法(kontrapunkt)の一つである。また、しばしば同義としても扱われる。対位法とは、複数のメロディーや映像を同時進行で展開するように構成する技法のことだ。音楽や映像の芸術用語である。音楽分野では作曲技法として重要だ。しばしば音楽のクライマックスを盛り上げるために採用されるからだ。モーツァルトの交響曲第41番ハ長調「ジュピター」(K551)の第4楽章やベートーベンの交響曲第9番ニ短調「合唱」(op.125)の第1楽章と第4楽章などにもフーガがとり入れられている。その充実感と緊張感はすばらしいものがある。バッハの「フーガの技法」は、それらのさきがけとなり、お手本的存在だ。写真上左は、「フーガの技法」(ヘルムート・ビンシャーマン指揮 ドイツ・バッハゾリステン)のCDカバー

 音楽をモノフォニー、ホモフォニー、ポリフォニーの3つに分ける分類法がある。モノフォニーとは、一つのメロディー(単旋律)が時を追って流れる音楽である。原始的な楽器で演奏される曲や唱歌などだ。音楽の原点はモノフォニーであったでろう。ホモフォニーは、一つのメロディー(主旋律)に伴奏の形でほかのメロディーが和音を作りながら展開する音楽である。主旋律以外の声部は従属した関係になる。すなわち、主従の関係で進む。歌と伴奏の関係がわかりやすい。1819世紀にかけて西洋音楽の中心となった。現在われわれが耳にする音楽はだいたいホモフォニーである。

 これらに対して、ポリフォニーは、二声部以上、六声部(私の知っている範囲の最高)までの各旋律が平等に独立して同時に流れる音楽である。すなわち、各声部は対等である。フーガはポリフォニーに属する。フーガの導入部を実際に聞いてみると、まず主題のメロディー(音楽ではテーマと言う)が流れ始め、少し間をおいて次の声部が流れ始める。また少し間をおいて第3番目の声部が始まる。……。そして、独立したいくつかのメロディーが同時進行で進む。各声部は主題の音程やリズム、和音などを変えて(事典には模倣や応答と書かれている)、主題を追走する。Hp_2 全体として一つの調和を保つように作られている。私は専門家ではないが、作曲はおそらくたいへん難しいだろうと推測する。

 写真左は、「フーガの技法」のバッハ自筆楽譜である(カール・ミュンヒンガー指揮 シュツットガルト室内管弦楽団によるレコードSLH-10445の解説より)。第1フーガの出だしの部分であるが、アルトの声部から始まり、ソプラノ、バス、テノールの順に進んでいくのがわかる。「フーガの技法」には楽器が指定されていない。演奏者に任せるということだろう。バッハは、楽器の音色による表現を排除し、純粋にフーガ(ポリフォニー)を聴かせようと考えたのではないか。我々は、いくつか(26声部)のメロディーを同時に聴くことになる。脳の聴覚野への刺激は、モノフォニーはもちろんのこと、ホモフォニーとも違ったものになる。これがフーガが異様に聴こえる要因だ。それぞれの声部を耳を凝らして聴き分けていくと、言葉には表せない情感がわいてくる。

 ポリフォニーは、バッハ音楽の本質だという。磯山 雅著「J.S.バッハ」(講談社現代新書)によると、ポリフォニーは、12世紀ルネッサンスのころから始まったという。「グレゴリオ聖歌に別の旋律を重ね合わせる試みを、本格的にはじめた」とある。そして、バッハはその頂点を築いたのだそうだ。バッハは多くのフーガを作曲した。私は、その極め付けが「フーガの技法」で、絶対音楽の頂点であると思っている。標題音楽として教会音楽に全身全霊をささげる一方で、「フーガの技法」のような絶対音楽を手がけたこともバッハの偉大さのひとつだ。

 はたして、「フーガの技法」をBGMにできるほどの写真展が実現するかわからないが、目ざしたい目標だ。「フーガの技法」については、書きたいことがたくさんある。いずれ続編を書く予定だ。

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コメント

コメント、ありがとうございます。私は、クラシック音楽が好きなだけで、音楽の専門知識はありませんが、感動はどこから来るのか知りたくて少し調べてみました。ジーグさんは専門家のようですね。いろいろ教えていただけたら幸いです。今後とも、よろしくお願い申しあげます。 H.T.

投稿: H.Toyoda | 2009/12/01 09:47

初めまして。いきなり失礼します。
フーガの技法の調べものをしていて辿り着きました。

拝見させて頂き、なるほどと思いました。
楽器の指定もない、毎日練習してもしても正解のない曲に今や面白さや楽しさを感じています。

弾いても弾いてもなかなか目的地にたどりつけない宇宙のような曲を追究していく意味があると思っています。

また寄らせてくださいね。

投稿: ジーグ | 2009/11/30 19:08

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