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2008/11/03

フォッサマグナ展望台 八ヶ岳山麓No.64

ナウマン博士の慧眼Hppb026721_2

 八ヶ岳山麓東側に、「獅子岩」という展望台がある。標高1450メートルの平沢峠の別称である。正面に八ヶ岳、左遠方に南アルプスが望める。飯盛山の登山口で、近年りっぱな駐車場が整備された。駐車場の一角に、「フォッサマグナ発想の地」という石碑が置かれている。ドイツ人の地質学者エドムント・ナウマン(1854~1927年)は、1875年、ここ平沢峠に立ったとき、目の前に広がる地形の変化から、フォッサマグナを発想したのである。1885年の論文「日本群島の構造と起源について」で、グローセル・グラーベン(大きな溝)と説明し、後に「フォッサマグナ」という名称にした(石碑の解説より)。写真上は、石碑からナウマン博士の視界を撮影したもの。遠くに南アルプスが望める。植生や地形の変化があるので、当時とはかなり違っていると思われる。

 碑に刻まれたナウマンの紀行文(抜粋)には次のように書かれている。「朝になって驚いたことに、あたりの景色は前日歩き回ったときとは全く一変していた。それはまるで別世界に置かれたような感じであった。私は幅広い低地に面する縁に立っていた。対岸には、3000mあるいはそれ以上の巨大な山々が重畳してそびえ立っていた。その急な斜面は鋭くはっきりした直線をなして低地へ落ち込んでいた。(中略)そのとき私は、自分が著しく奇妙な地形を眼前にしていることを十分に意識していた。」

Hppb026707_2 ナウマンの体験を推測してみよう。当日までのナウマンの足どりはわからないが、前日までは曇天かガスがかかっていて、視界が悪かったのではないか。平沢峠からの展望は、その日が初めてだったと思われる。「私は幅広い低地に面する縁…」は、足元に広がる野辺山原(写真下右)から清里、釜無川に連なる谷あいのことだ。「縁」とは、自分が立っている平沢峠のことだ。「対岸には、3000m…巨大な山々…」は南アルプス(赤石山脈)をさしている(写真上の遠景。右に八ヶ岳の裾野が見える)。「その急な斜面は鋭く…」は、遠望によるパースペクティブの圧縮効果であろう。平沢峠から初めて南アルプスを望めば、山腹は急傾斜に見えるはずだ。南アルプスから北アルプスにかけて南北に連なる断層を糸魚川-静岡構造線と言いフォッサマグナの西端になる。ナウマンは、その一部を察知したのである。フォッサマグナの存在を確信したものの、その東端については予想しただけだろう。私は論文を読んでいないので不詳だ。現在も東端については議論があるようだ。

Hppb026711_2 「南牧村の地質」(南牧文庫)によると、フォッサマグナが形成されたのは古第三期(6500~2500万年前)で、鳥類や哺乳類、被子植物が現れた時期だという。ナウマンがフォッサマグナを発見した平沢峠は、鮮新世(1200~200万年前)に活動した飯盛山火山の西斜面にある。八ヶ岳火山の活動はさらに遅れ、第四紀(200万年前以降)になる。八ヶ岳も飯盛山もフォッサマグナの中に新たに噴火してできた山である。

 平沢峠に立つと真正面に八ヶ岳が屏風のように立ちはだかる(写真上右)。ナウマンがおおきく見える八ヶ岳より遠くの南アルプスに着目したところが、地質学者たるゆえんだろうか。日本を北東と南西に分断するフォッサマグナの地殻変動は現在も続いている。我々も平沢峠に立って、悠久の日本列島形成を回顧するのも悪くはない。なお、「ナウマン象」はナウマンの名にちなんで名づけられた。

Hppb020882 よく利用する川上村の道路わきに地層が露出しているところがある。「南牧村の地質」によると、野辺山原台地の東縁であるという。地層が八ヶ岳の噴火活動と堆積を物語るので撮影した(写真左)。

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