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2008/10/13

長崎と横浜の秋祭り 横浜No.25

Hppa080294_3長崎くんち双十節

 長崎は、1859年、函館、横浜と同時に開港された。しかし、江戸時代初期から出島を通して海外と交流があったので、横浜とは比べものにならない歴史がある。横浜をより深く知るためには長崎の事情も知らねばならないと考え、初めて長崎を取材した。西洋館など古い町並みの保存のし方、市民の郷土意識、日常の生活、祭りの位置づけなど、横浜と比較してみたかった。似たところはあるものの、違いのほうが印象に残った。Hppa080301横浜と違って地方の中都市であるうえに、原爆の被災地でもあるので当然であろう。路面電車が市民の足になっているのは好感が持てた。

 ちょうど「長崎くんち」の時期だったので、祭りも撮ってみたいと思った。しかし、ホテルのTVで諏訪神社の中継を見て、とても思いどおりの撮影はできないと判断し、直接のアプローチはあきらめた。というより、地元テレビ局の中継を見ていて十分堪能できた。新地中華街で夕食をとっているとき、にぎやかな人声が聞こえ、狭い路地に賑町の「大漁万宿恵比寿船」が引かれてきた(写真上2点)。朝、TVでみた新大工町の曳檀尻(ひきだんじり)ほどの規模ではないが、中華街の路地をやっと通過できるほどの大きさである。苦労してアーケードをくぐるようすが、かえって絵になった。Hppa080278写真下は、商家や民家の玄関先で踊りを披露し「お花」をいただく「庭先回り」。新地町にて。

 長崎くんちは、370年の歴史があるという。江戸時代初期、出島が造成されたころから始まったことになる。祭りの形態は変遷しているであろうが、当時の文化や人情が潜んでいるのではないか。日本の祭りにはつきものの山車に匹敵する曳檀尻があれば、中国の龍舞と同じ龍踊もあるので、和中折衷の祭りと言える。長崎の旧市街がくんち一色に染まるのは、市民のコミュニティーが確立しているからだろう。くんちとの思わぬ出会いに旅情が高まった。

Hppa105355_3 横浜では10日、双十節が行われた。私は、10月1日の国慶節か、10月10日の双十節のどちらかを見ないと気持ちが収まらない。爆竹の音と匂い、小気味良い太鼓と銅鑼のリズム、獅子や竜の機敏な動きなどで、私の五感は全開になる。中華街の祭りは、私の五感の保守点検になるのだ。Hppa105378Hppa105419写真仲間といっしょに双十節のパレードを撮影した。パレードは、獅子舞や龍舞のほか、民俗芸能、住民家族のデモンストレーションや近隣学校や団体の友情出演など、さまざまだ。今回は中国の芸能や衣装にレンズを向けた。Hppa105443

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