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2007/04/30

カタクリの飛翔 信州No.32

Hp07p4298037_3イメージを膨らませるには

 カタクリの開花に間に合った。前回、八ヶ岳山麓へ来たときはつぼみの状態で、今年は花を見ることができないのではないかと気がかりだったが、なんとか間に合った。標高1400メートルの高原では、首都圏周辺の開花より1か月は遅れる。梅も桜も同じだ。前回、もっとも生長していたつぼみ(信州No.32参照)は、すでにしおれかかっていたが、ほかの花は元気だった。

 カタクリは、朝は開きかけた番傘のようだ。日が高くなるにつれて傘は開き、日中はオチョコ傘のように花弁は反り返る。この変化を一日で1回繰り返す(写真)。どの状態がカタクリの本当の姿かといえば、蜜標を目立たせ、メシベとオシベをあらわに見せるオチョコ傘の状態だろう。昆虫が来て授粉をうながす状態だ。カタクリを撮影するなら、この状態を撮るべきなのかもしれないない。しかし、私は、被写体が変わりつつある状態を好む。少しでも動きが見える状態だ。花に意志や願望があるように撮りたいのだ。開ききったオチョコ傘の状態は、安定していてつまらない。閉じた状態から開くまでの途中にこそ意志を感じる。自転車にたとえると、発進して加速している状態だ。一定のスピードで走っている状態は安定していて、ペダルを踏んでいるライダーの意志が感じられにくい。加速したり、ブレーキをかける状態は、物理学では加速度のある状態と言える。すなわち外力が加わっている状態だ。花の場合は内力といったほうが適切だろう。数学では微分係数(変化率)が大きい状態になる。私にとっては、被写体に加速度がある状態がシャッターチャンスである。

Hpp4298052_3Hpp4298082_3  カタクリにどんな意志を読み取るか、これが問題だ。もちろん花弁を広げて授粉の体制を整えるのは、本来の“意志”だろう。しかし、私は鶴や白鳥が飛翔するイメージで撮影した。カタクリを鳥になぞらえたのだ。標本写真を撮ろうとしているわけではないので、花を鳥のように撮るのは自由だ。花は、人間のように見えるときがある。また、海中の腔腸動物(サンゴやイソギンチャクなど)や棘皮動物(ヒトデなど)のようにも見えるときもある。ときには、メタリックな質感を感じる。花として撮るのと、花以外のものとして撮るのとでは、イメージの膨らみ方は大違いだ。

 鳥が飛翔しているように見せるために、広角レンズにクローズアップレンズを取り付けてローポジションで接近した。あとはシャッターチャンスを待つだけだ。この場合は風で花弁がひらめく瞬間もシャッターチャンスになる。なにしろ動きを出したいのだ。オリンパスE-330にズイコーデジタル14~54ミリF2.8~3.5を装着し、クローズアップレンズを使用した。カメラは、被写体に近づくことで、いろいろな画面効果を作り、表情や内面を引き出すことができる。E-330のライブビュー液晶がローポジションの撮影に役立った。

【撮影データ】 オリンパスE-330 ズイコーデジタル14~54ミリF2.8~3.5(14ミリ 35ミリ判換算28ミリ) クローズアップレンズNo.3(焦点距離33.3ミリ)使用 絞りF8 1/400秒 ISO160 WB晴天 仕上がりFLAT(やや軟調) 〈開花状態を示す比較写真の撮影時刻 左 6:00 右 16:42〉

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