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2007/02/05

冬の旅 ドイツNo.35

Hppc125006 メランコリーと中世の光

 初めて冬のドイツを旅した。もっともドイツらしい情景は冬に見られると本で読んだり友人から聞いていた。夏だけを見てドイツは語れないという。冬こそドイツの精神性を育んでいるというのだ。

 ドイツ人に特有の心情にメランコリー(英語でMelancholy、ドイツ語ではMelancholie)というのがある。訳すと「憂鬱」「哀愁」「ふさぎ込み」「もの悲しさ」「沈思」などの意味になるが、これが、ドイツの絵画や音楽、文学などを生む原動力になっているという。ドイツには、作品を創ったり鑑賞することでHppc146063 メランコリーから開放されるという精神構造があるという。これについては、『ドイツ人のこころ』(高橋義人著 岩波新書)に詳しい。冬のドイツは、日照時間が短いうえに、日中も雲が低く垂れ込め、一日中寒いというのが通常だ。だれでも気がめいってメランコリーな気分になる。ワーズワースが冬、妹とドイツのゴスラーに滞在したときのようすが『ワーズワース 田園への招待』(出口保夫著 講談社+α新書)に書かれている。厳寒の暗い天候の下での詩作は、まさにメランコリーを克服する創作過程だ。

Hppc122794  ドイツの冬といえば、シューベルトの『冬の旅』が思い浮かぶ。ウイルヘルム・ミューラーの詩にシューベルトが曲を付けた24曲からなる歌曲集だ。『冬の旅』が名曲といわれるのは、ドイツ的なメランコリーが全曲を貫いているからだ。なにしろ暗い音楽だ。メランコリーとはこのことだと言われれば、だれでも納得できるのではないか。暗くないのは、第5曲『菩提樹』と第11曲『春の夢』、第13曲『郵便馬車』の3曲ぐらいだろう。シューベルト以外にもブラームス、シューマンなどにもドイツ音楽特有のメランコリーを感じる。メランコリーがドイツで大きな意義を持つのなら、冬のドイツを訪れなければならない。12月にドイツへ行こうと思った理由の一つは、メランコリーの体験にある。シューベルトの『冬の旅』を肌で感じたいと思った。Hppc145728

 冬のドイツを訪れたもう一つの理由はクリスマスの見学である。12月25日のクリスマスの前、4週間にわたるアドベントの過ごし方には、ドイツならではのものがあるようだ。ミュンヘンとランズベルグで見たアドベント(ドイツNo.32ドイツNo.33参照)には、冬のメランコリーを紛らわすドイツ人の知恵があるように思えた。氷点下の宵に、家族ぐるみ、市民ぐるみで町の広場に集まって歓談し、クリスマスに備える人々の表情にドイツ人の心情と民族の伝統を感じた。

Hppc125086_1  ところが、2006年の12月は、ドイツも異常気象だった。暖かく(といっても氷点下にはなる)、快晴の日が数日も続いた。撮影には良かったのだが、本当のドイツ的メランコリーの体験には適さなかった。しかし、低い日ざしは中世ドイツの風景をスクリーンに映し出すようでドラマティックだった。光と影は今も昔と変わらない。

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コメント

こんにちわ、芳州先生。
写真がすばらしいです。
私も冬のドイツを見に昨年12月に行きました。
同じランズブルグです。
時々、射す光にメランコリーを感じました。
この写真を見ると、それを感じます。
私はそのメランコリーに負けるかと、
自分を賭けていたのですが、
気象がいつもの年と違っていたので、
勝負はまた来年になりそうです。
ブログ、がんばってください。私もがんばっています。

投稿: KEICOCO | 2007/02/07 10:22

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