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2006/05/01

自然界の情報伝達 信州No.15

カタクリを育てるHpp4306991

 今から30年ぐらい前、友人の山小屋でカタクリの酢の物を食べたことがある。そのころはカタクリの価値もわからずに、ただ珍しいという気持ちだけで食べた。実情は知らないが、山に入ればいくらでも採れるものと思っていた。最近は春のネーチャーフォトの被写体にランクされ、シーズンになると注目されるようになった。しかし、簡単には撮れない被写体だ。生育地は少ないし、盛期にめぐり合うチャンスも作りにくい。また、撮影条件が厳しく思うように撮れない。

 カタクリはフォトジェニックな被写体だ。春を先取りする春植物なので、周囲の植物が葉を付けるまでのつかの間の時期に、精いっぱい太陽光のエネルギーを貯めて来年に備える。短期決戦の表情がひしひしと感じられる。頭を下げて咲くので、優しく初々しい。じっくり撮影したい被写体だ。そこで、一昨年の夏、園芸店から球根(りん茎)を6本買ってきて、信州の山小屋の前に植えHpp4307069た。カタクリは北斜面に生育するというのでそれを意識し、かつ撮影に適するよう背景を選んで植えつけた。球根はそこに適応できたようだ。昨年は2輪の花が咲き、今年は4輪咲いた。そのうちの2輪が写真上だ(4月30日撮影)。カメラポジションの設定、被写体周辺や背景の調整、撮影距離の調節など思いどおりに決め、三脚を自在に使って満足できる撮影ができた。

 マクロレンズで花芯だけをクローズアップすると、花弁の基部に特有のパターンがあるのがわかる(写真左)。これを蜜標と言い、昆虫に蜜のありかを知らせるための標識だという。蜜標は多くの花の花芯にある。花は蜜を昆虫に提供する代わりに花粉をメシベへ運んでもらう。花と昆虫はgive and takeの関係になっている。いわゆる植物と昆虫の共進化だ。カタクリにはギフチョウが寄って来るそうなので(まだ見たことがない)、ギフチョウにとってこの蜜標は生き延びて子孫を残すためにどうしても認知しなければならない。そのように進化してきた。一方、カタクリにとっては、ギフチョウを呼び寄せるために長い時間をかけて花弁にこのパターンができるよう進化してきた。ギフチョウとカタクリの間には生きるための情報交換が成立していることになる。

 動物がフェロモンでオスを引き寄せたり、植物がフィトンチッドで天敵を避けるのは情報の流れといっていいだろう。植物は虫や病気に侵されると、隣の植物に警告するため、何か物質を放出するということを読んだことがある。枝が光を求め、根が水を求めて伸びるのも、情報の取得と活用だ。いずれも生死にかかわる厳しい情報が伝達されている。成熟した自然林の中での情報量は、大都市の人間のものより多いかもしれない(単位面積当たり)。自然界の情報は、生きるための、また子孫を残すための厳しい情報がほとんどだ。人間社会の都市ではどうだろうか? 豊かさと自由の大義に隠れて無意味な情報が氾濫しているように思えるが。それが資源とエネルギーの無駄使いになってはいないか。カタクリを撮影しながら、だいそれたことを考えてしまった。

【撮影データ】 〔共通データ〕オリンパスE-330 ズイコーデジタルED50ミリF2(35ミリ判換算100ミリ) 絞りF4 ISO100 WB5300゜K 〔右上〕1/640秒 〔左上〕1/160秒 約2倍の部分拡大  

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